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プロローグ

 夕刻から続く雨は、空が完全に闇に飲まれた頃に少し弱まった。

 舗装されていない土は水を吸い込んで、ただ歩くだけでも体勢が不安定になるほどにグズグズだ。街から少し離れたそこを、手負いの男をつれた二人組が泥まみれになりながら走り続けていた。

 腕から出血し、涙や鼻水に顔を汚しながら、何かに追われるように背後を注意深く気にして駆ける。彼らがそれぞれ手に握る突撃銃アサルトライフルの残弾は残り僅かであり、そしてそれが彼らの命を繋ぎ止める命綱であった。

「大丈夫かダニー! 俺はここにいるぞ!」

 肩を担ぎ、そして泥に滑って勢い良く転ぶ。肩を打ち付け呻く相棒に叫びながら、男は彼の支えになって立ち上がらせた。

 道という道はない。

 そして背後からは、ただ一人の男が、走るわけでもなく、されど距離を開けても薄れることのない威圧だけを放出して彼らを追っていた。

「ちくしょう、畜生くそったれ! なんで俺らがこんな事になってんだよッ!」

 手負いが喚く。どうしようもない現実に押しつぶされて、その精神は限界を超えていた。

 ――外の警備だからと、わざわざ機関の外に出て周囲を警戒していただけだった。

 だというのに今はなぜだか逃げている。それは、”特異点能力者”に「逃走者」だと罵倒され、襲われたからだ。だがその『特異能力』ではなく、拳銃で腕を撃ちぬかれた。

 そうして現在に至るが、逃げ切れるわけがない。

 機関を相手にして、それが可能なはずがない。

 ついさっきまで機関に所属していた彼らだからこそそれを確信する。”逃走者”は機関から抜けだそうとした愚か者だ。その末路は肉塊でしか無い。極めて例外がないその存在は、仲間からの抹殺で役目を終える。

「なあダニー、知ってるか?」

「ああ、俺たちはもうすぐ死ぬってな」

「いや違う。同じ機関でも、もっと素晴らしい所があるらしいんだ」

「はっ、どうせアメリカだろ?」

 もはや自暴自棄に、歩く気力すらなくなったダニーは座り込んで空を仰いだ。深淵を覗き込んだような色をする天。己の心とまったく同じ色をしたソレを見て、これからの事がどうでもよくなった。

 どうせ死ぬ。

 ならさっさと殺してもらったほうがいい。

 ダニーは背中から倒れて、寝転んだ。

「日本だ。あそこはなんでも、たった一人の少年に”賭けて”いるらしい」

少年がきに? なんでまた」

「知らねーよ。ただこっちにまでその話が届くって事は、この世界でも結構有名なんじゃねーのか?」

 ――身体中の血が熱い。

 機関にも少し違和感が現れ始めた。

 協会もそろそろ本気を出すという。

 そして俺たちが死ぬ。だが、妙な希望を抱いてしまう。

 この後のこと。自分たちには一切関係ないのに、この後に大きくこじれるであろう世界情勢――もっとも”裏”の、だが――が整えてくれるかもしれない。その妙な希望だ。

 死を悟るから、妙にそういった事を考えてしまうのかもしれないが、それでも、完全な絶望に飲まれて死ぬよりはよかった。

 もしかすると、少しでも光を見たいからと思考が極端になっているだけかもしれないが。

「たははは! 何だ、逃走者のクセに逃げるのを諦めたのか?」

 雨音に紛れた足音は、やがて彼らの前で止まる。

 たった一挺の拳銃を握る男は、闇の中にその輪郭だけを作って現れる。声は下卑た笑い声が主であり、彼らのまともな言葉として伝わるものはなかった。

「まあでも……ん、これは転送の反応――」

 ちょうど逃走者の二人と男を挟んだ間。そこがにわかに明るくなったかと思うと、光は膨張し、周囲一帯を瞬く間に眩く輝きで照らし始めた。

 雨も、闇も。恐怖も不安も、その全てをかき消す、形容するならばまさに希望の光――その中から、一人の男が現れた。


「っと。ふう、病み上がりなのにひでぇよな……」

 右眼の眼帯を装備つけて、鼻筋を横切る深い傷痕が特徴的な、まだどこか幼さを残す青年。彼は野戦服姿で、肩から負紐スリングで狙撃銃を提げる彼はなんでもないようにそう呟いた。

 そして不意に現れたのにも関わらず、その全てを理解しているかのように微笑んだ。

「話は聞いたぜ。特異点『エリックス・フィール』。お前を処分しに来た」

「は? 突然来て何言ってん――」

 コッキングレバーを引いて弾薬を薬室に装填。

 狙撃銃を構え、間もなく発砲。

 静寂に響き渡る銃撃音は、寸分の狂いもなく、特異点ゆえにその特異能力で数多の人間を惨殺せしめ畏怖の象徴と成り得たその男の腹を、いとも容易く撃ちぬいた。

「ぐああっ?! て、てめえっ!!」

 脇腹を抑えながら跪く。男は先程とは打って変わった殺気ごもる視線を青年に向けるが、ソレ以上は何も起こらない。

 特異能力を使用するには並々ならぬ集中力が要る。ソレは、どれほどの熟練者でも変わることはないが、熟練者ならばどのような極限の状態でもそれが可能であった。

 未熟ならば言わずもがな、少しばかりの障害で、その”無敵”と自画自賛する能力でさえ使えない。

 この男は、その後者だった。

「特異点は珍しい。お前を処分するのはオレだって心苦しいがな……協会の手先になったお前の運命はその時点で決した」

 至近距離で狙撃銃の銃撃を受けた男は、それだけで致命傷となるから命も残り僅かだ。

 だがさらに止めを刺すように、青年は弾丸を込め、引き金に触れた。

「死にたくなければ運命を覆せ。五秒なら待ってやる」

 出血量からして五秒以上は、彼自身、集中が保てない。判断し言ってはみたが――。

 喘ぐように呼吸し、やがて倒れこむ。睨むだけで、痛みに堪えるだけで意識がこの青年に集中することはなかった。

 口から鮮血を吐き出し、最期に漏らした。

「た、助けてくれ……!」

「あの世で後悔するんだな」

 発砲。

 弾丸は鋭く額に叩きこまれ、頭蓋骨が砕ける。どろりとした脳髄が溢れてこぼれ、男の命はそこで絶えた。

 青年はそれを見届ける。

 背後の二人を一瞥もせず、ポケットから通信端末を取り出し、耳に押し当てた。

時衛士ときえいじだ。任務を遂行した」

『了解、転送を開始します』

「被害者の命はまだあるが、どうする? 手追い出し、ここまでされて機関に戻れるか心配だ」

『連れて帰るなら三○秒以内に、彼らの許可をもらってくださいね?』

「わかった。じゃな」

『はい』

 衛士は振り返り、座り込む二人へと向き直った。

「という訳だ」

 説明など不要だろうというように彼はそう告げる。

 同時に彼らも、それだけで意思疎通を果たすように頷いた。

「ありがとう、助かるよ」

「はは、本当まじにな」

 疲れきった顔で立ち上がり、よろよろと心もとない不安定な動作で手を伸ばす。握手を求める二人に衛士は応じて、やがて彼らを包む光があった。

 

 ――時衛士の覚醒は、この日からおよそ一週間程前にまで遡る。

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