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希少保護生物指定女子。  作者:
Ⅶ.初冬の宴
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「ウィル?」


 光量を抑えた間接照明の明かりの中、何かの書類から顔を上げたエルヴァがわずかに金緑色の瞳を見開いた。窓ガラスを叩いた手をひらひらと振って、窓の鍵を示す。すると彼は立ち上がり、苦笑しながら窓を開けてくれた。


「驚いた。賊か亡霊でも現れたのかと思ったよ」

「ひどいな。宿舎を誰にも見られないようにようやっと抜け出して来たら、この時間になってたんですよ。なにせ、同室のやつらがなかなか寝ないもんで。昼間あれだけぶっ倒れそうな訓練をこなしてるのに、どこにばか騒ぎする体力が残ってるんだか疑問です」

「楽しくやっているようだね」


 まあそれなりに、と笑って窓枠を乗り越える。しっかりと窓を閉め、懐から取り出した紙片をエルヴァに差し出した。


「こちら、ご所望の品になります」


 おどけて差し出せば、彼も王に下賜された品でも受け取るように、優美に腰を折って胸に手を当てる仕草で応えた。それがまた、恐ろしくさまになる。


「これはこれは、ありがたく」


 ちらりと笑みを交わして、紙片を受け取ったエルヴァが向かいのソファを示した。互いが座ると、早速紙片を開いて目を通した彼が顎に手を当てる。


「なるほど……。やはり大通りを中心に多く配備されているね。各地区の手薄なところは?」

「定時ごとに交代で巡回が入ります。ふたり一組、有事の対処の経験がある者が必ずいるように調整して。それでも王都全体をカバーするのは難しいですから、変化して空から警備する者を増やす手も考えているようです」

「ふむ。では、この記号は?」

「ああ、それは……」


 今回はエルヴァは個室を取っているので、声を潜めたり誰かの気配に神経をとがらせる必要はない。そうして一通り確認が済むと、彼は紙片を折りたたんで小さく息を吐いた。


「本当に助かるよ。騎士団は秘密主義だから、味方がちょっと警備状況の確認をしたいと言っても探りを入れるのが難しい。もちろん、安全上は良いことなんだが。今回は面倒な役回りを任せてしまってすまないね」

「いいえ、俺から言いだしたことです。それより、もし内通がばれたら懲罰程度では済みそうにないですから、村長からの口添えをお願いしますよ?」

「はは、心得た。しかし、君ならコルナリナの息子という立場が有利に働くのではないか?」


 その言葉には、思いっきり顔をしかめる。


「甘いですよ村長、相手はあの母です。今回よくわかりました。彼女は俺を息子ではなく、配下の兵士か何かと勘違いしている」

「というと?」

「上層部の面々に俺の身上が知られているばかりか、母から直々に言伝があったようです。『手加減無用、遠慮なくこき使って死なない程度に鍛えてやってくれ。以上』との仰せだったそうで」


 それはそれは、とエルヴァが苦笑する。当事者として笑い事では済まないウィルは、ソファの背もたれに寄りかかって脱力した。


「その言葉通り、誰より厳しく鍛えられておりますよ……。もしこの内通がばれたとして、彼女が手を貸してくれるとは到底思えません。俺はこの先なにがあろうと、騎士団にだけは絶対入らないと心に決めました。龍王陛下の御前で宣誓したいくらいだ」

「それならますます、こんな時間に抜け出すような真似をさせて申し訳なかったね。どれ、茶でも飲んでいくかい?」

「村長手ずからとあれば、ありがたく」


 笑みで応えて立ち上がったエルヴァは、隅のミニキッチンスペースの方へ行こうとして、「ああそうだ」と呟きソファの横で立ち止まる。寝巻の上に羽織っていた上着のポケットから小さな袋を取り出し、中から小石のような小さな粒をひとつ手のひらに落とした。

