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四年目――そして

 機関アメリカに来てからすぐ、時衛士は行方不明になっていた。

 世話係の男に聞いてみても、輸送してきた最中に世話をしてくれた人に聞いてみても、ゼクトに聞いてみても、答えは同じく『知らない』の一点張りだった。

 彼らの背景に捜索の気配はなく、ならば衛士はついに殺されてしまったのかと冗談交じりに考えたが、どうにも冗談で済まないように思えてきて、アンはその夜、布団を頭までかぶって壁を背にし、隠し持ってきた拳銃を胸に抱いて眠りについた。

 結局、ベッドの下で眠れば一番安全なのではないかと思われたある夜。

 散歩から自室へ戻ると、狡猾にも思考を悟った連中によって撤去されたベッド跡に、マットレスと布団だけが敷かれていた。



 八月二日。

 茹だるような熱気が窓の外の景色を歪める。揺らめく陽炎を横目に見ながら、冷房の良く効いた食堂に赴いたゼクトは、その長机にトレーを置いて腰を下ろす。どこからともなくやってきたアンは、すぐさまその横に着いた。

「忙しいんですか?」

 無邪気そうに問う彼女の瞳に、だが疑惑の視線があるのを知ってゼクトは、ただ首肯する。

 プレートの上に並べられたハムステーキをフォークで裂いて口に運ぶ最中も、彼女はひたすらゼクトの身体を気遣うような様子を見せながら――あわよくば衛士について聞き出そうという魂胆を企てていた。

 無関係者ならば無視しても良かった。

 だがこうしているのも、やがて無理が来てしまうだろうと予感してしまうのは、やはりゼクトにとって彼女が特別だからである。

 しかし、まだその時ではない。

 彼を救済するための手段は未だ、完成はおろか整ってすら居ない。こんな状況で彼の容態について説明することはまだしも、衛士を起こして自由にさせることなど出来るわけがない。

「それで、あの――エイジの、事なんです、ケド……」

 言いにくそうに、ついには自らの口で疑問を吐き出す。

 それは最初からゼクトが察していたからこそ確定していた事態であり、彼はそこに、話すか話さぬかを密かに賭けていた。ちなみに話さない方に睡眠をニ時間――これで今日も、人知れず徹夜が決定した。

 そして沈黙を守ろうと決めていたゼクトは、その勇気に一つばかり、褒美代わりの情報提供を行うことにした。

「奴がどうした」

「どこに行っちゃったんですか? ゼクトさんが、知らないはずがないですよね?」

「さあ。奴はキミが無事にここに渡ったことを確認して、晴れてお役御免だと去っていった。奴にとっては、キミというのはその程度だったということだ」

「違うよ――違い、ますよ」

 反射的に否定して、彼女は一息置いて言い直す。

 そんな、街に放てば埋もれてしまいそうな彼女の自己主張も甚だしい声を聞いて、ゼクトは眼を丸くした。

 果たして、彼女は控えめで自分の意見も少ない女だった筈である。

 かくして、この二年半の内に、随分と成長してくれたものだと、ゼクトはつくづく思った。

 ――衛士は肉体以外の成長が芳しくないというのに。

 なぜ彼と接する者の多くは、その精神面での発展を遂げるのだろうか。無論として、己を含めて。

「どうしてそう思う。何故だ?」

 迷う様子も、考える間もない。

 即答する彼女に、ゼクトはまた、にわかに言葉を失う。

「エイジはそんな恩知らずじゃないし、彼や貴方が自覚しているほど、冷たくもないし、自分勝手でもないんですよ。どうしてそんなに過小評価するのか、私にはちょっとわからないけれど――」

 貴方たちの世界では、どうしようもない役立たずだとしても。

 貴方たちは私の命の恩人だし、かけがえの無い人だから――。

 言って、うつむくアンに。

 ああ、”そう”なのか、と理解に及んだゼクトはただ嘆息した。

 彼女の中に、ゼクトと衛士の明確な差は無いに等しい。どれほど衛士が彼女に対して辛く当たろうとも、結局はその結果に行き着いてしまうのだ。

 徒労だな、阿呆め――思いながら、どこか同情気味に鼻を鳴らす。

 去る時に彼女が辛くならないようにと考えていたのだろうが、その実、どうせ去るのならば誰にも存在を知られぬまま去りたいというのが本音の男である。もっとも大事に考えていたのは、やはり己だったのだ。

