おばのお土産
『いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せたまへ」と、心のうちに祈る。親の太秦にこもりたまへるにも、ことごとくなくこのことを申して、出でむままにこの物語見はてむと思へど見えず。』
(物語が手に入りそうもないのでとても心もとなく、物語が恋しく思えて仕方ないので、
「この源氏の物語を、一の巻から全部私に見せて下さい」と、心の中で祈っていた。
親が太秦の寺にお籠りに行くのについて行っても、とにかく何よりもこのことをお願いして、寺を出ると源氏物語を全部読んでしまおうと思うのだがやはり読めない)
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感情を取り戻した私が求めるものは、やはり『物語』であった。一度はどうしようもないほどに空っぽになった心なので、物語を求める心は前よりもより一層強くなってしまっていた。
頭では、
「まだみんな都に慣れていないのだから。人づてに頼めるような相手もいないのだから」
といい聞かせては見るものの、心の餓えは日々増すばかり。しかし現実的に私は物語を手に入れる方法を思いつかずにいた。仕方なくただ一心に、
「この、源氏の物語を一の巻から全部、光君が生まれたいきさつから夕顔の君が亡くなる所、紫の上のゆかりのお話、宇治の橋姫たちや浮船の君のお話まで、全部を私に読ませて下さい」
と祈り続けていた。物語にまつわる上総の優しい思い出に心慰められていた私だったが、そのうち物語そのものに入り込むようになり、頭の中がいっぱいになってしまっていた。
物語の話をしたくても父や母では相手になってはくれない。姉は結婚したばかりで傍周りの使用人の数も増えたりしているので近づきにくい。兄は大学寮に行ってしまって西曹と呼ばれる寄宿舎住まい。普段は邸にはいなかった。
それに私は孤独も感じていた。私は上総でそれまで共に過ごした「行儀見習いを兼ねて仕えている」女童の少女たちとも別れていた。継母とも引き裂かれ、姉は急に大人になってしまった。
もちろん以前都にいた時に仕えてくれていた少女たちを、母はまた私づきの女房として呼び寄せてくれていた。だが彼女たちとは四年近くも時を隔ててしまい、懐かしい子供の頃を偲ぶ事は出来ても今の心の想いを上手く分かち合う事は出来そうもない。そうするには時が流れ過ぎていたのだ。
何より彼女たちはもともと母が選んだ女童の娘たち。性質も母の好みに合っていて、大人しく従順で古風な好みをしている。そんな彼女たちが自分の主人である私と意見を交わしたり、自分の感想を述べるなんて事は無い。私の言葉をただ大人しく、
「ほんに、さようでございますね」
と頷き返すしかしない人達なのだ。よく働くし、心配りもできる見た目も美しい良い人達なのだけれど、私はきらびやかな衣装をまとった少女達に囲まれかしずかれながらも、いつも一人で放っておかれているような気持になってしまった。
元気は取り戻したものの、だんだん不機嫌になっていく私に気がついたのは、やはり私に甘い父だった。ある日父が、
「太秦の寺にお籠りに行くが、お前もついてくるかい?」と聞いた。
「お寺詣り? 私も行っていいの?」
「お前がずっと望んでいる『源氏物語』もなかなか手に入れてあげられないからね。傍周りの若い女房もあまり気があっていないようだし。このところ大君の結婚のことで大君にばかりかかりきりで、お前に目が届いていなかった。どうだね? 気晴らしに」
私は二つ返事でついて行った。もちろんお寺で「源氏物語を読ませて欲しい」とお願いしたかったからでもあるし、何より気にかけてくれた父の気持ちが嬉しかった。母も気にかけてはいるのかもしれないけれど、邸を出てお寺に参詣するなんて、古風な母には考えもつかなかったことだろう。
私の乳母までも奪い去った流行り病は、春が終わると共に終焉を迎えたらしかった。初夏の日差しの中で都はすっかり平常を取り戻し、車の御簾越しに見る大路には沢山の人が行きかっていた。寺も結構込んでいて、建物の横には参詣する人々の車がぎっしりと立てかけられている。
「これでも随分落ち着いたのだ。少し前までは病気平癒や罹患を免れたお礼に殿上人などのやんごとなき方々が多く訪れて、局(籠るための部屋)もいっぱいだったそうだ。そんな時に来ても、乱暴な従者に追い出されでもしたらたまらんからな。お参りの時期にも身分相応という物があるのだろう」
父はそう言うがそれでも寺に人は多く、その喧噪も邸の奥にこもりきりだった私には珍しくも面白い。それにこんなに多くの人が訪れる寺ならば、いかにも御利益がありそうに思えた。
もちろん父は無事に都に戻れたことや、家族に病魔が襲わなかったこと、姉の結婚が無事に済んだことなどにお礼をし、これからの家族の安寧や、自分や兄の出世を祈ったのだろう。本当なら私もそうするべきだった。
けれど私が願ったのは、ひたすら「源氏物語を全部読ませて欲しい」という事だった。一応御仏の前に来るまでは車の中で、姉の事や兄の事、父や母の幸せを祈らなくてはと思っていたのだが、実際その場に来ると頭の中は自分の願いしか浮かばなくなってしまう。全く私は業が深く生まれついているらしい。父が、
