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希少保護生物指定女子。  作者:
Ⅲ.雨下の黒、異世界の一秒
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 こんなのって反則じゃない? 赤ずきんちゃんだって三匹のこぶただって相手の狼は一頭だけだった。

 麻痺しかけた頭でそんなことに憤る。


 ある日森の中で出会った狼さんにはどうすべきか、夏妃に知識はない。

 初めて龍に出くわしたときも危険を感じはしたけれど、なにせ相手は「龍」なのだ。現実感なんてなかった。

 それと狼とはまた違う。おとぎ話の中とはいえその狂暴性を知っているし、日本では絶滅していても他の地域には実在する獣だ。危機感をあおるには十分だった。


 とにかく、狼の群れがこのままティリオと見つめあったままで満足してくれるかどうかの保証はない。大きな音を立てないようゆっくりとティリオに歩み寄りながら、ぎりぎり届く程度の声をかける。


「ティリオ。狼の眼を見たまま、背中を見せないようにこっちに歩いてみて。できる?」


 熊と出くわしたときの対処法にそういうものがあったはずだ。背を向けると獣は追ってくる習性があるとか何とか。

 ティリオは身じろぎしたが、狼に視線を固定したまま動かない。やはり、難しいか。夏妃だって、足がすくんで今にも止まりそうだ。


 ティリオに近づくにつれ、森の中の狼の姿がはっきり見えるようになった。

 金の鋭い眼。硬そうな濃い灰色の毛並み。大きさはゴールデンレトリーバーの成犬ほどもある。人懐こい飼い犬とは違うこの群れに襲われたらと思うと……、想像するのを理性が拒否した。


 やっと手が届くというくらいの距離になって、ティリオが金縛りから解けたような勢いで夏妃に飛びついた。抱きとめて、彼が腕に抱えた仔犬を見てやっと気づく。ここまで狼の群れがやってきた理由。ティリオと一緒にいた仔犬が森に飛び込んだ理由。

 ティリオを背にかばって、狼の群れと正面から対峙した。


「この仔は、あなたたちの子どもだったのね?」


 返事はないと知りながら、訊ねていた。胸の内は苦い思いでいっぱいだった。


 エルヴァやウィルは気づいていた。だから、仔犬を受け入れることを一度ためらったのだ。でも、夏妃は知らなかった。仔犬だと信じて疑わなかった。

 教えてくれていれば、と思うのは八つ当たりだ。それより今は、目の前のことをどうにかしなければならない。状況はたぶん、最悪だった。


 子どもを返せば大人しく帰ってくれるだろうか。望みは薄いが、今できるのはそれしかないような気がする。


「ティリオ、その仔を離してあげなさい。その仔の本当の家族はこの狼たちなの」

「でも、もうオーロはぼくのかぞくでもあるんだよ」


 ティリオは戸惑っていた。夏妃は振り向きたくなるのを抑えて、前を見たまま訊ねた。


「オーロって名前を付けたの?」

「そう。オーロリストエルマーナだよ」


 ペットの名前にしてはやけに大仰な響きに、こんな状況だと言うのについ力が抜けた。龍の名前からすれば常識の範囲内なんだろうか。……よくわからないけど。


 狼に動きがないか眼を走らせながら、ティリオの説得を続けた。


「でもね、どちらの家族を選ぶかはその仔が選ぶことなの。自分に置きかえてごらん。ティリオが迷子になって、見つけてくれた誰かに親切にしてもらって、家族になろうって言われたら。そしたらティリオは、すぐにそこの家の子になれる? 自分で選びたいでしょう?」


 ティリオが押し黙る。迷う気配はあったが、彼が仔狼を地面に下ろすまで、それほど時間はかからなかった。

 鼻をすすりながら、それでも小さな仔狼を思いやった彼を優しい子だと思う。この後どうなっても、彼だけは逃がそうと決意する。その夏妃の足元を、転げるように仔狼が駆けて行った。

