清水寺
『かうて、つれづれとながむるに、などか物詣でもせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬には、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山、関山越えていとおそろし。鞍馬は、さる山、率て出でむいとおそろしや。親上りて、ともかくも」とさしはなちたる人のやうにわづらはしがりて、わづかに清水に率てこもりたり』
(こうも淡々とぼんやりしていたのなら、どうして物詣ででもしなかったのか。母はひどく古風な人なので、
「初瀬詣ではとても恐ろしい、奈良の坂で悪人に捕まったらどうするのです。石山寺は関山を超えるのがとても恐ろしい。鞍馬はああいう山だから、あなたと出向くなどとても恐ろしいことです。父親が上京した時ならともかく……」
と私を縁が遠くなった人のように煩わしがるので、僅かに清水寺に連れて行ってお籠りをする)
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父からの便りを得て無事と分かると、私はこれまで過ごした時間が惜しくなってきた。父は何事も無く任地に入り、今では忙しく働いていると言うのに私は心配にかこつけてただぼんやりと過ごしていただけだった。御仏は私の願いを聞き入れて父を無事に任地に送って下さったのに、私は何のお礼も申し上げていない。まずはお礼参りをしなければ。
それならいっそこの際、母もお参りに連れて行こう。姫達を連れ出すのは車の用意だけでも大変だから、母と私でこれからの家族の幸せと後世の幸せを祈ってくるのだ。この身が俗世にある今のうちからしっかりと功徳を積む事が後世の幸せに繋がるらしいから。
どうせならなるべく霊験あらたかなところがいい。だったらやはり初瀬詣でが良いのだろうか? それとも石山寺の方がいいのだろうか? それとも険しい山道を越えて鞍馬に行った方がご利益があるのだろうか?
母も父の無事がはっきりするまで毎日尼のように祈りを捧げていた。よもやそのお礼をするのに反対はしないだろう。
そう考えた私はまだまだ甘かった。母は初瀬の名を聞いただけで顔色を真っ青にする。
「初瀬だなんて! 都からどれほど離れているのでしょう?」
「父上の任地に比べたらほんの近くですよ。母上だって父上の身をお守り下さった御仏にお礼申し上げたい気持ちはあるのでしょう? 父上が常陸に行くと言った時は母上も共に行くとおっしゃっていたではありませんか」
がたがたと震え冷や汗をかきだした母に、私は根気よく話しかける。しかし母は
「常陸などこの世の果ても同じこと。しかもその地が危険だと聞いたからです。御仏の御加護が無ければきっと殿は今頃生きてはいなかったでしょう。そんな風に夫に先立たれるくらいなら共に死出の旅に出るのも妻の勤めと思ったまでです。殿の無事が分かった以上、あなたの身や我が身を危険にさらすわけには行きません。第一、邸に残る姫達が心配ではありませんか」
この世の果て……確かに世の人々にも常陸は東の果ての地と言われている。でも今は常陸に行くと言うのではないのに。古風な母は姫の心配より自分が邸から出るのが恐ろしいのだと分かってはいたが、それは口に出さずに、
「もちろん役人に頼んで邸の守りも固めます。私と母上だけなら供周りの者も少なくてすむでしょうから」と言う。
「そんな少ない供周りで初瀬に行こうと言うのですか? その途中には奈良の坂があるのですよ。あそこは人さらいが出るそうではありませんか。そんな遠い所、東国と何ら変わりがありません。危険すぎます」
「母上にとってはこの邸以外すべて遠いところでしょう? 私はお礼だけではなく、母上の後世の功徳も積んでいただきたいのです」
「そんな危険を冒して何かあっては功徳どころではありません。初瀬は遠すぎます!」
かつて東国まで旅した私には初瀬はそれほど恐ろしい旅路とは思えない。しかし母は祖父の最晩年に授かった娘で幼い時は有名歌人の娘としてまさに風にもあてずに育てられていたらしい。
祖父が亡くなった後も才能豊かな別腹の姉姫に見劣りすることのないようにと、それは祖母に品良く奥ゆかしく育てられ、母は歌人の娘としては歌の評判は良くなかったものの菅原道真の直系の父を婿に迎えた。もっともその父も歌や文学が苦手でついに博士を諦めて受領になったのだけれど。そんな母にとっては東国も初瀬も何の変わりも無い遠いところなのだ。
