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エピローグ

 長い――ひどく長い、終わらぬ夢を見ていたような気がする。

 汗ばむ気温は、まだ六月も入ったばかりだというのに随分と高い。

 塀に挟まれた路地、抜けるような青空を見上げながら、深くため息をついた。こんな景色が懐かしく感じてしまうのは、ついさっきの記憶も不確かなほど寝ぼけている頭のせいなのだろう。

 時衛士は、額から滴る汗を気にしながら――前からやってくる、妙な人影に目をやった。


 サングラス姿の男、その身は黄土色の軍服のような衣服に包まれている。

 隣に居るのは浅黒い肌の少女。白いワンピースを身につける少女の視線は、紛れもなく衛士に注がれていた。

 時刻は朝――風貌からして異国人風の、しかも妙な組み合わせに衛士は胸を高鳴らせる。

 もしかして、非日常な事件に巻き込まれるのか、と思う。

 あるいは己は、実は潜在的に凄まじい特異能力を有しているのかもしれない、と期待する。

 無論想像するだけだ。実際、そんな力など”あるわけない”し、実際にそんな事に巻き込まれても、事態が都合よく流れない限り迷惑極まりないだろう。

「ったく――完治まで半年とは、随分な痛手を負ってしまったぞ」

 ぼやく男の声が届く。

 まるでわざとらしく嫌味を告げるような口調は、まごうことなき衛士にもわかる日本語で紡がれていた。

 そんな声に、思わず足が止まる。

 男を見据えれば、男もまた、数歩手前で停止した。

「なんだ小僧、わたしの顔に何かついているか?」

「あ――いえ、な、何もない……です」

「ふん。くだらん時間を取らせるなよ、小僧。――安心しろ、貴様に後遺症などは何一つとしてない。救済というにはあまりにも不備しかないだろうが、戻れただけでも感謝しろ」

 誰に言っているのか、と辺りをキョロキョロと見てみる。だが、周囲には衛士を除けば目の前の二人しか居らず、故にその言葉は彼に発しているのだと理解した。

 だが、言葉の意味を、意図を把握できない。

 頭の上に疑問符を浮かべていれば、隣の寡黙な少女が穏やかに笑った。

『別人みたいですね。ホント……これで、良かったんですよね?』

 流暢な英語で、少女は男を見上げるように問う。

 彼はただ一瞥して頷くだけで答え、それからまた、わざとらしく息を吐いた。

「わたしはこの時空で終える。安心しろ、因果は途絶えるんだ」

 貴様の望みどおり――。

 最後まで要領を得ぬ言葉を吐き続けた男は、その瞬間。

 傍らの少女に、薄い尻の肉を力いっぱいつねられた。

 突如として走る激痛。予想できぬ魔手に苦悶の表情を差し向けると、ぎこちない英語で告げてくる。

『大人気ないですよ、大事な所――彼が理解できなくても、伝えてあげないと』

「し、しかしだなあ、アレは」

『ゼ、ク、ト、さん! これが最後かも知れないんですよ、私たちは、彼にとっての非日常なんですから』

「む……ったく、強情な娘だ。他の、もっと優しい娘を助ければよかッ――!」

 平たい靴の踵が、力いっぱいつま先を踏みにじる。唯一無傷だった足先さえも蹂躙しつくされて――全身の痛みに顔を引き攣らせながら、ゼクトはため息混じりに衛士を見据える。

 訳もわからず、だが青年は緊張した。

 サングラスは陽光に照り、怪しい反射を見せる。

「あー、ここに来てこの話をするのはひどく癪なんだが――”アレ”は貴様の勝ちだ。正真正銘、わたしは貴様に一本取られた形になる」

 まあ詰めが甘すぎて、譲歩さえしなければまごうこと無くこちらの勝利なのだが。などと喚かなかったのは、これ以上尻にダメージを残さぬためでもあるし、大人の余裕でもあった。

