帰京
いよいよこの東山の地を離れて都に帰京する日が近づいてきた。誰もかれもがそわそわしてその日を指折り数えながら衣装の支度などをしている。特に母は嬉しそうで、
「親の運のつたなさのために、中の君には辛い思いをさせてしまいました。けれどももう大丈夫。都に戻れば自ずと新しい運が開けて参りましょう」
そう言って仕える人々には一人残らず新しい装束のために衣を与える。特に私の傍つきで仕える人や、幼い姫たちの乳母たちには飛びきりきらびやかな衣装を用意する。もちろん私にも美しく上質な装束が新調された。
新しい出だし車は編み込まれた模様も美しく、簾も青々として優美な姿をしている。だがそれは私の心を動かしてはくれない。美しい衣装も同じで、絹の光沢の華やかな唐衣に長い裳を優雅に引きずって見ても、心ときめく思いにはなれなかった。
確かに都には戻れる。邸は新しく建て直されたのかもしれない。都暮らししか知らなかった母にはこの地での暮らしは苦労も多かったはず。父の通いやすい所で暮らした方が母の生活はずっと安定するのだろう。
けれど母や周りの人が言うように都に戻れば私に幸せがやってくるとは到底思えなかった。
「なにをおっしゃいますか。姫様は今が盛りのお年頃。それに姫様の作った和歌は宮中で話題に上るほどですし、漢詩にまで御興味を持っていらっしゃいます。このように才長けた方を御身分のある男君が見逃されるはずはありませんよ」
母つきの、昔からいる私も慣れ親しんだ女房はそう言ってくれるが、私は別の噂も知っていた。幼い姫の乳母たちはコソコソと、
「女君があまり才長け過ぎるのは男君にとってどうなのかしらね。和歌はともかく漢詩にまで通じていらっしゃるとなると、『源氏物語』の「雨の夜の品定め」の式部の丞じゃないけど、妻を師匠に閨の睦言が学問の手ほどきなどまっぴらだと言って敬遠されるのではないかしら?」
「そうね。紫式部のように藤原宣孝様のような雲の上人が夫となって、妻の才能を自慢して歩けばお幸せには違いないけど、そんな事はやっぱり稀よね」
「中の君の伯母でいらっしゃる、お母上のずっとお歳が上でいらした亡くなられた腹違いの姉上のように、『蜻蛉日記』を書かれるほどの才女で歌人であっても、『あれほどに位高い夫となるとやはり嫉妬に苦しむ』と日記には綴られていましたものね」
「清少納言も漢詩に詳しいのが災いして、男を軽んじる女と言われましたものねえ」
「お父上の前の妻でいらした方も、なまじ学才があったために有名になり過ぎて、思わぬお子を授かったばかりに宮中にいられなかったり、この邸も出なければならなかったり。やはり女に学があると御縁は遠のくのかしら?」
「中の君のお母上じゃないけれど、せめて古くゆかしく『宇津保物語』のようにお琴が得意でいらっしゃるとかだったら良かったんだけど」
「あら、今時受領の姫君ではそういうのは厳しいと思うわ。地味でもしっかり者で、御父上の立場が安定していて、邸の切り盛りが上手な方がいいのよ」
「それなら中の君はそんなに悪くないと思うけど」
「そうなのよね。それだけにかえって才能が邪魔と言うか。いっそ、宮仕えにでもお出になればいいのに」
「それこそお母上がお許しにならないわ。あんなに古風な方でいらっしゃるんだから」
「そうよね。でもそのお母上が最近めっきり年老いてこられたし、お仕えしている姫はまだまだ幼いし。この邸でこれから頼りにできそうなのは中の君しかいないのに。ああ、気がもめること。頭が痛いわ」
などと部屋の隅で話しているのだ。別に私は漢詩に特別通じてなどいない。兄や男君の足元にも及ばないだろう。あの紫式部や清少納言などとも比べ物にならないはず。ちょっとばかり宮中で歌が取り上げられたと言っても華やかな宮中の事。すぐに新しい話題に人の心は移り、私の歌など忘れられているかもしれないのに。
それでもこうして乳母たちが心配するには、そういう噂が人々の間にあるのだろう。私は道真の子孫だからどうしてもその手の話はついて回ってしまう。そんな都に戻って行くことは私にとっては少しも心晴れる思いになれないのだ。
それに都に戻ってももう姉上はいない。義兄にも会えない。あの素晴らしい世界はどこにもない。世間から離れた山間にいるうちに、人々の心も変わってしまっているかもしれないのに。
そしてまた別れの時を迎えなければならない。この山里でお世話になった尼達との別れだ。訪れるのは鳥と鹿ばかりのこの地で、彼女たちの存在はどんなに心強かったことだろう。
「必ずまた、会いに参りますわ」
私はそう言って『月見る人』の歌を詠んだ尼君の手を取った。
「お会いできればうれしいですけど、私ももう年老いた身です。いつ命果てるとも分かりませんので」
尼君はそんな気弱な事をおっしゃるので、
「いいえ。必ず近いうちに会いに参ります。私達はこの地でのあなた方のご恩を決して忘れることはありませんから」