ウィルは何度となく見たから知っているが、それは彼がいつも持ち歩いている植物の種だ。花や草など種類は雑多だが、彼が持てばそれはただの種ではなくなる。


 袋を閉まったエルヴァは種の上に先程の紙片を載せ、そこに軽く息を吹きかけた。むくむくと紙片が動いたかと思うと、下から伸びてきた青々とした植物の細い(つる)が紙片に絡みついていく。音を立てながらくしゃくしゃに押しつぶされた紙片は、次第に端から茶色く変色し始めた。まるで枯れ葉のように崩れ始め、弦も共に枯れ落ちていく。とうとう彼の手のひらの上には、土くれに似た奇妙な塊が残るばかりとなった。


 それを部屋の隅に置かれた観葉植物の鉢にまぎれ込ませれば、もはやあの機密事項を書き連ねた紙片の影も形もない。手を払う彼の姿を眺めながら思わず苦笑した。


「……本当に、貴方や母を見ていると自分が非才で凡庸だと思い知りますよ」


 おや、という顔でエルヴァがこちらに振り向いた。


「珍しいね、ウィルがそんなことを言うのは」

「そんなに俺は呑気そうですか?」

「というよりも、今までは自分の役割に疑問を持っていないように見えたよ」


 言われて、考えてみる。確かに、今までの自分はあまり迷うことがなかったかもしれない。


 村では成人前から大人に混じり、周囲の森のことを教わった。巡回を一人で任されるようになった時には、一人前だと認められたようで嬉しかった。静かに穏やかに、エルヴァの守る平和な村で長い長いこれからの時間を生きていくのだと思っていた。村に住まう者を大切に思うし、エルヴァのことは心の底から尊敬している。だからそれが当たり前のことだと信じて疑っていなかった。


 けれど、夏妃が現れた。

 彼女を取り巻く事情は異例のことずくめで、平坦で凪の湖面のようだった日常は、感情を波立たせる慌ただしい日々へと姿を変えた。

夏妃は物も知らない子どもではなかったけれど、意地っ張りでどこか危なっかしくて目が離せない。頼ることを良しとせず、肝心なことをひとりで抱え込んでしまうところが苛立たしくてもどかしい。それでいて素直で、一度信頼を寄せると距離を縮めてくれるのが嬉しくてかわいいと思う。けど、そんな彼女を見ていると感情がぐらぐらして、少し困る。


 そして彼女は、ウィルの小さな世界を塗り変えたように、この世界で少しずつその色を広げていく。急ぎすぎて転びそうになるその手を取って引き止めたくもなるけれど、それが自分のわがままだとも気づいている。だから信じたいと思った。彼女がウィルを信じてくれる気持ちと同じものを返したいと、そう思った。

