初瀬のお告げ
『母、一尺の鏡を鋳させて、え率て参らぬ代はりにとて、僧を出だし立てて初瀬に詣でさすめり。「三日さぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せたまへ」など言ひて、詣でさするなめり。そのほどは精進せさす』
(母が一尺の鏡を鋳造させて、自分が付き添って参拝しない代わりにと、僧を参拝の使者に立てて初瀬に詣でさせる事にしたらしい。
「三日間滞在して、この娘の将来の様子を、夢に見せていただいて下さい」
などと言って、詣でさせるつもりらしい。その間私にも精進するように言いつけられた)
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父の無事が分かったとはいえ女所帯の緊張感からか、清水寺詣での後から母はしっかりと自分を取り戻していた。生来の想像力と臆病さのため相変わらず邸の外のことにはやや疎いが、邸の管理は以前のように古風に口やかましいほどの母が戻ってきた。
やっぱりお参りに連れて行ってよかった。ご利益があったみたい。
私の事にうるさくなるのはちょっと辛いが、それでも母が元気を取り戻すと私もホッとする。
孫姫たちにも奥ゆかしく、女らしくするようにと気軽に縁の近くに行ったりしない様に良く見張っていたりする。姫達は庭に出にくくなって不満な様子だが、母がいない時にはなるべく自由にさせている。上の姫ももう十二歳。おそらく裳着も近づいているので、そろそろそういうしとやかさを身につけるのも悪くはないだろう。しかし母が一番気にかけているのは、孫姫よりも女の盛りを過ぎてしまった私の事の方だった。
「あなたは年頃を迎える前に乳母を亡くしてしまったし、一番の娘盛りの時に色々あって親の力足らずのために婚期を逃してしまわれました。けれど女人の一番の幸せは、やはり良縁を得て結ばれることでしょう。そのためにもお参りなどをする事は良いことかもしれません。けれど殿がお留守の中で遠い所へ出かけるのも軽々しいと言うもの。ですからわたくしはあなたの良縁を願って初瀬に代理の僧を立てようと思います」
「いえ、私の事は気にしないで姫達の御運を御祈念下さいませ」
私はそう言ってやんわり断ろうとする。私ももう二十六。今から縁を探すと言っても難しい。物語のようにどなたかが何か私に特別あわれを感じる事情でもない限り、良縁は望めまい。普通に来る縁談は位もずっと下の先の知れた人が「道真の子孫」の名につられて寄ってくるか、老い先短い年配の受領がいく人もいる妻の端にでもに加えようとするのがせいぜいだ。
そんな夢も無ければ頼りにもならない結婚を無理にするくらいなら、私はこのまま独り身で『源氏物語』のような恋の世界を空想の中で描いている方が幸せだった。先の不安がないわけではないが案外女一人の事ならなんとか生きていけるかもしれない。
私がそう気強くいられるのにはわけがある。実は私に『源氏物語』を下さったあのおばが、
「もしも母上の許可をいただけたなら、思い切って宮仕えに出てみませんか?」
と言って下さっているのだ。
私がもし結婚しても夫になった人が姉の姫達のお世話をして下さるか分からない。だったらいっそ宮仕えに出て、私が家運を開く方がいいのではないかと言うのだ。
「私の邸に来ていただいても良いのですけど、私ももういい年ですし、いつまで邸にいられるものでもないでしょう。幸いあなたは道真公のお血筋で歌の才能もおありです。以前宮中の方々にあなたの御歌が話題になってもいました。あなたをお育て下さった方もまだ宮中においでですし、右大臣の実資様からお声掛けしていただく事も出来ましょう。本当は今の中宮様より、もう少し関白頼道様に近い方がいらっしゃれば、その方を主人になさった方が先々心強いとは思いますが、今はそういう方もいらっしゃらないので……」
憧れの宮中に上がれると思うと私は胸とどろかせて「是非に!」と言いたいところだが、あの母がそんなことを許可して下さるとは思えない。それに姉の二人の姫の事も心配だ。せっかくのびのびと健やかに育っている姫達を、今母に預けてしまうのは心細い。姫達はこれからが多感な年ごろ。厳しく物静かにしつけられ過ぎて萎縮してしまったりしては可哀想だ。せめて上の姫が結婚し、下の姫が年頃を迎えるまでは見守ってやりたい。私はおばにお気遣いは嬉しいが母が許可をしてくれたらいつの日にかは……と言葉を濁したのだ。
