出立
『人の国のおそろしきにつけても、わが身一つならば、安らかならましを、ところせう引き具して、言はましきこともえ言はず、せまほしきこともえせずなどあるが、わびしうもあるかなと心をくだきしに、今はまいて、おとなになりにたるを、率て下りて、わが命もしらず、京のうちにてさすらへむは例のこと、あづまの国、田舎人になりてまどはむ、いみじかるべし。京とても、たのもしう迎へとりてむと思ふ類、親族もなし。さりとて、わづかになりたる国を辞し申すべきにもあらねば、京にとどめて、永き別れにてやみぬべきなり。京にも、さるべきさまにもてなして、とどめむとは、思ひよることにもあらず」と、夜昼嘆かるるを聞く心地、花紅葉の思ひもみな忘れて、悲しく、いみじく思ひ嘆かるれど、いかがはせむ』
(田舎の悪人の恐ろしさを考えると、我が身一つならば心安らかでいられるが、家族を連れていると余裕もなく、言いたい事も言えず、したい事も出来なかったりするので辛い事もあるものよと心を砕いていたが、今はまして大人になったのだから、あなたを連れて下向しても自分の命もどうなるか知れず、京の都の中で邸を失い転々とさすらう事は良くあるが、東国にて田舎人となって路頭に迷ってはとても辛いことだろう。京の都にいると言っても、暮らしに困ったら頼もしく迎え入れてくれるほどの親類、親戚もない。かといってなんとか手にした任地を辞退申し上げるわけにもいかないから、あなたを京に留め、永い別れをしてそのままとなりそうだ。
京の都でもあなたを身分相応の暮らしをさせるが、都に留めることになるとは、私も思いもよらぬことであった」
と、夜昼父が嘆くのを聞く気持ちは、花紅葉の情緒を愛でる心もすべて忘れて、悲しく、辛く思い嘆いているけれど、どうすることもできない)
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「あの頃でさえ田舎に家族を連れていくのは色々な不安が付きまとったものだ。田舎は善良な人も多いが悪人もたくさんいる。しかも受領は地方からなんでも巻き上げて、自分ばかりが豊かに暮らしていると思われている。だから田舎の悪人は受領に容赦がない。それでも我が身だけのことならば人を見極め、用心し、いざという時の心構えも出来ている。万が一命奪われる事があってもそれが自分の役目を全うするための事なら、誇りに思う事も出来る。しかし家族を連れているとそういう訳にもいかぬのだ」
そう言えば思い当たる。昔帰京の旅の時、足柄山で遊女たちに出会った時にこけらは用心深く対応し、遊女を断ろうとしていた。富士川で川にまつわる話を聞かせた男が近づこうとした時も父は男を追い払いたがっていた。普段は温厚で人当たりの良い父の態度の違いにあの時は戸惑ったものだ。子供だった私は無邪気に旅を楽しんでいたが、父達はさぞかし気を張っていたのだろう。
「家族に害が及ばぬようにと言いたい事も言えずに下手に出なければならなかったり、家族に無理はさせられぬと思うようには動けなかったり、私なりに辛いと思う時も色々と心を砕いてきたつもりだ。今はましてやお前も二十五歳。大人の身となった。しかも東国は荒みきっている。都の受領の姫となれば連れ去って売ってしまおうと考える悪人も多い。そうでなくても荒れた地で普通の男達も自暴自棄になり、女のお前に何をするか分かったものではない。もちろん北の方や姫たちも同じこと。連れて行けるような場所ではないのだ」
どんなに心配しようとも一度田舎に行けば私達は足手まといでしかない。それを嫌と言うほど思い知らされた。「ついて行く」と言葉で言うのは簡単だが、明らかに父の負担が増える。
「それに同じ窮地に立つのでも都で行き場を失って質素に暮らせる場所を探すとか、人を頼って財を売って暮らすとか、尼になるとかは急に主を失った貴族の妻子には良くあることだ。しかし今の東国でまったくの田舎人となって住む場所もなく、食べる事さえできぬ身となってはどれほど辛い事か。地方で路頭に迷うとはそういう事なのだよ」
正直、私には想像もつかなかった。私が考える質素な暮らしとは山深い地に立つ荒れた山荘で物思いのあまり物もろくろく喉を通らず、それでも香を焚きしめた美しい衣の袖を心細さに涙で濡らしながら、いつか訪れる貴公子を待ちながら暮らす……そんな物だった。邸はおろか住む場所もなく、食べることすらできないなど考えも及ばなかったのだ。そう言えばあの乱の際に下総の国の国司の妻子は飢餓のあまり自らの命を絶ったと聞いた。そんな事が現実に起こるのが荒れた田舎の地なのか。
母も今は涙も止まり脅えた目で父の話を聞いていた。草深い田舎と言うのは一度荒れればどれほど恐ろしい場所になってしまうのだろう?
