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いまたち

『年ごろ遊びれつる所を、あらはにこほち散らして、たち騒ぎて、日の入りぎはの、いとすごくりわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつゝぬかをつきし薬師仏やくしぼとけの立ち給へるを、見捨て奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ』


(長い間遊び慣れた家なのに、すっかり開け放され、壊され、大騒ぎして、準備が終わるころにはもう、日が暮れかかっていた。とても霧の濃い夕暮れ時だったが、いよいよ邸を離れようと車に乗り込んだ時、振り返って家の中を見渡すと、今まで人のいない折を見ては、こっそりとお参りして額づいて祈りを捧げていた仏間の薬師仏様が、立っておられるのを見てしまうと、お見捨てして行かなければならない事が悲しくて、人知れず、泣かずにはいられなかった)



  ****


 京にもどるのが嬉しい私とはいえ、その邸は幼くして父に連れられやってきた上総の地。長い年月を過ごした思い出の邸だった。離れるとなればやはり寂しい思いもあったし、しとみ(跳ね上げ式の雨戸)や建具もすべて開け放たれ、御簾みすもすべて外され、ものが運びやすいようにと色々なところが壊されてどんどん様子が変わり、がらんとなっていくのを目にするのは、やはり物悲しかった。


 この日を迎える前に家司けいし(執事)の「こけら」と私達が呼んでいる者と継母が、家の几帳きちょう(間仕切り布)の大きい物や、立て障子(衝立)、屏風や棚などを上質な絹や麻布などにどんどん換えていた。だからそれでなくても家の中は物も少なく殺風景だったのに、今となっては代わりに張られていた幕なども外されてしまった。持って行ける物は皆荷造りされ、薄縁うすべり(置き畳)なども運ばれてしまう。風が吹いては庭から木の葉などが舞い込んで、人が出入りを繰り返すために埃などもたち、まるで廃屋のような姿になってしまっている。


「ああ、霧が濃くなってしまった。もう日も暮れます。姫君方は早く車にお乗りください」


 私が物悲しい思いで家の方を見ていると、こけらがそう言った。

 こけらと言うのはもちろん私達が勝手につけたあだ名だ。この小柄な年配の家司けいしはとても気が利いて、いつも邸の中をあちこち回って立ち止まっては細々と仕事をしている。私と姉が、


「まるで木から木へつついて回る、ケラ(キツツキの古語)の子みたい」


 と笑ううちに、いつの間にかそれが彼の名のように呼ばれてしまい、皆が働き者の彼のことを「こけら」と呼んでしまっていた。でもそれは決して彼を軽侮しているのではなく、誰もが「こけら」に親しみ、頼りにしているからこそそう呼ぶのだ。実際彼には頼み事や相談事が色々な人から舞い込んでいるらしく、こけらも実直に世話を焼いていた。それが彼の動きを余計せわしなく見せているのだろう。


 実は私の父にもそういう所があって、こけらは主人に似た家来と言っていい。でもこけらが言うには、


「本当は殿のような方は、私のように気軽に物を頼まれるようでは便利に使われるばかりで肝心のご出世に関わるのだから、もう少し重々しくあって下さる方がよいのですが」


 と、言う事なのだそう。でも家庭人の父は私たち家族に優しく、邸の者たちからも慕われ、国司としての評判もなかなかいいと聞いている。私は父はこのままで十分なんじゃないかと思っていた。きっと子供だったことと、長く都から離れていて出世争いや任官運動の凄まじさから離れて暮らしたので、気持ちがのんびりしていたのだろうと思う。

