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希少保護生物指定女子。  作者:
Ⅵ.龍宮に嵐来たりて
25/41

「ガルデニアってなんなのか、ユウは知ってるの?」


 夏妃の問いに、ユウは狭い通路を迷いなく先導しながら答えてくれた。


「何代か前に、その名前の王妃がいたはずだ。彼女のところに何かの手がかりがあるのだと思う」


 彼はランプも持たずにすたすたと前を歩いている。手を引かれながらも足元がおぼつかない夏妃とは違って、光が一切なくとも問題はないらしい。龍は相当夜目が利くというのは本当のようだ。


「手がかりって……。その王妃様は昔の人なんでしょう?」


 彼女のところ、というのがどういうことなのかわからずに戸惑う。ユウは答えず、しばらく歩いてから急に立ち止まった。


「このあたりだな……」


 何を目印にしているのかさっぱりわからないが、目的の場所に着いたらしい。

 何かがこすれる重い音に続いて、線状に光が射す。出口のようだ。ユウに続いて隠し通路から出ると、足下に柔らかな感触がした。毛足の長い絨毯か何かが引いてあるらしい。


 細く小さい窓がいくつかあるおかげで隠し通路の中よりはましだったけれど、ここに何があるのかは全く見えない。

 きょろきょろしている間に、明かりが灯ってびくりとした。夏妃の手を離して、何かごそごそしていたユウが点けたらしい。


「え、ちょっと、外から見られたらどうするの?」


 慌てて駆け寄ると、平然と答えた。


「窓のある壁の外は断崖だ。誰かが禁忌を破って変化でもしない限り、見とがめられることはない。それより、見ろ」


 夏妃の背後を指差した彼に従い、振り返る。部屋の中を初めて明かりのもとに見て、息を呑んだ。

 壁には、ずらりと大きな額が並んでいた。そこに描かれているのは、今にも動き出すのではないかと思えるほどに精緻な人物画だった。だいたいが立ち姿で、一組の男女と小さな子ども、という組み合わせが多い。


「これ……」

「代々の王族の肖像画だ。と言っても、龍の王は一子相伝だから、王と王妃とその王子だけだがな」


 肖像画の人々には、確かにユウと似通(にかよ)った雰囲気があった。特に王と王子はそっくりだ。輝くプラチナブロンドに、寒色系の宝石みたいな瞳。それが王族――『白龍』の特徴なのだろうか。


 対して、王の横に並ぶ王妃の容姿は様々だった。髪や瞳の色もそれぞれ違う。夕陽のような色の髪に金の目をした気の強そうな女性もいれば、金の緩やかな巻き毛と薄茶の瞳を持つ少女のように可憐な女性もいた。


 これだけ多くの色彩が混じり合っているというのに、生まれる王子の色がある程度一定なのは不思議だ。そう言うと、ユウが頷く。


「そういうものなのだ。白龍と交わると、生まれる仔は必ず白龍になる。ただし、生まれる仔は必ずひとりだけ。過去には稀に王女も生まれたようだが、男女は関係がない。白龍に生まれたら、王になる。そう決められている」


 なんだか特殊な遺伝のようだ。しかし、そうなると気にかかることがある。

 軽く首を傾げ、ユウを見た。


「ってことは、ユウも一人っ子なんだよね。でも、陛下がユウを紹介したとき、国王“候補”って言ってなかった? 候補も何も、ユウが次期国王なんじゃないの?」

「……確かに嗣子は私ひとりだ。だが、私は王になりたくない。ずっとそう言い続けてきた」


 憂鬱そうにそう呟いて、背後の窓へ目をやった。


「無責任、なのだろうな。王族に生まれたからには果たすべき役割がある。それは、わかっている。だが、王という役割は、重すぎると思うのだ」


 雨が吹き付ける窓に鈍く映るユウの表情は暗い。苦しいのに、それを堪えているような表情だった。

 それを見て、ふいに思い出した。いつかエルヴァが、夏妃に言ってくれた言葉。


『別に王様になるわけじゃないんだ。君が責任を持たなきゃならないのは、自分の命ひとつ。その責任をまっとうする以上の義務なんかないと、私は思うよ』


 夏妃の感じていた焦りを溶かしてくれたその言葉は、そのままユウの境遇に跳ね返る。彼は、自分の身以上に多くの責任と義務を背負う立場にあるのだ。

 気が付いたら、何も言えなくなった。


「……それより、今は『ガルデニア』だな。こっちだ」


 重い空気を払うように言って、ユウは部屋の奥へ歩いていく。やがて足を止めた彼に並んで、一枚の肖像画を見上げた。そこにはやはり、家族三人の立ち姿がある。


「これは、トニトルス王時代の肖像画だ。黒龍伝説のあるウェルテクス王の2代前だから、約5000年前の王になるかな」


 眩暈のしそうな途方もない数字は気にしないことにして、偉丈夫の王に並ぶ女性に視線を向けた。翡翠色の髪を持つ、線の細い女性だ。小さな王子の肩に手を置いて、淡い緑色の瞳を細めて微笑んでいる。