「そんな……。そんな恐ろしい所に何故? なぜお父様はお行きになるの?」
私は茫然として聞いた。
「お役目だからだよ。これが帝にお仕えする朝廷人としての仕事なのだ。私は必要とされているのだよ。朝廷にも、お前達にも」
「そうよ。私達だってお父様が必要よ。だから行かないで」
「必要だから行くのだ。朝廷の任官を断って右大臣実資殿の姫君の家司を続けるわけにはいかない。今は地方から物もろくに入って来ないからすぐに暮らしは行き詰まるだろう。かと言ってそうなった時に頼もしく我々を迎え入れて下さるほど裕福な親戚、縁者もいない。荒れた遠国と言えどもようやく手にした任地だ。とても辞退することはできんよ」
そう言って父は今度は私の手を握った。
「私はお前達の身分相応の暮らしを守る。守らせて欲しいのだ。……ただ、私ももう年老いた。お前を京に残して永い別れをしなくてはならなくなった。おそらくこれが最後の務め。生きて戻れるかも分からん。このような遠国に任地を得てお前を置いていかなくてはならなくなるとは、私も思いもよらなかった」
父はそう悲しそうな笑顔で言った。上の姫は涙をこぼし、下の姫も
「おじい様と離れたくない」
と泣いて父に取りすがっていた。父は苦しげだ。それから昼夜を問わず母は
「どうか任官をお断り下さい」と声を震わせ父も私達の前とは違い心弱るのか、
「聞き分けておくれ、私も本当は辛いのだ」
と嘆く声が細々と聞こえて来る。それを聞く心地と言ったら浮船の心となって花紅葉を愛でる風流な心さえも失ってしまい、ただ悲しみ、心苦しい思いを日々嘆くばかりだ。けれども私にはどうする事も出来ないのだ。
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『七月十三日に下る。五日かねては、見むもなかなかなべければ、内にも入らず。まいて、その日はたち騒ぎて、時なりぬれば、今はとて簾を引き上げて、うち見はわせて涙をほろほろと落して、やがて出でぬるを見送る心地、目もくれまどひて、やがて臥されぬるに、とまるをのこの送りして帰るに、懐紙に、
思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らまし
とばかり書かれたるをも、え見やられず。事よろしき時こそ腰折れかかりたることも思ひつづけけれ、ともかくも言ふべきこともおぼえぬままに、
かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君に別るべしとは
とやかかりにけむ』
(父は七月十三日に常陸に下向する。出立の五日前には私のことを見る事さえなかなかなくなったので、部屋にも入ってこない。まして、出立のその日は騒がしくて、時間になると今が私の顔を見る最後の機会だからと私の前の簾をかき上げて、顔を見合わせて涙をぽろぽろと落して、やがて出発して行く姿を見送る気持ちと言ったら目もくらむようで、やがて臥してしまったのだが、任地について行かずにとどまる父の下男が父の見送りから帰って来て、父が懐紙に、
思う事が思い通りにかなう身の上であれば(近国に任官されていたら)
この秋の別れも心深く味わい知ったであろうに
とだけ書かれているのも心乱れて良く見る事が出来ない。普段なら腰折れの下手な歌でも思いつく事が出来るが、ともかく言うべき言葉も見つからずに、
これまで考えても見ませんでした(いつでもお傍にいて下さったのに)
この世でしばしの間でも父上とお別れしようとは
と記憶にないまま書きつけていたようだ)
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春の司召しで任官を受けた者は、秋には任地に入らなければならない。父の下向の出立日は七月十三日に決まった。あの乱からまだ一年も経っていない。私達はまるで子供の我儘のように父に任官を断るようにと頼み続けたが、出立日まで決まってしまってはあきらめるより他になかった。準備も前とは違い、
「出来るだけ簡素に。とにかく目立たぬように」
と荷も少なく、装束も新調することはなかった。
だが、従者の侍人は多くつけられるらしい。弓矢や太刀なども数多くそろえられる。まるで戦にでも向かうようだ。国司の下向の準備としては異様な雰囲気がある。
「朝廷も侍人を多く手配して下さった。後は私の寿命が尽きなければ良いのだが」
「そんなことおっしゃらないでください。わたくしを都に残して先立ったら恨みます」
父の言葉に母はまた泣いてしまう。あれから母は更に老け込み時々物忘れもひどくなる。その母を残して都を立たねばならないのだと父の嘆く言葉も多くなってきた。
