御仏のお告げ
『はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず几帳の内にうち臥して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ』
(読みたい心を走りに走らせながらこれまで僅かに読むだけで、心満たされずにいた源氏の物語を初めの一の巻より読み始め、人も近づけずに几帳の内にこもって臥せったきりで、櫃から引っ張り出しては読んで行く時の気持ちと言ったら、后の位でさえ何だと言うのだろう)
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邸に帰りついた私は転がるように車を降りると、おばから頂いた物語を出迎えた女房にせかしながらいつもの居場所の几帳の内に据えさせた。そして問答無用で人払いをした。
はしたないかもしれないけれど重ねた衣を何枚か脱いで出来るだけくつろいだ格好になり、冊子を読むのに邪魔になりそうなものはすべて身の回りから遠ざけてしまう。
さらに決してここから動くものかと心に決めてその場に伏せると、いよいよ櫃を開けて『源氏物語』の第一巻目を手元に引っ張り寄せた。これから憧れの光君や薫君の物語を、途中で途切れたり、先の分からないもどかしい思いをせずにすべて読むことができるのだ。
少しの緊張と共に冊子をめくる。夢に出て来る時と変わらない状況に、
「もし、今度も夢なら覚めずにいて欲しい」と願う。
しかし、これは夢ではなく現実で、私の眼には確かに物語の文字が飛び込んで来た。それからは我も忘れて夢中になって読み続ける。
光君と称される美しい貴公子「源氏の君」は、帝の皇子でありながら源氏として臣下に下られた方である。光君の母上は「桐壺の更衣」と呼ばれ、宮中では「女御」などと呼ばれるような方々と比べて少し立場の劣る方であった。
にもかかわらず誰よりも時の帝の御寵愛を受けたために、陰に日向に陰湿ないじめに遭われてしまう。ついにはそれがもとで御病気にかかられて帰らぬ方となってしまわれた。
しかし帝は亡くなられた「桐壺の更衣」が忘れられず、その方に御容姿がそっくりな先の帝のご皇女を新たに宮中にお迎えになった。その方は帝の御寵愛を一身に受けるようになる。「桐壺」の忘れ形見である光君は父帝に中宮(帝の后)の子である東宮(皇太子)よりも愛され、光君は自分の母に似ていると言う「藤壺の宮」と呼ばれる帝の寵妃を慕うようになられる。
だが、それはただの思慕では済まない想いへと変わっていく。光君は自分の父である帝の最愛の人に強い恋情を抱くようになり、ついには深い罪と知りながらも逢瀬を遂げてしまう。当然許されざる恋を「藤壺の宮」が受け入れ続ける筈もなく、それからというもの宮は光君への態度を頑なにされてしまう。情熱を持て余す光君は正妻との関係がうまくいかない事もあって、次々と心の熱を冷ましてくれそうな女人を求め、さまざまな恋を経験して行く。
光君は亡くなられた前の東宮の妃であらせられた、今は六条の邸に住まわれている「六条の御息所」と呼ばれている方のもとに通うようになる。その方は光君よりだいぶお歳上ではあっても、趣味や情緒が好ましい人々の憧れの的となっている方だった。光君はその方に「藤壺の宮」の姿を重ねられていた。しかしそのうちに御息所の方が若い光君にのめり込んでしまわれる。光君の若い心がいつ自分から離れるのかと脅えるようになると、光君は御息所を重く感じられるようになった。
そんな中で光君は他の女人との出会いを果たす。都の下町の小路に住む身分低い女人で、光君はその路地に咲く花の名にちなんで「夕顔の君」とお呼びになっていらした。「夕顔の君」は名も身の上も明かさずに、ただ光の君になよやかに寄り添っている頼りなくもはかなげな美女だった。それぞれに互いを狐のようだと思ったり、