「このひとが、『ガルデニア』?」


 ユウは頷いて、一歩肖像画に近づいた。


「容姿の通り、緑龍の集落から15で嫁いだ王妃だ。賢政を敷いた王と共に親しまれたと聞くし、わりと有名な王妃の一人だな。……だが、手紙の『葉陰』というのが見当たらない」


 くまなく見ても、肖像画の中に描かれているのは人物と豪奢な衣装、金飾りのついた緞帳が下がる背景だけだ。背景に窓はないし、花瓶が描かれているわけでもない。植物らしいものはどこにもなかった。


「この肖像画のことだと思ったのだが……」


 自信を失くしたように声を小さくして、ユウが嘆息する。夏妃は「葉っぱ、葉っぱ……」と呟きながら目を凝らして、ふと気が付いた。並ぶ肖像画をぐるりと見比べて、口にする。


「そういえば、この王妃様だけなんだか雰囲気が違うね」

「雰囲気?」


 怪訝そうな問いに応えて頷く。


「ほら、他の代の人たちって、金の模様の入った赤いドレスだとか、綺麗なグラデーションになった裾の長いドレスだとか、わりと気合の入った格好で描かれてるじゃない。でも、この王妃様だけ、飾りもない真っ白なドレスでしょう」


 ユウはよくわからない、と言う顔で肖像画を見上げている。夏妃も同じく王妃に視線を向けて続けた。


「まあ、このひとがたまたま、シンプルなのが好きだっただけかもしれないけど。あ、でも、よく見るとけっこう凝ってるんだ。襟元とか裾とか、薄い黄色で細かい刺繍が入ってる。この模様、花かな」

「花……」


 呟くユウに、王妃の複雑に編まれた髪のあたりを指して教えた。


「あの花じゃない? 王妃様の耳のあたりに挿してある白い花。花弁が六つで小さくて、模様とそっくりだと思うけど」

「白い花……ガルデニアの葉陰……」


 また何やら呟いているユウの顔を覗き込むと、彼は急に目を見開いて叫んだ。


「そうか、それだ!」


 驚いて、思わずのけぞった。


「な、なに? 大声出さないでよ、見つかるよ?」

「やっとわかった。行くぞ」


 耳を貸さずに踵を返し、さっさと点けたばかりの明かりを消してしまう。置いてけぼりの夏妃は、慌てて彼の腕を掴んだ。


「待って待って、説明して。何がわかったの?」

「輿入れしたとき、彼女が故郷から王都に持ち込んだ花がある。花期は初夏だから今は咲いていないが、中庭にも植えられている。王都の民たちは、その白い花に愛称をつけて呼ぶようになった。王妃の名を取って、『ガルデニア』と」


 理解し、夏妃も目を大きくした。


「じゃ、じゃあ、ガルデニアは王妃様じゃなくて、その花のこと?」

「そうだろうな。これで『葉陰』とつながる」

「でも、その花が咲くのは初夏なんでしょう? 今の時期に、ちゃんと植わってるの? そもそも外は大雨だし、中庭じゃ人目も……」

「いや」


 ユウは夏妃の言葉を制して、視線を合わせた。青白い光を宿す瞳が、確信を持っている。


「中庭に出る必要はない。『ガルデニアの葉陰』はこの城内にあるんだ。隠し通路を使えば近くまで行ける」


 何が何だかまだわからない。だが、夏妃よりよほど城に詳しいユウが確信しているのなら、間違いはないだろう。

 そう考えて頷くと、彼は少し眉を寄せて呟いた。


「……だが、こうなると余計に怪しくなってきた。全部が城の中で納まるなんて、出来すぎてる」


 彼の懸念は夏妃にも理解できた。差出人不明の手紙は、盗まれた宝物はまだ城の中にあることを示している。それはいったい、どういうことなのか。

 夏妃には到底わからないけれど。


「でも、行くんでしょう?」


 訊ねると、ユウの答えには間があった。


「そうしたいが……、罠かもしれない」


 躊躇いに揺らぐ声を聞いて、夏妃は呆れた。


「何言ってるの、今さら。怪しかったのは最初からじゃない」

「それはそうだが、ここまで状況が整っているのはおかしい。城にとどまる犯人の目的が分からないし、これではまるで『見つけてみろ』と言わんばかりだ。危険かもしれない」


 それは、夏妃もずっと抱き続けてきた懸念だ。手紙に従って、王子様のユウと共に赴くことには不安を持っていた。このことが良くない結果を生むことも十分にありえると、わかっていたからだ。

