任務:障害を排除せよ
「なあキミ、どうして敵が来るってわかったんだ?」
レックスは笑顔で聞いてくる。
――やはり五分の猶予があっても、一度姿を発見したら逃げきるのは難しい。
「オレは目がいいからな」
呼吸を乱すこと無く大通りを走り続ける彼らの背後には、黒塗りのワゴン――ミニバン――がフルスロットルで迫っていた。
「ならさ、ほら。さっきみたいに時間戻そうよ」
そうすればまた新しい対処ができる。こちらに圧倒的なまでに有利な状況を導ける。
レックスの言葉に間違いはなかったし、便利な力を目撃して尚利用しようと考えられる人間ならば迷いなくそう口にするだろう台詞だ。
衛士は横に首を振る。
「冗談じゃない。ありゃオレの隠し玉みたいなもんなんだ。簡単に使えないし、なによりもすげぇ疲れんだよ」
切り札には成り得ない能力だ。
そもそも、まともな武器になる能力はない。飽くまで相手よりは有利になる情報が流れこんでくるだけで、全ての事を動かすのは自分だけなのだ。自分で考え、動かなければ全てはどうにでも動いてしまう。
主導権を得るか否かの判断は、衛士に委ねられている。
「ま、オレが動かなくちゃなんだよな」
衛士は狙撃銃の負紐を肩から下ろし、銃を構える。周囲の人間がエンジンの駆動音に、その爆音に驚いて道の隅に身を退いて行く中で、銃床を肩に押し当て、安全装置を外す。
「レックス! 横っとべぇっ!」
そんなめちゃくちゃな叫び声を合図にして、衛士は足を止める。と同時に大地を弾くように振り返り、勢い良く車目掛けて飛び上がった。
車が唸り声を上げて、コンマ秒で肉薄する。
やがて膝がボンネットにぶつかり、姿勢が勢い良く前かがみになる。身体がフロントガラスに叩きつけられ、屋根を転がり、まるでアクション映画のようにコロコロと車の上から滑るように落ちていく。
その過程、ちょうど身体が車から引き剥がされる瞬間に、衛士はそのミニバンの尻を見て――引き金を引いた。
右後輪のタイヤが破裂する。
凄まじい破裂音を周囲に撒き散らし、およそ七○キロほど出ていた速度が僅かに落ち、動揺がハンドル操作に現れた。途端に車はぐわんぐわんと弓なりに走り、スリップ。
車は回転しながら大きく弧を描き、やがてその横っ腹を適当な建造物に激突させた。
衛士は全身を摩擦しながら大地を転がり、そうして落ち着いた頃に立ち上がる。
レックスは驚いたような顔で駆けつけた。
「滅茶苦茶だな、キミ。スタントマンになれるよ」
「ちょっとの無茶ぐらい覚悟の上だ。にしても、これで終わるようには思えない……逃げるぞ!」
「ああ!」
スモークが貼られていて車の中が見えない。だから中の様子がいまいち分からないが、少しばかりはここで足止めされていて欲しいものだと思う。
衛士はさっそくその車が来た方向に走り出し、レックスはすかさずその後に続いた。
「はぁ、ったく。青春映画のワンシーンかっつーの!」
通りから路地に入り、対面の通りへと出る。そこから遮二無二走り続け、少しした所で足を止めた。
人通りの少ない路地だ。現在は彼ら以外に居ない。
迎え撃つとすればこの場所が適切だろう。
「やっぱり、寒い時は運動に限るよね」
「ああ全くだ。こんな心臓に悪い運動は二度としたくないけどな」
コッキングレバーを引いて薬室に弾丸を装填。衛士は大きく息を吐いて、車一台が通るのもやっとなその通路の壁にもたれかかった。
「だけど、ここからが本番なんだよな」
「ああ、あの付焼刃とかいう連中ね。正直アイツら『能力があるから俺最強』って感じのバカだから、余裕でしょ」
「その脳筋みてえな奴にゴリ押しされてみろ。余裕で死ねるわ」
「ま、今度はボクの力を見せる番かな。立場はともかく、今は生き残るのが最優先だ」
「んじゃよ、もし協会に、仲間になれって勧誘されたら、あんたはどうすんだ?」
「有利な方につく。人数がいてもバカばっかはちょっと勘弁かな」
「ああ、ちょっと安心した」
ほっとわざとらしく安堵を漏らす。吐息は白く染まりあがり、簡単に空気中に溶けてしまう。
そんな折に、ぜえぜえと呼吸を乱す連中が路地の中へと侵入した。
二人組だった。
何かスポーツでもやっていたのかと思うような体つきは、分厚いコートを着ていてもよくわかる。