「この女人は我が妻の兄『頭の中将』の恋人で、正妻に気兼ねして姿を消したと言う人ではないだろうか?」と勘繰ったり、
「この立派すぎる貴公子は、噂に名高い『源氏の光る君』でいらっしゃるのではないかしら?」
と思ったりしていたのだが、それは口にせずに互いの心を寄せあう関係を続けていた。そんな御息所とは違う身分を気にせずに済むお気楽なお相手に、光君は心くつろがれる思いを感じ、自然と御息所のもとへは足が遠のかれてしまう。御息所は悩ましい嫉妬の炎に身を焼くようになった。
ある夜、光君は「夕顔」を荒れた邸に連れ出して、思う存分に逢瀬を楽しもうとされた。だが、そのようなまがまがしい場所に行ったのがいけなかったのか、心悩ましくされていた御息所の生霊がその邸へと飛んで行き、「夕顔」の命を奪ってしまう。
深く悲観にくれた光君は翌年にわらわ病(子供が良くかかる病気)にかかった。祈祷と治療のために寺にこもったが、その寺で「藤壺の宮」に良く似た、あの幼い「若紫の姫君」の姿を垣間見ることになった……。
……これが「光るの君」の生い立ち。そして「夕顔の君」との出会いや「若紫の姫君」をお見かけしたきっかけだったのね。やっぱり「夕顔の君」は特別だったんだわ。なよやかで欲もなく、けれども光君を温かく包み込んでくれるような人。
御息所や他の方々、若紫の姫君でさえも光君にとっては「藤壺の宮」への想いを埋め合わせるために求めた方々だけれども、「夕顔の君」だけは違う。この方の人をくつろがせてくれる優しさを、「夕顔の君」ご本人の温かい心を、光君は愛していらっしゃったんだわ。
ああ、やはり私の思った通り、「夕顔の君」はあの足柄山で出会った「こはたの孫」といわれる遊女のような人だった。身分は低くてもなよやかに品があって、あんな暗く険しい山中で人々の心を和ませる優しさがあって、一度会うと心に留めずにはいられなくなる、忘れられない人。
そして若紫の姫君は光君の心を曇らせている辛い秘めた恋を知らずに、真っ直ぐ一途に光君を思っていらっしゃるのね。
私はもはや心が逸るどころではなく、心の中だけが我が身を離れ、物語の中へ走りに走ってしまいそうな心地で続きを読み進める。ついに継母に尋ねて分からずじまいだった、光君と紫の上の御結婚の御歌を見つける。
若紫の姫は健やかにお育ちになっていらっしゃった。姫は日ごろから光君と同じ寝具でお休みになられるのが普通のこととなっていらっしゃったが、ある朝、光君が起きてしばらくしても、姫君が寝所から出てこられない時があった。女房達は珍しく御気分が悪いのかと気を揉んでいたが、確かに姫の御気分はうるわしくなかった。枕元には硯の箱が置かれていて中に引き結ばれた文が入っている。姫にとっては昨夜の突然の出来事から立ち直れずにいる思いのまま、それでも文を開いてみると、
あやなくもへだてけるかな夜を重ねさすがになれし中の衣を
と、光君から姫君への初夜の後の後朝の文の御歌が書かれていた。しかし姫は、
「こんなことをしようとする気持ちで、これまでわたくしを慈しんでいてくれていたのだなんて。こんなひどい人だと知らずに、わたくしはなんて愚かだったのかしら」
とすっかり拗ねてしまっていた。しかし光君はきちんと「三日夜餅」まで用意し、懸命に姫の機嫌を取り続けた。
継母がこの歌を「忘れた」と言ったのは、成人間もなかった私に気を使ったのかもしれない。初夜という物が恐ろしく、苦しみを伴うものだと思って私が、
「結婚なんてしたくない」
などと言い出さないように「忘れた」と言って言葉を濁したのかも。
そう思うと継母の心配りや優しさが思い出されて、また涙ぐみそうになる。私はそんな風に心揺らしながら夢中になって『源氏物語』を読みふけった。こんな風に優しい思い出や懐かしい優しさを思い返しながら胸躍るような物語を読むことができるなんて、これまでに味わったことのない幸せだ。この幸せに比べたら女にとってこの世で一番の栄華とされる帝のお妃さまの位だって、私には遠く及ばないと思えるほどだった。
