東山へ
それからというもの父と母は私に良縁を求めて懸命になってくれていた。大納言行成様はもとより、御堂関白(道長)様の息子で関白であらせられる頼道様にまでお声をかけていると兄から聞いた時は、私も驚いてしまう。関白様などとてもお声が届く方などとは思えなかったのだが。
「父上は大納言(行成)様にお目にかけられている御縁で、昔から関白(頼道)様にも細やかにお声掛けをしていたんだ。御堂関白様のお力が大きくなってしまうと他の人はお声もかけずらい。息子の頼道様とは繋がりを得る事は簡単じゃない。だが父上は大納言様への忠信をお忘れになった事がなかった。大納言様もそれをよく承知されているから関白様との繋がりを作って下さったんだ。父上の人徳だよ」
けれど、実際にはこれと言って良い話は来ないらしい。ついに兄が私にこっそりと、
「お前、父上から婿君との話があったんだろう? その話、思い切ってお受けできないか?」
と聞いてきた。どうやらそれとなく義兄に話が行っていて、あちらの親が、
「孝標殿は関白殿との繋がりがあるが、我が家には無い。今は御堂関白様の世とはいえ御堂様もいつまでもお元気でいらっしゃるとは限らない。先々を考えると孝標殿との御縁が途切れるのは良いとは言えまい。その話が本当ならお受けして良いのではないか?」
といわれ義兄も悩んでいるらしい。とうとう話が具体化してきてしまっていたのだ。
「お父様は大納言様などの御立派な方から御信頼を得ておいでなのに、どうして他の方からお話がないの? 私に何か悪いところがあるのかしら?」
私は少し疑問に思えて兄に聞いてみた。私によほどの問題があるのかと心配になったのだ。
「いや、お前のせいじゃない。言いにくいが父上が世の人たちに軽んじられているからだろう」
「どういうこと?」
そう言えば父が任に漏れた時の兄の悔しがりようは、普通ではなかったような。
「もともと他の国司が地方では信頼を得られず、国が豊かにならないまま自分の利益ばかり搾取するものだから朝廷への献上が増えないのに比べて、父上は民の信頼が厚くて献上も多いからやっかみがひどかったんだ。それなのに朝廷はそういうやっかむ人々の顔色をうかがうから父上は任に漏れた。さらに火事が起きたり大君が亡くなったりと不運が続いて、人々が我が家には物の怪でもついているのだろうと好き勝手な事をいいだしたんだ。そこに更にまずい事があった」
「まずいこと?」
「去年の秋に父上は御堂関白様のお供をして金剛峰寺に参詣なさっただろう? その時に龍門寺の扉に書かれた道真公の御真跡をご覧になったんだ。父上は感激のあまりそこにかな文字を添え書きしてしまったらしい」
「ええ? ……確かにお父様ならやりかねないけど。誰も止めてはくださらなかったの?」
「やっかまれているからなあ。止めるどころかそそのかされでもしたんじゃないか? 父上は人のいいところがあるし」
我が先祖とはいえ、あの道真公の直筆となれば、それは都にとっても大切な宝と言っていい。それをいくら子孫とはいえ子どもの手習いのようにかなを添え書きしてしまうとは。
「その話が内裏中にぱっと広がったんだ。おかげで父上は一層軽んじた目で見られるようになってしまった。確かに父上はそういう所に鈍い部分があるしな」
「軽んじるって。そんなことで?」
「内裏とはそういう所だよ。あの大納言殿だって昔、仲間内で歌の話が盛り上がった時に歌の苦手な大納言殿が何も話さないので、だれかが、
『行成殿、難波津の咲くやこの花冬ごもり。この歌をどう思われますか?』
と問いかけられて、真面目な顔で
『さあ、分かりません』
と答えたものだから、それから大納言殿は気の利いた答えも出来ない、社交下手な付き合いにくい人だと言いふらされてしまった。おかげで歌が下手な方だと今でも言われてしまっているんだ」
「まあ……。難波津の歌は子供の初めての手習歌じゃないの。そんな歌を問いかけて人をからかうなんて。それに、とっさにそんな真似をされて答えられないからって、歌が下手と決めつけるなんてあんまりじゃないの」
私は憤慨した。だって父は行成様はその気になれば、あの清少納言様とさえ歌を交わし合ったと言っていた。それなのにそんな些細なことで歌が下手と決めつけるなんて。
「それが内裏と言う場所なんだよ。ちょっとしたやり取りや噂で人の評価を決めてしまう。父上もそんな人たちの中でうまくやっていかなくてはならないんだ。今はそんな事があったものだから父上は余計に苦労しているんだ。しかもお前の一生がかかっている時だ。なあ、本当に真剣に婿殿との事を考えてみないか? せっかく人柄が分かっているんだし」
やはり兄も本当は私が義兄と結ばれればいいと思っているようだ。男の人はそういう所は割り切りやすいのだろうか?