 可哀想だ。

 だから――救ってやらねばならぬ。その力が、そこに至れるものなのだから。


「奴は隔離病棟に入院している」

 彼女への説明は、限りなく近いようで遠いものになった。

「隔離病棟……ですか」

「ああ。奴は若年性の認知症を患っていてな。自分がどこにいて、何時なのか。またこれまでの記憶が曖昧で、行動も危なっかしい。注意力も散漫としている有様だ」

 だから今は薬漬けで、辛うじて人としての体裁を保っているというわけだ。


 ――事実としては、こうである。

 青年の予知能力は、だが予知にはとどまらない。

 強制的に送られてくる五分間の未来は、普通に視ている世界とは異なり、必要な情報の取捨選択が出来ない。だから一秒ごとに、あるいは一瞬ごとに視界内を隅々まで凝視したような細やかな情報が鮮明に莫大な量を送りつけてくるのである。

 加えて地上十メートル、背後二メートルの位置から遠望、透視、透過機能を有する遠隔視。

 さらに青年が有した加速能力は、その名の通り加速度的に脳細胞を劣化させた。

 本能は命の危機を察知し、情報を切り捨てる。だがその選択は、不要なものというワケはなく、彼にとって”かけがえの無いもの”を優先的に棄てていくのだ。

 青年が能力者である理由を喪失させるために。

 何を捨てても構わず、無意識が保身を選択した。

 仮に最後の最後に残るのが、その身一つだけだとしても。たとえそれが、抜け殻に過ぎぬのだとしても。


「欲望が暴走し、奴はキミを襲うかもしれない」

 あの男の本能を信じるなら、その可能性は限りなく低いと認めている。

 だが普通の女性ならば、そこに恐怖や不安を抱くのは当然――されど、彼女にそれを望めぬのはもはや自明の理と言える。

「それでも、気になるか?」

「はい。入院しているなら、お見舞いに行きたいです」

「それを良しとしないのが、奴の方だとしても?」

「それに、私のことを忘れてしまっていても、です。誰も覚えてなくて、誰にも覚えられてないなんて――居ないみたいじゃないですか」

 時間は観測者が在るからこそ、時間という概念が生まれるのと同じで。

 世界はゼクトという観測者を置くからこそ、限りなく似た流れを循環させているように。

 そこに観測者が居なければ存在が確立されないのは、人間とて同じだった。

「了解した。キミがそこまで言うのならば、意固地になっているわたしこそが子供だろう」

 この一件は完全にゼクト個人の問題である。

 技術革新のために研究者、技術者は味方につけているが――こんな問題を、とても資本者たちに告げるわけにはいかない。

 もっとも、この一件が終わると同時に、この機関も終える運命なのだが。

 ゼクトは満たされた腹をさすりながら立ち上がる。気がつけばハムステーキを完食していたが、途中から殆ど味を感じなかった。

 胃が痛い――これが食中毒であれば、と祈るべきなのか迷いながら、ゼクトはその場を後にした。



 九月二十日。

「具合はどうだ」

 さながら吸血鬼の気分だった。

 時衛士は、強制的に仮死状態にさせられた後、生命維持装置によってぎりぎりの境界を漂っていた。

 しかし思えば一瞬のこと。こうして目が覚めれば、無意識に意識していたその出来事は一秒に満たぬものだった。

 鼻から顎まで包む酸素マスクを引き剥がし、腕に突き刺さる点滴針を力任せに引きぬいた。

 起き上がり、ふかふかの内装を踏みしめて外へ出る。

 腰に手をやりそれを待ち構えていたゼクトに苛つくが、苛ついた分だけ脳細胞が死滅していくような感じがして、衛士は深呼吸とともに感情を吐き捨てた。

「最悪だよ」

「突然だが……予知は遮断できないのか?」

「ああ? んだよマジに突然だな――出来ねえよ、こいつはマジで、これが基礎だからな。蓋をなくしたカメラみたいなもんだ。レンズが景色を写してなきゃ使いもんにならねえだろ」

