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清見が関

『富士の山はこの国なり。わが生ひ出でし国にては西面にしおもてに見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青こんじゃうを塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃ききぬに、白きあこめ着たらむやうに見えて、山の頂の少したひらぎたるより、煙は立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ』


(富士の山はこの国にある山だ。私が育った上総の国では西の方に見えた山である。その山の様子などは、とてもこの世のものではないようなものだ。他の山とは異なる姿をしていて、紺青こんじょうを塗ったような色に、雪が消える間もなく降り積もり続けるので、色の濃い衣の上に、白い衵を着たように見えて、山の頂上が少し平になっている所から、煙が立ち上っている。夕暮れになると火の燃え立つ様子も見える)



  ****


 駿河するがの国には富士の山がそびえている。富士は世にも稀なる高さがあって、その高みから天に向かって煙を噴き上げる山として都人にとっても昔から有名な山だった。しかし私にとって富士ははもう少し身近な山でもあった。


 もちろん都から上総かずさに下る時にもこの山の姿を見た。更にこの山は途方もなく高く大きいので私が暮らしていた少し高台にある、上総の国司のやしきからも西の方角に見る事が出来たのだ。とても離れているので目に見える大きさは小さく、手のひらにでも乗りそうに見えてしまい、すぐに霞がかったりちょっと天気が悪くなるだけで見えなくなってしまったのだけれど。


 そして今はその山のある駿河の国から眺めている。上総から見るよりずっと大きく美しい姿をして噴煙を上げている。そう、この山はただ大きいだけではなくその姿も世に稀なほどに美しいのだ。普通の山の青さとは違いもっと紺色に近い色をしていて、膨らんだり偏ったりせず滑らかにまるで女が身につけるの裾のように広がっている。それは山がゆったりと衣を身にまとっているような姿だ。


 それだけでも優美なのにこの山は更に頂上あたりが不思議と平らに整っている。しかもその山頂には絶えまなく雪が降り積もっているのだ。その山の青い姿が裳裾もすそを広げた衣であるなら、この雪の様子は衣の上に羽織った女童めのわらわの白いあこめ(丈の短い上着)のよう。そしてその頂上からは、ゆったりと煙がたなびいているのだ。


「ああ、やはりこの山は美しいわねえ」姉は感慨深そうにそう言う。 


「ええ。この山を一度見てしまうと他の山がかすんでしまうわ。美しいし、こんな姿をしているなんてとても不思議だし。なんだか高貴な感じまでしてしまうわ」


 私がそう言うと姉は、


「山にもし位があるとすれば、この富士の山はきっと一位いちのくらい太政大臣だじょうだいじんでしょうね」


 と言って笑う。


「なるほど。どおりで気品があるはずだわ。あの山は山の太政大臣様なのね」


 そんな事を言って笑い合ううちにも秋の終わりの日は短い。どんどん辺りは夕暮れに染まっていく。富士の山も赤から紫色の濃くなる夕闇に初めは赤く、そして時間と共に暗い色へとその姿を浮かばせて行った。それは息を飲むほどに美しい変化で誰もが見とれてしまうほど雄大だった。やがて山頂辺りは雪をかぶっているにもかかわらず、紅い火が時折見え始めた。人々もそれを目にすると、「おお」とか「まあ」と感激の声を上げる。


「綺麗ねえ。あの火は昼間明るい時は煙に隠れて見えなかったのね。雪が積もるほど寒いはずの山頂から燃え立つ火が見えるなんて。本当にあの山は不思議な山ねえ」


 と私と姉は感心し、幼いちい君などはその山の姿に興奮して大はしゃぎしていた。でもその姿は本当に不思議で美しく面白いので、私もちい君の気持ちが良く分かるほどなのだ。

 そうして私達は今夜の宿となる「清見が関」に泊まった。



  ****


『清見が関は、片つ方は海なるに、関屋どもあまたありて、海まで釘貫くぎぬきしたり。けぶり合ふにやあらむ、清見が関のなみも高くなりぬべし。おもしろきことかぎりなし。田子の浦は浪高くて、船にて漕ぎ巡る』


(清見が関は、片側は海になっていて、関所の建物なども沢山建っていて、まるでくぎで刺し抜くように海の中にまで関の柵が設けられている。富士の山と煙比べのように潮煙が上がり清見が関の浪も高くなりそうだ。その様子は面白いことこの上ない。田子の浦は波が高くて浜辺を行くことができず、舟で漕ぎ巡って行った))



  ****


「清見が関」から見た富士の景色も、とても見ごたえのあるものだった。この関も「枕草子」に書かれている関の一つで、大変美しかった。

 この関は海辺に置かれた関なので、まるで海に沿うように多くの役人たちが詰める建物が立ち並んでいる。海の青い波と立ち並ぶ建物の波がそれぞれに並ぶ様子は独特で面白い。しかもその向こうにあの美しい「山の太政大臣」富士の山があるのだ。


 青い空、青い富士、青い海。三つの青を飾るかのように建物が立ち並んでいる。しかも浜辺の関に相応しく関を囲む柵がここでは海にまで立てられていて、海と浜辺を大きな釘で刺したようだ。


