最終決戦:第三陣 ②
「トキ……じゃない」
先行して現れたのは、黒い野戦服を纏う男たち。それぞれ統一してアサルトライフルを装備する彼らは、また瞬時に姿を消して――距離を詰めて、再出現した。
その背後から、また百に上る軍勢を垣間見て。
エミリアの口元は小さく歪み、胸をなでおろしたかのような吐息が漏れた。
「安心か?」
不敵に笑む巨漢は、既に隔壁から飛び出して、その大剣を盾にしていた。
その表面で火花が散り、衝撃が巨躯をにわかに押し返す。されど何かのモニュメントのように動かぬその姿を、エミリアは隔壁越しに確認した。
その直後である。
船坂の眼前に、十からなる男たちが突如として出現し。
一閃――大剣が力任せに薙ぎ払われ、炸裂音と共に血肉をまき散らした。
瞬時に上肢と下肢とが引き裂かれ、あるいは背骨をへし折られ、砕かれ、即死級の一撃を無防備に喰らう数人は痛みを知覚する暇もなく死に至り、飛び散った。
だが足りない。
出現する割合に比べて、殺害に至る数が圧倒的に低かった。
さすがに百以下なのは確実だったが――。
鉄の杭が宙空から出現し、前線へと躍り出る男たちの胸を穿った。
瞬いた閃光が、分厚いコンクリートに深い穴を開ける。
空間が歪み、発砲された弾丸が不可避の位置から頭部を砕き。
放り込まれた手榴弾は、投げ返そうにも地面に接合したように頑として動かず――爆発。
熱風が頬を撫でる。衝撃が体を嬲る。
飛び越えた隔壁の、先ほどまで内側にいた仲間が死滅していく。為す術もなく、死角さえも望めぬまま倒されていく。隠れているがゆえに、死に怯えるがゆえに攻撃に至れず、されど一方的な殺戮だけを甘受していく。
背後でそれが成されていく。
命が消えて行く気配がある。
褐色の女は、歯を噛み締めて腰溜めに構えたアサルトライフルのトリガーを弾き続けた。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる――ならば上手い銃撃は、確実に敵を薙ぎ払い続けている。
一人殺し、二人殺し、だがその死体を壁にされて次に続かない。
その間にも、特攻する巨躯はその身に纏うパワードスーツの防弾性だけを頼りに、一身に弾丸を受け激痛に悶えながらも大剣を振り続けていた。
けたたましい発砲音。
榴弾が爆ぜ、炸裂する衝撃。
互いに数を減らしながらも、割合的には確実に機関は圧されていたが――数では圧倒的に機関が上である。ジリ貧になれども、この邂逅はおよそ確実に、協会側の敗北を垣間見せたのだが。
やはり誰もがその実力を知る”ボス”が居らずとも、その部隊が単独行動している以上、頭角を表す者も居る。
そういった才覚ある人間が、戦況を変えるのは定石だった。
「フナサカ、あいつは――」
「俺に任せろ」
そう告げる巨躯は、雄叫びも無く最後尾に直立する影へと駈け出し。
「エミリア、さん」
背後から、息も絶え絶えに呼びかける影は、すぐに隣へと並んだ。
薄汚れた金髪を翻し、小柄な少女はその頭にヘッドホンを装着する。そのコードに繋がるポータブルオーディオプレーヤーからは、未来の音が聞こえる仕様になっていた。
この機関にある装置を介して聞こえる音――彼女は、時衛士と同期であるイリスだった。
その傍らには、全身に革ベルトを巻きつけたボンテージ姿の少女。さらに弾帯を巻きつけ、その手には軽機関銃が握られている。アンナ・ベネットは口が利けず目も見えぬが、平均を遥かに凌駕する『上位互換』と呼ばれる特殊部隊の一人だった。
まだ生き残っていた。
それに安堵するエミリアは、だがまともに”使い物”になるのがこの二人だけということに、不安を拭えない。
「他の皆さんは、それぞれ効果の範囲外へ退避させました」
空間を歪められる距離。あるいは、死角。
もうもうと巻き上がる煙のなかでは、あのレーザーも使い物にはならないはずだ。
