隣の客が三杯目を食べている理由
「へい!お待ち!」
店主が、どん、とラーメン鉢を置いた。
「それではお召し上がりください」
一見、どこにでもある醤油ラーメンだ。
つややかに光るスープ、海苔の黒、そして堂々と乗った叉焼。その下に、自家製の手打ち麺が潜んでいる。
割り箸を割る。
さて、まずはスープから――
――ズズーッ。ズズッ。
周囲から、勢いよく麺をすする音が響く。
隣の男は、迷いなく麺を持ち上げ、一心不乱にすすっていた。
(麺から行くとは、何と無粋な……)
小さく息を吐き、気を取り直して鉢に口をつける。
一口。
あっさりとした見た目に反して、香りが鼻腔を抜ける。
後味は軽く、それでいて物足りなさはない。
(なるほど。噂になるわけだ)
今度は麺を持ち上げる。
細麺が、するりと喉を通る。
(ほう……この麺、負けていないな)
そのときだった。
「おかわり!」
隣の男が、ほとんど食べ終えた鉢を掲げる。
(おいおい。ちゃんと味わったのか?)
だが店主は慣れた様子で、新しい一杯を差し出した。
さらに、後ろからも。
「おかわり!」
「こっちも!」
気づけば、店内のあちこちで同じ声が上がっている。
(二杯目……? 三杯目……?)
視線を巡らせる。
奥の席では、すでに四杯目に手をつけている男がいた。
異様だった。
それなのに。
箸が止まらない。
もう一口。
もう一口。
気づけば、スープを飲み干していた。
「ごちそうさ――」
言いかけて、口が止まる。
まだ、食べられる。
いや、食べたい。
「……おかわり」
自分の口から、その言葉がこぼれていた。
一瞬の沈黙。
すぐに店主が笑う。
「はいよ」
新しい鉢が、目の前に置かれる。
湯気が立ち上る。
さっきと同じはずの一杯が、やけに魅力的に見えた。
(まあ、一杯くらいなら……)
箸を取る。
――ズズーッ。
どこかで、誰かと同じ音がした。
「はーい。時間です。そこまで~」
その声で、はっと我に返る。
店内に、数人のスタッフが入ってきて、各テーブルの鉢を数え始めた。
「……え?」
自分の前には、二つ目の空の鉢。
いつの間にか、周囲と同じように。
「初参加にしては上出来ですね」
店主が、にやりと笑う。
「え、いや……俺はただ――」
言葉が続かない。
胃の奥が、じんわりと熱い。
「次回もお待ちしてますよ」
外に出ると、夜風が頬に当たった。
腹は満ちているはずなのに。
――もう一杯くらいなら。
そんな考えが、頭の片隅に残っていた。




