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蝕む闇

「他に仕事は無いのか?」

 連れ帰った二人の被害者のために病院の手配を機関に任せて、衛士は帰ってきたばかりだというのにそう急かしていた。

 世界を掌握しようとする機関。

 純粋にそれを妨害する協会。

 それらの行動が活発化するのを肌に感じているのか、それとも単に彼自身が高ぶっているのかは分からないが、その一面は今まで彼には無かったものだった。

 飽くまで八方美人に生きてきた彼だし、それが時衛士の処世術だと思っていた。

 この機関の技術全てを支える、開発技術部部長のアイリンは、その長い赤毛を掻き上げながら彼へと向き直る。

「少し休みなさい。いくらなんでも、君が疲れに気づいてなくてもコレ以上の活動は危険よ」

 一週間の訓練は、一日十八時間の、それこそ肉体を破壊する勢いで行われた特訓だった。全力を尽くすアスレチックワールドに、ハーガイムとの組手。そして狙撃訓練に、精神訓練。模擬訓練。それらを一日で消化し、六時間の休憩の後にまた繰り返す。悪夢のような時間だ。

 だというのに、時衛士はそれをやりこなした。

 いくら心臓が人工的なものだとはいえ、精神的にも、そして単純に肉体的にも堪え切れぬはずの運動量だったはずだ。ハーガイムだって組手の時点で音を上げると思ったからこそ、無茶に無茶を重ねたメニューを組み立てたのだ。

 少し弱音を吐けば、鬼軍曹の暴言をまき散らしながらも少しだけ軽減するつもりだった。だというのに彼はこの一週間を乗り越えて――大した休憩もないまま、その裏切り者の抹殺任務に就いていた。

 疲れなど知らない子供のようだ。それまで眠っていた一ヶ月を取り返すような働きは凄まじいほどだったが、そう思うと同時に、酷く心配だった。

 まるで死にに急いでいる。

 彼女には、そう思えて仕方がなかった。

「オレの身体はオレがよく知っている。もっとオレを任務につかせてくれ!」

「あーうっさい。貴方に出来る任務はもう無いの。おとなしく自宅で待機してなさい」

「だからオレは――」

「いい加減になさいッ!」

 アイリンが叫ぶ。研究室で、それぞれパソコンに向かっていた研究員が総じてその動きを止めた。

 空間が、不意に静まり返る。彼女は立ち上がり、呆然とする衛士へと対峙した。

「貴方自身が疲れを知らなくたってね、疲労は肉体に蓄積されていくものよ。休憩を置かなければなおさらで、増加する一方。いつ倒れてもおかしくなくなる。今は疲れてないって思ってるでしょ? それはね、エンドルフィンっていう脳内麻薬がごまかしてるだけなのよ。そんなに任務が欲しいのなら命令してあげるわ。休憩なさい。それが今の貴方の任務しごとよ!」

「くっ……!」

「貴方はもう、貴方一人だけの命じゃない。機関に道具として使われてるけれど、貴方を信頼する人もたくさんいるわ。その人達のために、少しだけでもいいから自分を大切になさい。いいわね?」

「わかったよ。休めばいいんだろ」

「全然わかってないみたいだけど、そのとおりよ」

「任務が決まり次第呼んでくれ」

「わかったわ。出来る限り早く見つけておく」

 狙撃銃を負紐で肩から下げたまま、彼は研究施設を後にする。

 彼女はその姿を、背中を見送りながら、妙な感覚を胸に渦巻かせていた。

 ――これほどまで叫んだのは久しぶりだった。それと同時に、自分の事以外をこれほどまでに想ったのも随分と久しぶりだった。

 そして、またその想いが届かないやるせなさ、切なさを感じるのも懐かしいと思える程だった。

 いや、もしかすると初めてかもしれない。昔に呼んだ小説を、自分の限りなく薄い過去の思い出を、それで埋めているが為だろう。

 少しだけ虚しくなるが、それで分かった。

 どうやら、時衛士を利用している間に、自分自身も随分感情移入してしまったようだ、ということに。


 少年は荒れていた。

 どうしようもなく胸の中で渦巻く負の感情が行き場をなくしていた。

 殺戮衝動は無いが、その感情をぶち撒ける為の手段としてそれが選ばれるのに、そう時間はかからなかった。 

 目覚めてから芽生えていたその想い。それまでは己を壊す程の運動量で耐え忍んできた。これが終われば恨みを返せるからと自分で自分を励ましてきた。寝ても悪夢で心が休まらず、その悪夢での怒りを糧にして身体を動かした。