 そんなのんびりとした雰囲気の邸の中で、聡明な継母と、しっかりしたこけらが家のことを事細かく切り盛りしてくれていたので、私達は楽しい上総暮らしが出来ていたのだ。


 でも、その日はとにかくその住み慣れた邸を後にしなくてはならなかった。私はこけらに助けられながら車に乗り込む。最後に邸の様子をもう一度見ようと振り返った時、


「あ……」


 私は見た。深い霧の中で、あの、こっそりと通い詰めた仏間に、薬師仏様がたたずむ姿を。

 まるで廃屋のようになってしまった母屋の中に、仏様だけがぽつんと取り残されている。


「こけら。あの、薬師仏様はどうなるの?」


 私の身の丈ほどもある仏像を、旅路に持って行くはずがない事だけは私にも分かっていた。


「ああ、良いお顔の仏様ですからね。近所の寺が是非ご安置したいと言って来たので、後で寺の者に取りに来るように言ってあります。大丈夫です。土地の者が大切にしてくれることでしょう」


 こけらは私に安心させるようにそう言うと、荷物の確認に父や兄のもとへと走って行った。この仏様にお願いをしていたから、こうして京に戻る事が出来たのかもしれないのに。肝心の仏様を置いて行かなくてはならないなんて。

 私は何ともしんみりとしてしまい、車が動き出してからも継母や姉に気付かれぬように、こっそりと目ににじむ涙を袖で拭っていた。


 しょんぼりとしてしまった私に、継母が、


「そうそう、さっきは出発の騒ぎで取り紛れてしまったけれど、あなたの乳母が無事、赤子を出産したと知らせがありましたよ」


「え? ほんとう?」私の涙はすぐに乾いてしまった。


「ええ、『まつさと』の舟待ちの仮屋に着くと、すぐに出産したんですって。送って行った者が出産が始まると言う事で穢れに触れぬようにこちらに向かったのだけれど、すんなりと産まれて知らせが追いかけてきたそうよ。安産だったようね。よかったわ」


 継母がそう嬉しそうに言うのを聞いて、私もホッとした。何と言っても私に乳をくれて、大事に育ててくれた人だもの。『まつさと』に私達が着く時はまだ産後のけがれが済んでいないだろうから、会えるのは京に着いてからだけど、そうしたら精一杯ねぎらってやらなくては。夫のいない中たった一人でのお産は、とても大変だと聞くから。


 安心したら早く最初の目的地に着きたくなった。普段でも邸の近くしか知らない私なのだから、これから都に向かうのだと思うと、やはり胸がドキドキとしてくる。でもすぐに本当に旅立てるわけではない。陰陽師おんみょうじの旅立ちに適した日と言う時まで、これからの長旅の準備をしながら待たなくてはならないのだ。その、準備をするための所を『いまたち』と言う。私達はまず、そこを目指していた。


  ****



『門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋かややの、しとみなどもなし。すだれかけ、幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。東西ひむがしにしは海ちかくていとおもしろし』


(邸を出て最初に辿り着いた所「いまたち」の宿は、壁や回りを取り囲む蔀のような物も何もなくて、床と茅葺かやぶき屋根だけの、吹きさらしの本当に仮の宿だった。そのままでは暮らせないので、建物にぐるりと簾をかけ、その内側に幕などを引く。南側には遥か向こうまで原野が広がっているが、東と西には海が近くにあるので、とても風流なたたずまいだ)


  ****



 私達がいまたちに着いた時、すでに辺りは真っ暗だった。車が止まり、こけらと私の兄が松明たいまつ片手に建物の様子を見に行ったようだ。


「ああ、これは手をかけないと荷物も下ろせないな」と兄のあきれたような声が聞こえる。


「すぐに火を焚いて掃除をし、幕を引かせましょう。下女達には食事の支度をさせます」


「頼む。私と父上は荷をほどき明日の準備をするから。まったくひどい有様だな。我々が京から下った時に使ったきりなのではないか?」


「仕方がありませんよ。このような東国あずまのくにで他国の来賓を迎えるようなこと、今ではありませんから」


 そしてこけらがなんやかやと人々に指示を出す気配の後、私達の車の方に寄って、


「申し訳ありませんが、女君おんなぎみ方はもうしばらく車にてお待ちください。窮屈ではございましょうが、すぐに支度させますので」と声をかけてきた。


「わたくし達は大丈夫よ。お前達の方こそ疲れている所を悪いわね」


 継母はそう言ってこけら達をねぎらった。


「いえ、役人に殿のご命令を果させられない私の不徳が原因ですので」


 こけらの真面目腐った言葉に継母は「ふふ」と笑い、


「こんな国境くにざかいまでくれば、国司の言葉も遠く聞こえなくなるものよ。京からの旅路の時もずっとこんな感じだったわ。それに殿はもう、国司ではないのですからね。急がなくていいわ。これも旅のあわれと言うものよ」そう言って私達にもほほ笑みかけた。


