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継母

 お義母様かあさま。おかあさまあ。


 私は継母を懸命に呼びとめる。継母は振り返って私に言う。


 ……ごめんなさいね。私はどうしてもここを出て行かなくてはならないの。そんな悲しいお顔をしないで。


 継母の顔がとても寂しそうなので、私は余計に悲しくなる。すると継母が、家の軒先近くの梅の木を指差した。


 ……この木に花が咲く時、またこちらに伺いますね。だから泣かないで。あなたには本当のお母上様がついていらっしゃるんですから。


 その時の継母の顔を思い出す時、私はいつも思う。お義母様かあさまはお父様のことより、本当は私達姉妹の事の方が、好きだったのではないかと。連れ子の小さな男の子は、私達との別れがよく分かっていないようで、不思議そうな顔をするばかりだ。


 必ず、必ず花が咲いたら来てね。私も、お姉さまも待っているから。


 待っているから……。





「尼君さま、お目覚めでございますか?」


 長く私に仕えてくれている女房(侍女)が、目を覚ました私に声をかけた。彼女は昔から私にとっての「お気に入りの女房」だ。その女房は最近病みがちな私の身体を起こすのを手伝ってくれる。


「今日のお加減はよろしいでしょうか? 朝げを召しあがれるとよろしいのですけど」


「そうね。今朝は気分がいいみたい。かゆを少し頂くわ」


 私がそう言うと女房はパッと表情を明るくして、


「それではまず、お手水ちょうずを用意いたしましょう。お食事がすんだら髪もくしけずりましょうか?」


 と、嬉しげな声を出す。


「尼の身で短い髪にくしなど通しても、さして意味など無いでしょう」


「そんな事はございませんわ。櫛を通し、御身をさっぱりとなされば、より御気分も良くおなりになると言うものです。私は尼君様に長生きしていただけることを、何よりの喜びとしているのですから」


「……長生きなど。私はもう、長く生き過ぎたと思っているのに」


 私はつい、ため息交じりに言ってしまう。そんな事を言えば叱られるのは分かっているのに。


「お気弱なことをおっしゃらないでくださいませ。あの日記をあちらの尼様に読んでいただくまでは、お元気でいたいとおっしゃっていたじゃ、ありませんか」


「そうだったわね。梳り終えたら、早速日記を出して頂戴。今まで書いた分も間違いがないか確認して、綴り直したいから」


「かしこまりました。でもまずはお手水を用意いたします。手とお顔をお清め下さい」




 私は女房に出させた日記を、久しぶりに初めから読み直すことにする。これは本当は自分の覚書として若い頃から書き綴っていた日記だった。しかし私と同じく若い頃から物語が好きで、日々の徒然を記している方が最近私と同じように出家し、尼になられた。まだ仏弟子としての暮らしに不慣れな彼女に私のつたない日記ではあるが、心の慰めにもなろうかと、まとめて見せて差し上げる約束をしたのだ。


 いや、それは方便でしかない。本当は自分の人生を振り返って、誰かに知ってもらいたいと思っているのだ。この世から消え、後世に望みを託す前にこの世に自分が生きた証しを残したいだけなのだ。何と言う煩悩。これほど人生の終焉を覚悟した身となっても、人と言うのは自らの想いを誰かに知らしめたいと思うものらしい。このままではこの煩悩を次の世まで引き継いでしまうだろう。


 せめて、せめてこの日記だけは、最後まで書き終えなければ。


 私はそんな思いで筆をとり続けてきた。それもあと少し。もうすぐこの日記は完成する。

 私は日記の最初の文に目を落とした。


東路あづまじの道の果てよりも、なほ奥つ方にでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを』


(東海道の果て、常陸ひたちの国よりももっと奥の地で育った私は、どれほど田舎じみた人間だった事か)



  ****


「お義母様。あのお話、源氏の光る君のお話を、またお聞かせ下さい。若紫の姫君のお話を」


 私は継母の姿を見つけると、そう言ってせがんだ。


「お待ちなさい。私の手習いがまだ終わっていませんのに。あなた一人でお話をお聞かせいただくつもり? それはずるいわよ。お義母様を一人占めはさせないわ」


 お姉さまが笑って私を制しながら、その手は近頃ずっと美しくなられた御手おて(筆跡)で、古今集の和歌を書き写していらした。


「よろしいですよ。手習いはこの辺でおしまいにしましょう。けれど、いつも同じお話ばかりでごめんなさいね。私もあまりよく覚えていられなくて」


 美しく、すこうし、甘い香りを漂わせる、継母がそう言って私達に向き直る。その振り返る瞬間の美しい動作、その香りに良く似合う笑顔が、私は大好きだった。



 継母は、父、菅原考標すがわらのたかすえが国司として赴任するために上総かずさの国に下る時に、父や私達の面倒を見るために父が連れてきた方だった。

 私の実の母はとても頭の固い、古めかしい考え方の人だったので、女が都を出て草深い地で暮らす事ができるなどとは少しも考えつかなかった。本当は父が任国に私達姉妹を連れていくことも反対していた。

 けれど、これからの女は人の妻になった後も、夫が国司に任命されればついて行かなければならないかもしれない。二年や三年で帰る事が出来れば都で待つのも良い。だがあまり長い間夫婦が離れ離れで暮らすのは、決して良い事ではない。娘たちにもそういう暮らしになれる事ができるように、地方の暮らしを体験させておきたいと言って、父は私達を継母と共にこの、上総の地に連れて来たのだ。