 群れの先頭にいた狼が鼻面を下げ、子どもの鼻先と触れ合わせる。その姿は確かに、親子の触れ合いに見えた。


 やがて顔を上げたその狼が、二人の方へ踏み出した。他の狼もじりじりと、間合いを詰める。やはり、許してはもらえなかった。絶望的な気分になりながら、ティリオを逃がす術を懸命に考えた。ティリオは幼い。自分が時間を稼ぐしかない。


 一歩踏み出そうとした夏妃の目の前を、背の高い背中が遮った。

 緊張で、視界が狭まっていたのだろうか。それまで全く気付かなかった。驚く夏妃の視線を背に受けて、彼は飄々と言った。


「自分が囮になろうって? なかなか自暴自棄だね」


 心を読んだようにそう言って、彼はちらりと視線をよこす。表情は笑っているが、眼は真剣だった。首を縮めながら、それでも安堵した。


「ウィル、ごめん……」

「まあ、間に合ってよかった。すぐに村の大人たちも追い付く。もう少し辛抱して」


 そう言い置いて、彼は狼の群れに向かって一歩踏み出した。動きを止めた狼たちに向かって口を開く。


「申し訳ない。貴方たちの子どもとは知らずに保護していたようだ。しかし、害意があってのことではない。それは信じてもらえないだろうか」


 ウィルの口調には狼への敬意がにじんでいた。おそるおそる見れば、確かに彼らの眼には深い知性の色がある。やみくもに襲ってくるような生き物ではなかったのかもしれない。


 しかし、続いた声にはさすがに度肝を抜かれた。


『そこをどいてくれないか、龍の若者。我々はもとより怒りを持っていない。そこの娘に話があるのだ』

「しゃ、しゃべった!?」


 つい大声を上げてしまい、自ら口をふさいだがもう遅い。ウィルが呆れた目を向けた。


「前にも言ったけど、喋らずにどうやって意志疎通するのさ。ナツキの世界って随分不便なんだな」


 夏妃からすればこっちの世界の方が奇天烈なのだが。


「じゃあ、この世界では犬も猫も馬も喋るの?」

「獣は獣だ、喋らないよ。ただ、彼らが特殊なのさ。俺たちは普通の狼と分けて、彼らを『魔狼(ルヴト)』と呼ぶ。太古からの知識を持つ森の賢者だ」

『やはり、その娘は龍ではないのだな』


 群れのリーダーなのだろう、先頭の一頭が静かな眼を夏妃に向ける。

 ウィルは再び狼たちに視線を戻した。


「そうだよ。でも、彼女は龍族の保護下にある」


 警戒する口ぶりのウィルに、狼は揶揄するように言った。


『だが、選ぶのは本人だ。さっき娘自身がそう言っていた。お前も聞いていただろう、龍の若者』


 え、とウィルの横顔を仰ぐ。ウィルは答えず、夏妃に訊いた。


「だそうだけど、どうする?」

「……話を、聞かせてください」


 ウィルの陰から出て、魔狼の前に立つ。もう彼らを怖いとは思わなかった。

 リーダーの魔狼はその場に腰を下ろし、夏妃を見つめた。その足元にじゃれかかる仔狼と相まって、なんだか和やかな空気になりつつあった。


『まずは礼を言おう。我が娘を保護していてくれて助かった』

「いいえ、世話していたのはほとんどティリオなので、私は何も」


 ウィルの後ろから伺うティリオを示す。魔狼の眼が優しくなった気がした。


『娘に名をくれた子どもか。龍の言葉で『金色を持つ賢き兄弟』。良い名だ』


 ティリオははにかむように小さく笑った。


「……うん。いっしょうけんめいかんがえたんだ」


 その彼の言葉に反応するように、仔狼が親狼から離れ、ティリオの足元にやってきてじゃれつき始めた。戸惑う彼に、魔狼が言う。


『娘も自分で家族を選んだ。お転婆だが我々の血を引く賢い娘だ。よろしく頼む』

「う、うん!!」


 急いで頷き、仔狼を抱き上げる。


「よろしくね、オーロ」


 呼びかけると、きゃんと応えて嬉しそうに尻尾を振る。良いコンビになりそうだった。

