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希少保護生物指定女子。  作者:
Ⅲ.雨下の黒、異世界の一秒
13/41

 村にようやく帰ってきた夏妃は、村長の家に連れて行かれ、食事や入浴で散々シルエラに世話を焼かれた後、オレアたち若夫婦の部屋のベッドを借りて眠った。

 夜通し満足に眠れず、疲れ果てていたこともあって、枕に頭をつけるなりすぐに意識がなくなった。次に目を覚ました時には、窓の外はもう日が傾き始めていた。


 ぼんやりと毛布にくるまったまま窓の外の空を眺めていると、くぐもった怒鳴り声が聞こえてきた。これは、シルエラのものだ。今度ははっきりと目が覚め、ベッドから降りて枕元に用意してあった衣服に着替える。


 寝室のドアを開けると、よりはっきりとシルエラの声が聞こえた。


「まったく、情けないよ、私は。いい年をした男どもがこそこそと、女の子を寄ってたかっていじめてたなんて!」


 これはどう考えても夏妃のことだ。慌てて廊下を進み、声のする客間のほうへ急ぐ。そのドアの前で、オレアが困り果てた顔をしていた。彼女は夏妃に気付くと、表情を和らげて微笑んだ。


「あら、おはよう。調子はどう?」

「大丈夫です。ありがとうございます。あの、シルエラさんは……」


 オレアは頬に手を当てて苦笑した。


「これまでの経緯をウィルやおじいさまに聞いたお義母さまが、怒り心頭でね。すごい剣幕で、だれも仲裁できないのよ」

「そんな……。私のせいなのに」


 うつむくと、オレアは首を振る。


「いいえ、私もお義母さまに賛成よ。女の子を泣かせる男なんて最低だわ。あの人たちの自業自得です」


 笑顔でさらりとそう言い切った。

 おっとりさんだと思っていたが、意外とはっきりものを言う。気性はむしろシルエラに近いのかもしれない。彼女をうかつに怒らせるような真似は避けよう、と胸に刻む。


「とりあえず、入ってみても大丈夫ですかね……?」

「あら、意外にたくましいのね、ナツキちゃん。じゃあ、このお茶もお願いしていいかしら」


 ごく自然に抱えていたトレーを押し付けて、助かったわぁと言いながら行ってしまった。


 うん。やっぱり一筋縄ではいかないタイプだ。


 なんとなく敗北感を覚えながらドアを押し開けると、奥のテーブルセットにウィルとエルヴァが座り、シルエラが仁王立ちでこちらに背を向けていた。夏妃に一番最初に気付いたのはエルヴァで、彼は心底ほっとしたように笑みを見せた。


「ああ、ナツキ。もう身体はいいのか?」


 その途端、シルエラが振り向き、一気に甘やかす声になって駆け寄ってきた。


「起きて大丈夫かい? もっとゆっくりしていてもよかったのに」

「いえ、さすがにこれ以上は体に悪いと思うので。これ、お茶です」

「すまないね」


 エルヴァが立ち上がり、トレーを受け取る。それをテーブルに置くと、夏妃に長椅子を示した。


「座らないか。話したいこともある」

「これ以上この子に何を……」


 また臨戦態勢に入ったシルエラを、エルヴァが静かにさえぎった。


「シルエラ。確かにお前の言うことはもっともだが、これは私たちとナツキの問題だ。ナツキが私たちを許せず、罰したいというなら従おう。だが、お前がこの子を囲ってしまったら歪むものもある。わかるな」


 シルエラは何か言い返したそうだったが、結局は息を吐くだけで頷いた。


「……そうだね。私は出てるよ、ここにいたら口をはさんじまう」


 部屋を出ていくシルエラを、夏妃は呼び止めた。


「シルエラさん。ありがとう」


 彼女は振り向き、力強く微笑んだ。


「また泣かされたら呼びなさいな。私がぶん殴ってやるよ」

「うん。でも大丈夫、自分でなんとかするよ。一回くらいむかつく相手を殴ってみたいし」


 その意気だよ、と笑ってシルエラは部屋を出て行った。

 ウィルがわざとらしく肩をすくめた。


「怖いなあ。ナツキまでシルエラに似てきたよ」

「あれ、だめかな。強くてかっこいいじゃない、シルエラさん」

「そう言われると、男としての俺の立場がないんだけど……」


 急に落ち込んだウィルの向かいに腰かけて、お茶をそれぞれに配る。たぶんシルエラのためのものだったが、一組をもらって自分の前に置いた。

 いただきます、とお茶を一口飲んだところで、エルヴァが口を開いた。


「ナツキ、君には本当に申し訳ないことをした。許してほしい」


 頭を下げたエルヴァに戸惑っている間に、ウィルも続けた。


「元はと言えば、このことを持ち出したのは俺だったんだ。ごめん」


 大の男二人に頭を下げられて、夏妃は慌てた。カップを置いて、おろおろと腰を浮かせる。


「あ、あの、許すとかどうとか以前に、私こそ謝らなきゃいけないし……。っていうか、もうお互いさまじゃないですか」

「もう許すの? ナツキこそ甘いんじゃない?」


 ちらりと顔を上げて笑うウィルに、少しむっとする。


「どっちが。私、まだティリオのことで謝ってないし」

「そのことで君を責めるつもりはないよ。勝手に森に入ったあの子を助けてくれたのはナツキだ。ナイフのことも聞いたが、あの子自身が気にしていないんだ。君に感謝こそすれ、咎める者は誰もいない」