 それでも、夏妃はユウに向かって微笑んだ。闇の中でも彼の目には見えているはずだ。


「絶対に大丈夫、とは言えないけど。ユウが行くなら私も行くよ。そのために私は来たんだもの」


 ユウが敵ではないと信じてくれたから、夏妃も彼を信じてここまで来た。彼の言葉通りにこの城の中ですべてが決着するのなら、夏妃の『保険』も機能するはずだ。今更引き返す理由はない。


 少しの沈黙の後、ユウのため息が聞こえた。どこかほっとしたような響きのそれを聞いて、彼もずっと不安だったことを知る。

 やがて夏妃の右手を取った彼は、小さく「ありがとう」と呟いた。




 雨の音が徐々に小さくくぐもっていくことで、自分たちが今、城の中心に向かっているのだということに気づく。岩山を削って出来たこの城の壁は分厚いので、城の中心に近いほど外の音や光が届きづらい構造であるらしい。


 自分の位置も時間も把握できない闇の中、頼りはつないだユウの手のひらだけだ。視界を塗りつぶすような闇に初めは圧迫感を覚えたけれど、慣れた今は自分でも意外なほど落ち着いている。


 ためらいなく進むユウの自信のおかげでもあるのだろうけれど、慣れてみると闇の中というのは思っていたよりもリラックスできるもののようだった。煌々と真っ白なスポットライトを浴びるよりは、よほど心地いい。

 心地いい、と感じる自分に、小さく苦笑した。自分の体さえ見えない闇の夢に怯えていたのはついこの間のことなのに、えらい違いだ。


 でも実際に、あの夢と今は全く違っていた。ここには手を取ってくれるユウの存在があるし、屈託なく信頼できると思える存在を胸の内でも思い描ける。

 ひとりじゃないことが、こんなに力を持つことだとは思わなかった。そう噛みしめると同時に、先ほど見た苦しそうなユウの表情を思い出す。


 彼も自分の輪郭さえ見失いそうな闇を、抱えているんだろうか。『友人』としての夏妃にこだわる彼は、年相応に子供っぽく見える。それも、寂しさからなのだと思う。


 自分に、彼の不安を取り除く力があればいいのに。

 そう思わずにはいられないけれど、未熟で無鉄砲でなんの力もない自分にできることなんてあるのか。考えれば考えるほど、自信がなくなってくる。


 思わずため息を落としたのとほとんど同時に、ユウが足を止めた。彼にぶつかるまえにかろうじて体を引く。


「な、なに?」

「静かに。……聞こえないか?」


 低めた声にならって、息を殺して耳をそばだてる。それでも聞こえたのはふたりの呼吸音くらいで、夏妃は首を傾げた。


「聞こえたって、何が?」

「わからない。なにか、気配がしたような気がしたんだが」

「気配って? 他にも誰か、この通路にいるってこと?」


 言いながら、背筋にざわざわとしたものを感じた。こんな視界の利かない暗闇に潜むモノに出くわすほど、恐ろしいことはない。それに、その正体の知れないモノが犯人である可能性だって捨てきれない。

 夏妃の思考を読んだみたいに、ユウが宥めるような口調で言った。


「この通路のことを知るのは王族と、直属の護衛騎士くらいだ。もとは戦争時の避難用に作られたものだからな。それに犯人が隠し通路の存在を知ったところで、使えない。そういう仕掛けがしてある」


