遊女との出会い
『足柄山といふは、四五日かねておそろしげに暗がりわたれり。やうやう入り立つ麓のほどだに、空の気色、はかばかしくも見えず、えも言はず茂りわたりて、いとおそろしげなり』
(足柄山と言う所は、四、五日も前から恐ろしそうな深い森に、暗がりとなった中を渡り歩いて行った。しだいに入り組んで行く麓の辺りでさえ空の様子さえも暗く覆う木々にさえぎられて見る事ができず、何とも言えないほど鬱蒼と茂っているので、大変恐ろしげな様子だ)
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せっかく「にしとみ」の景色や、「もろこしが原」の撫子のあわれさに明るい気持ちになれたのだが、足柄山に近づいたとたんにその気持ちもしぼんでしまった。
足柄山はこの相模の国を出て都に向かうためには、どうしても越えなくてはならない山なのだと言う。こけらが言うにはもう少し南の方にも山越えの道として箱根と言う所があるそうなのだ。そこはこの足柄山より更に険しく、燃えたぎる熱い石、岩などが煙を上げる、厳しく、私達が越えるには難しい山で、任地への往復には大抵、山深く遠回りでも道が少し緩やかな足柄山を越えて行くのだそうだ。
しかしここはまだ山の麓に挿しかかったばかりだと言うのにすでに林や森に覆われ始める。
青く澄み渡る秋の終わりの空でさえ、その木陰にすぐ隠されてしまう。木立は気味が悪いほどに生い茂り、空気は冷たく湿り、美しさを競うような紅葉も見受けられない。昼なお暗い中に枯れ草や、暗い色をした木々や、黄色や茶色がかった葉を残した枝がまるで襲いかからんばかりに伸びているばかりだ。これではこれから越えようと言う山の中など、どのようなありさまとなっていることだろう。考えるのも恐ろしくて私達は車から外を眺める事もなく、だんだん黙りがちになっていった。
結局その山を越えるのには四、五日もの日がかかってしまったのだが、特に初めの頃などその暗さにひどく心細い思いをさせられた。
今では旅の初めのころと違い、従者は下仕えの人よりも侍の方がずっと多くなっていた。何十人もの人々に私達は守られている。なるほど、このような道を進まねばならぬのならば逞しい男達に守ってもらわなければ、とても先には進めない。特に山越えと言うのは山賊などの恐ろしい者達が身ぐるみを剥ぐと言われているのだから、侍たちの頼もしげな姿は本当にありがたかった。こんな山の中では彼らを頼りにするより他にないのだ。
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『麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくとよりともなく出で来たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前にからかさをささせて据ゑたり』
(麓に庵を立てて宿を取った所、月もなく暗い夜で、暗闇に迷わんばかりだったが、遊女が三人、どこからともなく現れた。五十歳くらいの人が一人、二十歳ほどの人と、十四、五歳の人を連れていた。庵の前に唐傘を差させて座らせる)
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その日はすでに陽が落ちてしまったので、麓に庵を立てて休むことになった。その夜は月もない夜だった。深い森の中では一面真っ暗闇で、一人さまよい歩いたりしようものなら闇にのまれて森に迷い、二度と戻れなくなりそうなほどに暗かった。
だから誰もが闇に脅え、心もとない思いで火を守っていた。そんな中で、さて、どうやってそこに訪れたのだろうか? 三人の遊女が姿を現したのだ。
これは狐か、物の怪が見せる幻惑かと誰もが目を丸めたが、どうやら彼女たちは間違いなく人間らしい。「こんばんは」と明るい声で話しかけて来た。
「今宵は月もない暗い夜でございますね。私達はこの山にて、このような所で宿を取らねばならない旅の方々に、せめてものお慰みとなる芸などを見せることを生業にしている者でございます。よろしければ、ささやかな私達の芸をお楽しみいただきたく存じます」
