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希少保護生物指定女子。  作者:
Ⅴ.陰謀と王子様
23/41

 案内に従って付いていくと、ウィオラはいままで立ち入る気にもなれなかった城の奥へと進んでいく。やたらと複雑に廊下を曲がるので、とっくに数えるのはやめていた。ここで迷子になったら一生さまよい続けて抜け出せないのではないかという気さえしてくる。


 岩山の内部に入ったためだろうか。進むにつれて日差しが届く場所は少なくなり、ぽつぽつとランプの明かりが見え始めた。明るい場所では目を見張るほどの繊細な細工模様が施された柱や壁も、鈍いオレンジの光の中で見ると、どこかおどろおどろしく見えてくる。

 廊下の隅に凝る暗闇も、何かが潜んでいるのではないかと思わせるほどに濃かった。ウィオラとはぐれたら、待ち構える怪物に頭からばりばり食われるに違いない。


 そんなことをぼんやり考えてながら歩いていると、一つの扉の前でようやくウィオラが立ち止まった。夏妃を振り返って、彼女は丁寧に頭を下げた。


「こちらが、殿下の私室になります。中でお待ちですので、ここからはナツキ様おひとりで」

「わかりました。案内、ありがとうございました」


 いいえ、と微笑んでウィオラは廊下を戻っていく。夏妃は両開きの扉を見つめ、一呼吸おいてからノックし声をかけた。


「夏妃です。ユウ、いる?」


 中から「入れ」とユウの声がしたので、とりあえず従って扉を押し開けた。

 部屋の中は、一面本で埋め尽くされていた。壁が全面本棚になっており、床にも所せましと本の山が築かれている。正面の大きな窓から外の光が差し込んでいたが、部屋は全体的に薄暗く、本棚の圧迫感で実際よりも狭く思える。

 扉を開けた格好のまましげしげと部屋を見ていると、窓枠に座っていたユウが怪訝そうに声をかけた。


「何してる? 入って扉を閉めろ」

「……あ、うん」


 扉を後ろ手に閉めて、本を避けつつ窓に近づく。その間も観察すると、この部屋には家具らしい家具がほとんどなかった。隅の方に押しやられたようにテーブルと椅子が置いてあったが、その上には今にも雪崩を起こしそうなほどに本が積まれていて、本来の役目を果たしていないことは想像がつく。


 ユウの手にも分厚い本があり、崩した書体で書いてあるタイトルは、夏妃の付け焼き刃の読解能力ではさっぱりわからなかった。

 彼は音を立ててそれを閉じると、窓枠に乗せていた足を垂らして夏妃に向き直った。


「よく来たな」


 にこりともせずにそう言ったユウに、まずは気になっていたことを聞いた。


「ユウは、王子様なんでしょ? 会議に参加しなくていいの?」

「問題ない。謁見の間に行ったのは、飽くまでナツキの後見人として名乗り出るためだったからな。その後の議題に興味はない」


 興味ないって。王妃様はつまりは彼の母親なわけで、これ以上ない関係者だと思うのだけれど。

 しかし、ユウがああして保護を申し出てくれたのは正直嬉しかった。彼もエルヴァもいなかったら、あそこまですんなりとはいかなかっただろう。そう思うと、自然と感謝の言葉が口をついた。


「ユウ。保護のこと、ありがとう」


 ユウは一瞬目を見開いて固まったかと思うと、早口に言った。


「……いや、ナツキのことは気にかかっていたからな。友人として、当然のことをしたまでだ」


 だから、どうしてその『友人』というやつにこだわるんだろう。いつの間にそういう認識になっていたのか気にかかる。


「それで、話ってなんなの?」


 ここに呼ばれた理由をまだ聞いていなかったので、単刀直入に訊ねた。ユウは少し間をおいてから、真顔で言った。


「実は、お前に頼みがある」


 ……頼み?