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『昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮船の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、まづいとはかなくあさまし』
(昼間は昼中、夜も目の覚めている間のすべてを灯火を身近にともして、『源氏物語』を読むほかには何もせずにいるものだから、自然と書かれている事をそらんじてしまったのを素晴らしいことだと思っていたのだが、夢の中にとても清らかな僧が黄色い地の袈裟を着た姿で出て来て、「法華経の五の巻を早く習うように」というのを見たのだけれど、それを人に語る事もなく、習おうとも思いもかけず、物語の事ばかりが心の中を占めてしまって、私は今こそまだ美しくは無いけれど、娘盛りになれば容姿もこの上なく美しく、髪もとても女らしく長くなって、光源氏に愛された夕顔や、宇治に別邸を構えた大将の薫の君に愛された浮船と言った美しい女君のようになることができるだろうと思う心は、なんて大変に単純で、考えなしだった事だろう)
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私はまさしく寝食忘れそうなほど『源氏物語』に熱中してしまった。日の明るい内はもちろん、日が暮れて夜が更けても、睡魔に襲われながらも、可能な限り読みふけっていた。
そうまでしても『源氏物語』は私を飽きさせる事のない、魅力的な物語だった。特に安らかな優しさを持った「夕顔」や、数奇な運命から「薫君」と「匂宮」という二人の貴公子からの愛に翻弄され、入水自殺に追い込まれてしまう悲劇の「浮船」という女君は私の心をとらえて離さない。その悲しい儚さと美しさは『源氏物語』に出て来る他の数多くの女君の中でも、私のお気に入りとなった。
あんまり『源氏物語』に没頭しすぎたので、ついには印象深い所の文章を「そら」で思い浮かべる事ができるほどになった。自分でもすごい事だと感心して喜んでいたのだが、そんな私の浅はかさを御仏はお見通しでいらっしゃった。
ある晩、夢の中にいかにも尊く清らかな僧侶がまばゆいほどに黄色い地の色をした美しい袈裟を着た御姿で私の夢の中に現れた。そして私に向かって、
「あなたは一つのことに専念なさると、とても熱心になる事ができるようだ。その素晴らしい御心をもっと御仏のためにお使いなさい。さすれば御仏の素晴らしい慈悲によって、あなたやあなたのご家族の御運もおのずと開けて参りましょう。ぜひ、この世で罪深いとされる女人や悪人でさえも成仏できる、『法華経の五巻』を習いなさい。あなたならすべてをそらんじることも可能なはず。その熱心なお心を、信仰に向けるのです」
そう、お諭しになられる。私も夢の中では、
「ああ、せっかくのこの熱心な心だもの。より良い信仰のために使うのが一番良いと言うものだわ」
と思っているのだが、いざ目が覚めて真っ先にする事と言えば『源氏物語』にかじりついてひたすら読みふけることなのだ。そして私はいつものようにうっとりと夢想する。
もう少し年かさが増して、娘盛りを迎えた私がこの身に余るほどに長く、豊かで艶やかな黒髪を美しく背に引いて、肌は輝くばかりに白くなり、体の線もずっとまろやかに軟らかげになり、すっかり女らしい姿に変わって美しい衣を身にまとっている。
それを私だけの光君や薫君のような人が、想いほとぎらせ、堪えかねたように私のもとへと駆けつける。そしてありったけの優しく美しい言葉をささやきかけてくれるのだ。それを私は喜んで見せたり、拗ねたり、甘えて見せたりするのだ。