「そうか。機転が利いたな」
「ありがとう、ございます。でも――」
彼女は耳のヘッドホンに指を添えながら、泣き言を口にする。
「聞こえる音が、悲しすぎます……」
「余り言うな。私達も、好きで殺しあっているわけじゃない」
やさしく頭を撫で、慰めの、思いつきの言葉を投げ。
注視する。
振り上げた船坂の巨剣が、大上段から天井を穿つかの如く聳えるままの体勢で、糸ほどに細いワイヤーにがんじがらめにされているその場面を。
そして、その肉体にまでもワイヤーが深く喰らいつき――。
断続的に、鉛の嵐や爆発が襲い掛かる。
控えた部下を含め、エミリアらは攻撃よりもその回避を優先せずにはいられず、やがて爆炎が視界をどうしようもなくかき消した時。
何よりも良く、発砲音が響き渡り。
一瞬だけ、全てのものが静止した。
「――ちっ、おい! 能力を解け!」
狙撃銃を構えると同時に発砲。
巨躯を拘束したワイヤーは即座に霧散し、男は肩口から上を吹き飛ばした後、しばらくのまま直立していた。
解放された船坂が、やや離れた位置で銃を構えたまま硬直する衛士を認識する。
同時に、傍らに佇む黒衣の男を一瞥するや、警戒するように飛び退いた。
そして、ホロウ・ナガレに反応する付焼刃は一様に後退を開始し、青年を取り囲むような陣形――ナガレを中心にし、一堂に会する。
「まったく、お前ってやつは抜け目がないからな」
呆れるように、ナガレが告げる。
「てっきり他の連中も連れてくるものとばかり思っていたが」
ナガレに追随したのは、セツナ以外では衛士しか居ない。
レックスも、スコールも、意識を取り戻したイワイも――考え得る最悪な状況となった現状へと対処するために、アイリンから新たな命令でも下されたことだろう。
「お前一人じゃ、何も出来ないのになぁ?」
「てめえはとんでもない事を言いやがる」
図星だ。
もっとも、ナガレが相手に限った時では、なのだが。
「はん、じゃあ何かしてみろ」
「ならばオレをここから開放してみてください」
「とんち合戦じゃねえんだよ」
まるで緊張感がないような言葉に、ナガレは呆れ果て、もはや同情に近い心情で肩をすくめる。
ふざけてやがる。まったくもって、唐突に何を考えているのかわからなくなってきた。
頭でも狂ってしまったか。
復讐ではないのか。
眼の前で、今にも自分の仲間が殺されようとしているのに。
己は空間に貼り付けられて、何も出来ないというのに。
顔に貼り付いた笑顔は間抜けそのもので。
ナガレを睨む瞳は――いつも以上に殺意を放っていた。
ふん、と鼻を鳴らすナガレは、ゆっくりと脇から引きぬいたマシンピストルを、青年の側頭部に押し付ける。
随分な役者だ。あるいは、これが彼の処世術なのだろう――それだけの口ぶりと、本心との差異で、これまでの生き方がなんとく察せられた。
「お前は言っただろう、”力を貸してやる”ってな。もうその時点で立場は決定してんだよ」
ナガレは口角を引き攣らせ、空いた手で親指を突き立て、自身を示す。
「俺が上で、お前が下だ」
「下克上しろってか、上等だ!」
「だから、お前は……いや、いい。やってみろ――」
言葉が終えるか否か。
その直後に、拘束されていた青年の肉体は即座に動きを取り戻し。
ヘリの旋回のように、構えた狙撃銃ごと回転した衛士は、そのまま懐に潜りこむようにして、突き出されたマシンピストルを回避しながら、その喉元に銃口を押し付け。
動きが拘束される。
半ば引き金を引きかけた所で、ナガレの能力が再び青年の動きを奪っていた。
やってみろと言いつつ、結局は決定打の所で攻撃を制される。
遊ばれているのだ。誰がどう見ても、翻弄されているのは青年の方である。
「オレが怖ぇのか?」
挑発混じりに言葉を放つ。
