桜
『物語のことを、昼は日ぐらし思ひつづけ、夜も目の覚めたるかぎりはこれをのみ心にかけたるに、夢に見ゆるやう、「このごろ、皇太后宮の一品の宮の御料に、六角堂に遣水をなむつくる」と言ふ人あるを、「そはいかに」と問えば、「天照御神を念じませ」と言ふと見て、人にも語らず、なにとも思はでやみぬる、いと言ふかいなし。春ごとに、この一品の宮をながめやりつつ、
咲くと待ち散りぬと嘆く春はただわが宿がほに花を見るかな 』
(物語の事ばかりを、昼は日が暮れるまで思い続け、夜も目が覚めている限りはその事だけを気にとめていると、ある晩夢に、
「最近、皇太后宮の姫宮でいらっしゃる一品の宮様のために、六角堂に遣水を造っています」
と言う人がいるので、
「それはどういう意味でしょうか」
と問いかけるとその人が、
「天照御神をお念じなさいませ」
と言っているのを見たのだが、その夢を人に話す事もせず、何とも思わないまま何もせずにいたのは、まったく我ながら甲斐の無い事であった。
だから毎年春が来るたびに、この一品の宮様の邸を眺めては、
桜が咲きそうだと待ちわびて、それが散ってしまうと嘆く春の間は、
まるで自分の桜のような気持で宮様の桜を見ている
そんな風に感じていた)
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新しく年が明けても私は心に少しの痛みを感じながら、それでも姉や義兄と物語の話や継母のことなどを語りあい、楽しい日々を過ごしていた。継母がこの邸を出てから間もなく一年になろうとしていた。私が母に悟られぬよう父に、
「前の義理のお母様が中宮様にお仕えなさっているのを、お父様は御存じだったの?」
とこっそり尋ねると父は、
「ああ、知っていた。お前達に教えられずにいて悪かった。大君の結婚の事もあったし、この邸で堂々と話せる事でも無かったから先延ばしにするうちに伝え損ねてしまったのだ。あの方のことは私も気にしているのだ。こけらに使いを頼んで宮中の人に様子を聞いてもらったり、宿下がりの時には宿の準備などをさせている。あの方に辛い思いをさせた以上、不自由な思いはさせたくないからな」そう言って
「これからあの方に文を届けたい時はこけらに頼むように」
と言ってくれた。おかげで私は継母と、ささやかではあるが文によって心を通わせる事ができるようになった。
父は当然継母に文を贈ることはできない。姉も父母や義兄に気を使って文を書くことは控えていた。義理とはいえ一時は親子の情を交わし合った私が文のやり取りをするくらいなら、世間もとやかくは言わないだろうと父も考えたようだった。当然父も継母の消息は気になっていたはずだから、私が文をやり取りするのはちょうど良かったのだろう。
文を贈るとその返事には継母も幼いちい君もとても元気でいる事、父の支援や気使いにとても感謝している事、宮中でも中宮様にとても大切にされている事、宮中で起った楽しい出来事などが明るく書かれていた。姉の結婚をとても喜んでくれていて、祝いの品や言葉さえも贈れないことを残念に思っている事が優しい言葉で綴られていた。
そこに書かれた宮中の出来事は私に物語の世界を彷彿とさせて、物語を一層楽しむことができるようになった。それからは私のいつもの夢想に宮中で華やかに勤めをこなす自分の姿を加えるようになっていた。私の歌を絶賛してくれる宮中の世界は、私を快く受け入れてくれるように思えたのだ。古風な母がそんな事決して許すわけがない事は分かっていたけど。
物語の事ばかり考えて宮中に憧れたり、継母のことを想ったりしていたからだろうか? 私はある晩夢を見た。私の暮らす邸の近くには『頂法寺』という寺があるのだが、この寺の本堂は変わった造りをしていて建物が六角形の形をしている。だから都人は皆この寺のことを『六角堂』と呼んで親しんでいた。
夢の中で何故か私はその寺にいて、その寺の周りには沢山の職人がせっせと働いているのが見えた。何をしているのだろうと思っていると寺の人が私に声をかけて来る。
「騒がしくて申し訳ございません。実は皇太后宮の姫宮でいらっしゃる一品の宮、禎子内親王様のお言いつけにより、この六角堂に遣り水を造っているのでございます。それをぜひあなた様に知っていただきたいと思いまして」
「私に? それはどういう意味なのでしょう?」
私が不思議に思ってそう尋ねると、その人は意味ありげに微笑んで、
「天照御神をお念じなさい。そうすれば意味が分かるでしょう」
と答えると、夢は覚めてしまった。私は不思議に思う。
この夢は私に「天照御神に宮仕えができるようにと御祈念しなさい」と告げているのかしら?
私の歌は宮中でも認めていただけているのだという。もしかしたら今なら真剣に祈れば、お義母様のつてなどから宮仕えの道が開けるのではないかしら?