けれども母はやはり女親。男君のように他の人を選び直すなどと言う事が出来ない女の身になって、なんとか私にあった他の男君との話はないかと懸命に知人達に文を送ってくれている。
だがその返事は良い物ではないらしい。しかも私は乳母を亡くしている。こういう縁談には乳母同士の繋がりで話をまとめる事が多いのだが、こちらに乳母がいないというのはそれだけでも縁が遠くなりがちらしい。そのうちに父は、
「このままこの古い邸で暮らし続けるわけにもいかない。都では良い邸が見つからないが、東山に私達が暮らしやすそうな所を見つけた。もとの場所に邸を立て直すめどもついてきた。しばらくは東山に住む事になるだろう」
と言う。しかし母は大反対だ。
「そんな引っ込んだ所に行ったら、中の君の御縁がますます遠くなるではありませんか! 娘のもっとも大切な時に都を離れるなんて!」
「分かっている。分かってはいるのだが……。このままこの荒れた邸にいて、果して家運が上がるのだろうか? この邸に通って下さる婿など居るのだろうか?」
父は自信なさげにうなだれている。やはり内裏での立場は苦しいものがあるのだろう。
「でも中の君の気持も考えてやって下さい。もし婿殿と結ばれたとしても、自分の姉と生涯比べられて生きなければならないかもしれないんですよ? 婿殿と大君は大変仲の良い夫婦でした。それだけに他のどんな姫と比べられるよりも中の君には辛いはず。女人の人生は婿君に左右されるんです。簡単に身近で済ませるような真似は慎んでいただきたいわ」
普段父に強く意見などしない母が私のために懸命に訴えてくれた。私はどちらかと言うと継母の一件以来、母とは素直に接しにくくなっていたのに。
私には母の一言一言が胸に響いた。思わず母の胸にすがりついて、
「母上、ごめんなさい。私、私……」
私は泣いた。母には素直になれなくなっていたが気を使ってくれてとても感謝していた事。姉のことをどれほど大切に思っていたか。その姉の心に応えられずにいる事。姉への嫉妬。義兄への想いだけは口にしなかったが、もしかしたら母には分かっていたのかもしれない。
私は本当に母の気持ちに感謝した。母はまるで私を幼子のように頭を撫でて、
「気にしなくていいわ。あなたの大事な時なんですから。大君を失ってわたくしにはもう、娘はあなたしかいないのよ。子の幸せを懸命に考えるのは母の役目です」
そう言って私を抱きしめてくれていた。
しかしやはり私の他の縁談は見つからない。幼い姫を二人抱えて荒れ果てた邸での暮らしも限界だ。これで家族が物の怪によって病にかかりでもしたら更に家運も落ちていくだろう。
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『四月つごもりがた、さるべきゆゑありて、東山なる所へうつろふ。道のほど、田の、苗代水まかせたるも、植ゑたるも、なにとなく青みをかしう見えわたりたる。山のかげ暗う、前近う見えて、心ぼそくあはれなる夕暮、水鶏いみじく鳴く。
たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深くたづねては来む 』
(四月も末の頃、そうしなければならない理由があって東山と言う所に移った。道の途中、田んぼの苗代に水を撒いている様子も、田に苗が植えられているのも、なんとなく青々とすがすがしく見渡せる。新たに住む所には山の影が暗くかかるほど近く目の前にあるように見えて、心細くしみじみとする夕暮れに水鶏が盛んに鳴いている。
誰かが戸を叩く音に聞こえてもそれは水鶏の鳴き声
暮れゆく深い山道を訪ねて来る人などいないはずだから )
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四月の末、結局私達は東山に移り住むことになった。その時は義兄も付き添ってくれるという。その時に私は決断を下すことになる。私達が結ばれなければわざわざ義兄が東山にまで通う事は不自然だから。
