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再訓練

「だから言っているだろうがッ! 貴様は基礎だけを覚えてこのくそったれな世の中を生きていくつもりかァッ!」

 ハーガイムの強烈な打撃を頬に受けて、尚それでも動じずに大地を弾くように後退すると、そのまま反動を地面に受け流して時衛士はゴム製のナイフを構え直す。

「一からやり直したくなかったら本気を出せクソ野郎ッ!」

「サーイエッサー!」

「ふざけるな、大声を出せ!」

「サー、イエッサーッ!!」

 最小限の動作で足を動かし、負担を抑えるようにバネを縮め、反動を利用して前へと進む。やがて眼前に迫るハーガイムの腕が殆ど反射的に撃たれるのを視て、衛士は身体を捻り紙一重で避けてみせた。

 左腕の外側に回りこみ、逆手に握るナイフを鋭く彼の脇下へとえぐり込む。が、強引なまでな力技で返す肘鉄が、予期し得ても尚反応を超える速度で眼前へと肉薄した。

 衛士はそれを利用し、肘に手を沿わせるようにして腕に弾かれ、その勢いのまま背後に回りこむ。ナイフで斬りつける横腹から背中にかけては鈍く摩擦するが、手応えは甘い。

 ――決定打を打つまでは無傷。

 今回の格闘訓練はそういった決まりの元で行われていた。

「貴様はその程度の斬撃で人が死ぬと思っているのかァッ!?」

 身体は深く沈み、振り向き様に足払いを薙ぐ。同時に衛士は短く跳躍し、自ら向かってくるハーガイムの顔面を掴むとそのまま膝に叩き込んだ。

 が、その瞬間。

 鈍く、力強く顔面を穿つ膝を裏側から抱擁するような腕が伸びる。衛士がそれに対応する暇もなく彼は身体を起こすと、片足を払う形のまま、屈ませる足を伸ばして立ち上がる。衛士の体勢はされるがままに仰け反り、両足を脇に抱えられたまま、その頭は地面すれすれの位置で停止する。

 握るナイフを振るう事無く、体を捻り、また体勢を整えながら振り返るような動作をするハーガイムによって、衛士はそのまま彼を中心点にして、空中を激しく回転する。凄まじい遠心力に増幅する重力を肉体に負荷させた。内蔵が位置を揺らしてずらし、喉元からせり上がって口から吐き出されそうになる。

 そんな中で不意に、彼を唯一固定する腕から力が抜けた。

 程なくしてハーガイムから解き放たれた衛士は宙を滑空し、大地に背中を叩きつけられた。

 肺から空気という空気が吐き出され、衝撃が肉体を打ち、脳を揺さぶる。それでも身体は脊髄反射をするように体勢を整え、半ば無意識に彼は再び立ち上がっていた。

「そうだ、ガッツを見せろ!」

「サーイエッサーッ!」

 今度はハーガイムの接敵を待つ。

 大きく息を吐き、だが体力の回復を待つほどの甘さを彼は持っていない。

 僅かな均衡に、半ばクセのように息を吐いたことを確認した瞬間に、彼は大地を弾いて衛士の胸元に飛び込んだ。

 僅かな驚愕。

 乾いた喉が張り付き、反射的に立ち向かおうとする体勢を強制的に射に構え直した。

 ハーガイムの魔手が迫る。

 眼前に迫る指先を、その寸でのところで掴まんとしていた腕を引く。そして虚空を掴み拳を作る腕は、臨機応変に打撃へと変異するが、衛士は袖を掴み、力一杯振り下ろした。

 全体重を掛ける不意打ち気味の行動により、ハーガイムは深い前屈姿勢になるが――早くもその馬鹿力が、衛士の体重を持ち上げんとする。

 一閃。

 その抵抗が完了する間に放たれたナイフは、鋭くハーガイムの頚椎を突き刺した。



『違う、殺すんじゃなくて止めろ。お前の存在は完全に土と同化する。意思すら持つな。お前はただ引き金を弾くためだけの装置だ』

「了解」

 訓練用の森の中。

 五分ばかりの休憩を次の訓練の準備に費やした後、間もなく彼はギリースーツに、迷彩ペイントでカモフラージュされた半自動消音狙撃銃ヴィントレスを渡され、インカムを装着する。