 そしてようやく、自分と同じ”運命に選ばれた”特異点が裏切り行為をしたという事で殺してきたが――たったそれだけで、彼が満たされるはずがない。

 もっと殺さなければいけない。

 姉の仇だ。家族の仇だ。

 殲滅しろ。抹殺しろ。

 心の闇でもなんでもない、時衛士の理性がそう囁いていた。

 自分を保つためにすべきこと。しなければならないこと。

 長い眠りから覚めて、まともに合っていない知り合いが多かったが、今ではもう気にならなかった。

 どうでもいい。

 仕事が決まるまで、あの悪夢を見続けるだけだ。

「え、エイジさん!」

 人波を無意識にかき分けて自宅へと向かう。

 その中で、彼の名を呼ぶ声があった。背後から、その気配と共に近づいてくるソレに覚えはあった。

 ミシェル。彼女の名前は確かそうだった。

「エイジさん、帰宅中ですか?」

 彼女はそう多くもない人を避けて、やがて彼の隣に並ぶ。自然に、距離を縮めて手と手が触れ合う距離に近づいた。

 それから顔を見て――くっきりと浮かび上がる目の下のクマを、そしてげっそりとコケた頬を、青白い顔を見て思わず息を飲んだ。

 彼は時衛士。間違いなく、記憶と合致する同一人物だ。

 だが今隣に居るその時衛士は一体誰なのだろうか。妙な疑問が浮かぶほど、彼の姿は別人のようになっていた。

「ああ。命令だからな」

 そっけない、無骨な返答。愛嬌も熱すら一切ない、事務的な言葉だ。

「な、なら一緒に帰りませんか? 私、部屋隣なんですよ」

「ああ、そうだな」

 それでもミシェルは言葉を続けた。

 アイリンに言われたからではないが、今の彼を見れば誰だって心配になる。

 それまであったにわかな下心なんかは既に消え失せていて、今ではすっかり、帰ったら栄養のつくものをたくさん食べさせなくちゃ、だなんて事を考えていた。

 虚空を見つめて、ただの一瞥すらしない少年。微笑を忘れた、機械のような顔。

 平凡な少年は平凡な人生を崩壊させられ、絶望し、力を得てまた新たな人生を歩み始めた。だがこの間の死をきっかけにし、彼は殺戮機械キリングマシーンに生まれ変わってしまったようだった。

 これがもしマンガや小説ならば、心を与える事でより強くなり、人間的にも成長する。ミシェルは、彼ならばそうなると確信していた。

 だが、心とはなんだ。どうやって心を与えれば良いのだろうか。

 ただ人の暖かさを教えればいいのか。抱きしめれば、愛を伝えればいいのだろうか。

 わからない。わかるはずもない。

 時衛士の中にある途方も無い絶望という深淵を埋める程の物を、その深さを知る術も、同調するための経験すらも彼女は持ちあわせては居ないのだから。

「ねえ、エイジさん……」

 声を掛けても返事がない。

 促す所作も無い。

 彼女は続ける。

「私と初めて会った時の事、覚えてますか?」

「ああ」

 反応。

 無視ではなかった。

 それだけでも嬉しくなる自分がすこし情けなくなりながらも、繋ぎ止めるように頷き、言葉を繋げる。

「あの時のエイジさん、ずっと私の胸ばかり見てましたよね? 平然としてたけど、すごい恥ずかしかったんですよ?」

「そうか」

「そうですよ。それでエイジさん、あれからずっと頑張って来ましたよね。そのお陰で、機関ここの雰囲気も随分変わって来ました。付焼刃スケアクロウっていう能力者がすごく強くて、機関でもどうしようってなってたのに、エイジさんはそれでも構わず戦って……」

