かばねたづぬる宮
姉を亡くしてしばらくは、私達家族も喪に服して邸の中に籠り続けることになった。皆、暗い鈍色の藤衣(喪服)に着替え、しきたりを守って姉の冥福を祈る。
葬送の野辺送りは兄を中心に行われた。父はがっくりと肩を落として、それでも姉の葬送の列に加わった。火事で焼け出された私達には車の用意さえできず、葬送について行けたのは父と兄、それに義兄、姿を見られても問題の無い男の従者たちばかりだった。
もっとも母は悲しみのあまり呆けたようになっていて、姉の亡骸を車に乗せる時も、
「何故、何故わたくしを連れて行ってはくれぬ。私も共に葬っておくれ」
と、姉にすがりついてなかなか離れず、兄と義兄にひきはがされるとその場によよと泣き崩れ
「大君を返しておくれ。我が愛しい娘を返しておくれ……」
と、まるで物の怪に取りつかれたかのように目をさまよわせる。どうしようもなくて読経のための僧侶に祈祷を受けさせた。しばらくすると母も落ち着きを取り戻したが、まだ心ここにあらずと言った様子で、僧侶からもしばらく母から目を離さぬようにと言われた。葬送から帰った父にそのことを話すと、
「無理もない。私のせいだ。これから娘盛りになろうとしていた時に私は北の方から大君を引き離してしまった。その大君を取り戻そうと必死になって手に入れた邸も焼けてしまい、北の方は大切なものを一度に失ってしまったのだ。あまりの事に信じられぬ気持でいるのだろう」
と言って頭を抱えた。
「お父様のせいじゃないわ。母上だってそれは分かっているわ。あまりに悲しくて御自分でもどうすればいいのか分からなくなっているだけよ。お姉さまをきちんと御供養しなければならないことを思い出されれば、きっと落ち着かれるわ」
私がそう言うと父は、
「ああ、そうだね。父である私が娘のお前に励まされていては仕方がない。私達家族が心をそろえて大君の供養をしてやらねばならないのだな。北の方にもそう言って励ましてやらなくては」
と言って、母の傍へと向かう。
父の言う通り、母にはこの事はあまりに辛すぎたのかもしれない。継母に家族を奪われるようにされて都に取り残され、私達姉妹の未来のためにと必死で荘厳な邸を手に入れ、ようやく姉に良い婿を迎え、姫も生まれてすべてがこれからという時だったのだ。
母のような「家に暮らす女」にとって我が子と邸は自分の命と同じほど大切なものだろう。
外の世界を知らず、恐れる一方の母にとっては自分の邸は世界のすべてであったはず。だから頼りに出来る自分の身内が隣に暮らす邸を選んだのだ。それを失った上に大切な長女をこれからという時に亡くしてしまった。母は姉とは離れていた時間があった分、これから理解を深めたい、心通わせたいという気持ちがあっただろう。この姉の死は普通に娘を失ったよりも苦しみが強いかもしれない。実際これを境に母は一気に老け込んでしまった。それほど悲しみが深かったのだろう。
父は母の傍に付き添うだけで精いっぱいのようだった。兄を中心に義兄やこけらがさまざまな手配を進め、姉の七日ごとの法要なども滞りなく進んで行った。あばら家のような邸での事なので、出来ることにも限りはあったが、せめて心だけは家族の精いっぱいの想いを込めて、懇ろに弔いをしたと思う。きっと姉にはどんな高僧による読経よりも、魂を安らかに出来たことだろう。
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『そのほど過ぎて、親族なる人のもとより、「昔の人の、『かならずもとめておこせよ』とありしかば、もとめしに、そのをりは、え見出でずなりにしを、今しも人のおこせたるが、あはれに悲しきこと」とて、かばねたづぬる宮といふ物語をおこせたり。まことにぞあはれなるや。返りごとに、
うづもれぬかばねを何にたづねけむ苔の下には身こそなりけれ 』
(それからしばらくして親族だという人から、
「亡くなった方が、
『必ず探して、届けてください』
とおっしゃったので探していたのですが、その時には見つけられずにいた物をお亡くなりになった今になって人が届けて来たのが、つくづく悲しい事だと思います」
と言って、『かばねたづぬる宮』と言う物語を届けてくれた。本当に悲しい事だ。
その返事に、
どうして姉は屍たづぬる宮と言う不吉な物語をさがしていたのでしょう。
御自分が苔の下に埋められる身となってしまったのに。
と歌を詠んだ)
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ついに四十九日の法要も終わり、喪が明けてしまった。その頃私達の親族だという人の使いが尋ねて来た。会って見ると見覚えがある。以前私に『源氏物語』等の多くの物語をくれた、あのおばの使っている従者だった。亡き姉に代わって私に渡したいものがあるのだという。どういう事だろうと不思議に思いながらも詳しく事情を聴くと、
「実は私の主人は亡くなられたあなたのお姉さまに以前から頼まれごとをしていたのでございます」
「姉から?」
「はい。あなたのお姉さまはあなたさまにより多くの物語を読んで欲しいと、常々思っておいででした。お姉さまは以前、『かばねたづぬる宮』と言う物語を読んでいらして、それがあなた様のお好みに合うに違いないと思われたそうでございます。そこでその物語をなんとか手に入れられないかと私の主人に尋ねられたのです。けれどもその時、私の主人の手元にその物語はございませんでした。どなたか他の方の所にあるかもしれないと思い主人があちこちに尋ねていたのでございます。それが先日ようやく見つかってその人に早く送って下さるようにお願いしたのですが、その直後にあなたのお姉さまが亡くなられたと……。喪中の事でもあり、私の主人がお預かりしていた次第でございます」
そう言ってその物語を差し出してくれた。
「早くお届けしたいと思う時には見つからずに、こうして亡くなられた今になって届くとは。何とも悲しい、やりきれない気持だと主人も申しておりました」
「そうですか……。姉が、この物語を私にと」
『かばねたづぬる宮』それはある女人に恋をした宮様が、その恋のために入水した恋人の「屍」を尋ねるが見つけ出す事が出来ず、苦悩のあまり出家して恋人の成仏を願う物語だった。話の筋が私の好きな『源氏物語』の「宇治十帖」の最後の方に良く似ている。私は「宇治十帖」の浮船と言う入水しようとする女君が好みなので、きっとこの話も好きだろうと姉が探してくれたに違いない。
けれどこの物語の題名は、今となっては皮肉としか言いようがない。それとも姉にはこの物語を探し始めた時から、何らかの予感を感じていたのだろうか?