 続いて、思わず頬が緩んでいた夏妃に魔狼の眼が向けられた。


『先ほどの会話でおおよそは理解したが、お前はこの世界の者ではないのだな?』


 ついウィルを窺いそうになり、こらえた。自分で言ったことだ。自分のことは、自分で選ばなければならない。


「……はい。元の世界で眠って、眼が覚めたらこちらの世界の森の中でした。ウィルに拾われて、緑龍の村にお世話になるようになったのが3日前です」


 ふむ、と魔狼が唸る。


『なるほど。それでわかった。お前からはこの世界の匂いがしないからな』


 わかる者にはわかることだったようだ。身を乗り出し、懸命に訴えた。


「私、どうしてこんなことになったのかわからないんです。なにか知っているんですか? それなら、教えてください」


 森の賢者と謳われる彼らならわかることもあるのかもしれない。そう希望をかけたが、返った言葉は否定だった。


『いいや。世界を越えた者の話など聞いたことがない。すまないが、お前の役に立てる情報を我々は持っていない』

「……そう、ですか」


 彼らのせいではないとわかっていても、肩が落ちた。


『だが、気になることはある』

「気になること?」


 顔を上げると、再び希望を抱く前に遮られた。


『今の段階ではそれは明かせない。我々の一族にも破れないルールがある。……すまない』


 気遣う響きに、慌てて首を振った。


「いいえ、いいんです。気にしないでください」

『だが、もし明かせるときがきたらお前に話す。約束しよう。ふたりには恩がある』

「ありがとうございます」


 頭を下げる。群れは森の中に去ろうとしていた。残っていたリーダーはもう一度振り返り、夏妃を見た。


『名前を聞いていなかった。娘、お前の名は?』

「夏妃です」

『ナツキ。知らない響きだな』

「夏妃の夏は今の季節を、妃は位の高い女性を表します。……柄じゃないんですけどね」

『覚えておこう』


 穏やかなその言葉を最後に、彼らは森に消えた。





 その場に残ったのは、夏妃たち3人と重い疲労感。……いや、もうひとつある。夏妃はウィルを振り返った。


「ありがとう。駆けつけてくれて助かった。私ひとりじゃティリオを無事に帰せなかったかもしれない」

「どういたしまして。でも、ナツキには自分の身も大事にしてほしいな。ティリオだけが無事に帰っても意味はないよ」

「そうだね。でも、ウィル。本当は全部知ってたんでしょう?」


 突き付けるようにそう言った。揺らがない彼の笑顔を睨みつける。


「知ってたって、俺が? 何を?」

「こうなることを」


 悪びれない彼に苛立つ。不信が胸を焼き、語調が激しくなった。


「あの仔が魔狼の子どもだってことを私に黙っていたのはどうして? とっくに私たちを見つけていたのに姿を見せず、隠れて話を聞いていたのはどうして? あなたの行動は全部おかしい」


 ウィルはそれでも、いつもの能天気そうな笑顔のまま。ティリオがおろおろと二人の顔を見比べている。


「何も言わないの?」

「だって、君はもう答えを知っているんだろう?」


 そう言われて、自分の顔が歪むのがわかった。泣くためでもなく、怒るためでもなく。ただ、感情を吐き出すために。


「私たちを、魔狼と会わせるため。いいえ、その時の私の反応から本音を探ることが、本当の目的だったんでしょう」


 ウィルの眼に、初めて見る硬質な光が宿る。彼は唇を引き、眼は笑わないまま穏やかに告げた。


「ご明察。よくできました」


 小学生を褒める教師のような口調。それとは裏腹な彼の表情に、背筋が冷えた。


 夏妃の頬を雨が打つ。遠雷が聞こえる。

 嵐が来ていた。

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