そんな訳で私はそれほど結婚にこだわってはいなかった。いざとなったら生きるすべはありそうに思えたから。まずは父の無事を祈る事と、二人の姫を才能豊かに育てることの方が大切だった。だから母が私の良縁のために一尺もある鏡を作らせて、僧を自分の代わりに使者に立て、初瀬詣でをさせると聞いてもあまり関心はなかった。だが母の方はもう必死で、
「なんとしても私の娘の未来をこの鏡に映し出していただけるよう、懇ろに御祈念をして下さい。三日間は滞在して娘の将来を夢に見せていただくのです」
と、何度も僧に念を押しているらしい。私としてはそんな未来を見るより、もしも素敵な男君が私を見染めて下さったら……と、夢見る方がずっといいのだが。
しかし母は僧を初瀬にやるとそれは真剣に毎日念じ、私にも一緒に念じさせるのは無論のこと、毎日身を清め、魚肉なども口にしないようにと精進させ続けた。
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『この僧帰りて、「夢をだに見で、まかでなむが、本意なきこと、いかが帰りても申すべきと、いみじうぬかづき行ひて、寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるわしくさうぞきたまへるが、奉りし鏡をひきさげて、『この鏡には文や添ひたりし』と問ひたまへば、かしこまりて、『文もさぶらはざりき。この鏡をなむ奉れとははべりし』と答へたてまつれば、『あやしかりけることかな。文添ふべきものを』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これ見れば、あはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣きたまふを、見れば、臥しまどろび泣き嘆きたる影うつれり』
(この僧が帰ってくると、
「夢のお告げも見ずに初瀬を去ってしまうのは本意ではないので、そんな事になったら都に戻ってなんと申し上げたらよいのかと、必死になってぬかづき御祈念して眠りについた所、御帳の方から大変気高く、清らかな御様子の女人が麗しい装束を身につけていらして、奉った鏡を手から下げていて、
『この鏡には文は添えられていないのですか』
と問いかけられるので、こちらもかしこまって、
『願文は添えられてはいません。この鏡を御奉納するようにと仰せつかりました』
とお答え申し上げたのですが、
『おかしなことですね。願文を添えるべきものなのに』
と言って、
『この鏡の、こちら側に映っている姿を御覧なさい。これを見ると、何とも悲しいことです』
と、さめざめと泣いていらっしゃるので、見ると臥し惑い泣きながらお嘆きになっていらっしゃる姿が映っています)
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そして僧が初瀬から帰るとすぐに近くに呼び寄せて、私にも話を聞くようにと無理やり引っ張られてしまった。僧はかしこまりながらこう言った。
「初瀬には着いたものの懸命に御祈念申し上げたのですが、一晩目も二晩目も姫君の未来を鏡が映す夢を見ることはできませんでした。お告げを受けることなく初瀬を去ってしまうのは私も本意ではありません。このまま都に戻ったら北の方様になんと申し上げたらよいのだろうと思うとたまらない思いになって、それは必死の思いでご祈念申し上げるとようやく三日目の晩に夢を見る事が出来ました」
「ああ、やはり初瀬の観音様には霊験があるのですね。それはどのような夢でした? この姫は幸せになれますか?」
母は期待と不安で緊張を隠せないまま聞いた。確かに初瀬の観音様は霊験あらたかだろうけれど私は自分が見た夢ならともかく、人の夢でどれだけ未来が見えるのだろうかと疑いながら聞いている。それにもしも悪いお告げで夢を壊されたらと思うと気が重かった。
「夢には大変気高くて、清楚な御様子の女人が現れました。とても美しく、麗しい御装束を身につけていらして、北の方様が御奉納なさった鏡をその手に下げていらっしゃいます。そして私にこう聞いたのです。
『この鏡にはどのような願いが込められているのかを書かれた文が添えられてはいないのですか?』
そこで私はこう答えました。
『願文は添えられてはおりません。この鏡の御奉納だけを仰せつかってまいりました』
