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嵐の前の

「まだ目が醒めないんですか?」

 そう広くはない病室には、寝台が一つだけ配置されていた。

 薄暗い、まるでそこが病室として使用されていないような殺風景さを持つ空間には、されど心電図と、脳波計だけが定期的に無機質な電子音を鳴らす。

「それでも、少なくとも今は仮死状態じゃない。以前の君のような状態だ。君が目覚めてからね。なにかが影響しているんじゃないかな」

 白衣を着こみ、小脇に書類が固定されているクリップボードを抱えて、医師が告げる。

「もしかすると、そろそろ目を覚ますかもしれないね」

 顎鬚を蓄え、特徴的な丸メガネをかける彼は穏やかな笑みを衛士に向けた。

 午前九時。まだ彼とて忙しいであろう時間帯なのにも関わらず、彼はわざわざ衛士に対応してくれる。機関内の施設だから金を掴まされているというわけではないのだろうから、単に親切なだけなのだ。

 彼はそれだけ言うと、彼は白衣を翻して寝台に横たわる少女に背を向ける。それから間もなく衛士の脇を抜けて扉まで迫ると、そこで一旦足を止めて、振り向いた。

「君も仕事があるんだろうが、出来るだけ見舞いに来てくれた方が嬉しいな。気のせいかもしれないけど、君が来た時のほうが容態は落ち着いてるんだ」

「そうですか」

「ああ。それじゃ、ゆっくりしていって」

 男はスライド式の扉を開けて、退室する。

 残された衛士は、穏やかな寝顔を見せる少女――ナルミ・リトヴャクを見下ろした。

 彼女は命をたすけてくれた恩人だ。さらに、酷く好意を持ってくれた女性でもある。衛士を助けるために無理をしたせいで現状に至り、ゆえに彼はいくらかの責任を抱いていた。

 作戦開始までまだ三時間。準備を含めればあと二時間だけここに居られる。

 だからその分だけ、衛士はここに居ようと思った。

 今回の任務は普通に終わる気がしない。そもそもドイツの機関が陥落して、これで世界に対する脅威というものが一つ減ったわけだ。そして機関というものが、そもそも人の手によって墜ちるということが判然とした。このあまりにも有利ともとれる現状で、世界――つまり米や欧米諸国、露中が動かずにいられるだろうか。

 否、その疑問は愚かと思える程に簡単に解ける。

 だからこそ、こういった機会はもう無い気がする。

 考えていると、特殊防弾仕様のコートの内ポケットから通信端末が着信を知らせる電子音を鳴らすのを聞いた。

「む……」

 取り出し、応答する。

 一拍置いて、声が耳に届いた。

『貴方はどういった武装でいくつもり?』

 アイリンは挨拶もなしに、単刀直入に訊いてくる。

 どういった武装と言われても――支給品はあっても弾薬のみ。銃器は、持ち合わせがないときにアサルトライフルと自動拳銃が支給されるが、既に持っているからそれは不要だった。

 衛士はコートの開いて内側に収まっているブッシュナイフを確認してから、病室の隅に馴染みの狙撃銃『M700』と、M4カービンの改良、強化が施されたカービン銃『HK416』の、狙撃銃と同じ弾薬、7.62mmが採用されたモデルが壁に立てかけられている。

 さらにチェストリグには十キロに及ぶ弾薬、弾倉が詰め込まれている。近くには銃器を隠蔽するための二重の層になる細長いアルミ製のアタッシュケースがある。

 拳銃は使い慣れた9mm拳銃が腰のホルスターに収まっていて――装備は以上だ。

 衛士が簡単にそれらを説明すると、アイリンは「そう」と短く返事をした。

『訓練の方はどうだったの?』

「まずまずです。少なくとも、あの二人以上に強い敵が来なければオレが負けることはないでしょう」

『へえ、随分な自信ね?』

「ええ。この僅かな期間で、オレも随分考えが変わりました。いや……これまでを考えれば整ったと言えるでしょう」

 協会を潰すことばかりを考えていたが、それだけではいけないことを理解した。

 強くなり全ての障害を排除する事だけを望んでいたが、それだけでは何も生まれないことを認識した。

 そして今回の任務で、何かが変わる。自分だけではなく、それを取り巻く環境もその全てが。

「それで、そっちの方はどうなんです?」

『こっちが……何かしら』

 とぼけたような声で聞き返す彼女に、衛士はわざとらしく嘆息した。

「今回の任務にあたって追随する仲間です」

『あら、いつもは一人で大丈夫だって気張るから、今回もそうだと思ってたのに』

「……その節は、すみませんでした」

『いいのよわかれば。大丈夫、安心して頂戴。例の耐時スーツも完成したし、その実用テストも兼ねるけどいいわね?』

「かまいません」

『それじゃ、十一時に研究所だから。準備を整えてきてね』

「了解しました」

 衛士は端末の通信を切り、ポケットに収める。次いで寝台に一歩近づくと、衛士はそのまま彼女の顔の近くで屈み込んだ。

 手を伸ばし、まぶたにかかる前髪を掻き上げて額をのぞかせる。

 衛士はその額に唇を近づけ、刹那的にくちづけた。

「それじゃ、ナルミ……機関を任せたぞ」

 ――銃器を簡単に分解して、下の層に狙撃銃を、上の層にカービン銃を収めてアタッシュケースを締める。コートを脱いでチェストリグを着こみ、コートを着こみ、ずっしりとした重さを感じながら衛士は、扉に向かう最中に一度だけ彼女を一瞥してから、そこを後にした。