既に己を囲む付焼刃らの銃口が己へと突き刺さっているのを知りながらも、青年は軽口を吐かねばならなかった。そうしなければいけない衝動に駆られたのは、多分、自分が怖いからなのだろう。
「俺が認める連中は、少なくとも俺を倒せる見込みがある奴らだからな」
「はっ、当然だわな。今だって、あと数ミリ指を弾くだけで――」
発砲音が、すぐ近くの男のうめき声を促した。
先頭に並んだ、能力者による障壁の盾が失せた今、その壁の代わりに立ち並ぶ男たちの一人が、その胸を撃ち抜かれて死滅したのだ。
ゆっくりと、体勢を崩すように倒れていく姿を眺めながら。
機関の反撃が開始したのを理解する。
――前に進むためには、ナガレは能力を解除しなければならない。
衛士はそれを理解し、また、最終目標まではこの男が居なければ至れぬと理解して、視線を動かす。
しかし彼の自由は即ち、協会の殲滅を意味する。
されどナガレにとっても彼が持つ予知は有用であり、機関に対する最大限の対策だった。
まるでソレは、命綱が茨で出来ているような感覚で。
「……なあ、エイジ」
お前は、いつまで復讐なんて虚しい事に駆られているんだ――。
「俺は、お前を救えない」
かつては戦友で。
見殺しにした友人で。
己が世界を変える為の戦いを、お前は一人だけの弔い合戦にして。
救いもない。癒しもない。
傷つき、痛みしか無い、虚しいその戦いのためにしか、生きていない。
「ああ誰も……オレを、救うな」
男の言葉に、青年は誰の耳にも届かぬ声量でつぶやいた。
――不可視の拘束から解放された復讐者は、ゆっくりとナガレから銃口を引き剥がす。
その代わりに、手近な男の頭を、それで吹き飛ばしていた。
響く炸裂音。
大気を震わす鈍い衝撃。
同時に、周囲の敵は衛士をにらみ、敵意を放つ。
硝煙と、甘酸っぱい鮮血が満ちる領域で、青年は銃を構えた。
発砲。
また一人を撃ち殺し。
発砲。
己へと注がれる無数の鉛弾を、風に揺られる羽毛のような些細な動きで回避する。
「お前がズレた揚げ足を取るならもう一度言ってやる」
発砲――炸裂。
弾丸を装填しながらも、腰から抜いたナイフを手に握り、接触。胸に刃先を押し当て、刺突。
鮮血が飛び散り、男は呻きながら弾丸をばら撒き、仲間内から悲鳴が上がる。
ナイフを抜けば、その刃先から血が尾を引き――ワンテンポ遅れて衛士へと襲来する弾丸は、既に彼が失せた男の懐、その胸、腹を引き裂いた。
「仲間に手を出すな。その条件を満たさない限り、オレはお前らにとっての毒にしかならない」
「だったらお前も、人の仲間を殺さんでくれるかな。ただでさえ数が少ないんだ」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。”力を貸してやる”ってんだ、貸してもらう側はどっちだ? ああ?」
「糞ガキが。別にお前は、居ればマシで、居なくても構わねえんだよ。死にたくなけりゃ、あまり生意気な口を利くんじゃねえ」
向けられる銃口は半数以下。
そのほとんどは機関への対抗として、鉄の杭やレーザーと共に放たれていたが、それらが衛士に襲いかかることはない。
彼がナガレと対話している以上、それはナガレが衛士に価値を見出しているという証左であり、故に他の連中が勝手に手を下すことは許されない。
そこにやや威圧こそあるが、既に恐怖ない。
怒りがそのタガを吹き飛ばしていたからだ。
「てめえん所の一辺倒な能力者なんざ怖くもねえんだがな」
「はッ、統一されてるほうが使い勝手がいいだろ?」
男のマシンピストルが。
青年の対戦車ライフルが、共に牙を剥き――。
「エイジくん」
鉄骨を構える男。
そして神父服を翻す男。
短身のショットガンを構える男が、彼らの前に立ちはだかった。
「これが、僕の選択だ」
己をこの世界に導いた青年に、白熱した鉄骨を突きつける。
それが、彼らが最後に選んだ答えだった。