姉の死
『ひろびろともの深き深山のやうにはありながら、花紅葉のをりは、四方の山辺も何ならぬを見ならひたるに、たとしなくせばき所の、庭のほどもなく、木などもなきに、いと心憂きに、向かひなる所に、梅、紅梅など咲き乱れて、風につけて、かがえ来るにつけても、住み馴れしふるさと限りなく思ひ出でらる。
にほひくる隣の風を身にしめてありし軒端の梅ぞ恋しき 』
(焼けてしまった家は広々とした深い深山のような様子ではあったが、花や紅葉の季節には四方の山々の姿に負けぬほどの景色を見せていたのに、今いる家はたとえようもないほど狭い所で、庭も広さがなく見栄えのする樹木もないので、とても気が塞いで、向かいの家から梅、紅梅などが咲き乱れてよい香りが風に乗って漂って来るにつけても、住み馴れたもとの家がこの上なく恋しく思いだされてしまう。
良い香りが漂って来る隣からの風を我が身にまとうにつれ
もといた家の軒端に咲いていた梅が恋しく思われる )
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結局焼け出された私達は、姉を運び込んだひどく傷んだ古く小さな邸にそのまま住むしかなくなってしまった。姉は産み月も間近だというのに苦しんでは時折気を失うといった様子で、予断を許さない状態となっていた。
災いに見舞われた私達を忌み嫌ってか、姉のための祈祷の僧にさえも断られてしまう。
ようやく見つかった僧はひどく高齢で経の声にも張りがなく、母の読む経の方がよほど熱心で霊験もあるのではないかと思えるようなありさまだった。都と言う所は本気で困窮した人間にはとても冷たい所だ。助けあう事よりも先に、自分に災いが及ぶ事を避けることを優先させてしまう。火事と言う凶事にあった我が家に周りは思いのほか薄情だった。
だからと言って大納言行成様のような御位の高い方におすがりするのも申し訳ない。あちらは気を使って、
「不自由のないようになんでも言って欲しい」
とおっしゃって下さったそうだが、甘えるにも限度がある。それに当座の物くらいは父でも十分になんとかすることはできる。しかし「運」や「穢れ」が絡む住む所や祈祷の僧侶などは禄(報酬)の善し悪しなどとは関係なく、自分の運が傾くことを嫌って誰もが薄情になるものらしい。
そんな訳で他に邸も急には見つからず、私達はこれまでの邸からは考えられないほど狭い……上総で暮らした時よりももっと狭い、とても庭と呼べないような庭しかないようなその邸で暮らさなければならなかった。
母は私の祖父、「藤原倫寧」と言う歌人の遅くに生まれた子で、母が生まれた時には祖父の最盛期はとっくに過ぎていて、亡くなる頃にはすでに勢いは失われていた。一番末の子の母が受け継ぐ事が出来た財はこの小さなさびれた邸くらいしか無かったそうだ。それでもこの邸が無ければ私達は路頭に迷っていたかもしれないけど。
倒れた姉を元気づけるような物のある邸ではない。塀の崩れなどは言うに及ばず、壁や屋根さえも穴だらけで隙間風を幕や屏風で覆わなければ、とても妊婦を住まわせる事など出来ない。庭には遣り水と呼べるほどの池もなく、僅かな水が申し訳程度に流れているだけ。不浄な物(排泄物等)を洗い流すだけでも大変だと下仕えの人がこぼしていた。
建物は荒れ果て、見栄えのする枝葉を広げた樹木すらなく、邸と塀が驚くほど近い所にあったりする。長く放っておかれていたので雑草ばかりがはびこって、見ていて憂鬱になるばかりの景色だ。
にほひくる隣の風を身にしめてありし軒端の梅ぞ恋しき
(良い香りが漂って来る隣からの風を我が身にまとうにつれ
もといた家の軒端に咲いていた梅が恋しく思われる)
翌年に春が訪れた時も花の一つも目にする事が出来ず、隣の邸の庭から梅の良い香りが風に乗って漂うごとに、前の邸の美しい庭の風情を思い出してしまうような庭だった。
そんな邸で姉の看病に明け暮れていると姉は、
「あの猫を助けてあげられなかったのは残念だけれど、これも運命だったのかもしれないわ。あの夢の中で大納言様の姫君は言っていたもの。『ほんのしばらくの間だけ猫として生まれ変わる事が出来た』と。本当に短い間の御縁だったのね」
「そうね。そういう宿命だったのかもしれない」
私も姉の言葉を信じることにした。そう思えば少しだけ心が軽くなる。さらに姉は、
「ごめんなさいね。あなたがせっかく話してくれたお話。あれを書き留めておいたものも、すべて焼けてしまったわ。お腹の子と小さな姫を無事に逃がす事だけで頭がいっぱいになってしまったの」