「それなら石山寺はどうでしょう? あそこは途中に海のように大きな湖があるので舟に乗るから、乗ってしまえばあっという間に着いてしまいます」
「その前に関山を越えなくてはならないでしょう? 関を超えると言うのは都の外に出ると言う事ではありませんか」
「関と言っても昔と違って今は美しい寺が建ち、多く人も行きかっています。そんなにおそろしいところではありませんし」
実は私はこの関寺にも寄ってみたかった。あの寺は私が上総から都入りする時にまだ建築中で、彫りかけの仏像がその御顔だけを見せていたのだ。あの時もう一度共に訪ねたいと思っていた姉はもういないけれど、思い出のあの場所に行ってみたい思いもあった。
「けれどその後に舟に乗ると言うのでしょう? わたくしは車に乗るのでさえ怖いと言うのに。やむなく車に乗る時も『途中で強盗に車を停められたらどうしよう?』『車の中に突然手が伸びて来たらどうしよう?』と、身も凍えるような心地で乗っているのです。それなのに見た事も無い海のような湖で乗った事も無い舟に乗るなんて……」
母は引きつりそうになる顔をこらえ、言葉が続かなくなった。困ったことに母も想像力は大変に豊かな人だった。ただ姉と違ってそれはいつも恐怖に結びついてしまうのだ。私はあきらめた。これではとても寄り道など出来そうにない。
「では鞍馬なら? あそこは関を越えることはありませんから」
今度こそ母ははっきりと顔をひきつらせ、
「鞍馬! あそこはとても暗く険しい山で有名ではありませんか。そんなところにあなたと出向いて行くなんて。なんて恐ろしいことを考えつくのでしょう。殿がお帰りになって来て男手が多く、頼もしい姿で行くと言うのならともかく、女二人で行くような所には思えません」
母は私を遠い世界からやってきた縁もゆかりもない人を見るような目で見ながら言う。私はため息をつくしかない。都に近い鞍馬の山でこれなら足柄山など母にとってはすでにこの世ではないだろう。
しかし私が生まれる少し前は都の中でさえ乱れていて、何度も「一の人」が争われていたと言う。そのたびに都人はうろたえ、世の中は荒れ、悪人がはびこり、恐ろしい事が本当に起こったという。そんな世の中だから年配の人々は口をそろえて世の中の悪人の多さ、邸の外の怖さばかりを口にする。母達は皆そう言い聞かされながら大人になったに違いない。「女と鬼は姿を見せない方がいい」と言われ続けたのにもそれなりに理由はあったのだろう。
しかし私はそうではない。上総の地で継母に世の中の素晴らしさ、楽しさ、美しさを教えられて育った。確かに今も治安は悪いが邸の中なら安全とは言えないではないか。盗人に入られたり、あの火事のように邸に何か起こってしまえばどこにいても同じなのだ。それなら御仏に功徳を積んでご利益を得る方が私には大切だ。
近頃は女人も成仏のための功徳を積もうと寺詣りをするのは普通の事だ。母が育った頃とは時代が違う。昔は女人は女に生まれたこと自体が罪だから女は邸の中でじっとして、災厄に当たらぬように気を使えばよかった。しかし今は女も功徳を積む事が出来るのだ。だったら物詣でなどをして自分の後世や家族の幸せを祈る方がずっといい。私を含め今の女人はそう考えるのだ。
私は継母からそういう生き方を教えてもらった。もしかして私があのまま母に育てられていたら窮屈には感じても、「邸の外は恐ろしい所」と思い込んで母と同じように邸に籠っていたかもしれない。それならこんな意見の行き違いなど起きなかっただろう。私は継母に外に出る喜びを教わったが、それは同時に実母と生き方の違いを生んでしまった。
これは母の罪でも私の罪でもないだろう。母の古風すぎる考えには正直うんざりするが、だからと言って母に無理強いさせる気にもなれなかった。私はただ、母に良い功徳を積ませて差し上げたいだけなのだ。
「ならもっと近く、清水寺はいかがですか? ただ日帰りできるほど近くなので人気があって、いつも大変混雑するので有名ですけど」
「清水……。そうですね。殿の御無事のお礼と我が家の開運を御祈念したいのは確かですし。清水寺なら参りましょう。その代り何日かお籠りしてよくよく、御祈念することにしましょう」
御祈念もさることながら、母は向こうに着いたら今度は帰るためにまた勇気を振り絞る必要があるのだろう。そのために少し滞在時間が必要なのだ。内心そう思いながらも私は母の気が変わらないうちに清水寺にお籠りできるよう、手配した。