 それから教官役となる巨漢の男が先に森の中に入り、一二○秒が経過した後に、後を追うように衛士も続く。

 森は円形からなり、ドーナツのように中央に空間を開ける。そうして森の部分は、直径で約一キロほどの距離を持ち、鬱蒼と生い茂るその中には獣道すら無い。

 今回の訓練は、敵に見つかるよりも先に敵を見つけ、狙撃すること。

 渡された弾倉には僅か三発ばかりの弾薬。これは二回までのミスが許されるという、ヤコブなりの最大限の配慮である。そしてまたインカムを渡して助言をしながら、己の技術を叩き込んだ弟子とも言える少年に狙撃される自身は無いという心情を表していた。

『言っておくがボクも容赦しないからな? お前を見つけ次第こちらも狙撃する。ハンデは要らないから、クセを見抜いて見つけ出せ』

「了解」

 中腰のまま、草に紛れて前へ進む。

 息を殺し、視界に入る全ての景色に集中する。動く陰、異変、注意点、この場所を狙える場所、この場所に居る敵に対して動きやすい位置……その全てを把握し、理解し、また前進。

 身体の輪郭を草木に同化させながら、衛士はやがてほふく体勢になった。

 音を立てず、ほふくといえども膝、肘を立てた形だ。極力動いた痕を残さぬように、器用にそれらをかき分けて進む。

 ――依然として、ヤコブの気配はない。

 どれだけ周囲を、幾度ともなく確認してもそこには居ない。

 仮に居たとしても、果たして本当に気付けるのだろうか。

 まず狙撃が成功するか否かの段階ではない。

 敵が発見できない。それ以前の、第一段階未満の、スタートライン。よーいドンのピストルが鳴っても尚、準備段階から走り出せない。競争相手は既に走りだせている。その贅肉に包まれる巨躯など嘘のような軽やかな身のこなしで、通った形跡すら残さず、ヤコブは完全に同化きえていた。

『まだ見つからないのかまぬけ』

 余裕綽々の威圧プレッシャーが耳から抜けて下腹部に落ちる。

 衛士は細く息を吸い込むと、一度だけ眼を閉じた。

 戦場では死を意味する油断。彼は敢えてそれを行い、次の瞬間には再び景色に配慮する。

「いや」

 その刹那に、衛士は額から零れて頬を伝い顎から滴る汗を感じながら、続けた。

「見つけた。そのでけえケツを」

 どこを移動しても景色の変化は望めない。どこをどう見ても、先ほどの森と、先ほどの位置と何が変わっているか述べられない。

 だが衛士は既にその時点で、とある領域に目星をつけていた。

 それは広場に極めて近い位置だ。除草剤でも蒔いたように、しっかりと草木と土との境目がはっきりしている場所。そして、それゆえに草木の薄いカモフラージュには適していない、隠れる場所もそう多くはない場所。

 ヤコブはそのわがままに太りきった肉体に反し、己を追い込む性格である。

 いわば、極地であれば極地であるほど集中力は増して狙撃に対する才能が増幅する。その中で、弾道を読み取る力は随一のものだと言えた。

 彼にとって、集中力や注意などが確かに敵の発見を助ける力となるが、それよりも一番敵を発見、あるいは敵の位置を大まかに認識する要因となるのは”直感”だった。

 長年の経験。無意識に感じる気配。自分を最も狙いやすい位置。少なくともその三つで敵の潜伏位置を割り出す男は、さらに敵により発見され易く、それでいて不自然でなく、また後手に回る事無く先手を打てる場所――そこを望む。