「まあ、私にできることなら……」


 控えめに答えると、彼はふん、と鼻を鳴らした。


「できるできないではなく、やってもらうぞ。お前は『黒色』を秘密にする代わりに何でもすると言ったではないか」


 うかつすぎる過去の自分の口を縫いに行きたい。半ば本気で思ったけれど、実行できるわけもない願望は胸にしまって、眉を寄せるにとどめた。


「だからって、命がけのことまでするつもりはないからね?」

「心配せずとも、お前を危険な目に合わせるつもりはない。ただ、私を手伝ってほしいだけだ」


 語る彼の髪が陽光をはじいて輝く。目を細める夏妃に、彼は静かに言った。


「私は、母上を探しに行く。ナツキにも、ともに付いてきてほしい」


 数回瞬いて、その意味を理解した。


「え? それって、私たち二人だけで……ってこと?」

「無論だ」


 断言するユウのにじみ出る自信はどこから来るのか、心底疑問だ。


「だ、だって、犯人が王妃様を攫ってどこに逃げたか、わからないんだよ? もうずっと遠くに逃げたかもしれないんだし」


 王都に来るまでの途方もない道のりを思えば眩暈がする。犯人が分からない以上、龍のテリトリーの中にいるのかどうかさえ怪しい。それをたった二人でどうにかできるとは、到底思えなかった。

 しかし、ユウはまたもや自信に満ちた口調で言い放った。


「いや。探すのはこの城の中だけで十分だ。犯人は、城の中にいるはずだからな」


 ……おお。「犯人は、この中にいる!」。一度は言ってみたい名台詞だ。

 じゃなくて。


「な、何を根拠に?」


 戸惑う夏妃に、ユウは手にした本に挟まれていた紙片を差し出した。受け取ったそれは無地の封筒で、わずかに重みがある。なんか、嫌な予感。

 ちらりとユウを見れば、「見てみろ」と促される。しぶしぶとすでに開封済みの封筒から折りたたまれた紙を取り出して、開く。そこには龍の言葉で書かれた短い文章があり、楷書体だったので夏妃にも何とか読むことができた。


『ほうじゅのありかはがるでにあのはかげ』


 ……実は、龍の言葉には句読点がない。夏妃が未だ長文を読むのに苦労しているのには、このへんの事情もある。

 ひらがな変換だと龍族の名前並みの暗号文を、どうにか自分の脳内で置き換えた。


 ―――宝珠のありかは、ガルデニアの葉陰。


 うん。まだわからない。


「ユウ、宝珠って何?」


 訊ねると、彼は頷いて説明してくれた。


「母上とともに消えた宝というのがそれだ。一般には“龍玉(りゅうぎょく)”と呼ばれるもので、王冠と対になっている。王冠は王を、龍玉は王妃を象徴する。王冠を(いただ)いた王と龍玉を身に飾った王妃が並んで、即位式に臨むんだ。つまりは龍玉が戻らないと、次の王も即位できない」

「た、大変じゃない!!」


 淡々とした彼の態度に逆に慌ててしまう。宝としか聞いていなかったから高価な宝石くらいのものは想像していたが、そんな国宝級のものだったとは。

 今になって、脅迫状の中身を聞いて血相を変えた大人たちの気持ちがよくわかった。あれは、王妃が攫われたということだけが理由ではなかったのだ。


 もう一度紙片を見て、夏妃はふと疑問に思った。


「このほかには何も書いてないけど……。どうして、これで犯人が城の中にいるってわかるの?」

「封筒の中を見てみろ。それを見ればナツキにもわかる」


 言われるまま封筒を覗き込むと、何か小さな金属らしきものが入っていた。封筒の重みの原因はこれだったらしい。封筒をひっくり返すと、手のひらにずしりとした重みが落ちてきた。

 金色の、鍵だ。いかにも高価そうな、繊細な模様を刻まれたそれには、ものすごく見覚えがあった。


 夏妃は首にかけた紐を手繰り寄せ、服の中から銀守りを取り出した。一緒に下がる自室の鍵と、封筒から出てきた鍵を手のひらの上で見比べる。模様や鍵穴に差し込む部分の形は違うけれど、二つの鍵はほぼ瓜二つだった。


