千ぐさなる心
『いとど人めも見えず、さびしく心ぼそくうちながめつつ、いづこばかりと明け暮れ思ひやる。道のほども知りにしかば、はるかに恋しく心ぼそきことかぎりなし。明くるより暮るるまで、東の山際をながめて過ぐす』
(一層人の訪れもなく、寂しく心細く物思いにふけりながらぼんやりとして、今はどこにいるのかと明けても暮れても考えている。どんな道か知っているので、はるかな思いで恋しく心細い思いに際限がない。夜が明けてから日が暮れるまで、東に見える山の際を眺めては過ごしている)
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父が旅立ってしまうとこの邸は下男を除くと女ばかりになってしまった。これまで以上に人の訪れも無くなり寂しげな風情となった。母は泣き暮らし、二人の姫も寂しげに表情を曇らせている。まるで邸全体が悲しみに沈んでしまったようだ。
私もぼんやりと過ごす事が多くなった。邸に残る父の物や父が使っていた焚き物の残り香に父の思い出が浮かんできてつい、涙ぐみそうになったりする。
亡くなった人じゃあるまいし。縁起でもない!
私は父の私物を片付けながら、今父が旅しているであろう道行きを思った。
逢坂の関に建立された寺に父は立ち寄ったかしら? 急ぐ旅だから横目に見て通り過ぎたのかしら?
あの壊れた瀬田の橋。ひどく渡りにくかったけど乱の討伐の兵が渡るために直されたはず。父は難儀な思いをせずに渡る事が出来たかしら? あの琵琶湖をまた船で渡ったのかしら? また息長様の邸でお世話になったのかしら?
私は道を知っているだけに考え出すと止まらなくなってしまう。心配し始めると自分でもどうにも心細くてたまらないので、「あの道は」「あの場所は」と無事に旅を続けているはずの父の姿を思い浮かべていた。心ははるか父のもとへと飛んで行き、恋しさと会えない心細さで胸を詰まらせてしまう。そんな事を明け暮れいつも繰り返していた。
ついには片付けも終えてしまい、夜明けから日暮れまで東に見える山並みの東国に続く道があるはずの山際ばかりを眺めて過ごす。そんな毎日を送るようになった。
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『八月ばかりに、太秦にこもるに、一条より詣づる道に、男車、二つばかり引き立てて、物へ行くにもろともに来べき人待つなるべし、過ぎていくに、随身だつ者をおこせて、
花見に行くと君を見るかな
と言はせたれば、「かかるほどのことはいらへぬも便なし」などあれば、
千ぐさなる心ならひに秋の野の
とばかり言はせて行き過ぎぬ。
七日さぶらふほども、ただあづま路のみ思ひやられて、よしなし事からうじてはなれて、「平らかにあひ見せたまへ」と申すは、仏もあはれと聞き入れさせたまひけむかし』
(八月の頃、太秦の寺にこもろうと一条大路より詣でに行く道すがら、男車が、二台ほど停められていて、どこか物見に行くのに一緒に行く人を待っている様子なので、その横を通り過ぎていると、随身らしい人をこちらによこし、
花見に行く途中ですが美しい花のあなたに見とれてしまいました
(お花見ならご一緒にいかがです?)
と言わせてきたので、供周りの人が、
「こういう時に何のお返事も返さないのも都合が良くないものです」
などと言うので、
千草の花を好まれる心だと私まで秋の野に見えるのですね
(私は花見に行くのではありません。一緒にしないで)
と向こうに言わせて通り過ぎた。
七日間参籠していたものの、ただ父が旅する東への道ばかりが思い起こされて、儚い想像からどうにか心を引き離して、
「平穏無事に父と会わせて下さい」
と言う祈りは、仏もあわれと思って聞き入れて下さった事だろう)
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邸の中で悲観に暮れていても心配の種が尽きる訳ではない。このままでは姫たちにも良い影響はないだろう。泣いてばかりいる母と、その母をなだめるのに精いっぱいの使用人達と一緒になっていては邸の中は暗くなるばかりだ。
そこで私はお寺に参詣する事にした。こんな時はどこに行けば御利益があるのかが分からないので、父との思い出がある太秦に行くことにする。あの寺は私が都に戻って間もなく心沈ませていた時に、父が私を元気づけるために連れて来てくれた寺だ。きっと父のことでならご利益があるに違いない。そう考えて車を用意させた。
父の不在中の事なので若い姫達を連れての大袈裟な事は出来ない。だが私一人なら従者もたいして必要がない。私はお気に入りの自分の乳母だった人の娘を女房として連れて、ごく忍んだ姿でひっそりと出かけた。
太秦に向かうにはまず邸から北に向かって一条大路に出る。そして大路を西に向かっていく必要があった。乱が終わっても冬の間の一条大路は、戦を逃れて流れてきた浮浪者や怪しい者であふれていたらしいが、春、夏すぎて初秋を迎えた今となってはいつもの平和なにぎわいを取り戻している。都はだいぶ落ち着きを取り戻しているらしい。
すると途中の道端に車が止められているのが見えた。華やかな衣の裾がこぼれていないのでおそらく男車であろう。近づいていくとやはり簾は一枚で下簾が掛けられていない。中にいるのは男君だと分かる。こんな道端で二台の車が停められて、従者が大路を通る車をうかがうように見ている様子から、どうもこの車は人待ちの様子だと分かる。どこかに出かけるのに連れ立って行く人を待っているのだろう。