「美しい海に不思議な富士の山、それに珍しい海に伸びる柵をいっぺんに見れるなんて、ここは楽しい所ね」と私が言うと姉や継母も頷いて、特に継母は、


「山道が続いた後だから余計心が解き放たれるわ。ちい君も喜んでいるし。この子も富士の山を見るのをとても楽しみにしていたから」と、ほっとした表情をしている。


「ねえ、海で遊んでいい?」ちい君は早速継母の袖を引いて聞いてくる。


「ええ。でも乳母から離れてはいけませんよ」


 そう言いながらも継母はそのままちい君に海の方へと引っ張られていってしまった。ちい君もよほどはしゃいでいるのだろう。これまで険しい山道が続いていたのだから仕方がない。私と姉もその後を追って、しばらく海を眺めたりして過ごしていた。

 ところが時間と共に風が出て来たと思ったら、だんだん波が高くなってきた。衣を濡らしそうになって皆急いで海から離れていく。するとその波が風に巻き上げられて、あの海の柵に当たっては潮煙しおけむりを上げ始める。それが奥に見える富士の噴煙と重なりあって見えた。


「あら、面白い。まるで海と山で煙を競っているみたい」


 私がそう言うと姉も、


「本当ね。海の煙も風情では富士の山に負けていないわ」と言って面白がる。


「高さでは富士の山が高いけど、大きさでは海の方が大きいものねえ。海も富士の山に負けまいと思っているのかもしれないわね」そんな事を言い合っていた。


 ここは波が高くて海辺を行くことができないからと、田子の浦を舟で漕ぎ渡っていくことになった。ここまで川を船で渡ることはあったが海を舟で渡るのは初めてだ。思いのほか波が高くて乗っているだけでドキドキしてしまう。波で船が揺れるたびに女の私達は悲鳴を上げてしまい、船人に笑われてしまった。


「このくらいはこの辺りじゃ波の内に入りませんよ」


 なんて言っているが、私達には珍しい体験なのだから驚いてしまうのは仕方がない。ようやく陸に着いた時は心底ホッとした。

 


  ****


『大井川といふ渡りあり。水の、世のつねならず、すりなどを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり』


(大井川と言う渡りがある。水は、普通の用ではなく、すり砕いた米の粉などを濃く溶かして流したかのように白い水は早く流れていた)



  ****


 そして川の渡りもある。大井川と言う川だそうだ。ここの水は普通の川の水とは違っていた。とても白く見えるのだ。不思議に思っているとこの川の流れはそれまでと違ってビックリするほど流れが速い。川の水だと言うのにまるで滝のように激しく流れるので、それで白く濁って見えたのだ。


 当然その激しい流れは舟を物凄い勢いで流して行く。川を渡っているのか、川に流されているのか正直分からないほどだ。舟人は器用にその流れの中を少しづつ向こうの岸へと舟を導いていく。しかしそんな渡りなのだから人も荷も少しづつしか渡す事ができない。

 誰もが気が気ではない思いで船に乗り、すべての人や荷物が無事に渡るのを冷や汗の流れる思いで見守った。今までは山で大変な思いをしたが、この駿河の国では水辺で大変な思いをさせられる。


 私も舟に乗るとあらためてその水の白さに驚かされる。まるで米を石臼いしうすですり砕いた粉を、沢山川一面に流し入れたような白さ。そして舟が揺れるたびに飛沫しぶきがあがり、時折見える岩が近づくたびに恐ろしい思いをする。舟人はそれを当たり前の顔でよけたり、岩に竿をついて離れたり、時には足で「とん」と蹴ったりして避けていく。その動きに感心しているうちに気づけば対岸に着いてしまっていた。


「こんな急流を渡る事ができるなんて、舟人と言うのはすごい人達なのね」


 私も姉も感心しきっていたが、他の人たちも同じように口々に褒めている。


「山は富士、海は田子の浦、渡しの舟人の一番はこの、大井川の舟人かもしれないわね」


 姉はそう言いながら舟人に礼も言い労をねぎらっていて、私もあわてて礼を言った。あまりに感心していてすっかり忘れていたものだから、「困った人ね」と継母にも言われてしまった。もちろん他の人々も荷物も無事に渡し終えて、私達の旅は続いて行く。



「清見が関」は静岡県清水市興津の清見寺がその跡だろうと言われています。衣に衵を重ねる衣装は、子どもの衣装だけではなく大人の男性の装束でもありました。ですのでこの場面の例えは富士の勇壮な姿から、男性の姿という説もあるようです。


しかしこの場面の時、この作者は13歳の少女です。数え年ですから今なら小学六年生の女の子。本人もほんの少し前まで幼い少女の装束を身につけ、気軽な姿で遊んでいたことでしょう。

ですから私は身近であっただろう少女の服装を連想しての表現と受け取りました。もし現在なら動きやすいワンピースに丈の短い可愛らしいボレロでも身につけたような姿を連想したのかもしれませんね。

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