「ではな、小僧。縁があれば、また」

 軽く手を掲げ別れの挨拶とする制服姿の男。

 礼儀正しく頭を下げた少女は、さっさと衛士とすれ違ってしまった男の後を慌てた様子で小走りで追いかけていった。


 男らの背を見送っていると、その先からすれ違う少女の姿があった。

「エージ! もう、先に行かないでよッ!」

 彼と同じ制服を着る少女は、艶やかな黒髪を乱しながら衛士のもとへと飛び込んでくる。うまい具合に彼の腕に抱きついてくるのは、時理恵。彼の実姉――だった。

「だあッ、もう抱きつくなよくそったれ。いくら同じ穴からひり出された――あ……?」

 妙な言葉を口走る己に疑問を抱く。

 汚い台詞の羅列だ。まるで洋画の戦争モノに影響されたかのような口調に、図太い姉でさえ目を丸くして衛士を見ていた。


 ――不意に、眼が潤む。

 欠伸もしていないのに涙がたまり、鼻の奥がつんと刺激される。

 まるで泣いているようだが、感情はそれに感化されてしまったのか、どうにも虚しく悲嘆気味で仕方がない。


「言葉汚いよ、どこで覚えたのよ。そんな子に育てた覚えはありません!」

「姉さんに育てられた覚えも特に無いんだけどな。ったく、図に乗る傾向があるよ、姉さん」

 肘で脇腹を小突く姉に、衛士は肩をすくめてやるせなく答えた。

 まるで久しいやりとりのように感じる。

 平穏だ、と思う。

 ”いつもと変わらない日常”だ。

 彼にとってはこれが全てで、死ぬまで続くと確信できる時間の流れ。決して異端は発生せず、したとしても極めて常識的に考えられる範疇にすぎない。

 無意識に考える――ああ、戻ってきたのだ――言葉に疑問を浮かべながらも、これも寝ぼけのせいだろうと切り捨てた。

「姉さん――」



 不意に脳裏によぎる――記憶。

 創り上げられる架空の記憶。夢想の中だけに安置された妄想。

 頭の隅から、知覚せずには居られない範囲を走る、疾走はしる、疾駆はしる――。

 黒ずんだ紅にまみれた世界。

 鼻につく硝煙。

 指に重い感触。肩を叩く猛烈な一撃。

 嘘の感触。偽の痛み。

 妄想だ、と切り捨ててもいい。

 だが――失われてしまったその虚無感を、平凡な青年は得てしまった。


 かけがえの無い、新たな日常の一つだったそれを。

 それまでの日常のために捨ててよかったのか。

 もしかして、これは人生における最大の過ちなのではないかと錯覚する――不安に駆られる。

 胸が高鳴る。呼吸が乱れる。

 景色が歪む。緊張が走る。

 こんなものは、あり得ない筈なのに――。



「――どうしたの、エージ?」

 呆然とする。

 記憶の海から引き揚げられた、というよりは打ち上げられた青年は、かくして彼女の言葉を目の当たりにする。

 はっとして、視界いっぱいに広がる少女の顔を凝視する。うつむく青年に、姉は心配そうに眉をしかめて顔をのぞき込んでいた。

「ああ、いや。なんでもない」

 鬱陶しそうに顔を弾いてから、衛士は鬱屈した気配を追い出すように深呼吸をする。

 新鮮な、生暖かい空気を吸い――。


「どうした、二人共……?」


 聞き覚えのない――耳に慣れた声色。

 緊張と警戒と、それを押さえ込んだ穏やかさを湛えた女性にしては低い声音は、だが男のものだとは思えない。

 声に振り向く理恵に倣うように、衛士も踵を返した。

 視界に飛び込むのは、褐色の肌。

 その悩ましい整ったスタイルをスーツに押し込んだ彼女は、気だるそうに手提げかばんを担ぐようにして彼らに対峙していた。

 肩に届く白髪。琥珀の、宝石のような瞳。