私はそう考えて胸躍るような気持になる。あの、憧れの宮中に私が上がれるのかもしれないと。
しかしすぐに考え直す。私は都の事もろくに知らないではないか。私の歌が評判になっているというのもお義兄様が言っているだけのこと。本当の事までは分からない。お義兄様が私を喜ばせるために少し大袈裟に言っているだけのことかもしれない。
それに何より『鬼と女は人に姿を見せないもの』と古風に考える母上が宮仕えなど許してくれるはずがない。私がこの邸を離れるとなれば父上だって反対するだろう。
私だって家族と離れるのは不安だ。そんな事想像もつかない。何よりもしも宮仕えなどに出たらお義兄様にほとんど会えなくなってしまう。これからお姉さまに子が産まれるのだから、そうなればお義兄様はお姉さまとより仲睦まじくなさるだろう。きっと邸にいない私のことなどすぐに忘れてしまうだろう。
義兄が私を忘れてしまうかもしれない。そう思うと今までよりももっと心の奥がずきずきと痛みだした。こんな気持ちでこの邸を離れる事なんて考えられない。そんなこと私に耐えられるとはとても思えなかった。
それが分かるとこんな夢を見たこと自体が癪に障り、私はこの夢のことを頭から追い払った。
しかし、後々思うにどうしてこの時、思い切って真剣に宮仕えのことを考えなかったのかと悔まれた。この時は私もまだまだ若かったのだから、宮中に入れば人付き合いも上手くなり、もっと運に恵まれ、継母とも更に親しく出来たかも知れなかったのに。まったく我が心ながら甲斐のない事であった。
おかげで毎年春がやって来る度に私は、宮様の邸に咲く桜を眺めてはこの夢を思い出して、後悔の念に駆られることとなった。
咲くと待ち散りぬと嘆く春はただわが宿がほに花を見るかな
(桜が咲きそうだと待ちわびて、それが散ってしまうと嘆く春の間は、
まるで自分の桜のような気持で宮様の桜を見ている)
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『三月つごもりがた、土忌に人のもとに渡りたるに、桜さかりにおもしろく、今まで散らぬもあり。帰りて、またの日、
あかざりし宿の桜を春暮れて散りがたにしも一目見しかな
と言ひにやる』
(三月の終わり頃、土忌のためによその家に移っていくと、その家の桜が盛りを迎えていて素晴らしく、もう散ってもおかしくないのに今まで散らずにいる木もあった。自分の家に帰ると、翌日に、
飽きる事がないほどのあなたの家の桜を、春も終わろうとする中、
散り際に一目見る事が出来ました
と詠んで贈って差し上げた)
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桜と言えばこの年の春に私は素晴らしい桜を目にする事が出来た。その春、姉のいる対屋はもうすぐ子供も生まれるので何かと騒がしくなるだろうからと、私のために邸に新たな対屋を立ててくれることになった。姉の子供が生まれ次第工事を始めようと考えたが、どう占っても方角が良くない。やむなく私は知人の邸に「土忌(地の神のいる方角をやむなく工事などしなくてはならない場合、一旦よそに移動して方角が変わったことにして災厄を逃れようとすること)」させてもらう事にした。その邸は桜の木が多いことでちょっと有名な邸だった。
行ってみるとその桜はまさに盛りを迎えていて、ハラハラとその美しい花弁を散らし始めている所だった。三月も終わりのことなのですでに散りきってしまっていてもおかしくなかった(旧暦の三月下旬)のに、その邸にはまだすこしも散っていない木さえあった。こんなに美しく桜が咲いている時にこの邸を宿に出来たのはまったく幸運だったと思う。
土忌が終わり、私は自分の邸に帰ると早速その邸の主に歌を詠んで贈った。
あかざりし宿の桜を春暮れて散りがたにしも一目見しかな
(飽きる事がないほどのあなたの家の桜を、春も終わろうとする中、
散り際に一目見る事が出来ました)
前の年の春は私にとって色々あった季節なので、桜が咲いては散っていくのを見ると心がさまざまに動かされてしまうようであった。
継母の出仕先はこの時の帝、後一条帝の中宮であった威子のもとでした。この継母の血筋『高階家』は中宮定子の母、貴子など漢詩や文学に優れている家系です。継母自身も『後拾遺集』に歌が入集するほどの有名歌人でした。彼女は孝標と結婚前にすでに宮仕えの経験がありますから豊かな才能と手慣れた仕事で信頼を得て、順調に時の帝の中宮に仕える事が出来たのでしょう。彼女のような人と多感な少女期に心を通わせる事が出来たのは、やはり主人公にとって素晴らしい事だったでしょう。孝標との離別後も日記に継母について触れている所を見ると、彼女の存在が主人公にとってどれほど心の支えとなっていたのかうかがえます。
宮仕えへの憧れを示すような夢を見ながらも受領の娘で田舎育ち、都なれしていない主人公は自分が行動を起こすことにためらいを覚えたようです。主人公が宮仕えに出るのはずっと後年になってからのこと。その間にすっかりその心は委縮気味になり、大勢の人々が切磋琢磨する宮家に上がってもあまり社交術が身につかなかったようです。後年そのことで苦労した主人公は、「あの時ためらわずに出仕していれば」という思いがあったのでしょう。この後主人公はますます世間に出にくい状況に追い込まれますから。
ここでは陰陽道という占いによる「土忌」のためによそに宿を求めていますが、この時代はさまざまな「方違え」という占いの凶方を避けるための移動がおこなわれていました。それが災厄を避けるだけでなく、貴族同士の交流にも一役買っていたようです。『源氏物語』にも「方違え」先で起った出来事が描かれ、話に華を添えています。