朝廷の気遣いに感謝がないわけではないが、あまり不安が減ったとは言い難かった。あの乱の後、私は頼もしかった東国の侍達が今度は父を襲うかもしれない脅威となって感じられた。あの屈強そうな体つきと心構えを持った者たちが敵に回った時、その力は恐怖に変わる。上総の国もあのような屈強な侍達に巻き込まれ、荒らされてしまったのだろう。
そしてそれは都の侍の頼りなさにも繋がった。人々があの夜華々しく見送った追討使の兵たちは長々と苦戦を強いられ、乱は簡単には終結出来なかった。あの最初の追討使の成道様のように途中でついて来なくなったり、逃げ出したりする者がいるのではないかと不安になる。家族にとっては老齢の父を戦に送り出すような胸中なのだ。
父も辛そうにしている。出立の五日前ともなると父は私のことを避け始めた。どうやら私と顔を合わせるのが辛いらしい。私は少しでも多く父の姿を目に焼き付けておきたかったが父は私の前から逃げ回って、まして私の対屋の部屋に入ってくることなど無かった。そんな父の姿の方が私には辛いのだが。
しかし出発の当日皆が慌ただしく騒ぐ中、出かける時間が来るととうとう父は私の所に来た。
「すまない、姫や。きっとこれが最後になるからお前の顔を明るいところでゆっくりと見たい。御簾をかきあげることを許しておくれ」
そう言って私の前にある御簾をかきあげた。そして私と顔を合わせたとたんにぽろぽろと大粒の涙をこぼした。それを見て私も涙があふれてしまい、父の顔が歪んでしまう。
私をこんなにも愛してくれている父が、二度とは会えないかもしれない旅に出ようとしている。父の姿を目に焼きつけたくて懸命に涙をこらえたのに、どうしてもこらえきれなかった。
「殿、お時間でございます」
こけらが暗いかすれ声で、そう声をかけた。こけらも行ってしまう。こけらだってそう父と変わらぬ年齢だ。子や孫にも引きとめられただろう。それでも父について行くのだと言う。今回兄は式部丞の勤めもあるし都に妻子もいる。昔のように父につき従う事はない。危険な常陸への旅はこけらや父の従者たち、下男の男達で向かう事になる。
父はついに私に背を向けた。後をついて行こうとするこけらの背中に、
「こけら、父上を頼みます」
と声をかけた。振り向いたこけらの目にも涙が浮かんでいた。
私は二人が行ってしまうと悲しみのあまりめまいを覚えて、そのままそこに臥した。するとしばらくしてから父の見送りに行っていた、この邸の留守をまかされた下男が父から歌を預かったと言って、私のもとに届けに来た。
思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らまし
(思う事が思い通りにかなう身の上であれば《近国に任官されていたら》
この秋の別れも心深く味わい知ったであろうに)
それは父の使っている懐紙に書かれていて、まだ、父のぬくもりが残っているような気がした。
これは父からの別れの歌で行ってしまった父にすぐに返歌は出来ない。だがこんな時私はいつでもすぐに歌が浮かんだものだった。しかし今は悲しみのあまり何の言葉も浮かばない。連歌をする時、一句目の返事の二句目はどうにか格好がついても三句目の時にうまい言葉が出て来ないまま無理やり歌を作り、四句目に繋がらない事がある。その三句目の歌は「腰折れの歌」と呼ばれていた。その時の私は「腰折れの歌」さえも浮かんでこなかったのだが、後でふと手元を見ると、いつの間にか歌が書きつけてあった。どうも無意識に書いてしまったらしい。
かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君に別るべしとは
(これまで考えても見ませんでした《いつでもお傍にいて下さったのに》
この世でしばしの間でも父上とお別れしようとは)
それを見て、ああ、お父様はいつだって傍にいて下さったのにと思うと、また私は悲しみに涙してしまっていた。
春の任官で任を受けた国司は、秋に任地に入るのが慣わしでした。長元の乱が終息したのはこの前年の九月の事。当然乱の爪後はまだまだ深く、地方の人々の朝廷への不信感も残っていた事でしょう。それをよく知っている孝標はこれが家族との今生の別れと覚悟を決めて出立しなければなりませんでした。娘思いの孝標が主人公の顔を見る事さえ拒む姿に、その悲しみの深さが感じられます。
「懐紙」とはその名の通り懐の中にたたんで持ち歩く紙のことです。当時はこれを必ず懐に忍ばせ歌を書いたり、鼻をかんだりしました。今のポケットティッシュとメモ帳を兼ねていました。
「腰折れの歌」とは文中にもあるように連歌の三句目の出来が悪い事、そこから下手な歌のことを言います。連歌と言うのは互いの技量と息があってこそ続いて行くと言う事なのでしょう。