 単刀直入に訊くゼクトに、じゃれ付いている時間すらもないのだと理解する。

 その答えに男は頷き、だが、どうでもいいように肩をすくめた。

「ならば精々、いつも通りに生きていく事だ」

「はあ……?」

 納得し掛けて、何かが引っかかる。

 睨めば、ニヤリと嫌な笑みを返された。

「何も考えずに過ごせということだ」

「てめえな……」

「ほら、貴様はおよそ表面的な意味しか汲み取れぬから怒りに触れる。だから阿呆なんだよ」

「起きざまに”なぞなぞ”を出して、答えられねえのをいいコトに調子に乗るあんたは何なんだよ」

「この程度を”謎掛け”というならば、そこで貴様の知能が知れるということだ。――喜べ、猿以下だぞ貴様は」

「なんでイチイチ、喧嘩ふっかけてくるんだよ、てめえは!」



 九月二十一日。

「なんでお前の部屋ベッドないの」

 言われるがままに訪れたアンの部屋は、彼の自室とは異なってどこか殺風景だった。

 タイでも共に過ごしたから、彼女は見た目や性格に反して女の子らしく飾らないのはわかっていたが――だからといって、ベッドまで捨てるのはどうかと思えた。何にせよ、あれは設備の一つだろうに。

 そして、部屋の隅に纏められたバックパックから覗く拳銃が、物騒極まりない。

 この三ヶ月で何があったのか気になるところである。

「意地悪だからね。でも――意外だね」

 彼女は万年床に座り込み、衛士は固いコンクリートの上にあぐらをかいた。

 何が? と訊く衛士に、彼女は小馬鹿にするように、指先で己の側頭部を叩いてみせる。

「けっこうまともだから」

「……」

 なんだ、いじめかコレ。

 自分から突き放すつもりだったが――いい度胸、もとい、いい具合だ。

 歪む表情から、言葉足らずだったかと彼女は慌てて台詞を足した。

「あの、ほら。記憶力とか、アレってきいたからね。私のこと覚えてるし、安心したの! 怒んないでよ~」

「別に怒っちゃ居ねえけど」

 ああ、妙だ。

 どういう事だろうか。

 話していて、頬がほころんで。

 この時間が楽しい。できるだけ、長く続けばいいと思う。

 だというのに。

 心の隅から、冷気が溢れだした。

 頭の隅から、熱された全てが冷却され始める。


 大切な何かが。

 抱きしめていた何かが、液体化するかのように――為す術もなく落ちてしまう感覚が、虚しさとなって胸の中に広がった。



 十月三日。

「こんにちは――アンだよ、お昼どう?」

 呆然とする衛士に声をかければ、だらしない表情のまま彼は見上げる。名乗った氏名と顔とを見て、暫くして薄れかけていた記憶から引きずり出し、合致させる。

 気の抜けた、声ならぬ声で、辛うじて「ああ」と聞こえた同意を理解し、彼女は手を差し伸べる。

 重ねられる指先。もう銃を握ることはないだろう手から伝わる冷たさが、ゆっくりと身体の中に染みこんでくるようだった。



 十二月ニ十五日。

「今日が何の日だか、わかる?」

 壁掛けの日替わりカレンダーを手にして、大きく”クリスマス”と記入されているそれを指さして問う。

 肩を寄せて隣に座る青年の反応は、無い。

 寝ているというわけではないのだが、乾く瞳が、思い通りの場所を焦点することはなかった。

 ただ息をして、小鳥が啄む程度の食事をして、ささやかな排泄をするだけの生活。

 どれほど彼の手を強く握っても、握り返されることはない。

 テーブルの上に置かれたケーキ。形式的に刺された、幾本かのロウソク。そこに灯る火は、虚しく揺れていた。



 一月九日。

 時衛士は再び”隔離病棟”行きになった。

 それは先日を最後にして一週間、外界からの刺激に対する反応が失せたからである。

「私の、せいですかね……」

 自嘲気味に笑う気力すら無い。

 眼の前で、同年代である青年が、命の恩人が、ゆるやかに衰弱していくのを見たのだ。いくら彼女とて、気丈に振る舞えるような経験ではなかった。

 肉体はやせ衰えたが、健全ではあった。

 だが、記憶だけは、意識だけは、どうにもならない。

 自分がわがままに彼を呼び出してしまったからだ――そう自分を責めるアンの頭を撫でる手は、ささやかな慰めにしかならなかった。



 五月二十九日。

 気がつけば、またこの季節になっていた。

 ゼクト・プライムはPCよりも効率のいい手書きの計算式でプログラムを組み立てる。現存するPCではとても処理しきれぬそれは、既に数百――正確に数えるならば数千、あるいは万にも届いているほどの枚数だった。

