もろこしが原
『にしとみといふ所の山、絵よくかきたらむ屏風を立て並べたらむやうなり。片つ方は海、浜のさまも、寄せかへる浪のけしきも、いみじうおもしろし』
(「にしとみ」と言う所の山の姿は、上手に絵が描かれた屏風を立てて、並べたような景色である。その片側は海で、浜辺の様子も、寄せては返す波の景色も、とても趣深い)
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「あすだ川」の渡りを超えてぞろぞろと列を連ねながら進むと、やがて「にしとみ」と言う名の所に出て来た。そこは久しぶりに風光明美な所で、車の物見窓から覗いた私は歓声を上げてしまった。
「わあっ。綺麗な山と海」
私の言葉に、姉も身を乗り出して景色に見入った。
「まあ、本当。綺麗ねえ」
車から降りると、その景色は一層美しかった。そこは遠くに山々が連なり、海が広がる景色だった。潮風が海の匂いを運んで日差しが降り注ぐ。
「これは美しいわ。山の様子なんて、まるで絵の名手が筆を縦横無人に走らせたよう」
姉は市女笠越しだが、眩しそうに海から照り返す日差しを手をかざして遮りながら山を眺めた。
「そうね。まるで屏風画みたい」
それは本当に絵のような景色だった。もしこれが名画だとするなら線の太さ細さ、色の濃さ薄さ、筆のかすれ具合まで極めた美しい山の絵を書いた屏風を、いくつも並べたてたかのような美しさだ。
「でもこっちの海も美しいわ。海と山の両方が見えるから、余計にあわれ深いのね」
その片側はきらきらと青く輝くような海で、広く、穏やかな浜辺はとてもすがすがしく、小さな白波が寄せては繰り返す様などはその度に波の様子が変わる。いくら見ていても飽きると言う事が無く、趣があって面白かった。
「ああ、気持ちいい。ずっと泥のような海や草むらばかりだったから。同じ海でも場所によってこんなに違う物なのね」
しばらくぶりの明るく、大きく広がる景色に心までのびのびとして行くのが分かる。潮風の匂いまで違うように思えて来てしまう。
「こんな景色の所で暮らせるなら、貴公子ではなく下男に連れ去られても悪くは無いんじゃないの?」
姉がからかう口調でそんな事を言うので、
「あら、それとこれとは全然別よ。でも、素晴らしい貴公子がこんな所に連れ去ってくれるのなら一番素敵なのだけれど」と私が言うと、
「ふふ。中の君は欲張り屋さんねえ」と姉に笑われてしまった。
「なら、お姉さまは下男と泥のような海で暮らすことになってもいいと言うの?」
私はちょっと大人ぶった姉が癪に障って、そう言い返したが、
「そうね。それもそんなには悪く無いわ。ただし私を幸せな気持ちにしてくれる人だったらね」
と、なんだか真面目な顔をして答えた。
「下男に泥の海では、幸せな気持ちになりようがないじゃない」私がそう言うと姉は、
「そんな事は無いわ。人は身分だけでは幸せになれないと思うの。例えば父上は身分はただの受領でしかないけれど、私達もお義母様も幸せな気持ちでいるでしょう? 幸せって結局そういうことなのだと思うの。竹芝の衛士と姫宮もそうでしょうし、お義母様もお父様はとてもお優しくて幸せだっておっしゃっている。私、あの竹芝寺でお話を聞いてから、そういう幸せを持ちたいと思っているの」
そう、海の向こうを見ながら言った。
「お姉さまこそ欲がないわ。私は素晴らしい、誰の目にも止まるような貴公子が通って下さる身の上になりたいわ。もちろん父上やお義母様、ちい君やお姉さまは大好きだけど、私に通って下さる方はもっと違う『好き』じゃなきゃいけないの。そうでなければ物語のように幸せになれないんですもの」
「中の君はそうなのね。私はなんだか物語とは違う幸せもいいなって、思えて来たわ。私だけではなく、あなたも、父上も、お義母様や母上も、みんな幸せになれるような」
「あら、お姉さまも欲張りじゃない。みんな一緒に幸せになりたいなんて」
私がそう言って笑うと姉も、
「そうね。私達って姉妹そろって欲張り屋さんね」と言って笑いかけてくれた。
その時私は姉の言う事も何となくわかるような気もしたが、その一方でやはり私はそれでは幸せになれないと強く思っていた。私は自分の望む幸せがどういう物なのかを、まったく分かっていなかったのだ。
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『もろこしが原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。