一人はスキンヘッドの、マフィアか何かのような男であり、もう一人はドレッドヘアーの黒人だ。そしてふたりとも揃いも揃って手ぶらだった。
何かの冗談なのかと思ったが――表情の中に垣間見える余裕から、どうやら能力に自信があるらしい。
衛士は一先ず発砲を試みる。
銃弾はいつものように回転して瞬く間に男の胸に肉薄。そして貫通。
スキンヘッドの男は胸から血を吹き出して、空を仰ぐ。それから膝を折るように崩れていく、その最中で動きが硬直した。
否、固まったのはその男の動きだけではない。
彼は全身に霜を落としたように白く凍えて凍りつく。周囲の大地、壁には氷が亀裂のように走っていく。
気温は先ほどとは比べものにならないくらいに、まるで冷凍庫にでもぶち込まれてしまったのかと錯覚するほどに下がり、冷えてくる。
「おいおい、お前一体誰殺してんだよ……?」
そうして声は、怯えて腰を抜かすドレッドヘアーの男の後ろから聞こえてきた。
――発砲音。
男の後頭部が撃ち抜かれるのと同時に、姿が現れた。
「テメェら散々手間取らせやがってよ、いい加減頭に来んぜ……!」
突撃銃を構える二人組。
それぞれ覆面をして正体を隠すが、迷彩服に覆面で突撃銃を構える輩だ。異様だということだけはすぐに伝わった。
「なあキミ、思ったことを言ってもいいかな」
「ご自由にどーぞ」
「帰りたくなってきた……」
「なら良いぜ、見学コースに移行だ。よく見とけよ……っ!」
弾丸を装填し、衛士はレックスの一歩前に躍り出る。
面倒だから少しだけ無茶をしようと彼は思った。狙撃技術を近接戦闘に生かした、無謀過ぎる銃撃戦。それを試みてみようと思っていた。
「ふぅ……はっ!」
腰を落とし、構え、照準。
発砲。
が、二人は即座に先ほど死亡し凍りついた一般人の陰に隠れてやり過ごす。弾丸は死体の頭部を砕き、隠れた男に凍りついた肉片を浴びせるだけに終わった。
弾丸を装填。
衛士は迷いなく、だが走るわけでもなく前進した。
「レックス、もうちょっと後ろの壁際にいてくれ。多分、そこは危ないかも」
照準、発砲。
スキンヘッドの右腕が崩れ落ち、背後の地面に弾丸が叩きつけられる。
男達は隠れるばかりで、行動はない。そう思っていると、ふいに足元へ、氷が亀裂を作るように線状に走ってくる。
衛士はそれを落ち着いた面持ちで見極めて、それがすぐ股下で停止したのを見て、身を翻す。
刹那、もぐらが這ってきたような穏やかさは途端に失せ、音もなく氷は錐状の氷柱となって虚空を貫いた。切っ先は衛士の頭頂に達する長さである。
男はそんな様子を、氷像となる死体の陰から覗き見ていて――。
発砲。
弾丸は、吸い込まれるように男の額を撃ちぬいた。
悲鳴もなく、血を吹き出して呆気無く仰け反り、背中を地面に叩きつける。
一人撃破だ、と衛士は何の感慨もなく、それが当たり前のように心に呟いた。
「く、て、てめえ……まさか――と、トキ、エイジなのか……?」
男が不意にそう口にする。
敵に名前を呼ばれたのは、さしもの衛士もこれが始めてだった。
だからいざ”実際”に聞いてみても、動揺してしまう自分に気づいて、彼は足を止め嘆息する。
時間稼ぎなのだろうが、どちらにせよなぜ名前が知られているのかを聞き出さねばなるまい。その理由が如何なものか確かめなければ今後の仕事に関わるからだ。
ただ当てずっぽうだったのかもしれないし、何かに気づいて……という具合なのかもしれない。
コッキングレバーを引き、ポケットから弾薬を幾つか取り出して装填しながら、衛士は口を開いた。
「何を言っているかわからないが、そのトキ・エイジだとしたらなんだっていうんだ?」
「いや、そうだ。その顔、そして眼帯……その下には、あの光る蒼い目があるんだろう? そうなんだろ?」
「……そういうお前は誰なんだ」
こいつは、多分――。
カチリと、頭の中で何かのスイッチが入るのを、衛士は確かに聞いた。
「ははっ、やっぱりてめえか……ッ! くく、あははッ! 随分立派になったなあ! あん時ゃ『姉さん姉さん』でまともに戦えなかったんによ、ああそうか……正直言やあよ、俺らは最後の、お前の目にビビって……」
ビビってた。
だから最後の最後、既に死に体である時衛士に止めを刺す瞬間にまで至ったというのに彼らは逃げ出してしまった。
