episode.16 激突
辺りに響く悲鳴と、ガラスの砕ける音。
ひっくり返されたテーブルと、破壊された物が散乱した室内の中心に1人の少女が埋もれていた。
「…く…っ」
こめかみから血を流し、あちこちに擦り傷を負った彼女は、手をついて立ち上がる。
そんな彼女から少し離れた場所で、余裕そうに構える少年。
「ははっ。どうした、八藤?<生徒会>メンバーのお前がそんな様で」
そう言って笑う彼は擦り傷を負っているが、少女程ではない。
「…驚いたよ碕沢。君がこんなに強いなんてね。てっきり頭脳派かと思っていたのに」
なんとか立ち上がった彼女──八藤は、再びナイフを構えてそう言った。
余裕の表情で軽口は叩いているものの、心なしか彼女の表情は険しい。
そんな彼女に少年は言う。
「伊達に委員長を名乗ってるわけじゃないんだぜ、俺だって。なぁ、八藤───」
「……何だい?」
「俺達の所へ、<集団>へ寝返らないか?」
その言葉に、八藤は眉をひそめる。
「……………何を、言って…」
「俺は本気だ。お前なら<集団>へ歓迎してやる。知らない仲でもないんだし、きっとお前にとってもその方がいい」
俯く八藤。そして数秒の沈黙の後、口を開いた。
「…碕沢、」
「…何だ?」
「…………残念だ、君の話には乗れない」
八藤の言葉に、納得するように頷く相手は──碕沢。
「そうか、なら仕方ない────なっ!」
彼はその言葉と同時に走り出し、八藤へと向かっていく。
対する彼女は後退するが、距離はあっという間に詰められてしまう。
そのまま八藤がバックステップをしつつ、碕沢から突き出される拳をギリギリの所でかわして行く。
「逃げてるばっかじゃダメだろ、八藤」
すると彼は何の前触れもなく、ジャガーナイフを取り出すと、八藤へ振り下ろした。
「…っ!」
とっさにのけぞってかわす八藤。それからすぐに身を起こし、体勢を整えようとするが…
「遅いんだよ」
碕沢は素早く手を引き、代わりに足を突き出して、八藤の腹を横殴りに蹴り上げた。
「く…っ」
そして彼女は壁に叩きつけられる。なんとか受け身を取ったものの、先程から体力を削られているため、少しのダメージも致命的だ。
「まだだ…っ!」
しかし、叩きつけられた八藤は壁を伝ってずるずると床に滑り落ち、足が地面に着くと、碕沢へ向かって走り出した。
八藤が大きく踏み込み、サバイバルナイフを振りかざす。碕沢がすかさず自分のナイフでそれを受け止める。ガキンッと火花が散り、2つの刃がぶつかり合う音が響く。
「お、なかなかやるじゃん」
心底楽しそうに、碕沢が言う。
すると八藤が一旦身を引き、勢いをつけて身を翻すと回し蹴りを仕掛けた。
今までとは違う素早い動作に、碕沢の反応が少し遅れる。
「…っと、危ねー」
碕沢はギリギリでそれをかわすと、先程反応が倒れた位置へと身軽に飛び移る。
それから八藤の連続反撃に備えて身構えるが、彼女からの攻撃はない。
ただこちらを見据えているだけである。
不審に思い、碕沢は言う。
「…どうした?八藤」
彼女は答えない。
微動せず、ただ碕沢を見据えているだけ。
そんな彼女に肩をすくめて、おどけるように碕沢が言った。
「まさか、疲れて降参とか?それはないだろー?」
彼女は答えない。
ただ時間だけが経つのを待つかのように───…
「…なんだよ?一体?」
いつまで経っても答えない八藤に不機嫌になった碕沢。
そんな彼に、八藤はやっと口を開いた。
「たいしたことないんだね、委員長。あたしは正直、失望したよ」
無表情に、八藤は言う。
それに対して碕沢は不機嫌そうに、眼鏡の奥の目を細めた。
「あぁ?なんだと?」
「まぁ、端から君に期待などしていないが。まさかここまで君が落ちこぼれていたとは思わなかったよ」
「な───ッ、……そんな安い挑発に乗るかよ」
碕沢は思わず踏み出しかけたが、それを戻し、八藤を睨みつける。