 顔を上げたエルヴァがそう言い、夏妃は途方に暮れた。


「感謝って……」


 ここまで好意的に解釈されてしまうと気後れする。しかし、文句を言うわけにもいかないし、このままでは謝り合戦で収拾がつかない。夏妃は、食い下がりたい思いを飲み込むことにした。


「……わかりました。みなさんが私を許してくれるなら、それと相殺で私もふたりを許します。これでプラスマイナスゼロですよね?」


 エルヴァとウィルは顔を見合わせ、苦笑した。


「なるほど。それなら私たちもこれ以上しつこくは言えないな」

「そうですね」


 ほっとして、椅子に座りなおす。もう一度両手でカップを包み込みながら、彼らを見た。


「だいたい、私だって謝られる理由はないですよ。ふたりは私を心配してくれたんでしょう?」


 少し甘い香りのする、濃い色のお茶の水面を見つめながら唇をかんだ。


「それなのに、私は自分のことばかり考えてました。本当に、最低」


 自己嫌悪を込めて呟く夏妃を、エルヴァがやわらかな声音で呼んだ。顔を上げると、金緑色の眼がじっと見つめていた。自然と背筋が伸びる、彼独特のまなざしだった。


「自分のことを優先しちゃいけないなんてことはないさ。君は君を大事にしていい」

「でも、もっとしっかりしないと、私……」


 言葉がしぼむ。エルヴァの瞳はどこまでも優しかった。


「そんなに気負う必要はない。別に王様になるわけじゃないんだ。君が責任を持たなきゃならないのは、自分の命ひとつ。その責任をまっとうする以上の義務なんかないと、私は思うよ」

「命ひとつ……」

「そう。君だけの大事な宝物だ。誰にも譲ってはいけないし、誰かと比べなくていい。悩んで、時間をかけて、一秒一秒まで大切に使いなさい」


 なんだか、泣きたい気持ちになった。指の先まで温まる心地がする。声が出せず、頷くので精いっぱいだった。

 言葉がなくても、気持ちが通じているのがわかる。オレンジの光が射す部屋の中は、ひどく居心地が良かった。


 やがて、甘い匂いとともにシルエラが部屋に戻ってきた。これは、と思い振り返ると、ずかずかと近づいてきた彼女は大きな皿をテーブルの真ん中に置いた。男二人の表情が凍りつく。


「これは……」

「もしかして……」


 もしかしなくても。

 シルエラは満面の笑みで腰に手を当てた。


「私も何とか解決策を見つけようと思ってね。これでふたりを許すことに決めたのさ」


 確かに、彼らには大きなダメージになったようだった。

 夏妃には懐かしい、シルエラお手製の黒キルシェのケーキがそこに鎮座している。しかも、ワンホール丸ごと。


「これ全部、食べるの? 丸ごと?」


 心なしか涙目のウィルがシルエラを窺う。エルヴァはすでにあきらめ顔で彼の肩をたたいた。


「まさか嫌だとは言わないだろうね?」


 完全に悪役の顔でシルエラが言う。夏妃は、こらえきれずにお腹を抱えて笑った。


「さすが、シルエラさん。今度ケーキの作り方教えてください。殴るよりも効果的そうだもの」

「ここに悪魔がもうひとり……」


 げんなりした顔のウィルが頭を抱える。その彼に、シルエラがとどめを刺した。


「そうそう、ウィル。今回のことはコルナリナに伝えるからね。詳しく、徹底的に」


 力を込めて言われ、彼は声もなくテーブルに突っ伏した。心底憐れむ顔のエルヴァが、また彼の肩をたたく。いったいどんな女性なんだ、コルナリナさん。ものすごく興味がある。


 嬉々としてケーキを切り分け始めたシルエラの後ろを通りぬけて、ウィルの隣にしゃがみこむ。突っ伏したままの彼に訊いた。


「ねえ、腕の怪我はいいの?」


 彼は顔を横向けて、包帯を巻かれた腕を持ち上げて見せた。


「ぶちぶち文句言いながらも、ちゃんとシルエラが手当てしてくれたよ。半月もあれば完治する」


 よかった。安堵の息をつく。もうひとつ伝えたかったことを、両手を口に添えて彼の耳元に囁いた。


「あのね。さっきまで眠ってた間、あの夢を見なかったの」


 たまたまなのか、もう見ないで済むのかはわからない。それでも。


「そうか。よかった」

「ほら、ナツキも座りな。いま、ティリオたちも呼んでくるからね」


 笑って頭を撫でてくれる体温と、優しく夏妃を呼んでくれるあたたかな存在が支えてくれるから。

 夏妃はこの場所で、笑っていられるのだ。


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