四十二人という圧倒的な数の暴力がありながらも、たった一人の意識なき、純粋な殺意だけを孕む存在に畏怖して体が動かなくなっていた。
ただ一人の少年の肉親を焼き殺し、犯し殺し解体し、それを目の前でやってのけて――男は懺悔でもするようにそう口にする。
仕事の中の一つであった少年に対する懺悔。今まで、あの日から妙に頭の中に残っていた出来事。ここで全てを吐き出し、許してもらえればすっきりする。彼はそうとさえ思っていた。
そもそも殺すための仕事ではなかったのだ。彼を、この時衛士を『特異点』に昇格させるために絶望を与えさえすればそれで良いというのが、上層部からの命令で、だがその時点では何も知らず”痛めつけろ”とだけ言われていたから、仕方のないことだった。
そこまで言うと、彼は顔を上げる。
銃口はちょうど、太ももに突きつけられた。
「ああ、そうなんだ」
発砲。
血しぶきが舞う。穢れた血が、衛士の全身を満たしていく。
男は言葉にならない悲鳴が撒き散らしながら横たわり、衛士は熱の失せた声で続けた。
「だからなんだよ」
発砲。
もう片方の足に弾丸が突き刺さる。
肉を裂き筋を千切り大腿骨を砕いて、尋常ならざる出血。太い血管でも断裂したのだろう。
ここで仮に生き残ったとしても、もうまともな生活は送れないだろう。
衛士は腰に手をやりナイフを抜こうとするが、そもそも持ってきていないことを思い出した。
そうだ。そもそも近接戦闘をする予定はなかったのだが、どうにも惜しいことをした。
衛士は負紐を肩に掛けて、狙撃銃に安全装置を掛けて、肩に提げる。
コートの中から拳銃を抜き、弾丸を薬室に送り込んだ。
「黙ってりゃもっと楽に死ねたのに、お前バカだな」
そしてどうしようもないクズだ。
全てを懺悔すれば、「よく素直に言ってくれた。お前を評価して許してあげよう」とでも言われると思っていたのだろうか。
ならばなんだ、ここは彼らにとって小学校か中学校か?
ふざけやがって……!
発砲、発砲、発砲。
両肩に弾丸を突き刺し、肘、手のひらを撃ちぬく。さらに残った弾丸を全て腹に叩きこんで、にわかな硝煙が上がり、あたりに空薬莢が撒き散らされた。
既に悲鳴はない。
衛士が男の口元に手を近づけると、その血まみれの口からは未だに臭気が吐き出されている。
良かった、生きていた。意識があるかは定かではないが、血だまりの中で仇敵は生きていた。
衛士は大きく息を吐くと、静かに呟く。
「死ぬまで苦しんでろ」
既に仕事は終えた。
彼は、彼らがそうしたように止めを刺さずに背を向ける。拳銃をコートの内側のホルスターにしまい込んで、だけどボタンは閉めずに、熱くなった身体に冷気を当てる。
「前一人殺したから……あと四○人か。こんなバカばっかなら数えるのも簡単なんだがな……」
白いコートは、奇抜な返り血の模様を新たにつけて、やがてレックスの元へとやってくる。
彼はどこか怯えた、正確には驚いたような表情で衛士を見ていた。
「人を殺すのに躊躇が無いね」
「なんだよ、人には家族があって、価値があるみたいな説教するつもりか?」
殺した相手にも家族がある。以前そう考えたことがあったが――今はどうも思わない。
こうやって死ねる場所に来ている時点でその責任を負ってやる必要は皆無であり、もし責任を取らざるを得なくなったとしたら、衛士は迷いなく引き金を引いて弔うだろう。彼はその決意を、とうの昔に固めていた。
「いいや、頼もしいと思って。キミ、歳はいくつ?」
「言わなかったか? 十七だって」
「じゅ、十代かあ……若いな」
「にしても、こんだけドンパチ騒ぎしちゃモスクワにも居られない――って、マジかよ……」
衛士は思わず左目を塞いだ。大きく息を吐き、肩を落とす。その所作は見るからに落胆の行動だった。
レックスは、それでなんとなく察しながらも、とりあえず訊いてみる。
「どうしたんだい?」
「警察に、それとさっきみたいな黒のワゴンが数台、ここに来る」
「……はは、どうしよう」
まるで冗談を言ったみたいにレックスは笑ってみせる。ほうれい線が浮き出るあたり、彼もそうそう若くはないのだろうと、彼は場違いにそう思った。
「まあ、最初の内に数を減らしておこう」
衛士は言って、手早くその場から離れるように走りだした。