02 退魔の継承
本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・国家・企業・名称・宗教などは全て架空の設定であり、現実との関係はございません。
竜堂奈々、彼女の朝は早い。
目が覚めると真っ先に朝の行水を行う。その日課は冬であろうと夏であろうと変わらない。裏庭でいつものように行水を済ます。
今の時代、井戸なんていうものが残っているのも、歴史資料館かここくらいのものである。
地下水をくみ上げて使用しているところは多々あるが、ポンプでくみ上げて個々で使用しているのが主である。わざわざ桶にロープをくくりつけて水を汲み上げている本物の井戸なんて面倒なものは普及する訳がなかった。
大地震前の前時代でもそんなものはごく僅かしかなかったというのに。
竜堂家の当主である竜堂翼は古い純和風が好きだった。
竜堂家は代々、日本という国でその生を受けている事と関係しているのか。
とにかく家は今時お目にかかれない木造住宅。庭園などもあり、何度かTVなどから取材を受けているほど今では貴重なものだった。現在は国が重要文化財の指定をするかどうかの審議中である。
行水を済ませた後、奈々は着替えて道場に向かう。
そこで30分の瞑想。その後に軽く身体を動かす。
身体を動かすといっても、ある時は空手の型だったり、柔道の受身であったりと色々こなす。
1時間ほどで一通り終わるとシャワーを浴びる。
奈々の父である翼は「必要ない」と、そのまま朝食へ向かってしまうが、この辺りはやはり年頃の女の子といったところだろう。
シャワーからでると朝食。
今までパン食などは一度もなく、白米と味噌汁がメインとなり、日によって焼き魚や目玉焼きなどのおかずが用意されている。
朝食後、新聞やTVをしばらく眺める。情報収集も怠らないように、と父の教えでもある。
それらを全て終えて。ようやく登校するのである。
家にやってくる(または住み込んでいる)組員たちやお手伝いさんに挨拶を交わしながらゆっくりと家をでる。
同年代のお嬢様と比べてもかなり異質な生活であった。
珍しく出かける姿を父が見送る。
「奈々、今日は大事な話がある。」
それだけ簡潔に伝えると奥に引っ込んでしまった。返事を伝える間もない。
だが翼が大事な話と前置きを付けるということは相当大事な話である事は考えるまでもなく判ることであった。
翼は返事を聞くまでもなく立ち去り、奈々は返すまでもなかった。
今までだって一度も学校から帰宅までどこにも寄ったことはないし、帰宅時間も学校の時間割や行事で左右される部分があるものの、1分たりとも予定より帰宅が遅れたことはなかったからだ。
それでもわざわざ「大事な話がある」と言ってきたのは予想外の出来事にも気をつけろ、という意味合いである。
つまりは「何があっても帰って来い」ということである。
奈々はその大事な用件について心当たりがなかったが、特に気負いもせずそのまま学校に向かった。
学校まではそれ程遠くない。歩いて10分程度。さらに家をでる時は学校に20分以上は早く着くように出ている。これも昔から変わらない習慣であった。
とはいってもお嬢様学校の朝は早い。20分前に着いても既に相当数の生徒が登校してきていた。
部活関係で朝練のあるもの、予習を行うもの、生徒会活動の一環、など理由は様々だ。家柄が家柄なので皆規則正しい生活をしているようだった。
予鈴まで奈々も予習をする。別に取り立ててしなくても問題はないのだが他にやることもない。
仲の良い友達…はまだ登校していない。
残念ながら奈々は友達運には恵まれていないようだった。
家柄が異質なせいと放課後の遊びにあまり付き合えないことから敬遠されがちだった。それでいて成績はトップクラスなものだから余計に近付き難い状況であったのかもしれない。
予鈴1分前。
時計をみて、参考書などをしまう。
予習自体は途中だったが先生が到着するまでガリ勉のように勉強するのもあまり好きではなかった。
予鈴が鳴った。
と同時に飛び込んでくる一人の生徒。
「間に合ったぁ~」
と、一人大きくつぶやくと急いで席に座る。
その様子を他の生徒は邪魔そうな目つきでみる。当の本人は全く気にした様子はない。
乱暴にかばんをおくと奈々の隣の席に座る。
「おはよう」
周りの視線がまだ痛いほど注がれているのだが、当人はどこ吹く風といった感じで奈々に挨拶をする。
「えぇ、おはよう。今日もギリギリなのね」
と、奈々も気にした様子もなく返す。
「まぁ遅刻しないだけ良いと思ってよね」
この気さくに話し掛けてくる女生徒こそ奈々の唯一の友達でもある。
名前はセフィアニア・ブランシュマイル。通称はセフィ。
セフィはこの学校では、言ってみれば「落ちこぼれ」の部類に入る。
学力はあまりなく、運動神経もそこそこ。遅刻は多く、授業中にも寝てしまうなど何かと教員に目をつけられている。