「わかったか?」


 ユウに訊ねられ、ややぎこちない動きで顔を上げた。


「……この封筒、どうしてユウが持ってるの?」

「今朝、読みかけの本を開いたらそこに挟んであった」

「そのこと、王様には……」

「誰にも言っていない。知っているのは私と、ナツキだけだ」


 こわばる顔で、二つの鍵を握りこむ。


「ねえ、ちゃんと報告するべきだよ。私たちだけでどうにかできるとは思えない」

「それを父上やヴェレに提出しろと? してどうなるんだ?」


 どうって。

 ユウはため息をついて、腕を組んだ。


「取り上げられて、また会議、だろう? 時間の無駄だ」

「でも、ユウのお母さんの命がかかってるんだよ。慎重にならないと」

「だからこそ、私はナツキだけに話した。この封筒を挟んだ者が犯人かどうかもわからない。母上やその居場所を知る者が、どうにか犯人の目を盗んで私に届けた手がかりなのかもしれない。それを周知にすることのほうが危険だと思わないか?」


 ぐっと言葉を飲み込んだ。いくらでも反論は出来たけれど、ユウの言うことももっともだと思えたのだ。

 それでもどうにか、懸念を絞り出す。


「でもこれが、犯人の仕掛けた罠かもしれないよ」


 王妃と宝に続いて王子まで敵の手に落ちれば、ますます龍の国は窮地に陥ることになる。

 それでも、とユウは呟いた。


「父上が動けぬ時だからこそ、私が母上を探しに行きたいのだ」


 それが、彼の本心なのだと分かった。

 言葉を失くした夏妃に、彼は続けて言った。


「ナツキには関係のないことに巻き込むことになる。先ほどはああ言ったが、危険なことが絶対にないとは言えない。だが、他の誰かに頼ることも出来ぬのだ。手を貸してはくれないか?」


 ……たぶん夏妃は、彼を止めるべきなのだろう。常識的に考えれば、そのはずだ。すすんで危険なことに首を突っ込む必要なんてないのだから。

 でも、ユウは友達なのだ。夏妃自身もそう思い始めていたことに、今気が付いた。友達なんていうのは、気が付いたらなっているものなのかもしれない。王子様の友人なんて肩書には戸惑うけれど、ユウの友達なら、悪くない。


 どこか不安そうに夏妃の返事を待つ彼を見つめ返す。ちっとも11歳には見えないし、きらきらした陽光を背負うのがとても様になる。それでいて、夏妃を『友人』と呼んで笑う彼はいつも年相応だった。それは、彼よりずっと幼いティリオを思わせるほどに。


 夏妃は紙を折りたたみ、鍵とともに封筒に戻した。それをユウに差し出して、諭すように言った。


「あのね。こういうのはお互い様なんだから、そんなにかしこまらなくていいよ。ユウは私を助けてくれたもの。私もユウを助ける」


 にっと笑って続ける。


「当然でしょう。友達だもの」


 ユウは戸惑った表情で封筒を受け取った。やがて、じわじわと目を見開いて、自信なさそうに首を傾げた。彼のこんな顔は初めて見る。


「……本当にいいのか?」

「うん」


 迷いなく頷くと、彼はやっと、心から安堵したように微笑んだ。


「……ありがとう」


 その時の顔といったら。この世の光という光を集めたみたいに眩しくて。直視した夏妃は、薄暗い部屋の隅にダッシュしたいのを堪えて必死に笑みを張り付けた。

 後から思い出しても、「わー!!」と赤面して悶絶したくなるくらい、すさまじい破壊力の笑顔だった。


 恐るべし、きらきら王子。





 その後、会議は夕方近くまで続いたらしい。たまたま廊下で顔を合わせたエルヴァは、すっかり憔悴した様子ながらも穏やかに夏妃を労わってくれた。

 会議は結局、結論に至ることはなく、とりあえず王立の軍や国王直属の龍騎士の部隊を使っての捜査・捜索は開始されたという。一般市民の無用な混乱を防ぐために、大がかりなことはできないので時間がかかりそうだ。


「こんなことになってすまないね。しばらくは騒がしいだろうが、皆力を尽くしている。きっと早いうちに解決するだろう。心配せずにゆっくりしていなさい」


 優しい言葉に、つい俯いてしまいそうになる。


「エルヴァさんも、無理しないでくださいね」


 ありがとう、と微笑んで廊下の先に歩いていく彼の背中は、やはり疲れを隠しきれていなかった。

 なんと言おうと、彼は王妃様や宝が見つかるまで無理を続けるのだろう。その姿が見えなくなるまで見送って、部屋に戻った。


 その夜は雲が少なく、深夜ごろには膨らんだ月の明るい光が冴え冴えと地上を照らしてくれていた。窓を乗り越えて地面に降りた夏妃は、月明かりを頼りにして、壁伝いを窓よりも身を低くして歩いた。どの部屋に誰がいるかわからないので、姿を見られるわけにはいかない。