 銀縁のメガネを押しこめば、嫌味な笑顔が彼らを嬲る様な、どこか攻撃的な表情に変わる。

 ――時衛士はその時、誰が見てもわかるほどに驚愕していた。

 理由はわからない。

 なぜ驚いているのかも、わからない。

 だが、

「あ、先生。おはようございます」

 そう言って頭を下げる理恵に、身体は強要されるようにお辞儀をする。

 顔を上げた時には、まだ驚きをたたえていたものの、先ほどのような間抜けな表情にはならなかった。

「先生……?」

 思考が滞る。

 理解が鈍るせいで、思わず不本意に言葉が零れた。

「ほう――トキ、貴様はどうやら、私を忘れてしまったようだな。この土日で、いったいどんな大冒険をしてきたんだ? ええ?」

 まるで銃口を額に押し付けられたかのような緊張感。

 その威圧は”本物”で、彼女の身体から硝煙が漂うような錯覚をした。衛士は確かに”嗅いだこともない火薬の焼ける匂い”を、知覚していた。

「ああ、いえ……わ、忘れるわけないじゃないですか!」

「ほう? なら覚えている、とでも?」

「も、もちろんですよ――」

 言い切った時、なぜだか「しまった」という具合に背筋が凍えた。

 おそらくは、神経が過敏に彼女の嫌らしい笑みを察知したからだろう。

 だからこそ、次の言葉が手に取るように”予知”できた。

「――貴様と会うのは、今日が初めてだとしてもか?」

 ああ、やはりだ。

 やってしまった。

 知ったかぶりがバレた時ほど、気恥ずかしい時はない。

 彼女の背景で、二人の男が見える。一方はなんだか物騒な野戦服姿だが、もう一方は神父である。どうか助けて欲しいと願いながら、視線は再び、彼女に戻らざるを得なかった。

「まあいい、利発な姉から聞いている……愚鈍な弟だとな。さらに言えば、今日からは貴様の担任だ」

 唐突に告げるのは再度驚愕の事実。

 担任は若い男だったはずだが――彼の身に、果たして何があったのか。

「田中だったか、高橋だったか……奴は身内に不幸があって、だな。ええと、何だったか――」

 先ほどのような凛々しく堂々とした口ぶりは不意に失せて、苛立たしげに、何かを思い出しながら口にするような言葉は、やがて途絶えた。

 慌てた様子でポケットから携帯電話を取り出してボタンをプッシュ。耳に当てれば、ワンコールも持たずに相手は出たようだった。

 背景の神父も、同様に通話をしている様子。神父も携帯電話を持つのだという、なんだか妙なギャップを魅せつけられたように、衛士は興味深くそれを見ながら、再度発言する彼女に注視した。

「そうだ、ヒジョウキン、というやつでな。そう、非常勤だ。そいつのお陰で、ひとまず貴様の担任になったわけで――」



 元自衛隊員だと自称したエミリアは、鏡を見ることを忘れてしまったのだろう。異国情緒溢れる髪の色に肌の色に瞳の色は、確実に虚偽の情報であることの証左だった。

 だが元軍人というのは、嘘だとは信じられず――ならば百歩譲って外国人部隊か、海兵隊なのだろうかと類推する。

 そしてさらに驚いたのは――。

「はじめまして、スウェーデンから留学生として来ました。ミシェル・フリーデンです。分からないことばかりですが、どうぞよろしくお願いします」

 そう頭を下げるのは、たわやかな胸を揺らす少女。よく出来た等身大の西洋人形のような美貌を持つ少女は、つまり彼女が告げたような理由でここに居た。

「ちなみに私の担当教科は体育だ、覚悟しておけ」

 外国人という利点を英語という教科に利用しない彼女はどこか滑稽だったが、おそらく彼女が体育を担当した暁には、このクラスの大半は卒業時に屈強な戦士へと生まれ変わってそうな気がした。