 こけらは律儀にまた「申し訳ございません」と謝って、慌ただしく去って行った。きっとこけららしくあちこちに指示を出しながら、使用人たちに手を貸しているに違いない。


 私達は思っていたより早く車から降ろされた。とにかく私達がくつろげる場所だけ、急ぎ張り巡らせた幕の中に用意したのだろう。まだすこし埃の匂いは残っていたが、床は拭き清められ、薄縁が敷かれ、几帳が立てかけられていた。継母はそこに座ると旅先の事なので脇息きょうそく(肘をつくための道具)がわりに櫛箱くしばこ(化粧箱)によりかかりくつろいでいたが、私はなんだか回りが騒がしくて落ち着かない。間もなく私達の分だけ食事も用意されたが、それも決まりが悪かった。


 私達姉妹が戸惑って箸をつけずにいると継母が、


「二人ともお食べなさい。私達がくつろがずにいると彼らは気を使って、いつまでも忙しくしていなければならないの。私達のすべきことは、彼らの仕事の邪魔をしないことよ」と言う。


 私達は慌てて食事に手をつけたが、気が高ぶっていて気付かずにいたけれど本当は空腹だったのだろう。ごく簡素な食事にもかかわらず、思いのほか箸が進んだ。それを見た継母はにっこりとほほ笑むと、


「しっかり食べて、今夜は早く寝ましょうね。そして朝になったらこのあたりを散策に出かけましょう。海が近い場所だから、きっと美しい景色を楽しめると思うわ」


 と、幼い連れ子に、連れ子の乳母と共に食事を与えながら言った。


 食事を終えて身を伏せると、思っていた以上に疲れが襲いかかってきた。周りはまだ騒がしく、近くに父や兄、こけらの声が聞こえたが、私はあっという間に眠りこんでしまった。


  ****



『夕霧たち渡りて、いみじうをかしければ、朝寝あさいなどもせず、かたがた見つゝ、こゝを立ちなむ事もあはれに悲しきに』


(この地は夕霧が立つ時なども、大変風情のある場所なので、朝寝をするのも惜しくて、方々を探索して回った。だからここから旅立って行く事は、しみじみと、悲しくさえ感じられた)


  ****



 目が覚めるといつもと様子が違うなあと、ぼんやり寝ぼけた頭で思った。そして素朴な建物の様子に、「ああ、ここはいまたちだった」と思いだす。起き上がると継母や姉も目を覚まして、約束通り周辺の散策に出かけることになった。女だけでは頼りないからと、兄も一緒に行くことにする。


 幕を出ると昨日の埃っぽさはすっかり無くなっていて、床も柱も綺麗にふき清められていた。壊れて外れたのか、蔀や遣戸やりど(引き戸)の一つもなく、あけすけな建物に今はぐるりとすだれが掛けられていた。庭らしい庭もなく、南側には遥か彼方まで原野が広がっており、東と西は海に囲まれているそうだ。私が市女笠いちめがさ(女性が顔を隠すために被る薄衣をかけた笠)をかぶっていると、


「少し歩けばすぐに浜に出られるから、そこに行こう」と兄が言った。


 なるほど、ほんの少し歩くとすぐに砂浜に出られた。天気が良いので何処までも海は青い。白い砂浜がずっと続いていて、朝の風が潮の香を運び、鼻をくすぐった。

 少し先を行く兄は継母の幼い連れ子と波にたわむれ、継母は連れ子の乳母と話をしていた。私と姉はゆっくりその後を追って波打ち際を歩いて行く。


「いい気持。朝寝しないで出てきてよかったわ」私が思わずそう言うと、


「お義母かあ様はみんなの邪魔にならない様に、私達を散策に誘ったのではないかしら? 掃除は済んだようだけど、まだまだ解いた荷は片付いていないようだったし。ここでまた使用人を減らして、荷運びの人や護衛の侍人さむらいびとを集めなくてはいけないのでしょう?」