年長の五十歳ほどの女性が馴れた風にそう言ってにこやかな笑顔を向けた。すぐうしろには二十歳くらいの女性と、十四、五くらいの少女が共に頭を下げる。
「いやいや。こちらの庵の中には主人の奥方と姫君、幼い若君などもおられるのだ」
こけらがそう言うと遊女達は顔を見合わせて、くすくすと笑いあうと、
「誤解なさらないでくださいまし。私達はほんのささやかな芸や歌を御披露するだけの者でございます。幼い若君や、お若い姫君様にも是非楽しんでいただきとう存じますが、いかがでしょう?」
などと言うので、このような暗い夜の慰めにもなろうかと父上が言うと、傍にいた人々が喜んで遊女たちに唐傘などを差しかけてやり、庵の前に座らせた。
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『をのこども、火をともして見れば、昔、こはたと言ひけむが孫といふ、髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、
「さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべし」
など、人々あはれがるに、声すべて似るもなく、空に澄み上りてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、
「西国の遊女はえかからじ」
など言ふを聞きて、
「難波わたりにくらぶれば」
とめでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中に立ちて行くを、人々あかず思ひてみな泣くを、幼き心地には、ましてこのやどりを立たむことさへあかずおぼゆ』
(従者の男達が、遊女に火をともして見ると、昔、「こはた」と呼ばれた名高い遊女の孫だと言う。その髪はたいそう長く美しく、額髪もとても美しくかかり、色も白く身ぎれいにしていて、
「それなりの邸に、下仕えなどに上がらせても良さそうな女だ」
などと、人々が感心すると、声など他にたとえようもないほど美しく、空に澄み渡るかのように華麗に歌い上げる。人々はより感動して、近くに呼び寄せて、皆でもてはやしていると、
「西国の遊女はこうまでは歌えまい」
と誰かが言ったのを聞いた遊女が、
「難波あたり(の遊女)に比べられたら」
と、上手に歌って見せた。見た目のとても美しい上に、声まで外に似るものがないほど素晴らしく歌うので、あれほど恐ろしげな山の中へと立ち去って行くのを、人々がまだ物足りない思いで泣いているのを、幼心にも、ましてやこの宿を出立しなければならない事までもが名残惜しく思える)
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従者たちは面白がって、その遊女の中でも二十歳くらいの若い女の顔を火を灯してよく見ようとする。
するとその女性は身分のわりにはなかなか美しい人だった。
さすがに「女君」や「奥方」と呼べるような品の良さまでは無いものの、それほどいやしい身の者とも思えない様子の人だ。老いた従者の一人がそれを見てふとつぶやいた。
「どこかで見たような顔だな」
すると年配の遊女が嬉しそうに、
「お気づきになられましたか。こちらの御一行はかなりの御身分の方々と拝見します。どこかの国司様が都にお帰りにでもなられるのでしょうか?」と聞く。
「この一行はもとの上総国司が京へお帰りになる所なのだ」
と、こけらが説明すると、
「ああ、やはり都の人々ですのね。実はこの娘は、昔『こはた』と呼ばれた西国でも有名な遊女の孫にございます。今は訳あってこの地に流れ、こうして私が面倒を見ているんでございます」と言った。
「確かに随分昔、『こはた』と言う名高い遊女がいたな。芸に長けた美しい女だった。そうか、その孫か。どこかで見覚えがあると思ったら、おもざしが良く似ているのだな」