 何にしても、クラスは突如として外国人の割合が跳ね上がって――。

「ねえ、すごいよねえ、あの胸! ボクを馬鹿にしてるみたい、すごい挑発的だよ、あの胸! 信じられる? あの胸!」

 肘で小突いて注意を向けさせる隣りの席の住人は、興奮気味に鼻息を荒くした。

「……誰だお前。転校生だろ」

 見覚えのない顔に表情をしかめる。

 この女も金髪で、碧眼だ。アメリカから来た留学生に違いない。どうやら、この土日にも学校があって、呑気にいびきを掻いて寝ている間にすべての物事が進んでしまったのだ。

 あるいは、ここは自分が知っている世界とは違う世界なのかもしれない。

 そうだ、そうに違いない――。

 現実はそうしても覚めず、そしてこれが現実であるかのように、隣の女生徒の名前が頭の奥底から湧きだしてきた。

「非道いよエイジ、君ってやつは! どうせ他の友だちと遊んでるせいで、ボクに構ってくれる時間がなくて相対的にボクとの思い出が薄れているんだろう!?」

 やかましく声が響き、衛士はどうどう、とそれをいなす。

「うっせーんだよ、”ナルミ”。そもそも、お前と学校以外で会った覚え無いから、記憶がうすれんのは仕方ないだろ」

「――そこ、静かにしないとぶッ……ああ、ええと。ミシェル、そこのズボラの前の席だ。わかるな?」

 不穏な言葉と共に、注意は彼らの精神を蹂躙する。

 全身から体温を奪った言葉は、同時に彼らから発言という概念を消し去るように、二人はすぐさま沈黙する。

「あそこの、不自然に空いた席ですよね」

 というのは、衛士の前で。

 彼女は歩くたびに、ブレザーを着ているはずなのに揺れる胸を惜しげもなくプッシュする。両手を前で組むせいで挟まれる双丘が、たゆん、たゆん、と揺れるたびに、ナルミがそれにあわせて舌を鳴らした。

「あの――初めまして。ミシェルです、よろしく」

 席を通り過ぎて、衛士の机の手前で中腰になるミシェルは、丁寧にも握手を求めた。

 衛士は興奮冷めやらぬ真っ赤な顔でそれに応じて――彼女がおとなしく席に着いてから、安堵の息を漏らす。同時に、ナルミの拳はゆっくりと横っ腹に押し込まれていく圧迫感を強制されていた。



 

 一限目開始の鐘が校舎内に鳴り響く。

 担当する教科はまだ始まらぬが故に時間を持て余したエミリアは、静かな場所――薙ぐ風が心地良い屋上へと至っていた。

 施錠された鍵はサプレッサー付きのトカレフで破壊。持参した南京錠と交換し、破壊したソレをポケットにしまう。既に職員室の鍵置き場のものは交換しておいてあるために、現時点で屋上は行き来自由になったことになる。

「あ――こちら、エミリア。聞こえるか」

 携帯電話を耳に押し当て、いつもの調子で連絡を取る。

 電話越しに応える声に、彼女は再度確認した。

「奴の……エイジの記憶は、本当に失われている筈だな?」

『ええ。理論ではそうなっているし、そうなってなくては可笑しい筈よ。でもね、エミリー?』

 艶やかな吐息。

 声だけでその燃えあがる赤い髪が見えてくるようで、それがなんだか忌々しくて舌を鳴らす。

「なんだ」

『彼は幾十にも重なった因果律のせいで”ああ”なったのよ。だから、いつまた、何かがおこっても不思議な事じゃない。だけどね、それを防ぐためにあなた達が居ることで、記憶を戻す可能性もまた大きいの』


 エミリアを含め、ゼクト・プライムとアン以外の総ての人間は衛士の存在を”不思議な死体”としてしか認識していなかったが。

 だが、彼女らが、それまでと同じように、彼と接していた時と同様に彼を認識して好意を、あるいは嫌悪するのは――電話先の相手、アイリンが彼の頭脳から記憶をサルベージしたからである。

 因果律が、記憶を種にして彼女らに因果を結びつける。

 そこで知ったそれまでの鮮明な記憶と、これまで何事も起こらなかった平穏な記憶――その二つを併せ持つ彼女らは、だがなぜだか、それまで体験すらしなかった異様な記憶の数々に愛着を湧かせていた。

 そうしていつしか、盗み見た人の記憶は、まるで自分がそれまで体験してきたかのような錯覚となり……。


『まあ、それでも問題は無いけどね。彼なら、納得するし理解はする。教養は無いけど、要領だけはいいのよね、あの子は』

「そうか」

『なに、それともアレ?』

「ん?」

『自分の事だけでも思いだして欲しいって、エミリー思ってる?』

「……死ね」

『まあ、少なくとも一ヶ月はそこに居てもらうのはわかってると思うけど――ああ、ちょっと! 勝手にとらないでよ!』

 珍しい怒気のこもった抵抗の声も虚しく、ノイズが走り、沈黙が少し続く。

 何が起こったのか、エミリアはアイリンの不幸を期待して耳を傾けていれば、

『よお、エミリア。調子はどうだ』

 と口にするのは、彼女の師――ホロウ・ナガレだった。

 衛士の記憶では、機関から逃げて新たな組織を創設した後、機関への総攻撃を仕掛けた大悪党である。

 もっとも、そんな姿など想像すらつかないが。

「ああ、なんだかな。戦場よりくたびれる。照準して銃爪を引くだけならいいんだが……」

『楽しいんだろ、お前は』

「そう、どうしてかな。期待しているんだ、人に何かを教えるというのは初めてなんだが、どうにも気になって仕方がない。まるで、以前に要領の良い指導が成功したような感じだ」