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『それにも例のくせは、まことしかべいことも思ひ申されず。彼岸のほどにて、いみじう騒がしうおそろしきまでおぼえて、うちまどろみ入りたるに、御帳のかたの犬防ぎのうちに、青き織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいたる僧の、別当とおぼしきが寄り来て、「行くさきのあはれならむも知らず、さもよしなし事をのみ」と、うちむつかりて、御帳のうちに入りぬと見ても、うちおどろきても、「かくなむ見えつる」とも語らず、心にも思ひとどめでまかでぬ』
(それでも例の空想癖で、本当に御祈念すべき事が思い浮かばず申し上げる事が出来ない。彼岸の頃だったので大変騒がしく混んで恐ろしく思うほどで、ちょっとまどろんでしまった時、御帳の方にある犬防ぎの中に青い織物の上質な法衣を着て、錦を頭にかぶり、足にもはいている僧で、寺の別当らしい人が近づいて来て、
「将来悲しむ事も知らずに、何ともつまらない事ばかりを……」
と、お小言を言って、御帳の中に入ってしまう夢を見たので、はっと驚いて目を覚ましても、
「こんな夢を見ました」
と誰かに語る事も無く、心にもとどめ置かずに寺を出てしまった)
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そうまでして行った清水寺だが私ときたらいつもの悪い癖で、ついついあの「浮船の空想」を頭に浮かべてしまう。本当に御祈念したいと望んでいた事に集中できず、一心不乱な御祈念には程遠いものとなっていた。なんとか集中し直そうにもその時はちょうど彼岸の頃だったので、普段でも人が多い清水寺のお堂はいつにも増して大変な混雑ぶり。がやがやと騒がしくお堂を出る人、入る人、何か御祈念するためにブツブツとつぶやく人、何事か用があって僧を呼びとめる人、知人と出会ってしまい挨拶をかわす人……と、大変な騒ぎ。そのうち人々のざわめきと熱気で頭がぼんやりしてきて、気づけばいつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。
その時私は夢を見ていた。
私は仏堂の中にいるにもかかわらず、さっきまでの喧騒がうそのように消え、一人仏像に向かいあいながら座っている。静かになっているのだからきちんと御祈念をしなくてはと思うのに、また頭の中は寂しい宇治の邸の荒れた庭を眺めながら薫君の訪れを待っている自分を思い描いている。これではいけない、御祈念をするんだと自分に言い聞かせていると、仏像の前に参拝者と仏像の間を仕切るために置かれている「犬防ぎ」と呼ばれている低い格子の内側に、一人の僧が立っていた。その僧は大変格式の高い青い織物の法衣を着ていた。錦の被り物をかぶり、足にも錦でおられた何かを身につけている。その様子からこの人はこのお寺の別当(寺の事務などを取り仕切る、高位の僧)と思われた。その人が私に近づいて憐れむような目をして、
「寺に来てまで心惑わせてばかりいて、御祈念さえままならぬとは。このままでは将来悲しい目に会うはずだがその事も知らずに、何ともつまらない事ばかり頭に描いているものよ」
そう、たしなめると近くの御帳の中に入ってしまった。
違うのです! 私は真剣に御祈念をしたいのです。けれど勝手に頭の中につまらないよしなし事ばかりが浮かんできてしまうのです! どうぞこの頼りない心を御仏のお力でお救い下さい!
私は必死に心でそう訴えるがあの僧侶は御帳から出て来てはくれない……
そこで私ははっとした。気がつくと周りはやはり騒がしい喧騒の中で、多くの人々が仏像に祈念をしていた。私は自分が夢を見ていた事にようやく思い当たった。
「このままでは将来悲しい目に……」
僧の憐れむ目とその言葉が私の中に蘇る。だったら私をこの空想の中から救ってくださればいいのに。
私はそんな事を思い、その時は腹立だしいばかりで信仰心の足りない自分を顧みることなど無かった。せめてこの時寺の人に夢の話をして、つまらない空想におぼれない様に諭して頂けばよかったものを。今ならそう思う私もその時はそれを心に留める事も無く、そのまま寺を後にしてしまった。