「良く、お願いをしたかい?」
と聞くので、申しわけないやら情けないやらでいたのだが、ふいに父が知り合いを見かけたと言って私を几帳の陰に隠してしまう。
「これは御無沙汰しておりました。いつ京にお戻りだったのでしょう?」
相手の人のかしこまった声が聞こえる。
「正月前に。そちらは?」
「主人ともども先月戻ったばかりでございます。まだ落ち着かず御挨拶が遅れて申し訳ございません。主人にも伝えておきましょう」
「いや、身内のことだから慌てなくても。『御都合のよい折にでもお越しください。後で文なども書きます』とお伝えください」
相手は丁寧に頭を下げて去って行った。誰かと父に聞くと、
「お前の『おば』にあたる人に仕えている使用人だよ。あちらも田舎に行っていたのだが、最近都に戻られたらしい。いずれお前も挨拶した方が良いだろう」と言った。
こうして寺で一夜を明かし、朝にはもう一度「源氏物語が読めますように」と更にお願いをして寺を後にした。あんまり懸命に祈ったので寺を出るとすぐにも物語が読めそうな気がしていたのだが、もちろんそんな事は無い。邸に戻っても現状が変わることは無かった。
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『いとくちをしく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所にわたいたれば、「いとうつくしく生ひなりにけり」などと、あはれがりめづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくしたまふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せりかは、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一ふくろとり入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや』
(とても悔しく思えて嘆いていたが、おばにあたる人が田舎より上京した所に親が私を訪ねさせたので、おばは、
「とても可愛らしくお育ちになられましたね」
などと、感心したり懐かしがって、帰り際に、
「何を差し上げましょう。実用的な物は、相応しくありませんね。情緒ある物を差し上げます」
と言って、『源氏物語』五十余巻を櫃に入れた物をそのままと、『在中将』『とほぎみ』『せりかは』『しらら』『あさうづ』などの物語を、一袋に入れてくれて、それを手に入れて帰る気持ちと言ったら、嬉しくてどうしようもない)
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やっぱり望みは叶わないのかととても悔しく思い、どうして都の片隅に暮らしていながらこんなに物語が読めないのかと嘆き暮らしていると、またもや父が声をかけて来た。
「先日太秦の寺で言ったお前のおばさんの事なのだが、こちらの邸に来ていただくには少し日がかかってしまいそうなのだ。あまり挨拶が遅くなるのも身内とは言え失礼な事だし、こちらから伺う事にした。お前はおばさんとはもうずっと会っていなかったのだからこの折に御挨拶に伺いなさい。身内があまり長く疎遠で居るのは良くないからね」
そう言って私に見苦しくないようにきちんとした装束を身につけさせ、おばのもとへと連れて行ってくれた。おばは私に会うなり、
「まあ、懐かしい。こんなに大きくおなりになって」と喜び、
「すっかりお可愛らしく、姫君らしくなられましたね。これからどれだけお美しくなられることでしょう」
と、しきりに私を褒めてくれた。こちらは恐縮するばかり。
おばはとても明るく、おしゃべり好きな人のようだった。私とも気が合うようで、その事もおばは喜んでくれた。もちろん私も嬉しくて、互いの暮らした田舎での出来事や旅のあわれなどを語りあい、物語の話もする事が出来た。おばはとても私を気に入ってくれて帰り際に、
「お土産を差し上げたいのだけれど、何がいいかしら? こういう楽しい訪問を受けてのお土産に実用的な物を差し上げたのでは『物の栄え』になりませんね。何か楽しいものを差し上げたいわ。絵巻物がいいかしら? それとも歌集? 物語? なんでも欲しいものをおっしゃって」
私は心臓が突然跳ね上がった。息も止まりそうな思いで、
「出来たら、物語を……」と興奮のまま言う。
「あなたは光君や薫君に憧れていらっしゃったわね。旅先の伝説のお話も楽しかったし、伊勢物語にもお詳しくていらっしゃるわ。ぜひ、私の持っている物語をお持ち帰りになって。きっと楽しんで頂けるでしょう」
そう言うと、なんと、あの源氏物語を五十余巻、すべてもれなく揃って櫃(上蓋の付いた大型の木箱)に入っている物をそのまま私にくれた。しかもそれに添えて、
「あなたのお好みに合うでしょうから」
と言って、『在中将(伊勢物語)』『とほぎみ』『せりかは』『しらら』『あさうづ』などの物語を見つくろっては一つの袋に詰めてくれる。