 二ヶ月間に及ぶ、実践を交えた休みのない訓練の中で覚えたヤコブの全体像は、そういったものだった。

 そして今、その全てを教えてくれた師とも仰げる男と対峙している。

「随分と口数が少なくなりましたね」

『僕は完璧主義者でね。お前を見つけるより、まず居ないという領域を徐々に潰していきたいんだ』

「その気持ち、分かりますよ。ゲームでもボスより、周りの雑魚から倒すタイプでしょう?」

『……お前とチェスをやって勝てたためしが無いんだけど』

「将棋でも負けナシですよ」

『まあいいや、コレが終わればまたやろう。一度勝ってみたいんだ』

「コレが終われば、すぐにドイツに飛びます。帰ったら相手をしますよ」

『そん時はお手柔らかに頼むよ』

 意気揚々にヤコブは笑い――衛士は前進をやめる。

 彼は注意していた境目に、ほんの僅かでありながらも、落ちている枝が不自然に折れて、その先端が何かに隠されているような光景を、遙か手前で発見する。注意しなければ、あるいは注意しても気付けるか否かの、極めて些細な点。それは恐らく折れた枝の先がギリースーツの中に隠れているからなのだろう。

 彼はそこで息を止める。

 身体を、その境界面の発見位置から、やや東の方向へと、徐々に変えていく。音を立てぬよう、気配を出さぬよう、数秒に一ミリほどの、慎重すぎるほどの行動で、十数分が経過した頃に、ようやく彼は背を向いた。

 そこはちょっとした丘になっている。

 そこは絶好の狙撃ポイントの一つであり――されど、丘の上には何も無い。

 綺麗に葉が落ちて並び、枯れ木が風景の一部として目立つだけのなんともない場所。

 衛士はそこが辛うじて見える位置でようやく動きを止めて、伏射姿勢。

 備え付けの光学照準器を覗き込み、ある違和感を探す。

 丘の上。その向こう側の、ちょっとした斜面にある違和感。隠蔽工作では無い自然の違和感。

 それから程なくして衛士は引き金に指を掛けた。

 ――向こう側に落ちる斜面。そこにある、葉が異様に盛り上がっている部分を発見した。

 森の中に風はない。

 弾道は、予測するに土手っ腹に向かうだろう。

 息を止める。

 その時点で、全ての思考を一時的に放棄する。

 発砲。

 ぶしゅん、というくぐもった発砲音の直後に、その奇妙な盛り上がりに赤いペイントが華を咲かせた。



 一週間、およそ一四○時間に及ぶ総仕上げ的な訓練は、狙撃成功を最後に終了を告げた。

 ちなみにこの訓練の中で衛士はハーガイムに一五四回殺され、逆にハーガイムは衛士に十八回殺された。また三十回中ヤコブの狙撃は二十九度成功し、全てが一発で衛士を射ぬいている。最後の最後でようやく仇を討つ形となったが、それまでの、一度の潜入でそれぞれ二発づつを使い切っているから、そうそう褒められた出来では無かったが――。

「いや、最後は流石に負けたって思ったよ。なに、五○○メートルくらい離れてたんじゃないの? あれ」

 ヤコブはコーラのペットボトルを飲み干してから、袖口で額の汗を拭う。

 ギリースーツを脱ぎ捨ててもまだ目立つ顔のペイントは、やはりシャワーでも浴びなければ落ちそうにないと、衛士は彼を見ながらそう思った。

「いや、四五○メートルぐらいですかね。ぎりぎりでしたよ。多分、アレ以上近づいてたらバレてただろうし」

「でも、これで本当に、もう教えることはないよ。だって今回の再訓練じゃ、一回も手を抜かないで、本気で生き抜く自信あったもん」

「正直な所、わたしもだ。能力まで使って殺されたから、ヤコブ以上に立つ瀬がない」

 ハーガイムは冗談っぽく笑って、ジンジャーエールを喉を鳴らして飲んでいた。

 彼らはそれぞれ、屋外訓練場と訓練学校とを隔てるような階段に並んで座り、休憩とばかりにだべっていた。

 時刻は深夜十二時を回る所だ。

 ドイツの時間で午前四時に転送が開始されるから、一時くらいに家に付けば、長くで十時間ほどは眠れるだろう。が、休みのない訓練続きで、容赦のない、全てが全力投球の訓練のお陰で肉体の疲弊度はこれまでの比ではない。