私は感慨に耽ながらも、おばに返事を書いた。
うづもれぬかばねを何にたづねけむ苔の下には身こそなりけれ
(どうして姉は屍たづぬる宮と言う不吉な物語をさがしていたのでしょう。
御自分が苔の下に埋められる身となってしまったのに)
どうして姉はこんな不吉な物語を探したりしたのでしょうね、と。
するとおばは、
「あなたに少しでも多くの物語を読んで欲しいと願っておいでだったのですよ。中の君には自分には無い才能があると。あなたの才能を伸ばして差し上げるのが姉としての役目だと思いになっておられたようです。とてもお優しい、心配りの出来るお姉さまでいらっしゃいました」
と、私を慰める言葉などと共に歌を書いて返事を下さった。私は姉亡くしては物語さえも色あせてしまう気持ちでいるというのに、姉はこんなにも私のことを考えていてくれたのだ。
どれほど時が移っても、こういう時には悲しみが新たに湧き出てしまう。私は涙を流しながら姉が残してくれた物語を読んだ。ああ、私達姉妹はこの世界を共に味わって育ったのだ。
今度は私がこの姉の心を、姉の子供たちに伝えなければならない。自分はもう物語を考えることは難しいけれど、この素晴らしさを姉の子には伝えられるはずだ。
私はあらためて姉との約束を守ろうと心に誓った。
そんな中でも世の流れは容赦がない。喪が明けたあたりから私達に仕えてくれていた人達が、徐々に暇を申し出て来た。
「私のような者が手狭な邸にいても、皆様の足手まといになるばかりでございますので。皆様が落ち着かれました折にはまた、こちらにお勤めしたいと存じます」
と、言葉だけは飾っているが、実際は他の権勢のある邸から声をかけられ、この家の家運が傾きかけていると踏んでよそに移っていると邸の人たちは噂した。もっとも噂をしている本人だって、その後暇を申し出ているのだ。
「まったく。よく恥ずかしげもなく噂を立てたりできるものだ。そういう日和見をしても、結局は自分の身の丈にあった仕事しかできないものなのだが」
こけらは憤慨するように嘆いた。
「こけらこそ、他からもっといいお話があるんじゃないの? あなたほどの家司なんてそうそういないもの。こけらのような人こそ、自分にあった邸に勤めてもいいんじゃない?」
私は思い切ってそう聞いてみた。私も少しは世間の声が聞こえるようになっていて、父が、
「たかが受領風情でもとの上皇様の邸に住んだり、大納言殿にお目に掛けられたりしているから仏罰が下ったんだろう。いい気味だ」
などとやっかまれている事も知るようになっていた。それでも父の任地での評判が良かった事や、大納言殿の後ろ盾、実務に強い仕事ぶりなどが評価されているうちは誰もがそれなりの対応をしていた。しかし、火事で焼け出されたり姉を亡くしたりと家に凶事が続くとその態度は冷たい物に変わる。それでなくても父は「菅原道真の子孫」と言う目で見られ、文学の才が恵まれないことを嘲笑われていたのだから。
「何をおっしゃいます! 私がそのような情け無い従者に見えますか?」
こけらは急に叫んだ。
「私は大納言(行成)殿やあなたの御父上から従者の何たるべきかを教わってまいりました。大納言殿は太政大臣殿に従いながらも一条帝が愛された敦康親王の家司を勤めあげられました。それに世間では大納言殿は一条帝に認められて蔵人頭になった事がご出世に繋がったと言われていますが、その一条帝に大納言殿を御推挙されたのが参議の源俊賢殿でした。俊賢殿と大納言殿は御親友同士ですが俊賢殿に恩を感じ、今も決して俊賢殿の上座にはつかないと聞いております。それと同じように孝標殿も大納言殿がどのようなお立場になられた時でも、その尊敬する御心に変わりはありません。本当の従者と言うのはそういうものなのです!」
こけらはすごい剣幕でまくしたてる。そして、
「中の君は私が主人への忠誠よりも『よその邸いい話』に惑わされるような、そんな浅はかな従者だと思われるのですか?」
と聞いた。悲しそうな目だった。
「ごめんなさい。そんなこと、ちっとも。こけらが家にいてくれるのは他のどんな人がいるより心強いわ」
「その御言葉こそが私にとって一番の禄(報酬)でございます。決して気弱になられてはいけません。あなたの御父上は素晴らしい方です」
こけらはそう言ってくれたけど、それでもこの邸から去らなくてはならない人もいた。私達が慣れ親しみ、心から信頼を寄せていても、去って行ってしまう人もいる。
私達は姉の乳母に、尼になりたいと告げられた。年長けた乳母は主人亡き後に出家してその魂を弔うのが当然とされていて、私達にはどうする事も出来なかったのだ。