 全てがプログラムというわけではない。その半数ほどが、彼の”時間遡行”を証明するための理論であり、またそれを理解できるものが読めばこの後を継げる、そのための手記のようなものだった。


 時衛士は五年待つと言った。

 それは、彼自身自覚できなかった、彼の活動限界だったのだ。

 しかし、正確には五年目に至るまでの時間。つまりまるまる四年、一四六○日だけが、彼に残された時間だったのだ。

 ゆえに、残るはあと十一ヶ月。

 仮死状態に陥った青年ならば、それ以上はもってくれそうなものだが、あまり楽観はできそうに無かった。



 六月一日。

 酒を呷る。

 視界がゆがむ。

 吐き気を催す。

 濃厚な酒気が空間に満ちて、それがさらに肉体の不具合を促進させた。

 気持ちが悪い。

 だが、飲まずには居られない。

 ゼクトはウィスキーを瓶ごと呷り、壁にもたれかけたまま、ゆっくりと眠りに堕ちた。



 八月二日。

 一週間徹夜して、シミュレーションは無事終了した。やはりプログラムや理論に間違いはなかったし、電力は充分足りていた。

 だが実行するたびに、CPUが焼き付いて煙を上げる。自然発火する円筒の装置に消火剤を吹きかけては、ゼクトは再び、損耗しダメになったパーツを交換し、組み替える。

 並列化して重力子を探知し操作していた処理装置は、目的のために倍以上繋げた途端に、使い物に鳴らなくなっていた。

 これが現在、軍用品の中でも最高級品だというのだから――。

 門外漢なりに、自作するしか無い。

 見えかけた出口が、崩落するような幻想をゼクトは見ていた。



 指先が焦げる。半田ごての先が、思うように動かない。

 肉の焼ける臭いが胃を刺激する。猛烈にあふれだす胃液が喉元からせり上がり、ゼクトは唾と共に飲み下す。

「ふざけるな」

 時代が悪いと言えばソレまでだが。

 この技術は、あまりにも未来を行き過ぎた。

 そもそも現時点で現存するあの装置では、どちらにせよ時間遡行は不可能である。

 裏の世界で暗躍するというのに、未来を行く技術だというのに、それを実現させるための部品があまりにも足りなさすぎた。

 これでは完成しない。

 救えない。

 また――繰り返すのか。この不毛を。これまで未知だった全てを、既知にして。

「冗談、ではない」

 机を叩けば、半導体が弾んで転げ落ちていく。乾いた音を立てたそれを、ゼクトは忌々しげに踏みつぶした。

 やってられるかそんなもの。

 だとしたら。

 ならば。もう、手段はただ一つだけ。

 そして最後の手段を、選択する時が来た。



「何も言わずに、わたしと共に四五年後に来て欲しい」

 時衛士が時衛士として始まったあの時に。

 あの時代では、もう既に目的以上の装置が完成している。

 書き置きの通りに動いてくれれば、時衛士はゆるやかに延命されるはずだ。最終的に命が続いてさえすればいいのだ。

 仮に死んでいれば――終わりだ。青年には悪いが、”次”は無い。

 涙目でゼクトを見上げるアンは、ゆっくりと頷いた。

 彼の言葉の意味を、単なるプロポーズとして受け取ったというわけではなさそうだった。

 

 しかし、この時空の加速の特異点に、他者を干渉させられるかはわからない。

 良くも悪くも、それが初めてだったからだ。


「こう――していれば、良いんですね」

 ゼクトの身体に力強くしがみつく。抱きつくという具合ではないのは、まるで断崖絶壁にて、つま先ほどしかない足場で態勢を維持しているかのような必死さがあったからである。

 少女の柔らかさ。熱、吐息――意識せざるをえない全てを遮断させたゼクトは、一つ咳払い。

「行くぞ、準備はいいな」

「はい。いつでも」

 基地の外。

 荒野の中に立つ不自然な建築物を前にして――音が不意に、消え去った。

 頭上の雲が動きを早くして、早速日が暮れ始める。夜が到来したかと思えば、闇はものの数分で光にかき消された。

 アクセルペダルを踏み込むように緩やかに加速し始めた時空が、やがてまばゆい輝きの中に飲み込まれ。

 ゼクトらは、その加速に置き去りにされた。



 輝きの中。

 意識が、未来に集中する。

 その光が失せて視界に景色が飛び込む時。

 時衛士の命運が決する。

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