従者がそう言うと、他の者も面白がってその顔を覗きに来た。遊女は馴れているのか男達にじろじろ見られてもたじろぐことなく、にっこりと笑い返している。その髪はとても長くつややかで、括っていなければさぞかし見事にその背に流れる事だろうと思えた。額髪などもとても感じよくその美しい顔にかかっている。肌の色も白くて、こんな山の中では不似合いなほど身ぎれいで清潔な感じがするので、
「美しいな。これならそれ相応の邸にでも上がって、下仕えに出ていてもおかしくないくらいだ」と誰もが感心していた。
遊女たちは舞を舞ったり笛を吹いたりと軽やかに芸を見せたが、その中でも『こはた』の孫と言う女性はそれは美しい声で流麗に明るい歌を歌い上げた。彼女が歌うとどんな芸もかすんでしまう。その声はのびやかで、月の無い夜空にさえも澄み渡るようにすがすがしかった。彼女が歌い出すとそれまで舞に合わせて拍子をとっていた者なども、思わず手を止め聞き入ってしまう。
彼女が歌い終えると皆感動して、やんやと喝さいを上げた。そして彼女をより自分たちの近くに呼び寄せ、歌声をもてはやした。
「いやいや、素晴らしい歌声だった」
「さすがは高名な遊女の孫だな」
「これほどの歌をこんな所で耳に出来ようとは」
「都に近い、西国の遊女と言えども、これほど心にしみるように歌う事は出来ないだろう」
と、人々は口々に褒めそやした。それを聞いて『こはた』の孫が、
♪ 難波わたりに 比ぶれば ♪
と即興で歌いながら答えるのも大変上手なのだ。その才の豊かさに私や姉、継母なども、
「この歌が無ければ、ここでの一夜はどんなに辛いものになったかしら」
とささやき合っていた。
このような恐ろしい山の麓で、思いがけずこのような見た目も美しく、声までもが他に例を見ないほど素晴らしい歌を聞かされた。彼女達があの真っ暗で恐ろしそうな山の中に立ち去って行くのを、皆名残惜しがっていた。人々は物足りなげに涙をこぼしていたが、私の幼心などにはこれからの山越えを思ってより心細い。ましてやこんな出来事のあった宿を離れて暗い山へと出発することを思うと、この麓の地さえも名残惜しく思えたのだった。
その時の遊女は私の憧れるあの「源氏物語」に出て来る女君の一人、「夕顔」のようであった。正体を明かさぬ「夕顔」は源氏の君にとって神か狐かと思わせるような、不思議な思いを抱かせる人なのだと言う。この遊女が現れた時もそのように感じられた。なよやかな夕顔。まるで「もろこしが原」の大和撫子のように。
私は後に「源氏物語」を読むたびに、夕顔の所に話が進むと『こはた』の孫を思いだすようになった。私にとって彼女は「夕顔」その物で、私もいつかあんな風ななよやかな人になりたいと憧れるようになっていた。
その後私にも色々あって、「一人の男」を誰かと競い合うのではなく、「二人の男」に自分が想いを寄せられる身になりたいと思うようになって行くのだ。そう、頭の中将と源氏の二人に愛される「夕顔の君」や、薫と匂宮の二人に愛される「浮船」のように。
この頃はまだ箱根の山はあまりにも険し過ぎて、一般的な行程には入らずにいたようです。
箱根は今でも有名な温泉地で、大涌谷の荒々しい姿は観光地として人気ですが、それだけ火山活動が活発です。この作品の時代は富士山ですら噴煙を上げているほど神奈川や静岡の火山活動が激しかったのですから、とても国司の赴任や退任の旅路に使う事は考えられなかったでしょう。当時の東海道はこの、足柄山が正規のルートでした。ここに出て来る遊女は純粋に芸を旅人に見せて、報酬を受ける女芸人だったようです。厳しい旅の中でも特に峠越えなどの苦難の前後、このようなささやかな娯楽が求められていたのでしょう。
更級作者は源氏物語の中でも高い地位に安定していたり、自らの手で運命を切り開く女君などよりも、大人しく、はかなげで、運命にもてあそばれるような女性に憧れを感じたようです。
それも高値の花の貴公子を求め、他の女性と競い合い、傷つけ合うような恋よりも、二人の貴公子に見染められ、決して高いとは言えない自らの身分にもかかわらず高貴な貴公子が今の環境から自分を連れ去り、幸せにしてくれることを願ったようです。
「夕顔の君」も「浮船」も源氏物語の中で二人の貴公子に愛される、おとなしくて身分の高くない女性ですので、更級作者にとって自己投影しやすい存在だったのでしょう。