すると女人は
『それはおかしなことですね。こういう物を奉納する時は普通願い事があるもの。そういう人は願文を添えるものですが』
とおっしゃるものですから私の方から、
『失礼があったのなら私が代わってお詫び申し上げます。私も気がつかなかったことでございますので』
と申し上げました」
僧の言葉を聞いて母は気まずそうな顔をした。
「まあ。それはうかつな事でした。そういう物には願文を添えるものなのですね。わたくし、仏事にはなにぶん疎いものですから」
「ご主人がお留守でいらっしゃるなら仕方のないことでしょう。女人はたいてい仏事には疎いものでございます。私もうかつでございました。しかし観音様はそのような事も御理解下さっていると思います」
「それで、この姫の未来は見えたのでしょうか?」
母は待ちきれない様に聞いている。私は聞きたくないのだが。
「はい。その女人は私に鏡を指し示しながら、
『この鏡の、こちら側に映っている人の姿を御覧なさい。これを見るとこの人の運命は何とも悲しい事に思われます』
そう言ってさめざめと泣いていらっしゃるのです。私も鏡の中を見るとこちらの姫君が鏡の中でうつぶせになられて、御心を惑わせ身を揉んで泣きながら何かをお嘆きになっている御姿が目に入りました」
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『『この影を見れば、いみじう悲しな。これを見よ』とて、いま片つ方にうつれる影を見せたへば、御簾ども青やかに、几帳押し出でたる下より、いろいろの衣こぼれて出で、梅桜咲きたるに、鶯、木づたひ鳴きたるを見せて、『これを見るはうれしな』とのたまふとなむ見えし」と語るなり。いかに見えけるぞとだに耳もとどめず』
(『この姿を見れば、とても悲しいことです。ではこちらを見て』
と言って、もう片方側に映った御姿をお見せになられると、それはいくつもの御簾が青々と掛けられ、几帳を御簾の近くにまで押しだしたその下から、色とりどりの衣装の裾などがこぼれ出て、梅や桜が咲く中を、鶯が木の枝をつたって鳴いてる様子を見せて、
『これを見るのは嬉しいことです』
とおっしゃられる……そういう夢を見たのです」
と語った。しかし私は自分の未来がどう見えようとも耳にもとどめようとしなかった)
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女人は鏡を見ながら、
『この姿を見る限りは、とても悲しいことですね。では今度はこちらを御覧なさい』
とおっしゃって鏡のもう片方側に移ったものをお見せになりました。そこには沢山の御簾がかけられた立派な御殿のようなところで、その御簾も青々として、見るからに高貴で素晴らしい感じの場所のようです。そして几帳がその御簾近くまで押しだされていて、中にはきっと多くの高貴な女人や女房などがおいでなのでしょう。御簾の下の隙間から上品で美しい色とりどりの装束の裾などが沢山こぼれ出ているのです。見るからに華やかな御様子です。その庭には季節遅れの梅や早咲きの桜が咲き競っていて、その中を鶯が枝をつたって鳴いているのです。それを私に見せながら女人は、
『これを見るのは、嬉しいことですね』
と微笑んでおっしゃいました。私はそういう夢を見ていたのです」
と僧は語っていた。悪い姿と良い姿の話に母は困惑気味のようだ。しかし私は、
「良い事と悪い事が両方あるのは当然のこと。自分が見た夢のお告げでもないのでどれほど当てになるかも分からない」
そう思って僧が語るのも、母に
「それは良いお告げなのでしょうか?」
と聞かれて僧がどう答えたものかと戸惑っているのも、たいして気にとめる事も耳にとどめて置く事もしなかった。事前に未来を知っておけば心構えも違っていたかもしれないが、その頃の私にそういう考えはなかったのだ。
原文の「詣でさすめり」「詣でさするなめり」の「めり」とは、推定や婉曲な表現を用いるのに使う言葉です。ここでは娘のために必死な母に対して、主人公がまるで人ごとのように見ているのが表されています。
当時はこうした夢のお告げや占いなどがとても現実的に重要視されていました。ロマンチストで自分の未来もいつまでも少女のように心の中で夢を追ってしまう主人公です。我が子を心配するあまりの親心とはいえ、自分の未来をあからさまに見せようとする母親の行動に少しうんざりしているのが現れています。