 もちろんこんな言葉は母には通用しないし、むしろ母への当てつけのようなもので母は面白くなかったに違いない。要はその頃、父と母はしっくりいっていなかったようなのだ。

 継母には連れ子の男の子がいて、それは可愛らしい、ふっくらとした頬を赤く染めた、ころころと健康そうな姿で、いつも継母にまとわりついていた。

 どういう経緯で父と連れ子のいる継母が結ばれたのかは知らなかったが、他に言葉をかわすような人もいない長い田舎暮らしだったので、私と姉は、この男の子をことのほか可愛がり、男の子もよくなついてくれていた。


 上総での暮らしは楽しかった。継母は聡明で優しく、色々な事に気のきく、まめやかな人だった。なんでも長いこと御所の後宮に勤めに出ていたらしい。

 実の母はさして高い身分でもないのだが、古風な、昔風の、風にもあてずに育てられた、地味で真面目な奥ゆかしい育ちの人だった。だから私達姉妹が少しでも庭の方に興味など見せると、それはそれは口うるさく小言を言った。庭の美しさに心弾ませることは、「もののあはれ」に通ずる美しいことだと思うのに、母にしてみれば


「そういう事は古今集の歌の中だけで知っていればいい」


 と言う事らしい。自ら歌など自慢げに作ったりせず、古今集からほんの少し、古く、品の良い言葉を「匂わせる程度」だけ書きとめればいい事なのだそうだ。

 まして、庭を見て心躍らせるだの、花や、虫や、木の葉や、小石などを手に取って眺めるなど、とてもはしたなく、恐ろしいことなのだそうだ。


 でも、継母はそういう事を私達と共に喜んでくれた。

 母のように口うるさく言う古い考えに固まった人のいない中、私達は青い空や、降りしきる雨や、春のそよ風や、夏の日差しや、冬の木枯らし、庭の遣り水の心地良さ、若葉の匂い、舞落ちる花弁や紅葉、そんな物を存分に楽しみ、口々に歌を作った。田舎のことなので物語などの類はなかったが、継母と姉が、記憶にある限りの話を聞かせてくれた。特に私は「光る君」の、若紫の話が大好きで、いつも継母にせがんでは聞かせてもらった。


 だから私としては都で窮屈な母との暮らしより、この田舎での継母との暮らしの方が快適だった。ただ、物足りないのは大好きな「物語」が手に入らないことだ。



  ****


『いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあなるを、いかでみばやと思ひつゝ、つれづれなる昼間、宵居よひゐなどに、姉・継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしきさまされど、わが思ふままに、そらでいかでかおぼえ語らむ』


(何を思い始めたか、世の中に物語と言うものがあることを知ってしまった私は、どうにかしてそれを見たいと願いながら、退屈な昼間や、夜、眠る前などに、姉や継母と言った人達が、あの話、この話、光源氏の物語など、所々思い出しては話して聞かせてくれるのを聞いているうちに、もっと、もっと知りたいと欲張りな思いが募るけれど、私が思うほど、彼女たちも「そら」で語れるほど暗記出来ている訳ではないようだ)



「ねえ、お義母様。若紫の上は、その後源氏の君の妻になったのでしょう? その時の御歌はどんな御歌だったの?」


「ごめんなさいね。光る君の御歌があったと思うのだけど、憶えていないの」


「あら、無理を言っては駄目よ。私はお義母様のお話の半分も覚えていないわ。お義母様、このお話って、彰子中宮様と帝のお話なんですってね」


 無理を言うなと言いながら、姉も興味シンシンで継母に尋ねている。


「そういう噂は聞いていましたよ。でも帝のことをそんな風に噂をしては恐れ多いでしょうね。何と言っても帝は現人神でいらっしゃるし、中宮様も御身分の高い方でいらっしゃるのだから」


「ああ、光る君のお話を、もっと知りたいわ。都に居れば手に入るんでしょうね」


 私は目を閉じて、うっとりと言った。私の頭の中の光る君は、背が高く、すらりとして、でもお顔はなよやかな、美しい貴公子なのだ。


「でも、私はここの暮らしが好きですよ。あなた方姉妹のような頭の良い子と、こんな風におしゃべりが楽しめますからね。宮中よりもここの暮らしの方が楽しいくらいよ」


 その時私は、それは継母が私達が大好きだと言いたくて、ここでの暮らしを褒めているのだと勘ぐっていた。しかし後々考えてみると、本当に継母にとっては私達と上総で暮らした日々は、人生の花だったのかもしれない。時が立って、ようやくその事が理解できる。

 それほど上総での暮らしは穏やかで楽しく、継母も姉も、生き生きとしていたのだ。



主人公は日記の中で、自分の育った所を「常陸の国より奥」と書き表していますが、実は彼女の父親の赴任先は、今の千葉県、市原の辺りとされています。これは恐らく文学的表現で、それほど都の文化から遠く離れた地で暮らしていたと言いたかったのでしょう。


実際、彼女は後に宮仕えに出ることになりますが、こういう場所で都人達との交流の少ないまま暮らし、その後も事情があって家庭に引きこもってしまったために社交性が育たなかったようです。

貴族の娘たちと立ち混じっての宮仕えは、彼女にとって気苦労の多い大変な仕事であったと、この日記にも書かれています。

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[良い点] 古典小説が大好きなので、開いてみました。 すごく丁寧で繊細に描かれていて、学ばせるところばかりでした。
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