 彼女の脳波が著しく反応し始めたのは、その直後のことだった。



「あたしたちも、ただこの一週間を無為にしていたわけじゃないわ。だってそうでしょ? 貴方が言うとおり、今は大変な時期なのだもの。アメリカの機関だっていつまでもつかわからないし」

 楕円形のテーブルだけがあるそう広くはない空間。そのブリーフィングルームに、今回選ばれた男達は集まっていた。

「ちょっとまってください。アメリカの機関が……どうしたんですか?」

 アイリンは衛士の正面の席に腰掛け、右脇には白い短髪を逆立たせる、随分と風貌が変わったスコール・マンティアが変わらぬ黒衣をまとい、左脇には黒い詰襟の野戦服のようなものを着こむレックス・アームストロングが座っていた。着心地の悪そうはソレは、恐らく例の『新しい耐時スーツ』なのだろう。

「知らないの? ……そうか、あの二人は大切な事を言わずに行ったんだわね」

「……どういう事です?」

「彼らは元から軍の人間だったからね。三国間に機関があることによって均衡が保たれていたのだけれど、その一つが陥落して――その為に機関は無敵ではないことを教えてしまった」

 これはもっとも恐れていたことでありながらも、もっとも想像に易い予測できた事態だった。

 現状は、彼らが思っているよりもはるかに重く、圧倒的不利な状況で、いつ敵が攻めてきて命を散らしてもおかしくはない状況にある。

 ただ一つ、二つの機関ではその圧倒的な抑止力が存分に発揮できない。軍事力が凄まじいから、資産が圧倒的だから世界が追従していたわけではないのだ。

 時間遡行技術――ただ一つのそれを目的に、世界は頭をたれて従ってきた。

 敵の対抗する力が弱まったと知れば、その弱みにつけこまぬ手はない。

「これまで貴方を育ててくれた事、機関に手を貸してくれた事があるから、彼らの自由にして良いと伝えたんだけどね。結局彼らはアメリカに戻ってしまったわ」

「……米軍を相手にして、機関は生き残れるんですか?」

「無理よ。ただでさえ地上に基地があるんだもの、空爆でイチコロよ。あーあ、あたしも制空権とりたいわ」

「だというのに、割合に呑気なものだね」

 そう言うのはレックスだった。

「焦ったって良いことなんて何も無いものよ」

「とは言いますが……大丈夫なのですか? 我々は、この日本の機関だけが生き残って、これから……」

 話を聴いて、絶望的な顔をするスコールはテーブルに肘をついてうなだれる。

 衛士はそこから、彼の言葉を継いだ。

「つまり上層部の老害共……ゼクトたちはなんて言ってるんです?」

 そういった質問に、アイリンは腕を組んでため息をついた。

 何かを思い出す、というよりは考えるように額に指を当てて唸る。

「まあ、なんというか」

 それからややあって、無理に吐き出すように彼女は口にする。

「なるようにしかならない、としか言わなくて。この流れならホロウ・ナガレが何かを知っていてもおかしくはないんだろうけど……。いや、推測は出来るんだけどね、コレばっかりは、あんまり認めたくないっていうかね……」

「そうですか。まあそもそも、”『時間遡行技術』自体が未来から来たもの”ですしね。上層部が人工知能だとか、単なる情報や信号だけの存在であっても不思議ではないですね」

 言ってみると、アイリンは分かりやすくギクリ、と硬直する。

 珍しいことに彼女は緊張していて、余裕がなく、それでいて素直に、乾いた笑いを漏らして頬を掻いた。その反応は図星だと言っているようなものである。

「あたし、そんな事言おうとしたのかしら」

「いえ、カマかけてみました。それとオレ自身の考えもありましたし」

 衛士は眼帯のない右目を指してから、まぶたを開ける。

 眼窩には腐ることのない、されど視神経も繋がっていないし、そもそも己の眼球ですら無い白い眼のそれが収まっている。

 ――今は亡き姉の眼だ。

 これ自体に特殊な力があるというわけではない。右眼窩に生まれた鬼火が、この眼を介して視覚的な超能力を与えるだけである。

「考えたくはありませんが、これまでの事が予定調和だったように思えます」

 機関がこういった事になるのは、最初から決まっていた。そんな気がする。

 もちろん根拠なんて無いし、知るすべもない。予知といえどもこんな長期間を視ることはできないが――違和感とまでは行かずとも、妙な感覚を衛士は覚えていた。

 こんな事が以前にもあったような気がする。

 この能力ちからを得るよりもずっと前の、この機関に来るための、試練の中で感じた吐き気をもよおす不快な違和感が。

 少し考えれば思い出せる悪夢は、頭が痛くなるほどに多い。

 その中でも精神的に未熟だった時のそれは、さらに強く胸に刻まれていた。

 だからこそピンとくる。

 ああ、そうだったのかと理解できた。

 確証は無いし、照らしあわせたとしても、あの時の試練と現在とが同じであるわけでもないのだが……否定もできない。それも同じだった。

「予定調和ねえ」

「だがまあ、ボクにはよくわからないし聞いていてもイマイチ理解が追いつかないが……ここで言っていても無駄なことだろう? 話を進めないかい?」

「ですね。それはわたしも賛成です」

 そうしてようやく、不鮮明でありながらも何故だか最重要だと言い切れる、曖昧な作戦内容が発表された。

 空間内は飽くまで静かで、その機関の未来を決する任務に選ばれた僅か三名の男達は、三者三様の反応を見せて――それから一時間後に始まる任務の準備を開始した。

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