偲び歌
『乳母なりし人、「今は何につけてか」など、泣く泣くもとありける所に帰りわたるに、
「ふるさとにかくこそ人は帰りけれあはれいかなる別れなりけむ
昔の形見には、いかでとなむ思ふ」など書きて、「硯の水の凍れば、皆とぢられてとどめつ」と言ひたるに、
かき流すあとはつららにとぢてけりなにを忘れぬ形見とか見む
と言ひやりたる返りごとに、
慰さむるかたもなぎさの浜千鳥なにかうき世に跡もとどめむ
この乳母、墓所見て、泣く泣く帰りたりし、
昇りけむ野辺は煙もなかりけむいづこをはかとたづねてか見し
これを聞きて、継母なりし人、
そこはかと知りてゆかねど先に立つ涙ぞ道のしるべなりける
かばねたづぬる宮、おこせたりし人、
住みなれぬ野辺の笹原あとはかもなくなくいかにたづねわびけむ
これを見て、兄人は、その夜送りに行きたりしかば、
見しままに燃えし煙は尽きにしをいかがたづねし野辺の笹原
雪の日を経て降るころ、吉野山に住む尼君を思ひやる。
雪降りてまれの人めも絶えぬらむ吉野の山の峰のかけみち 』
(姉の乳母は、
「今となっては何でここにとどまる事が出来ましょうか」
などと言って、泣く泣くもとに住んでいた所に帰って行こうとするので、
「あなたが故郷に帰ってしまうなんて
どうして悲しいお別れをしなくてはならないのでしょう
亡くなった姉の形見になろうとは思っては下さらないのですか」
などと書いて、
「硯の水が凍ってしまうので、閉じ込められてすべてを書くことはとどめられてしまいます」
と書きたした上に、
書き流す文字の跡からつららとなって書きたい事も閉ざされてしまいます
あなたがいなくなったら何を形見に姉を忘れぬようにすればいいのでしょう
と更に書いてやるとその返事に、
お慰めする方法も分からぬ浜千鳥のような私です
干潟を失くした千鳥がどうしてこの悲しい俗世にとどまって居れましょうか
この乳母は姉の墓所をお参りして泣く泣く帰ったが、
姉の魂が昇っていく野辺送りの煙もない中
どうやって姉の墓を探したことでしょう
と詠むと、これを聞いた継母が、
どこがお墓か知ることはなくても
探す先から流れ立つ涙を道しるべにお参りなさったのでしょう
と詠んだ。かばねたづぬる宮を贈って下さった人は、
人が住みなれぬ野辺の笹原は何の跡も残されていないでしょう
そんな中でどれほど墓を探し回ったことでしょう
これを見た兄は野辺送りに加わっていたので、
野辺送りの煙は見る間に燃え尽きてしまっていた
それなのにどうやって野辺の笹原で墓を探し当てたことだろう
と詠んだ。
雪が連日のように降り続くころ、吉野山に住む尼君を思って歌を贈った。
雪が降ってまれにあった人の訪れも途絶えてしまっていることでしょう
吉野の山の峰の道は大変険しいそうですから )
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私と母は、なんとか一日でも長く姉の乳母に長くとどまっていてもらおうと、何かにつけて乳母を説得した。
邸は燃えてしまい、姉を偲ぶような物もほとんど燃えてしまっていて、他の女房は都に来てから雇った人がほとんどだ。しかもそういう人ほど次々と邸を離れていく。
そういう人はやめたければさっさと辞めてくれてもかまわなかった。不快な空気や愚痴をまきちらされるくらいなら、いっそいない方がいい。
でも、この姉の乳母は私も生まれた時から親しんで来た人だった。子離れもすんでいるからと夫と別れてまで姉のために上総まで着いて来てくれたような人である。その誠意に私達はどれほど支えられてきた事か。姉との思い出の傍らには常にこの人の存在があった。姉を偲ぶ物を失った今ではこの人と姉のことを語りあえる事が、家族にとっての心の安らぎとなっていた。
特に母にとっては初めての子育てを共にした人なので、姉の乳母への思い入れも強かった。尼になると聞いた時の嘆きようはたとえようもないほどで、一層気落ちしたようにも見える。
だから母は彼女の顔を見ては、
「まだ、喪が明けたばかりではありませんか。せめてもう少し、とどまっていてください」
と言って引きとめたり、季節が変わって秋が来ると、
「この色づいた葉が木から落ちて風に舞って狭い庭の中にまで舞落ちて来るのを見ると、亡くなった娘の儚さが余計哀れに思われて居ても立ってもいられなくなるのです。この悲しみをもう少し分かち合って欲しいのよ」
とすがりついていた。そのたびに心動かされてとどまってくれていた乳母だったが、ついに、