「そういった任務だ。オレはせめて任務は達成する」

「でも中々できませんよ。自分より強いってわかってる敵を相手にするなんて」

 そして思い出す。

 彼の健闘。負傷。勝利。敗北。そして――死。

 それらがあって初めて今の彼がある。

 それが良いことなのかは分からない。だがその過去が一つでも失われては、彼は彼でなくなる。

 ミシェルは思いながら、そっと彼の手を握った。

 何気なく甲に触れたのをきっかけに、一方的に繋いだ手。力を握ってもソレは帰って来なかったが、拒否されるとばかり思っていたから、それは大きな一歩だった。

 彼の体温が伝わってくる。脈拍が、その手の感触がよくわかる。

「あの時みたいに添い寝、しましょうか?」

 

 ――甘く、優しい囁き。

 野戦服越しに伝わる体温。柔らかさ。

 髪からただよう石鹸の香り。

 そして蘇る記憶は――大切な人を失った、あの瞬間のソレだった。

「く、ううう……ッ!!」

 あの連中の顔が蘇る。

 この間、その協会なかの一人が死んだ。

 だがまだ、ザコのクセに粋がるクソ共が四九人残っている。あの数だけいて、それでも少年がそれぞれの顔を忘れたことはなかった。

 記憶力が凄まじいという事もそうだが、それよりも何よりもそうさせるのが執念だ。

 忘れてはいけない。復讐それが達成されるまで、決して。

 頭を抱えて立ち止まる衛士は、そのどうしようもなく溢れてくる力を必死に抑えていた。

 今少しでも気を抜けば関係ない人間を殺してしまう。

 もしそうしてしまえば、自分の中の大切な、唯一残っている大切な何かが壊れてしまう気がした。

 だから抑えなければならない。

 跪き、額を地面に擦り付ける。

 周囲の人間が彼らを避けながら、遠目にクスクス囁き笑い、不快感を催していた。

「クソ……ぐぅうううっ!」

 目をつぶれば、奴らの顔が脳裏によぎる。

 堪え切れない。

 衛士は腕を振り上げる。ミシェルが必死に名前を呼んでいるが、それに応える余裕はない。

「あああああっ!」

 振り下ろす。

 大地を叩く拳骨。骨に衝撃が直接伝わってきて、腕が痺れた。

 遠慮のない打撃に皮膚が裂け、拳に血がにじむ。だというのに痛みは鈍感で、彼は渾身を込めた筈なのに傷ひとつつかない地面にイラついた。

「くそ、くそ、くそぉぉぉぉっ!!」

 何度も、何度も地面を殴る。叩く。打ちのめす。

 傷つくのは一方的に自分だけだというのが分かっているのに、どうしてもそれを止められなかった。

 ――狂っている。

 自分でもよくわかる。

 ――何かが壊れてしまったようだ。

 それは随分と前の話だ。

 ただ、未熟だった自分はそれを誤魔化して気付かないふりをしただけ。

 今は無防備故に、直接つきつけられたそれを真に受けて、本来すべきだった行動に移っているだけだ。

 協会てきを殺す。

 それが最優先事項であり、それ以下は全て切り捨て。

 復讐こそが今の彼の全てであり、最後の役目となりうるものだった。


 ――果たして自傷行為は、彼の意識が途絶えるまで行われた。

 だが傷は思ったよりも軽傷に済んでいた。それは残った理性が力にリミッターをかけた為だろう。

 少年はそれから丸々二日、四十八時間の眠りにつく。

 機関は、そんな少年のあまりに自暴自棄すぎる行いにやや雰囲気を暗がりに落としたが……。

 そこでアイリンはまるで誘われるように発見した。

 ただの一般人――とはいえ、傭兵だ――が、付焼刃スケアクロウを相手にしたという情報を。

 そして個人だというのに一方的な戦闘でソレを終わらせたという事を。

 新たな出会い。

 それが何を起こすか分からない。

 だが、この状況を打破するためにはなくてはならないものだと、彼女の直感はそう告げていてた。


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