 おそらく、死にかけたほうがまだマシだと思えるレベルだ。

 ――衛士は衛士で、クーラーボックスから取り出したオレンジソーダを口に運んで、深く息を吐いて脱力する。

「一度だけじゃないですか。しかも予知できたから逆に利用しただけで、あれ以降、能力に勝てた試しがないし。卑怯ですよあんなの。勝てるワケ無いじゃないですか」

 既に還暦を過ぎているにもかかわらず、コレほどまでの運動能力に身体能力を残し、またそれまでの経験や感覚を全て残しているというのは異常すぎる。これもなにも、特異点という存在ゆえになせる技なのだろうか。

 さらにヤコブだ。まだ三十路前だというのに、狙撃技術は完成されている。才能という言葉を使わなければ説明できない技術だ。もっとも、そう言えば衛士とて天才ゆえと言わざるをえないのだが。

 改めて戦って、この一週間で身に染みた。

 この二人が仮に敵に回ったとしたら、戦う前に心が挫けてしまうかもしれない。

「さて、と」

 休めば、身体が異常重力に飲まれたかのように重くなる。膝が、というよりは全ての細胞が小刻みに震えて、己の体重すら支えられない。衛士はそれを気合で乗り越えて、ようやく立ち上がった。

「明日から任務なんですから、二人も休んでくださいよ」

 そういった言葉に、ハーガイムは少し困ったように肩をすくめた。

「あー、その話なんだがな」

 口ごもる。衛士がそう認識する前に、ヤコブが続けた。

「僕達は明日、アメリカに戻るんだ。本当はずっと前に戻れって言われてたんだけど、お前……君のために滞在を許可してもらってた」

「か、帰るって……」

 今生の別れみたいな言い方に、衛士の胸は思わず高鳴る。

 神妙な顔つきに、嫌な予感――それこそ衛士の恨みの根源となる肉親の死が、重なって仕方がなかった。

「もう、ここには帰ってこないんですか?」

「いや」

 すかさず、ハーガイムが首を振る。

「そういうわけじゃないよ」

「ドイツが乗っ取られたって話だろ? アメリカは軍どずぶずぶだから問題はないが、何が起こるかわからないから待機してろと命令されてな。だから残念だが、ドイツの事がどうにか片付くまでは戻ってこれないかもしれない」

「ま、君が帰ってくる頃には、帰ってこれる……だろう?」

「……オレはただ協会の連中に接触するだけのつもりだったんですが、まあ、いいですよ。スコールと、あと二人の埋め合わせが出来るやつを連れて行ってきます。とても独りで出来る任務じゃないですから」

 意思のこもる瞳で両者を見つめれば、ハーガイムは気だるそうに立ち上がり、ヤコブは溶けてしまいそうだった肉体を維持して腰を持ち上げた。

 二人はそれぞれ手を差し出す。

 衛士は微笑んで、それに応じた。

「結果次第じゃ、イヤでもまた訓練をつけるからな?」

「はは、受けて立ちますよ」

「帰ったらチェス、忘れるなよ」

「待機中に少しは鍛えててくださいよ?」

 これからの任務に対する激励は無く、あくまでこの非日常の中の日常を演出するように、なんでもないように二人は告げる。

 それぞれはややあってから合図もなく、解散となった。

 ――機関を、協会を、それを括る世界が大きく変異する任務の始まりは、それから約十二時間後のこととなる。

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