そう、真っ青な顔で私にうるんだ目で言って来る。私はたまらなくなって、
「そんなこと気にしないでいいのよ。それより身体を大切にして、無事に赤ちゃんを産んであげなくちゃ。お義兄様だって心配しているのよ。無事に産まれたらまた三人でおしゃべりを楽しみましょうよ。その時にお姉さまが気に入られたら、また書き留めて下さればいいわ」
「……わたくしには、もう、そんな時間は無いでしょう。お願い、あなたは物語を書くと約束して下さらない?」
「お姉さまが一緒に考えて下さるなら、約束するわ。私が空想に思いをはせる時は、いつだってお姉さまと楽しくおしゃべりしていた時だったわ。また、そういう事ができるのなら約束するわ」
私はそう言って姉の手を握った。だが姉はうっすらと微笑みはするものの、首を横に振って言う。
「それなら……。せめて私の子どもたちは、あなたが導いてやって頂戴。お義母様がわたくしたちを導いて下さったように。この世の美しさ、歌う事の喜び、想像することの素晴らしさを教えてやって欲しいの。あなたに子供たちを任せたいのよ」
今度は私が首を横に振った。
「駄目よ、そんな弱気な事を言っちゃ。それはお姉さまがすべきことだわ。お姉さまは子供たちの母親なんだから」
「あなたの言う通りだわ。でも、わたくしにそうすることが出来ない時は……。その時はあなたにお願いしたいの。お父様やお母様ではそれはできそうにないから」
その時の姉の表情はとても決然として見えた。菅原道真の子孫として、藤原倫寧の孫として、そして何よりも子どもたちの母として、子供たちに文学を大切にしてきたこの家の誇りを伝えようとする覚悟が感じられた。この姉の表情を見てはとても断ることなど出来なかった。
「分かったわ。約束する。でもそれは、お姉さまがどうしてもできなかった時よ。お姉さまは子供たちを悲しませたり、寂しがらせたりしてはいけないわ」
「分かっているわ。私も母として精一杯この子たちを守るわ」
そう言うととろとろと眠ってしまう。眠ったのか、意識が遠のいたのか分からない様な感じで、姉はもう何度もそんな状態を繰り返していた。
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『その五月のついたちに、姉なる人、子生みて亡くなりぬ。よそのことだに、幼くよりいみじくあはれと思ひわたるに、まして言はむかたなく、あはれ悲しと思ひ嘆かる。母などは皆亡くなりたる方にあるに、形見にとまりたる幼き人々を左右に臥せたるに、荒れたる板屋のひまより月のもり来て、児の顔にあたりたるが、いとゆゆしくおぼゆれば、袖をうちおほひて、いまひとりをもかき寄せて、思ふぞいみじきや』
(その年の五月の初めに、姉に当たる人が子供を生んで亡くなってしまった。人の死とは他人の事でさえも、ほんの幼い頃からとても悲しい事だと思っていたのに、まして自分の姉の死となれば言葉で言い表しようもなく、つくづく悲しい事だと嘆いてしまう。母などが皆亡くなった姉の部屋にいるので、忘れ形見に遺された幼い子供たちを自分の左右に寝させていると、荒れた板屋葺きの屋根の隙間から月の光が漏れ落ちて、幼子の顔に当たっているのがとても不吉に思えたので、袖でその顔を覆って、もう一人の子も自分の傍に引き寄せて、物思いにふけってしまうのは悲しい事であった)
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五月の初め、ついに姉は亡くなってしまった。産気づいてからさほどの時間も経たずに子は生まれて来た。しかし出産としては短い時間だったにもかかわらず、姉は力を使いつくしてしまったらしい。まるでこの産声を聞き届けるかのように息を引き取ったのだという。
火事の後の姉の衰弱ぶりを皆知っていたので内心覚悟はしていた。だが我が子と自分の命を引き返るように子どもの命を守った姉の事を思うと、皆涙を止めることができずにいた。小さく荒れた粗末な邸が姉を失った悲しみによりなお暗く、わびしくなってしまった。
私は姉を失って初めて、姉が自分にとってどれほど必要な人であったのかに気付かされた。
私が物語に思いをはせる時、いつもその隣には姉がいた。私を物語世界へと導いてくれた人には継母や義兄などがいたが、私がごく幼い時から歌を詠んだり、空想の世界を語りあったりする事が出来たのは姉がいたからだった。それはきっと姉も同じだったのだろう。
世間ではとても仲の良い夫婦の事をあの『長恨歌』になぞらえて「比翼の鳥」と呼んでいるが、それは夫婦よりも私達姉妹のような組み合わせをいうのではないだろうか?