 仕掛け? 初耳だ。決められた者しか使えないなら、ここにいる自分の存在はどうなのだ。ぐるぐると考えるうちに怖い想像に行きついて、彼とつないだ手に力を込めた。


「ま、待ってよ。使える人が決まってて、犯人も使えないんだったら……、『気配』って誰なの?」

「……」


 帰ってきた沈黙が余計に怖い。頬を引きつらせた夏妃の手を引く、ユウの歩調が速くなる。


「まさかとは思うが、急ごう。出口はすぐそこだ」


 頷いて、必死に彼を追った。焦りと速度で、息が上がる。やっと通路の外に出た時には、ぜえぜえいいながら息を整えなければならなかった。


 今度抜け出たのはどこかの廊下のようだ。ひと気も明かりもなく、しんと静まり返っている。

 狭い出口から這い出て振り向くと、なんだか高価そうな壺が置かれたテーブルの下に四角い穴があった。さっきから思うけれど、この隠し通路の出入り口は妙なところにばかりある気がする。暖炉の奥とか水の入っていない室内噴水の裏とか、使用中だったらどうするんだろう。


 顔を上げると、ユウは観察するように廊下を見まわしていた。彼を横目に出口を閉じようとしたが、重くて動かない。ユウは教室の引き戸みたいに軽々と開けていたというのに、どういうわけだろう。

 四苦八苦しているうちにユウがやって来て、手を貸してくれた。彼が触れた途端、嘘みたいに軽く動いて閉じた。唖然としつつ、ユウの顔を仰いだ。


「それが、仕掛けってこと?」

「そのひとつだな。隠し通路の出入り口を動かすには、こつがある」


 そう言いながら手を貸して、立たせてくれた。


 歩き出した彼に続いて廊下を進む間も、全くひとの気配を感じなかった。勢いを変えずに窓を叩く雨の音が、不規則に響いている。

 今はもう太陽が高く登っているはずの時間帯だが、外は薄暗い。ぼんやりしていると今が昼か夜かさえ分からなくなりそうだった。


 やがて、廊下の突き当たりに辿り着く。そこには今まで前を通り過ぎてきたのと変わらない、何の変哲もないドアがひとつ。けれど、その前に立ちドアを見つめるユウの表情は硬かった。


「これが、『ガルデニアの葉陰』だ」


 彼が指し示したドアの上部には、花の描かれた銅のプレートが(はま)っていた。その花の形は確かに見覚えがある。ここには花だけでなく、こんもりと茂る小さな葉まで描かれていた。


「このあたりの部屋は、今はほとんど使われていない客室だけれど、昔は王族の居住空間だったと聞いている。ここは『花の間』と呼ばれている部屋だが、わざわざガルデニアが描かれているからには、ガルデニア王妃の私室として使われていた場所だったのだろうと思う」

「じゃあ、封筒に入っていたのは、ここの鍵なの?」

「そうなのだろうな」


 取り出した封筒を逆さにして手のひらに鍵を落とした彼は、ふいに眉をしかめた。


「……よく見ていれば、ここにも手がかりはあったようだな。ガルデニアの花の模様がある」


 言われてみれば、繊細に掘り込まれた模様はプレートのものと同じだ。気が付かなかった。


「なら、ここで間違いないんだね」


 ほっとして思わず頬が緩んだが、鍵に視線を落とすユウの表情はこわばったままだ。不安なのだろうか、と思ったのだが、彼がこぼした呟きは苛立たしげだった。


「……そういうことか。まったく、何を考えている?」


 急に荒い口調で毒づく彼とドアを見比べる。


「なにか、わかったの?」

「今、ナツキにもわかる」


 そう言って、躊躇いもなく手にした鍵を鍵穴に差し込んだ。少しの抵抗もなくかしゃんと音を立てて解錠され、ノブを掴んだ彼は戸惑う夏妃に言った。


「安心していい、危険はないだろう。だが、これから面倒なことになる」

「は?」


 問いただす間もなく、ユウがドアを押し開けた。薄暗い室内に夏妃の目が慣れる前に、彼の硬い声が雨音に重なって響く。


「つまらない遊びはここまでだ。今の城中の騒ぎを知っているのか? 貴女のことだ、すべて理解した上でのこの暴挙なのだろうが。どういうつもりなのか説明していただこう。

 ――母上」


 自分の耳が、おかしくなったのかと思った。混乱で、思考が空回りする。


 薄暗い部屋の奥に、オレンジ色のランプの光が灯る。窓際の椅子に座り、優美に微笑む女性が膝の上の本を閉じた。客を迎える女主人のような威厳に満ちたまなざしが、二人を迎えた。


「思ったより遅かったのね。でもまあ、上出来でしょう。おめでとう、ユウェル。それに黒色を持つお嬢さん。あなたたちが、宝探しの勝者よ」


 優しい笑みに、背筋が凍る。

 立ち尽くす夏妃の耳に、遠雷が聞こえた気がした。


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