と、その手を強く握った。
「ありがとうございます。けれどお若い身であるはずのあなたの方が、まるで年老いたように御心を弱らせているご様子。せっかく都に戻れるのです。元気を出して、もっと人生をお楽しみなさいませ」
そう言って尼君の方が私に気遣って下さった。私達は涙の内に別れ、この山里を後にする。
****
『京に帰り出づるに、渡りし時は水ばかり見えし田どもも、皆刈りはててけり。
苗代の水かげばかり見えし田の刈りはつるまで長居しにけり 』
(京に帰るために東山を出ていくと、山に向かって行った時は水ばかりが目に入ったいくつもの田も、今は皆、稲の刈り取りを終えていた。
苗代の水ばかり見ていた田も
稲となってすべて借り終えてしまうほどこの地に長居してしまった )
****
邸を出て山里から降りていくと、その風景は行きとはまったく違ってしまっていた。
空は以前よりずっと高く、田に張られていた水はすでにそこには無かった。それどころか弱々しく植えられていた苗の姿も無く、そこに広がっていたのはすでに刈り取りを終え、稲の刈り後だけが残された寂しげな光景だった。もうそこには農夫たちの姿さえ無く、小鳥たちが落ち穂をついばむばかりだった。
色々な思いにとらわれていたので、この山里暮らしもあっという間のような気がしていた。けれど、こうして景色が様変わりしているのを見ると随分長居していたのだなと思い、歌など詠む。
苗代の水かげばかり見えし田の刈りはつるまで長居しにけり
(苗代の水ばかり見ていた田も
稲となってすべて借り終えてしまうほどこの地に長居してしまった)
新しい邸は以前よりも少しだけ建物が小さくなっていた。それでも寝殿や母上の住まう北の間のほかに、私の対屋や幼い姫たちのための対屋まで用意されていた。明るく使い勝手も良く、以前のいかめしい邸よりは私の好みにあっている。これほどの邸を用意出来たのはきっと父の力だけではない。大納言行成様もそれとなくお力を貸して下さったのだろう。
でも、ここにはあの継母を待っていた思い出の梅もないし、自分の乳母を思った桜もない。姉や義兄と眺めた紅葉もだ。あの思い出はもう、私の心の中にしか無い物なのだと思うと、新しい邸もどこかよそよそしく感じてしまう。でも母や仕えてくれている人たちなどは華やかな屋移りに嬉しそうな表情で、幼い姫たちも楽しげに邸の中を見回していた。
****
『十月つごもりがたに、あからさまに来てみれば、こぐらう茂れりし木の葉ども残りなく散り乱れて、いみじくあはれげに見えわたりて、心地よげにささらぎ流れし水も木の葉にうづもれて、あとばかり見ゆ。
水さへぞすみたえにける木の葉散る嵐の山の心ぼそさに
そこなる尼に、「春まで命あらばかならず来む。花ざかりはまづ告げよ」など言ひて帰りにしを、年かへりて三月十余日になるまで音もせねば、
契りおきし花の盛りを告げぬかな春やまだ来ぬ花やにほわぬ 』
(十月の末の頃にほんの僅かに来てみると、ほの暗いほどに茂っていた木の葉たちも残らず散り落ちていて、とても物寂しげに見渡せて、心地よさげにさらさらと流れていた水の流れも木の葉にうずもれてしまい、その後ばかりが目につく
水でさえも人の住まなくなった場所では流れを耐えて木の葉が散っている
嵐の吹きすさぶ山が心細いものだから
東山の尼に、
「春まで私の命が長らえましたら必ずまた参りましょう。花の盛りには何より先にお知らせください」
などと言って帰ったが、その翌年の三月十余日になるまで便りがなかったので、
お約束した花の盛りを教えて下さりませんね。
春がまだ来ないのでしょうか。それともまだ花が咲かずにいるのでしょうか)
****
都に戻ってからと言うもの、父も母も私の縁談のことで必死なのが伝わった。けれどもいい話があるとは言って来ない。乳母たちの噂話はやはり的を射たものだったようだ。父や母の苦悩する姿を見ては私も心を重くしてしまっていた。
新しい邸の暮らしも落ち着いてきたので、私は早くあの東山を訪れたいと思っていた。寂しい地ではあったけれど、あの尼君達を含めて私の傷心を慰めてくれた地でもある。冬が来て足を入れにくくなる前に、ぜひもう一度訪れておきたかったのだ。
目的は霊山寺へのお礼参りだったので、もと暮らしていた邸に寄ったのはほんのわずかな間だった。まだ邸を離れてそれほど経っていないというのに、すでに邸の周りをほの暗くするほどだったあの木々はその葉を落とし、落ちた枯れ葉が庭中に散らばっている。その様子は人の居なくなったことを実感させてどうしようもないほど心沁みる景色だった。私達が暮らしていた頃は心地良い音を聞かせてくれた水の流れも、今はすっかり干からびてしまい、散り落ちた枯れ葉にうずもれた間から、流れの跡を覗かせているのが見えるだけだった。
水さへぞすみたえにける木の葉散る嵐の山の心ぼそさに