「こんなにたくさん!」私はさすがに驚いたが、
「遠慮なさらないで。私も物語は好きで全部書き写してしまっているから。それにあなたが話して下さった旅のお話の方がずっと楽しかったわ。『浜野の長者』『竹芝』『富士川』。どの伝説も都では知られていない貴重で興味深いお話ばかり。こんな素晴らしいお話のお礼には足りないくらいですよ。あなたがお帰りになったら忘れないうちに書き記しておかないと」
そう言ってこちらの従者に持たせると、慎重に運ぶようにとしっかりと言い含めている。私はこれ以上言いようがないほど、少し支離滅裂なお礼を言って興奮しながら車に乗った。その時の気持ちをどう言葉に表してよいのやら。まさにこの身がそのまま天に昇ってしまうのではないかというほど、ふわふわと心も空になってしまっていた。
ああ、やはり御仏の御利益は尊いわ。きっと太秦の仏様が私をおばさんとの出会いに導いて下さったんだわ。
私は無邪気に喜んだ。よく考えれば寺での出会いは偶然としても、父が私をおばのもとに連れて行ってくれたのは、おばと私が気が合うだろうと父と母が気を使っての事だったに違いない。
もしかしたら物語などの若い娘が喜びそうなものを用意して下さるように、事前に父がおばに頼んでいたのかもしれない。そんな父母や兄弟の幸せを祈る事もなく、私は御仏のご慈悲を自分に都合よく解釈して喜んでしまっていたのだ。もっと願うべき事は沢山あったはずなのに。
けれどその頃の私は日々の日常に感謝することよりも、目の前の欲求が叶えられることの方が重要に思えて仕方がなかったのだ。実に浅く、幼い考えをしていたものだった。
あくまで私の想像なのですが、都に戻ってもしばらくは作者は孤独だったのではないでしょうか? 彼女の身分ならお傍つきの少女がいたとは思うのですが、そう言う少女が親と離れて長旅をするとは考えにくいですね。子供の頃都で仕えた少女はそのまま都に残っていたでしょうし、上総で仕えた少女とはそこで別れたことでしょう。都に戻ってまた呼び戻したとしても、この年頃の少女の四年間はとても長いものです。今なら小学三年生だった子供が中学生になって再会したようなもの。成長著しい時期だけに離れている時間にできた溝は大きいでしょう。
継母の件がありますから母親との関係も微妙だったでしょうし、作者が悲しみと混乱の中にいるうちに姉は結婚をしたようです。(詳しい記述はありませんが、夏までには結婚していないと後に出て来る姉の二人の娘の年齢が合わなくなります)当時は婿を通わせる通い婚ですから、今のように結婚したからと言って夫婦の関係が安定するとは限りません。契りを交わしても三日間続けて婿が通って来なければ正式な結婚として認められませんし、結婚後も婿が通って来ない「夜がれ」と呼ばれる状態になると世間体が悪いばかりか、状況によってはそのまま離婚もあり得るのです。ある意味、結婚してからの方が気遣いが必要になります。
当然、作者の邸でも姉のことでしばらくは手いっぱいだったことでしょう。でも家族も作者のことを心配していない訳ではなく、物語を手に入れる算段をする一方で彼女の気持ちを晴らそうと太秦に参籠に連れ出しています。当時は女性を人目に触れさせないしきたりがありますから、年頃の姫を外に出すのはお寺をお参りする時くらいしか無かったんですね。複雑な事情がついて回るとはいえ、作者が家族から愛されて育てられている事が良く分かります。
作者はついに『源氏物語』を全巻手に入れますが、このおばさんは随分気前の良い人です。
櫃というのは大型の木箱のことですし、当時の冊子は当然すべてが毛筆による手書きです。今のように細かく印刷された文字ではありませんし、冊子も手で和紙を一枚づつ折って綴じたもの。一冊一冊が貴重なものです。それを五十余巻すべてそろえて櫃ごとあげてしまう。いわば本箱一つ丸ごとレアな連続長編小説を全巻セットでくれたようなものです。
これは治安元年(一〇二一)の出来事なので、寛弘元年(一〇〇四)頃に一部流布しはじめ、寛弘五年(一〇〇八)には紫式部自身の手によって冊子として綴られ始めた(紫式部日記)『源氏物語』が、十数年ほどですでに現在残されている五十四帖と同じような状態で多くの人に読まれていたということでしょう。この記述は『源氏物語』の巻数が記されたもっとも古い記録になるそうです。人の手による書き写しによって広まったことを考えると、本当に驚異的な人気作品であったことが分かりますね。それを丸ごとくれるんですから。
袋(今なら鞄のようなものでしょうか)に詰められた物語ですが、『在中将』というのは『在』の後に空白があり、その横に小さく『中将』の文字が添えられているので「在原の中将」のことを差していて、在原業平中将の物語、つまり『伊勢物語』の事だろうと推察されています。確かにこのおばが作者の関心の高い読み物を用意したと考えると、これは『伊勢物語』である方が自然ですね。
その他の『とほぎみ』『せりかは』『しらら』『あさうづ』は時とともに失われてしまった、わざわざ残されはしなかったけれど、当時の貴族たちが普通に親しんだ物語のようです。残念ながらどんなお話かは今となっては分かりません。一体どんなお話だったのでしょうね。