 そう言えばそうだ。父もここで十日以上滞在しなければならないだろうと言っていた。


「少し、ゆっくりして行った方がいいわね。この美しい海を楽しみましょう」


 姉はそう言って海をまぶしそうに見つめた。私も同意して今度は波が寄せ返しては洗う、砂浜に目を落とす。


「あ、お姉さま。ここに綺麗な貝殻が」私は思わず声を上げて拾った。


「まあほんとう。あ、こっちにもあるわ」姉も夢中になって貝を拾う。


「ここには小さいのも。……お義母さまあ! みてー! 美しい貝殻があります」


 私は継母を呼び、皆で貝殻を拾うのに夢中になった。



 その後父や兄、こけら達は忙しそうな日々を過ごし、その間私や姉は継母の連れ子と共に海辺での日々を満喫していた。時には貝殻を拾い、時には波とたわむれ、時にはただ黙って波の音に耳を傾けたりした。そして晴れた日の明るい海も、曇る日の海鳥が鳴く悲しげな海も愛した。特にこの地の夕霧は格別に美しく、幻想的であわれ深かいので、余計に愛さずにはいられなかったのかもしれない。

 そんな風に楽しく過ごしていたので、日はあっという間に過ぎて行った。そして浜で遊び、いつものように茅葺の宿に帰ってくると、父が私達を待っていて、


「おお、ようやく準備が整ったぞ。あさっての十五日に出立だ」


 と父は安心したように言ったが、ここにすっかり慣れ親しんでしまった私には、ひどく寂しく、悲しくさえ思えてしまった。






作中に出て来る「こけら」と言う人物は私の創作上の人物です。

この主人公の父、菅原孝標は私の中ではお人好しなイメージがあります。菅原家は文学に長けた家系ですが、何故か孝標は文学の才にはあまり恵まれなかったようです。本人も途中でその道はあきらめ、身入りの良い受領(国司)の道を選んだようです。


しかし、当時の受領と言うのは、要領よく立ち回ればかなりの財を築く事が出来た一方で、そういう事が下手なお人好しでは、身銭を切って朝廷に払う羽目にもなり、それなりの立ち回り方が求められました。


孝標はあまり出世していませんし、勤めた任国で民が苦しんだ様子もなさそうです。かといって、この一家が貧窮している様子もありません。


そこで私は孝標を支える優秀な家司(執事)がいたんじゃないかと考えました。

お人好しな主人に国司としてうまく立ち回るコツを教え、何より自分が仕える家が傾かない様にそれなに最低限の財だけは確保したんじゃないかと。


孝標の息子は無事に博士になっていますし、元上司の藤原行成は出世しているので、なんだか孝標は裏方気質のお人好しのような気がします。

孝標自身もこの後家司を務めた事もあるようです。優秀な家司を使っていたのなら、彼自身もそのコツをつかんでいたことでしょう。


そんな訳で私は「こけら」と言う人物を、創作上の人物なのであだ名だけで登場させました。

これは私の創作色の濃い作品として、ご理解願えればと思います。


「いまたち」と言う場所ですが、これは現在の千葉県市原市馬立の古名とする説、後から新しく(今)建てた国司の別館とする説、ここから旅立つと言う事にかけた文学的表現で「今発ち」とする説があります。この作者はこう言った独特の文学的表現を好んで使う事が多いので、建物か、土地の呼び名にわざと「今発ち」の言葉をかけた可能性は高いと思います。大変感性の優れた人だったことがわかりますね。


ちなみに、今建ち説の場合は「いまたち」の場所は同じ市原市にある「飯香岡八幡宮」周辺だったと言う説があります。


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