唯一、秀でているとすれば機械・情報関係技術。コンピューターなどの扱いに長け、いくつかの賞をもらったり大会で優勝するほどである。ハッキングなどの非合法な技術も習得しており、そのせいか変な情報通でもある。
頭の回転はいいのだが興味のないことにはまったく向かない、とは本人の言である。
セフィの家、ブランシュマイル家はブランシュマイル商会という総合商社を行っている。スピードワゴン社、ジョルノジョバーナ社に続く第三位の会社だ。上位の二社ほど目立っていないものの確実にその勢力範囲などをのばしている堅実な会社としても有名である。
セフィの両親はそれゆえ忙しく、家にいることが少ない為、セフィは放任されて育った。
「自分で学べ」とは後からつけた理由なのかもともとの主義なのかは知らないがそんな言葉を常に言い聞かせていた。だから家庭教師やマナーなどを教える者もつけず、食事と洗濯・掃除くらいの最低限のお手伝いだけを雇った。その代わり、学習に必要なもので欲しいというものは大抵簡単に買い与えた。辞典やマニュアル、知恵の輪からパソコンまでなんでも。
セフィは最初、本などに興味を示していたが、小学部にあがる頃にはパソコンがお気に入りになってしまった。
そこからマニュアルなどをねだって瞬く間に関連技術を習得していった。奈々と出会った頃には立派なネットワークの住人になっていたのであった。
そのため夜更かしが生活の基本となり、遅刻が多くなる。しかしそれを叱る人間もいないので、今のような態度になってしまったのである。
「セフィ、もう先生から目をつけられていたわよ」
「あらら、もう?」
と、セフィはとぼけてみせる。
「当たり前でしょ、まだ一年生とはいってもこれだけ遅刻ギリギリや遅刻が続けば目もつけるわよ」
「アハハハ、まぁ中等部もこの調子で卒業できたんだし、なんとかなるでしょ」
と明るく言う。
「はぁ…ほんと楽観的なんだから…」
ため息をつく奈々。
奈々とセフィとの付き合いは小学部の3年の頃からである。クラス編成の際に一緒になった事が付き合いの始まりだった。それ以来、腐れ縁とでもいうのかずっと同じクラスだ。中等部に入ったときも高等部でもまさかの同クラスには二人して笑いあったものだった。
「で、まだいつものやってるの?」
お決まりのようにセフィがたずねる。
「えぇ、そうよ。日課ですもの」
セフィは奈々の朝の一連の修行僧のような生活ぶりについて尋ねていたのだった。
彼女は奈々の生活の詳細を知る唯一の友達であった。
「大変だねぇ、私なんて絶対真似できないわね」
「やってみると意外とそうでもないのよ?」
とサラリという奈々。
「あははは、遠慮しておきますよっと。私には絶対無理無理」
セフィはそれは勘弁、という顔をしながら笑っていた。
「それもそうね」
「無理とはいったけど、そんな簡単に肯定されると私のプライド傷ついちゃうな。」
「フフフ、セフィは他で誇れるものがあるんだからいいじゃない」
「そういってくれるのは奈々だけね~」
そういって二人で笑いあう。
そこへ丁度担任の先生が入ってきた。
「退屈な授業の始まりか…」
とため息をつくセフィ。ゆっくりと授業の支度を始める。
奈々も黒板に向き直ると筆記用具を取り出す。
いつも通りの平和な授業の始まりだった。
夕方。
全ての授業が終わると同時に奈々は帰り支度を始める。
基本的に部活動を行っている生徒はここでは少ない。
お嬢様ゆえに習い事などで忙しい、というのが理由にあげられる。
奈々も表向きはそういった理由だ。
「お、今日はいつもよりはやいね?なんかあるの?」
セフィが奈々の慌ただしさに気が付く。とはいっても傍から見てせわしなくしてる様子はない。
長く奈々を見ているものしかわからないほどの差だ。
「えぇ、お父様が大切なお話があるというので」
「そっか。それじゃ、また明日ね」
セフィもそれ以上は追求しない。
話す時に話してくれれば良い、というのはセフィの持論である。詮索するのは話に裏が見えるときだけだった。
色々と訳有りの奈々にとってこれほど恵まれた友達はいない。
「えぇ、また明日」
そういうとすぐ学校を出る。いつもより少し早めの歩調で家へと急ぐ。
「さて、と」
誰にいうでもなくそういって更に歩調を速める。今度は明らかに早足とわかる歩調。それでも今までの歩きと変わらない整然さは残っている。無駄のない軽やかな動き。みているものが思わず見惚れてしまう、そんな美しさがあった。
家まではいつもより5分ほど早く着いた。この歩みでこの短縮なら上々だろう。
家に着くなり「ただいま」と一言いうと、道場へと向かう。
父が話がある、というときは決まって道場だからだ。
急いで道場に向かう。その間に心を静める。
道場に入る際には心を静めろ、というのが父の教えだからだ。
「父上、奈々参りました」
奈々が道場に入ると既に翼は道場の真中で正座して瞑想をしていた。
本来なら声を掛けてはならないのだが、急ぎの話があるのなら声を掛ける必要があった。
「奈々か。ふむ、定刻通りだな」
時計を見るわけでもなく翼はそういった。ただ外をみて日の傾きで判断しただけだった。