 そうしたら、何も持たない自分を自覚せざるを得なかった。彼女のように強い願いもなく、成り行きのまま傍にいる自分で良いのか。

 いやだ、と思ったから、ウィルは今夏妃と離れてここにいる。


 深いため息がもれた。


「結局、俺はあの子のことでいっぱいいっぱいだなあ」


 ずるずると、ソファに沈みこみながら自分自身に呆れた。子ども扱いするなと彼女はいつも怒るけれど、子どもっぽいのは一体どちらだろう。

 エルヴァは微笑んで、茶器を取りだし準備をしながら見透かしたように言う。


「手を焼いているようだね」

「ええ、本当に。厄介なものですね」


 実感を込めて呟いて、行儀悪くごろりとソファに転がる。肘置きに重ねた両手の上に顎を乗せ、エルヴァの背中に尋ねた。


「大先輩からのアドバイスは何かないんですか? 身分違いの大恋愛を制したエルヴァ殿の意見を聞きたいな」

「私かい? 私にたいした助言はできないが、そうだね。ひとつだけ言えることがありそうだ」


 盆を持って戻ってきた彼は、ウィルと自分の前にカップを一揃えずつ置いて、あの魅力的な笑みを浮かべて言った。


「恋は負け戦であるほど楽しい、かな」


 ソファに座り直し身を乗り出して待っていたウィルは、思わず数秒固まった。


「負け戦、ですか……?」

「そう。聞いていて思ったけれど、ウィル、君は劣等感を持っているだろう。私やコルナリナ、それにナツキに対しても」


 改めて言われるとそれは胸にぐさぐさと刺さるようで、渋々と頷く。


「……はい」

「優れていなければ、何か特別なことがなければ認められない、選んではもらえない、ということだろう? でもねえ、それは余計な努力だと思うよ」

「無駄な、ではなく余計な、ですか」

「何かをしようと行動した以上はゼロではない。無駄にはならないよ。しかし、恋愛に関しては余計なことだ。自分を飾り立て、本当の姿を奥深くに隠すというのは」


 カップを口に運び、彼は一度言葉を区切る。ウィルもそれに倣いながら、やはりどこか納得いかない気分がそのまま口をついた。


「でも、いいところを見せたいと思うのは悪いことでしょうか。彼女を守れるような自分になりたいと思うのは」

「いいや。自分を磨くのは必要で大切なことだ。知識も技術も体力も、持っていて損はない。けれど、対等でありたい相手に向き合うというのは、また別のことだ。ウィル、君はたとえば特別な力や身分を得て何がしたい? 相手を守り危険から遠ざけ、ずっと自分の庇護のもとに置くのか?」


 ざらざらとした違和感はあるが言葉にできないでいる間に、エルヴァがふっと微笑んだ。


「違うだろう? もしもそうだったとしたら、君は永遠に報われない。なぜなら、彼女たちは強い。庇護したいと思うのは私たちの勝手で、わざわざ手を貸す必要なんてないほどたくましく勇ましく、自分の意志で生きていける存在だから。私も何度、彼女の傍に自分がいることの意味に悩んだことか」

「貴方でも、ですか?」

「そうだよ。そういうものだ」


 彼は手元のカップに視線を落とし、誰かを想うように目を細めた。


「本当は、一緒にいることに意味なんてないのかもしれない。愚かで身勝手で足りないことばかりなのはお互い様だ。飾り立てても本当の姿はいずれ知れてしまう。それなら、不格好な自分を受け入れた方が楽だ。自分よりずっと強く勇ましく、生涯敵わない相手に出会えたことを、それでも傍にいたいと思えることを誇るべきだ。だって、その方が楽しいだろう?」

「……なるほど」


 自然と苦笑が浮かんだ。


「ということは、これから一生、俺の心は向こうに持っていかれたままだってことですね」

「おや、不満かい?」

「いいえ。まさか」


 胸の内の雲が晴れたような気分だった。本心から笑って、カップを掲げた。


「最高ですよ。負ける相手として不足なしです」





 その後は今後の打ち合わせをして、ウィルが部屋を辞する頃になってエルヴァがふと言った。


「そういえば、ナツキの顔を見ていかなくていいのかい?」

「いや……、やめておきます。まだ先は長いし、同室の護衛役(シルエラ)が怖いですし」


 シルエラは詳しい話もせず慌ただしく宿を出たウィルの態度を、かなり不満に思っているはずだ。出来ればまだ距離を取っておきたい。

 エルヴァもそれには同情するような顔をして、隣室の方に顔を向けた。


「そうか。彼女も慣れない環境で気を張っているようだからね。気丈な子だから、大丈夫だとは思うが」


 その言葉であっという間にぐらつく心をなんとか立て直して、恨めしく彼を見やる。


「いじわるはやめてくださいよ、村長。試してるんですか?」

「ふふ、とんでもない。私はいつでも悩める若者の味方だよ」


 綺麗な笑顔がいまや胡散臭くも思えるが、とにかくも気持ちを切り替えた。


「では、また後ほど。警備体制などに大きな変更があればまた報告に戻ります」

「頼んだよ。くれぐれも無理はしないように。今日はありがとう」

「はい」


 笑みを交わして、大きな音を立てないよう気を付けながら来たときと同じように窓をくぐる。見送るエルヴァに手を振ってカーテンがしまったのを確認してから、壁伝いに歩いて隣の部屋の窓の前に立った。

 カーテンがしっかりと閉め切られていて中は窺えない。その窓に音は立てずに手の甲を当てて、祈るように目を閉じた。その存在を思うだけで、胸の内があたたかくなる。それは時が経つほどくっきりと際立つようで、重症だな、と思うと唇に笑みが浮かぶ。


 窓を離れて足音を潜め暗闇に身を隠すように歩きながら、高い空にひっかけたような青白い三日月を仰いだ。シロガネ祭は満月の夜に執り行われる。その日まで、もう少し。

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