そう、東山の邸はとても山の奥深いところだった。邸に向かう途中の田舎道では広々とした田が広がり、苗を育てる苗代には若い苗に盛んに水が撒かれていた。
すでに田植えが始まっていて、水が張られた水田には苗が植えられ始めている。水田に張られた水が光を受けると美しく輝き、広々とした水辺のような景色となってまるで湖のよう。
清らかな水の流れる音と青々と茂る若々しい苗の色。そして植えられたばかりの苗の青さ。見渡す景色はすべてがすがすがしく爽やかだった。
どこからか微かに田植え唄などが聞こえて来る。そんな景色に背を向けて私達は山の方へと向かっていく。ようやく整えられた牛車と僅かな手周りの荷を乗せて私達は列をなして進んで行く。以前下向の旅で都入りした時の行列の華々しさなど欠片もないような簡素な列で、東山の邸に向かっているのだ。
私の車には私と幼い姫たちの乳母、その膝にはそれぞれに姫たちが大人しく抱かれている。前には父と母の乗った車が先を進んでいる。そしてそのうしろには義兄の乗った車が後をついて来ていた。
私が義兄を婿に迎える気がない事は大体向こうにも伝わっているはずだ。父や兄も私に無理強いはしなかった。義兄も私に結婚を申し込むような歌は贈ってこなかった。皆私の気持ちを尊重してくれて、これが別れの旅になることを知りながら義兄は私達を見送ってくれているのだ。
私は美しい田園風景を暗い気持ちで見ている。私は都を離れることで義兄との別れも心の整理をつける時間が出来るだろう。しかし義兄にとっては自分の娘達との別れの旅となる。私達が後に都に戻っても、もう義兄には私達のもとへ通う理由がない。おそらくその間に義兄にも再婚話くらいは出るだろう。いや、私が断った以上もうそういう話があるのかもしれなかった。
日暮れて邸に着くとそこはとても山に近いところだった。山の影が暗く邸にかかっていてまるで目の前に迫り来るよう。他に人家もなく、心細く寂しげな邸だった。
更に山の奥に行くと霊山寺という山寺があるのだという。明日はそこに参拝に行くことになった。今夜は義兄も邸に滞在し、明日の参拝を共にするという。
義兄は私のもとに挨拶に来るという。周りの人がそれとなく幼い姫たちを母の所に連れて下がっていく。ひょっとしたら私達が心変わりをして、結ばれる気になるかもしれないと考えての配慮らしい。これほどの山奥では私に通う男君が現れるのはもう期待できないのだから、出来ればここで義兄と結ばれて欲しいと皆が願っているのが分かった。
私が人並みの結婚を出来るのはこの機会しかないのかもしれない。それは分かってはいたが、それでも私は義兄と結ばれるわけにはいかなかった。姉の笑顔を見るたびに感じた胸の痛みは今でもはっきり心に残っている。
義兄が御簾の向こうにやってきた。姉を亡くして少し面やつれ気味ではあるが、その姿は初めて出会った時と同じように美しく、すがすがしかった。あの、昼間見た田園の青々とした景色のように。
「これが、お別れの御挨拶になるのでしょうね……」
義兄は寂しげな様子を隠すことなく、しみじみと口を開いた。外では水鶏が盛んに鳴き続けている。まるで訪れる事のない人の代わりに、戸口を叩くかのように。
私は返事の代わりに
たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深くたづねては来む
(誰かが戸を叩く音に聞こえてもそれは水鶏の鳴き声
暮れゆく深い山道を訪ねて来る人などいないはずだから)
の歌を詠んだ。
水鶏とは水辺に住む小鳥です。初夏に良く鳴く鳥ですが、その鳴き声は戸を叩くようだと言われました。
東山は山の名ではなく、京都の東側に連なる山の総称です。当時は人家のまばらな、人少ない地域でした。