「夏は大和撫子の、濃くうすく錦を引けるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」
と言ふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。
「もろこしが原に、大和撫子しも咲きけむこそ」
など、人々をかしがる』
(「もろこしが原」と言う所も、とても白い砂浜を二、三日かけて進んで行く。
「夏は大和撫子が、濃く、薄く錦の織物を曳いたかのように咲いているのですが。今は秋の末ですから見えませんね」
と言うが、それでも所々にはこぼれ落ちたかのように、趣ありげに咲き渡っている場所があった。
「もろこしが原に、大和撫子が咲いているとは」
と、人々は面白がっていた)
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とにかくその美しい景色のおかげで私達はそれまでよりずっと明るい気持ちで旅を続けることができた。美しい海に沿うように行くと、今度は「もろこしが原」と言う所にたどり着いた。
そこはどこまでも砂浜と草原が続いていた。砂浜はどこを見ても清らかに白く、美しかった。ただただその広い景色に圧倒されながら、「もろこしが原」を二、三日かけて進む。美しくはあるのだが単調な景色が続くので、誰ともなくたわいないおしゃべりが始まる。私達の車に付き添っている侍が、
「本当ならここはもっと美しい景色が楽しめるのです」と車越しに声をかけて来た。
「もっと早く夏に訪れたなら……いや、せめてあと少し早くに訪れていれば、この辺一帯は大和撫子が咲き乱れていたのです。真夏などにはその色が濃く、淡く野原を染めて、まるで錦の織物を敷きつめたかのように見事なのです。今は秋も終わる所ですからね。残念ながらその姿を見ることはできませんね」
「それは残念ね。唐撫子も華やかで美しいけれど、大和撫子はやはりあわれな可憐な花ですもの」と姉が答えた。
「あら、でもよく見て。少しは咲いているようよ」
私は御簾を掻きあげて、目を凝らしながらそう言った。すぐに目につくわけではないが、良く見れば淡い緑や枯れ草色の中にも、所々思い出したかのように淡い花の可憐な色が見てとれる。それに気がついた従者が自分の足元などを良く見ると、確かにそれは大和撫子なのだ。秋の野の中でも花を咲かせるあわれさに心深く思っていると、従者の一人がその一輪を摘み取って車の御簾の下から差し入れてくれた。
「やはりこの花は可憐で可愛らしいわね。同じ撫子でも唐撫子は華やかで目立つけれど、この可愛らしさは大和撫子なればこそのものね」
花を手に姉はそういう。
「そうね。私も大和撫子の方が好きだわ。なんだかなよやかな感じがして」
私もそう言って花を愛でる。
「こういう花は一輪では可憐だけれど、多くの花が集まった時に美しさが増すのよね。この野原一面にこの花が咲くころは、さぞや見応えがあったでしょうね」
姉がそんな事を言っていると、まさしくその撫子の群れ咲く一帯に車が差し掛かった。秋の終わりでも日当たりのよい所には残っていたようだ。
「綺麗ねえ。やはりこの花はこうして多くの花が咲き誇る方が似合うわ」
そう言って私達は見とれ、傍にいた人々は、
「それにしても『唐土が原』に『唐撫子』ではなく『大和撫子』が咲いているとはね」と、面白がったりしていた。
「にしとみ」は藤沢市遊行寺の辺りと言われています。
「もろこしが原」は大磯付近一帯です。
実際の景色を屏風絵に例えて書くのは当時の常とう表現だったそうです。特にこの更級作者は絵画に関心の高い人でもあったそうなので、印象に残ったここの山々を屏風絵に例えたのでしょう。
撫子は秋の七草のひとつですが、実際は夏から秋にかけて咲く花です。
『唐撫子』は中国から来た石竹と言う同じナデシコ科の花です。
『大和撫子』は日本古来から愛された花で、正式には『カワラナデシコ』といいます。
それからこの話には「伊勢物語」が良く使われていますが、これは「源氏物語」はこの時まだ新しい物語だったのに対し、伊勢物語はすでに広く浸透した話だったからです。しかも更級作者一家と旅順を逆にした話なので、その地に着くたびに何かと思いだされたことでしょう。
ただし、継母の出身の高階家と「伊勢物語」には暗い因縁があります。継母にとってこの旅は複雑な思いも呼び起こしていたかもしれません。