 ほぼ中腰の姿勢に足腰が悲鳴を上げ始めたころ、目的の渡り廊下が見えてきた。最初にユウと出会ったあの場所だ。ひと気がないことを確認して近づき、木立にでも隠れていようか、と考えたところで名を呼ばれた。

 右を見て、左を見て、上を見る。渡り廊下の屋根の上に、夜闇に浮かび上がるプラチナブロンドが見えた。


「相変わらずぼーっとしてるな」


 呆れ声のユウに、夏妃もひそめた声で言い返す。


「ユウこそ、懲りずに上から来るんだね。また降ってくるの?」

「私は同じへまはしない」


 屋根の縁から身軽に飛び降りた彼は、ほとんど音もなく地面に着地した。下が柔らかな土だとはいえ、下手すれば骨折くらいはあり得る高さだ。感心している夏妃の前で軽く服を払った彼は、周囲を窺いながら言った。


「誰にも見られなかっただろうな?」

「……うん。大丈夫」


 少し間を開けて答えると、怪しむ視線を向けられた。


「本当か?」

「大丈夫だよ。絶対に見られてない」


 慌てて、重ねて頷く。まだ訝しげではあったけれど、彼はそれ以上追求せずに夏妃を促した。


「なら、行くぞ。いつまでもこうしていては見つかる」


 差し出された白い手を前に、一瞬だけ迷う。エルヴァの疲れの残る顔を、ウィルの怒ったような顔を思い出す。それらを振り切って、ユウの手を握り返した。


 信じると決めたのだ。後悔はしない。


 手をつないだふたりの髪を、ふいに吹き付けた強い風が揺らした。(なぶ)るような風に乗った雲の影が通り過ぎ、つかの間月を遮る。

 再び月明かりが照らし出した中庭には、もう誰の姿もなかった。


   ◆◆◆


 嵐が近づいてきているという。

 城を囲む木々はざわざわと不穏な風に揺れて騒がしく、確かにその(おとず)れが近いのだということを感じさせた。

 気まぐれで窓を開けた彼は、雲の流れの速い夜空を仰いで、眼を細めた。


 この城もまた、不穏な情勢にある。混乱と、疑念と怒り。それは、変化の兆しだ。

 それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。それでもきっと、きっかけを作るのは『彼女』だろう。理性や感情よりもっと深い、本能のようなもので直感していた。

 何者でもない、この世界にただひとりきりの彼女。その存在が運命の舵を切るのは、当然のことのように思える。


 部屋の中に吹き込んだ風が、何かを揺らしてかさかさと軽い音を立てた。ランプが消えた暗い室内を振り返った彼の目に、ドア下に挟まれた紙片のようなものがはためくのが見えた。

 ずっとこの部屋にいたはずなのに、気づかなかった。

 ドアに歩み寄り、膝をついた。廊下から漏れる明かりに浮かぶ紙片は折りたたまれていて、その間に何か重しが挟まれているようだった。紙片ごと抜き取って部屋の中央へ行き、テーブルの上のランプを点ける。


 開いた紙片には、(つたな)い龍の言葉が並べられていた。重しになっていたのは紐の部分を結んでまとめてある首飾りで、その先には鈍い金色の鍵と、暗色の石がはめ込まれた銀のコインが下がっている。どちらも見覚えのある物で、その持ち主に思い当たると同時に苦笑が浮かんだ。


「何かあれば……って約束は守ってくれたってことかな」


 テーブルにもたれて、手のひらの中の首飾りを見つめる。

 ウィルにこれを託して、彼女は動いた。ならば、何をしてでも、信じてくれた彼女に応えたいと思う。

 嵐の中で、彼女の心が折れないように。瞳がまっすぐに前を向いていられるように。そのためなら、火でも水でも槍でも魔術でも、彼女の代わりに受け止めよう。


 時折胸をざわつかせる感覚に、まだ名前を付けるつもりはないけれど。


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