(水でさえも人の住まなくなった場所では流れを耐えて木の葉が散っている
嵐の吹きすさぶ山が心細いものだから)
物悲しい気持ちでそんな歌など詠みながらあの尼君に会いに行く。それほど長い月日がたったわけでもないのに、もうずっと会っていなかったような気持ちで、
「ああ、お懐かしいです。お別れの時に気弱な事をおっしゃっていましたから、気が気ではありませんでした。少しお痩せになられたのではありませんか? お勤めも結構ですがお身体もご自愛くださいね」
と声をかけた。これから厳しい冬を迎えるのに、痩せてしまった尼君が心細く見えたから。
「私には御仏のご慈悲がありますから。身体はやせても心は穏やかでございます。むしろあなたの方がお顔の色がすぐれずにいるようですね。あなたに通って下さる男君はまだいらっしゃいませんの? まだお若いのに、元気を出さなくてはいけませんよ」
「……私、もうそういう自信がございません。なんだか都にいる方がこの地にいた時より寂しいような気がします。良いお話もありませんし、尼君もいらっしゃらない。いっそ、儚くなってしまえればいいのに」
私は心許せる人に久しぶりに会えたので、つい愚痴が出てしまった。
「まあ、お若いあなたがそのような事をおっしゃってはいけませんよ」
「お優しいお心づかいをありがとうございます。心弱りしている私ですが、それでもなおこの命が春まで生き長らえましたら必ずこちらに参ります。そうしたらまた、今のように叱って下さいませ。ここは花の盛りが素晴らしいとおっしゃっていましたね? その時には真っ先にお知らせください。必ず参りますから」
そんな約束をしている先からも、
「遅くなりますから、早く車にお乗りください」
と、お付きの女房にせかされる。以前ここを出た時よりも今は一層日が短くなっていたのだ。
必ずお便りをくださいと念を押して、私は尼君と別れた。
しかし、長い山の冬を終えても尼君からの便りは来なかった。やはり私には縁談は来ず、年が変わって私も十九となった。父や母も急いで縁談を探すことはあきらめたようだ。私自身も今となっては無理に結婚しようと望んではいない。いつかどこかから夢のような貴公子が私をさらってくれたらと夢見てはいても、それがすぐに現実に叶うとは思っていなかった。そんなことより今は亡き姉との約束通り幼い姫たちをしっかり育てる事の方が、私には大切な事になっていたから。
三月も十日を過ぎてしまっても、尼君から何の便りもなかった。山里とはいえ、もうそろそろ文の一つも届けられてもいい頃なのに。不安になって私は歌を添えて文を贈った。
契りおきし花の盛りを告げぬかな春やまだ来ぬ花やにほわぬ
(お約束した花の盛りを教えて下さりませんね。
春がまだ来ないのでしょうか。それともまだ花が咲かずにいるのでしょうか)
すると寺の使用人から、
「尼君は春の初めにお亡くなりになられました。身内だけで葬儀も済ませられました。こちらの方々の事は良い思い出になったと言っていらっしゃったそうです」
と知らせられた。お便りがなかったのでもしや……とは思っていたのだが、はっきりそう知らされるとあの秋の慌ただしい別れが最後になってしまった事が、何とも悔やまれた。
孝標一家が火事の後に暮らした狭くて痛みの激しい邸は、私が池や遣水もろくに無い印象に書きましたが、わざとです。
当時は邸の衛生管理に池や遣水は欠かせないものでした。極度に庭が狭く、屋根や壁に穴があいているような邸なら普通に考えて池も小さく、それも枯れ果てていて、遣水もなかったと思われます。
邸に流れる遣水は重要で、飲食に使う水こそ井戸や湧き水を利用しますが、身を清めたり、邸の中を清潔にしたり、今のトイレの跡を流し清めたりと衛生管理に欠かせない水だったんです。
火事で焼け出されて弱った妊婦と幼児を抱えて暮らすには、その邸は過酷な場所だったと思います。これでは年頃の人生の大切な時期を迎えた姫がいると言っても、孝標は苦渋の決断をせざる得なかったでしょう。
当時の縁談を積極的に進めるのに必要だったのは、父親の交際術や上司の口利き、そして乳母同士の人間関係でした。娘は邸から出る事が出来ませんし、女性側から手紙を書くのもはしたないとされたほどです。娘の情報を発信する重要な役割が乳母にはありました。主人公はすでに乳母を亡くしていますから、それだけ縁談には不利だったんです。その状況で都を離れるのが主人公の良縁を遠ざける一因ともなったでしょう。
東山で暮らしたのは主に夏のようですし、京都の夏の過酷さを思えば二人の幼児を連れての暮らしを考えると、難しい決断の中でも家族なりに考え抜いての結果だったと思います。東山の描写全体で見てもこの地は水の清らかな、夏の避暑地としては身体に優しい場所だったのでしょう。幼い姫たちへの家族の思いやりが見てとれますね。