しかし翼の日時計は的確で、それでわからないのは秒くらいなものだと竜堂家に仕えるものはそう伝えている。
「父上、お話とは?」
奈々が早速本題を切り出す。
「そうだったな。今日から奈々、お前が竜堂家のもう一つの仕事である退魔の仕事に入ってもらう。」
翼はなんの脈絡もなくそういった。
「え!?」
思わず驚く奈々。
「退魔は本来成人を迎えてからの仕事ではなかったのですか?」
竜堂家の退魔、それは俗に言う『悪霊退治』とかそういった代物である。
人に仇なす人外の者を退ける、それが竜堂家代々の本来の仕事だった。しかしそれを出来るのは世継ぎが18才を迎え、成人の儀を終えてからの話だ。17才から退魔を知る為に何度か同行をすることを許される例もあるが、16才の奈々に退魔の仕事をしろというのは例外中の例外だった。
「ふむ、確かに年齢ではまだ退魔には厳しいものがある。しかしお前にはそれを補って余りある能力がある。
それにお前は来る『戦い』に関与しているのではないか?私はそう考えている。今からの実戦でも遅いくらいだとな」
能力とは水の力。
それは竜堂家の直系の血筋のみ継承される水を操る力である。時に水を刃に変え、時に水を竜に変え、時に大津波を起こす事さえ出来るといわれている。超能力という範疇を越えた、いわば魔法といっても過言ではない。
水の力は端的に「能力」と呼ばれ、その力を一子相伝として世に残しているのである。
その力をもって退魔を行うのである。
退魔はその能力が完全に扱えるようになる年齢、つまり18才をもって行えるようになる。精神的にも安定し、能力も完全に扱えるようになるからだ。
それを16歳である奈々に委ねるのだ。
しかし翼がそう言い出すのも無理もない理由の一つがある。
奈々は竜堂家始まって以来の天才と称されている。
普通、10歳前後ではまだ力を操る事すらできず、基礎体力を養ったり武術を教わる頃合なのだが奈々は違った。
力の使い方をわずか8歳でマスターしてしまったのだ。逆にそれを使いこなす体力が追いつかず基礎体力の修行に難航を示した程であった。
幼少の頃に大怪我をして入院中の病院から忽然と姿を消し、三日後に戻ってきたという事件があって以来、飛躍的にその能力を開花させた奈々。その3日間に何があったのかは当の奈々ですらわからない。ただ何かが起こった事だけは間違いないのだが。
とにかく能力だけを見れば奈々は比類なき天才なのは間違いなかった。
そしてもう一つの理由。
『来るべき戦い』である。
これは伝承としては信憑性が薄く、文章としても殆ど残っていないある戦いの事だ。
その戦いで竜堂家は『守るものを守るもの』として闘う事が決定しているという。詳細は定かではない。
しかし翼は己の勘と奈々の力を考えると、奈々が『守るものを守るもの』ではないかと考えずにいられなかった。もし仮定が本当であるとするならば今からの実戦経験というのは当然のことでもある。いつ来るかわからない戦い。場合によっては明日かもしれないのだ。それに備えておくには悪い事ではない。
そう考えた結果である。
「父上がそう考えていらっしゃるのなら私はそれに従います」
「いや、今回ばかりは拒否しても構わん。これは私の推測でしかないからな」
そういって奈々を見据える。
暫く考えていた奈々であったが
「いえ、やらせていただきます。」
と、答えた。その目に迷いはない。
「わかった。では今後退魔の仕事に就いてもらう。また日々の修練は義務付けない。一人の退魔士として独自の判断で行うがいい。」
これは翼が奈々を一人の同列の人間として認めたことを意味する。
そもそも翼もこれ以上の修練は勘を鈍らせるのではないか?と思案していたところであった。
あとは実戦で学んでいけばよい、と。
「わかりました」
はっきりとした口調でそれに答える奈々。
「これで義務から開放されたわけだ…。奈々、たまには友達とも遊ぶ事をしてみなさい。新たな発見もあるだろう」
「え!?」
翼はそれだけいうと道場から出て行ってしまった。
父の意外な言葉に驚きを禁じえない奈々であったが純粋に嬉しいというのもあった。やっと人並みに女子高校生の遊びというものを覚えられるのである。全く興味がないような振りをしていたものの、それでも気になるものは気になった。
楽しそうに話している他の生徒を見ると羨ましくさえ思えたのだ。恐らく定刻の門限の範囲での帰宅なら問題ないだろう。
そう思うと胸が弾む。
と、同時に退魔と言う仕事に不安を覚える。
ただ一度だけ見た退魔。
あれはたまたま家族で出かけていたときに遭遇したものであった。はっきりとした恐怖が未だに心に残っている。
しかし今は何も出来ない子供ではない。能力もある、そしてそれを扱うだけの知性と体力も備わった。
あとはやってみるだけである。
「よしっ」
そう一人気合を入れると決意を持った足取りで道場を後にした。
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