こんなことばかりに私は何の戸惑いも憂いもなく、ただ、たわいなく憧れてばかりいた。その心の浅はかさに気がつくには、私はまだすこしばかり幼かったのだ。
原文の『はしるはしる、わづかに見つつ』を私は主人公の逸る心の様子として訳しました。他に『これまでは飛び飛びに読んでいたので』と訳されたり、実はこの冊子は頂いたのではなく借り物なので『急ぎに急いで、おおざっぱに読んで』と訳されるなど、諸説あるそうです。
『源氏物語』のくだりに出て来る宮中での女性たちの身分ですが、最も高いのは帝の正妃である「中宮」という立場です。さらに「中宮」が男子を産み、その子が次の帝となればその「中宮」は「国母」と呼ばれ、女性としてこの世で最高の地位となります。
「藤壺の宮」のようにもともと宮家の人間が宮中に入内してもその地位は高いものです。入内後は後ろ盾となる実家の親の権威がそのまま宮中にも影響しました。ただし、帝の寵を得るのが一番の出世になったのは言うまでもありませんが。
「中宮」の次に高い地位にいるのが「女御」と呼ばれる、親の実力や権力に恵まれた家の出身の女性たち。そしてその下に「更衣」と呼ばれる人達がいました。他にも宮中のさまざまな業務を司る女官の中にも地位の高い高官がいて、そう言う女性たちが帝をめぐって寵を競い合っていたのです。「桐壺の更衣」は「更衣」の身でありながらそう言った人達以上に帝に愛されてしまったので、他の人々から嫉妬されてしまったようです。地位が高くなれば責任も実家からの期待も大きくなりますから、低い地位の女性に競い負けたとあっては面目が立たなかったのでしょう。
「中宮」や「東宮妃」以外の帝の寵愛を受けた宮女は「御息所」と呼ばれました。当時は女性の名が書きしるされると言う事はなく、その人の身内や夫の役職名で呼ばれたり、その人が住んでいる場所の名で呼ばれるのが常でした。ここに出て来る「桐壺」「藤壺」というのは宮中にある部屋の名で、「桐壺」に部屋を与えられた「更衣」なので「桐壺の更衣」、「藤壺」に部屋を構える「宮様」なので「藤壺の宮」と呼ばれているのです。「六条の御息所」とは都の六条と呼ばれる所にある邸に住む、今は后ではなくなったがかつて帝の寵愛を受けた方。「御息所」という意味があります。
そんな女性たちが人生をかける結婚は三日がかりで、初夜と二日目の夜は(しきたり的には)人目を忍んでおこなわれ、初夜を過ごした翌朝には「後朝の文」と呼ばれる和歌を男性は贈らなくてはなりませんでした。そして三日目に美しく飾られた餅を互いが食べることによって、正式に婚儀が行われたことを人々に知らしめることができたんです。「若紫の姫君」は特殊な事情からできませんでしたが、本来ならこの三日目の夜には「所顕し」という宴会が行われ、婿君のお披露目がされます。これがきちんと行われなければどれほど深い関係が長く続こうとも結婚は認められず、愛人関係とみなされます。「源氏の君」は身分高い「六条の御息所」とは正式に結婚せず、「若紫の姫君」とは「所顕し」こそできなかったものの、最低限の結婚のしきたりを守ったんです。
主人公が夢に見た僧が言う「法華経の五巻」というのは法華経の中でもとくに重要視された部分でした。この頃、女性というのは存在そのものが罪深いという考えが一般的でした。その中で法華経という教えは『法華経を信仰すれば女性や罪人でも成仏できる』と説かれていて、その教えが書かれているのが五巻目にあたりました。ですから女性にとってはとても大切に考えられた教えだったんです。少女とはいえ、もともと信仰に関心の高かった主人公ですから、この夢はとても気になったことでしょう。それでも物語好きな主人公は『源氏物語』の魅力にはあらがえなかったんですね。