比翼の鳥とは身体の左の目、左の翼が雄で、右の目、右の翼は雌。地にあってはそれぞれ別に歩くが、空を飛ぶ時は雄雌が共に一体となって飛ぶという伝説の鳥の事である。
私達は想像の大空を羽ばたく時にはいつも姉妹二人が互いを必要としていた。初めての物語を共に分かち合う時、互いの詠んだ歌を共に認めあう時、二人の心は一体となって空想世界と言う空を飛翔していたのだ。
私は今、その大切な片翼を失った。それは私にとってこの世にある希望の光を失ったのと同じだった。姉は私に物語を書けと言い残してくれたが、姉と言う片翼を失った今、私はどうやって空想の空を飛んだらよいのだろう?
私が歌を詠み、物語に憧れるのは息をするのと同じだった。しかしその息をするために必要な大切な存在を失ってしまい、私は窒息してしまいそうなほど悲しかった。
私に物語は書けない。書けるとしたら、それは姉がいてこその事なのだ。私には父よりも、母よりも、あの心に秘めた義兄への想いよりも、姉を必要としていたのだ。
お姉さまを失って、ようやくその事に気づくなんて。
私は愕然としながら、姉の願いを叶える事が出来なくなったことを思い知った。私は一人では物語を考えることすらできなかったのだ。
「お姉さま、ごめんなさい」
私は姉の亡骸を見ながら、ただ、それしか言えなかった。
誰もが姉の亡骸の周りを取り囲み、ただ、ひたすらに涙を流していた。姉は邸中のだれからも慕われていた。母はまだ姉の頭を撫で続けていた。
「苦しかったでしょう? よく頑張ったわね。あなたは素晴らしい娘よ。私の自慢の娘ですからね。母は、あなたをこの世の誰よりも褒めたいと思いますよ……」
そんな事を姉に語りかけていた。父はただ声もなく涙だけを流していた。
「子どもたちを寝かせてきます」
私はそう言って生まれたばかりの姉の子を抱いた。美しい女の子だった。生まれた瞬間から母を知らぬ子となったことなど知らずに、健やかそうに眠っている。上の姫は乳母が抱き上げた。この子も自分の母の死は理解できていない。ただ眠たそうに乳母にまつわりついているだけである。私は自分の左右両側に子どもたちを寝かせ、
「子どもたちは私が見ていますから、皆のいる所に行きなさい」
と乳母に言った。とにかく一人になりたかったのだ。
この邸は本当に荒れていて、あちこちに隙間や穴が開いていた。姉の事で精一杯で邸の修理どころではなかったのだ。
見ると下の子の顔の辺りがぼんやりと明るくなっている。不思議に思って上を見ると、板葺きの屋根に穴があいてしまっていて、そこから月明かりが漏れ注いでいたのだ。
私は姉に月明かりが降り注いで気味悪く思った夏の夜の事や、亡くなった私の乳母が月明かりの下で美しく見えた事などを思い出した。月の光は私に不吉な思いを連想させる。慌てて下の子の顔を自分の袖で覆って隠した。もう一人の子も自分の身に引き寄せ、抱きしめる。
お願いです。この子たちは姉が自分の命を削るようにしてこの世に残してくれたのです。どうか、この子たちまで連れて行かないでください。私に姉のもう一つの約束……この二人の子を私が育て、導くという約束を守らせて下さい。
物語を書くという姉の願いを私は叶える事が出来ません。だからせめて、この子たちを育てる約束は果たしたいのです。
私は月に向かってそんな事を願っていた。その時はまるで月明かりの中に死を招く不気味な何かが宿っているように思えて仕方なかったのだ。
私は子供たちを両脇に抱えながら、姉の事をいろいろ思い出したり、何故姉を失う事になったのだろうとかつれづれに考えていた。そんな物思いが次々と浮かんでしまう事自体がとても悲しかった。
姉の結婚時期、第一子の出産時期は正確には分かりません。この日記では年が明けた時に「かへるとし」と記されるだけで、正確な年月の流れが書かれているとはいえないかもしれません。
普通出産後、母乳が出ている間は次の妊娠はしないものですが、この時代はある程度の身分であれば我が子に母乳を与えることはしません。必ず乳母がついて乳を与えます。
母乳は赤ちゃんに与えるからこそ出続けるものなので、早くに断乳していたこの時代は次の妊娠も早かったのでしょうか?
その辺は医学的知識がないので私には分かりません。実際には半年から一年くらいの間があいていたのかもしれません。ご了承ください。