車の中の主人に声でもかけられたのか行きかう車を確認していた従者の一人が、車に駆け寄っていく。そして何事かを言伝かったらしくその従者はこちらに向かって近づいてきた。何事だろうと思っていると、
「ちょっと、御車を停めて下さいませんか? 我が主人からこの御車の中の女君にお伝えするように言伝かったことをお聞かせしたいのです」
驚いた。こういう事って話にはあると聞いていたし『源氏物語』でも光君が夕顔の家を通りすがった時に夕顔の花にかこつけて声をかけていたりしたけれど、本当にあるんだわ。
私は興を催した。言づけを受けた従者はどうやら近衛の随身らしい。これも光君の話と同じで私の期待は高まった。私は随身の言づてを聞くことを許可した。
「主人は『花見に行くと君を見るかな』と伝えるようにと。これから友人たちと連れ立って花見に行くのですが、よろしかったらご一緒にいかがですかと申しておりました」
これを聞いて私は興が覚めてしまった。私に見ず知らずの数人の男達と連れ立って花見をしろと言うのか。しかも歌の下の句だけを伝えて来た。私に上の句を作って見せろと言っている。
こちらは忍んだ姿の女車。供の数も決して多くはない。この姿から私を見下し、近衛府の武官を随身に使える身の男君に声をかけられれば喜んでついてくる程度の女人と判断したようだ。
しかもそんな女人ではまともに歌もかわしあえるか怪しいから下の句だけを……それも陳腐に女を花に見立てただけの平凡な歌を詠んで、こちらの付けて来る上の句で試してみようと言うのだろう。
なんて失礼な。とても「もののあわれ」を知る人のする事ではない。私はがっかりして、
「返事はしなくていいわ。さっさと行きなさい」
と従者に声をかけた。しかし従者は、
「待って下さい。ここは一条大路です。どこで誰が聞いているとも限りません。こういう時にあまり無愛想になさると御身分が知られた時に可愛げのない方だとつまらない噂を立てられるかもしれません。ちょっとお花見されるくらい良いじゃありませんか。近頃はこういう御縁で意外な形で結ばれる事もあるといいますし」
などと言っている。周りの者たちは私が女の盛りを過ぎているのに独り身でいることにひどく気を揉んでいるのだ。
「可愛いなんて思われたくもないわ。それに私は花見に来たんじゃないのよ」
せめて藤原斉信様があの清少納言に言葉遊びで「蘭省ノ花ノ時、錦帳ノ下」と言う白楽天の一節に「下の句はいかに」と言って来た時ぐらいの冴えがあれば、花見はともかく歌の返事なら喜んで考えるのに。
ちなみにこの時清少納言は才女に相応しく、この漢詩の続き「廬山ノ雨ノ夜、草庵ノ中」をそのまま返したのでは、漢詩を知る女の生意気さだけが目だって煙たがられるだろうと考えた。そこでその答えにちなんで藤原公任様の句「草の庵をたれかたづねん」を返事に贈ると言う機転を利かせて、斉信様をうならせたのだと言う。和歌のほかに漢詩にも詳しく、深い理解を持った清少納言らしいやり取りだ。
すると横で聞いていた女房がおずおずと声をかけて来た。
「あの。差し出がましいようですが、いっそ御断りのお返事をなさったらいかがでしょう? 従者の言う通りこういう事は誰が言いふらさないとも限りませんし。それに何よりこんな風に見くびられたままでは悔しいじゃありませんか」
そう言われてみればやはり悔しい。それに私をこの程度の歌で試そうとは、甘く見られたものだとも思う。
「いいわ。返事は『千ぐさなる心ならひに秋の野の』(千草の花を好まれる心だと私まで秋の野に見えるのですね)。こちらは花見に行くのではありませんのでとお伝えください」
そう言づけさせるとそのまま横を通り過ぎて行った。千ぐさの言葉に多くの女性に声をかけているであろうことを暗に匂わせたけど、あなたたちと一緒にしないでという意味までちゃんと理解したかしら? 噂になると言うなら分かる人には分かるはずだけど。
つまらない足止めをされたが日暮れ前に寺には着いた。それから七日間に渡ってお籠りを続けたのだけれど、どうかすると私は父のいる東路の旅路に思いをはせそうになり、そんな儚い思いから心を懸命に引き離して一心に父の無事を祈った。とにかく生きている父と無事に再会を果たしたかった。たとえ絵空事が心に浮かびかけても父の無事を願う心は一点の曇りもなく本物なのだから、きっと御仏もこの思いをお聞きとどけ下さるだろうと思った。
路上や寺で声をかけて男女のさや当てが始まる。こういう事はしばしばあったようです。特に若い女性がお寺に祈願に行くことと言ったら良縁を求めてと言うのがほとんどですから、男性もそれを狙って声をかけたりしたのでしょう。もちろんある程度の身分の女性は殆んど邸に籠ったままですし、お参りの時ぐらいしかこういうチャンスはありません。普段邸勤めなどであまり外に出られない「女房」と呼ばれる侍女たちにとってもお寺の参拝は出会いのチャンスの場でもありしました。
だから身分の高い女性や慎み深い女性はなかなかお寺でさえも行くのが難しかったり、いざ行くには大行列で徹底的にかくし守られたりしたんですね。
清少納言のエピソードは当時女性が漢詩を覚え、理解していること自体が稀有な才能を持っているとされた中で、彼女は単純に正解の漢詩を答えるだけではなく、少しひねって著名な和歌を使ってたとえて見せたんです。清少納言は父親は有名歌人であったものの、身分は中流階級でした。そういう人が宮中で活躍するにはこうした才能が必要だったのです。こういった特殊なセンスや非凡な才能がないと、宮中で有名になるなんて出来なかったのでしょう。