『んなもんさ。お前だって、こんな世界に居なけりゃ母国で、こんな選択肢もあったろうよ』

「かもしれないな――しかし、まあアレだ。思えば、不幸なものだよな」


 不意に口にするのは、時衛士の話題。

 架空の――と信じようとしている――記憶では、巻き込まれて、死に目にあって、死んで、足掻いて、足掻いて、足掻きに足掻いて、さらに落ちた。絶望に苛まれた青年は、人格を崩壊しかける事になったのだ。

 先ほどいくらか会話した少年が、己を凌駕する戦闘能力を有することすらも信じられぬというのに、なぜだかそこには説得力があるような気がした。


『幸せになってほしいと思うなら、幸せにしてやれよ』

「年下に興味はないんだが」

『お前がどう思っていようとも、さ。”前の”お前は、少なくとも時衛士の事を、特別視してたようじゃないか?』

「はッ、信じているのか? あんな戯言を」

 作り物――と断言出来ないのは、記憶はまるで体験したことのように体に染み付いてしまったから。

 洗脳だと言えばソレまでだが、結局そう言えないのは彼女自身、その記憶を信じてしまっているからかもしれない。

『一ヶ月の休養だと思って、少しは身の振りも考えてみろよ。ハタチで生娘ってーのも、考えもんだぜ』

「やかましい、私は理想が高いんだよ」

『はん、その調子でガキどもの前に行って、数日で嫌われなきゃいいんだがな』

「関係ないさ。連中が機関銃を持ち出さない限り、危機なんてものは来やしない――」




 日常と非日常とが重なりあう。

 自分が知っているのか知らないのかよくわからないものの、なぜだか見覚えがある”ような気がする”異国の少女たちに二方の行く手を阻まれながら、衛士は短く息を吐いていた。

「エイジはボクとお昼に行くんですが何か? ミシェルさん、ホワイトカラーは呑気にお洒落なイタリアンでも食べていればいいのでは?」

「うふふ、面白いことを言いますね。衛生兵上がりでまともに活躍できていない貴女が、わたしにそんな口を?」

「もしかしてパソコン弄り過ぎてお尻にキテる? だったら薬局の場所は――」

「ち、違いますから! エイジさんは、私とお昼をご一緒してくださると言ったんです! ねえ!?」

 と、顔を真っ赤にして右手を強く握る。

 対するナルミは、隣の席なのだからそんな会話をする余地など無いのを余すこと無く見届けていた筈なのに、ぎりり、と奥歯を噛み締めて沈黙する。

 やれやれ――とため息をつきながら。

 夢のような至上の幸福を噛み締める。


 かくしてこの五分後、時衛士が有する”死を誘う因果律”に吸い寄せられて狂者が包丁を片手に校舎内に侵入するのだが――人の子たるその男は、むろんとして知るよしもない。



 時衛士の数奇な体験はようやく終焉を迎えたのだが、それでも終えぬ青年の人生につきまとう新たな騒動は、そうして始まりを告げる。

 絶望し、希望を抱き、欲情に駆られ、己を忘れることもあるだろう。

 誰も知らぬ、一秒先に何がどうなっているかも分からぬ未来に踏み出す勇気は、もうあった。

 友人がいる。仲間がいる。大切な人は、いつでも近くに居た。

 一人じゃない――そう、一人ではない。

 平穏と非凡とを有した青年が、持続する”新たな日常”の最初に踏み出した。

 

 終わりが始まり、それさえも終えてまた新たに始まる。

 未知の未来が立ちはだかる世界で、その未来を予知できないのは当然――。

 未来はその手で、切り開くべきものなのだから。

 衛士はその瞳の奥底で、とろける程に熱く蒼い何かを感じた……気がした。


 おわり

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