「姫様がお亡くなりになったのは夏の事でした。自分の主人を亡くしたというのにどうしていつまでもとどまる事が出来ましょうか。もう秋も過ぎて冬になり、水も凍る季節になってしまいました。いつまでもとどまっている事は出来ませんわ」
と言って、彼女のふるさと、吉野にある寺へ向かう準備を始めた。母はまた、
「こんなに寒い季節に吉野の山寺に向かうなんて。きっと身体に障るわ。せめて春までは」
と引きとめたが、
「春になればなったで決心が鈍ることでしょう。私は早く姫様の御供養に身を投じたいのでございます。分かって下さいまし」
と涙ながらに頭を下げる。もう母は言葉もないようだった。私は
ふるさとにかくこそ人は帰りけれあはれいかなる別れなりけむ
(あなたが故郷に帰ってしまうなんて
どうして悲しいお別れをしなくてはならないのでしょう)
の歌を詠み、
「お姉さまが亡くなられたせいで、私達はあなたまで失ってしまうのね。こんなお別れは辛いわ。あなたは私達のためにお姉さまの形見でいては下さらないの?」
と添え書きをした。すると思いがさらにあふれてしまい、冬の寒さよりも冷たく凍るような悲しみに、書きたい言葉を書くための硯の墨まで凍りそうな気持だと思い、
かき流すあとはつららにとぢてけりなにを忘れぬ形見とか見む
(硯の水が凍ってしまうので、閉じ込められてすべてを書くことはとどめられてしまいます)
の歌も添える。すると乳母はその返歌に、
慰さむるかたもなぎさの浜千鳥なにかうき世に跡もとどめむ
(お慰めする方法も分からぬ浜千鳥のような私です
干潟を失くした千鳥がどうしてこの悲しい俗世にとどまって居れましょうか)
の歌で、住むべき干潟を失った千鳥のような悲しみを切々と歌って返して来た。
「向かう道すがら、姫様が野辺送りされた所に寄って参ります。姫様のお墓の場所が分かると良いのですけど」
そう言って涙ながらに出立して行った。
私は姉の乳母が去ってしまった悲しみを、継母への手紙に書いた。その手紙に
昇りけむ野辺は煙もなかりけむいづこをはかとたづねてか見し
(姉の魂が昇っていく野辺送りの煙もない中
どうやって姉の墓を探したことでしょう)
の歌を詠んで書いたのだが、それを見た継母からの返事には
そこはかと知りてゆかねど先に立つ涙ぞ道のしるべなりける
(どこがお墓か知ることはなくても
探す先から流れ立つ涙を道しるべにお参りなさったのでしょう)
の歌と共に、
「どんなことをしてでも大君を送られた場所に一度は参りたかったのでしょう。流された涙こそが御供養になったことでしょうね。あなたもお辛いでしょうが、御心を強く持って下さい」
と、私を気づかう返事をくれた。
事情を聞いた『かばねたづぬる宮』を送って下さったおばも
住みなれぬ野辺の笹原あとはかもなくなくいかにたづねわびけむ
(人が住みなれぬ野辺の笹原は何の跡も残されていないでしょう
そんな中でどれほど墓を探し回ったことでしょう)
の歌を送って下さった。姉にゆかりのある人は皆、こうして姉を失った悲しみを今も私達と分けあって下さっていた。
これらの返歌を見た私の兄は、こうしてお見舞いの歌を送って下さることに感謝しつつ、自分は野辺送りを見守っていたので、
見しままに燃えし煙は尽きにしをいかがたづねし野辺の笹原
(野辺送りの煙は見る間に燃え尽きてしまっていた
それなのにどうやって野辺の笹原で墓を探し当てたことだろう)
と歌を詠んだ。私はそれぞれの人にこうして私達を気づかって下さったことへのお礼の手紙を贈った。そしていつまでも嘆きの歌ばかり詠んでいるわけにはいかない。私達を気づかって下さる人達の心にこそ、こちらも思いをはせなければと思う。
冬は一層厳しくなり、幾日も幾日も雪が降り続いた日があった。私は吉野の山寺にこもって亡き姉のために祈り続けているであろう、もとの姉の乳母の尼の事を思った。山寺での生活は厳しい物と聞く。ましてこのような大雪の中では俗世から離れたばかりの尼には、寂しさが募ることだろう。私は歌を贈った。
雪降りてまれの人めも絶えぬらむ吉野の山の峰のかけみち
(雪が降ってまれにあった人の訪れも途絶えてしまっていることでしょう
吉野の山の峰の道は大変険しいそうですから)
人の訪れを恋しく思ってはいませんか? この身は険しい吉野の道を行く事は出来ませんが、心はあなたのことを思っているのですよ。寂しい時は思い出して下さい。そんな思いを込めて詠んだつもりだ。
使いは雪の山道を行けずに、届けるにも時間がかかったようだ。少し雪も落ち着いた頃に私の歌は届いたらしい。感謝の言葉と私達家族への気遣いがしたためられた手紙が後に届けられた。こうして私は姉を失った悲しみの心を整理する事が出来たのだった。