彼女は全く動じず、唇の端を上げて答えた。
「そうかい?なら言わせて貰おうかな、委員長。それだから君は──<生徒会>には選ばれないんだよ…落ちこぼれの委員長くん?」
その言葉に碕沢の瞳が怒りに満ちる。かつて誰よりも上を目指した彼に対して向けられた言葉と屈辱に、彼の手が震えていた。
「ふ…っふざけ…っ!」
「怒っているのかい?委員長。“そんな安い”挑発には乗らないのだろう?」
「…ッ!乗らねぇよ…っ、だがな…お前だけは──絶対ぶっ殺す!」
碕沢は叫ぶと、片足を下げて構え、走り出そうとする。
その時───
カン…ッと、足元から小さな音がした。
破壊された物が散乱している場所だ、足に何かがぶつかるのは不自然ではない。
──だが、彼は知っている。
<委員会>のトップとして、それなりの戦闘経験をしてきた彼は──…
碕沢が足下を見る。
瓦礫に埋もれて見え隠れしていたのは、
最早地雷にも近い威力を発揮する、時限装置付きの小型トラップだった──。
ドバンッ!と跳ねるような爆発が起こり、碕沢はとっさに別の場所へと跳ぶ。
「…っ!くそ…っお前…!!」
着地した碕沢は立ち尽くす八藤を睨みつけるが、また足下でかすかな音がした。
再び起こる爆発。
「な…っ!…うわっ!」
碕沢は少しだけ反応が遅れたのか、今度は爆発に押され、壁に叩きつけられる。
「ぐ…っ、」
打ち所が悪かったのか、彼は座り込んだまま立ち上がれない。
そして、八藤は彼に静かに歩み寄っていく。
碕沢は力の入らない手でナイフを構えると、八藤に向けた。
「お前…いつの間に…こんな、仕掛けやがって…」
そんな彼に、八藤は呆れたように言う。
「気づかなかったのかい?あたしはただ君の攻撃に押されて、転げ回っていたわけではないんだよ」
「なら、お前はわざと───」
「そう。君の動きは大体読めたから、そこに倒れた振りをしてトラップを仕掛けて置いたんだ」
まさかこんなに上手く行くとはね、と八藤は笑って
「それに今君がいる場所は、あたしがついさっき、叩きつけられた場所でもあるだろう?呑気に座ってていいのかい?」
「─────ッ!?」
碕沢は冷や汗を流しながら夢中で腰を浮かせると、前へと進もうとするが、足がもつれて転倒する。
だが、なんとか動けない体を奮い立たせ、立ち上がると八藤の脇を走り抜けた。
しかし、爆発は起こらない。
そして、碕沢は自分の体に違和感を感じ始めた。
左の脇腹から、熱くて鋭い痛み───…
視線を下へと向ける。
脇腹がぱっくりと開き、赤い血が溢れ出て来ていた。
「な…っ!?ぐぁあ…っ」
顔は青ざめ、鼓動が早くなっていく。脇腹を押え、ゆっくりと、碕沢は視線を背後へと向ける。
背後には背を向けたままの八藤。その手には、赤く染まったナイフが鈍い光を放っていた。
彼女が振り返る。
そして、言った。
「──君の負けだよ、碕沢」
その言葉と共に、碕沢は崩れるようにその場に倒れ込んだ────…。
* * * * *
「しぐれさん!大丈夫ですか!?」
すべてが終わり、静さが満ちる室内に誰かの声が響く。
背を向けていた八藤はその声に振り返り、答えた。
「あぁ、アリスちゃん。大丈夫、平気だよ」
近くに駆け寄ってきた亜莉朱は、八藤を見るなり慌てたように言う。
「でっでも、しぐれさん怪我してますよ!手当てしないと…っ。あ、あと委員長さんも。
医療班の人、呼んできますねっ」
そう言い残すと、パタパタと何処かへ走り出す亜莉朱。
八藤はそんな彼女を見届けると、辺りを見回した。つい数時間前とは一変してしまった、室内の様子がよくわかる。
床に付着した血の後や、各場所に点々とうつ伏せで倒れている、生徒または<集団>と呼ばれる反逆者達。そして彼等を囲い、治療をしている医療班の姿もあった。
八藤は小さく息を吐く。被害は半々と言った所だろう。
それから数分後、亜莉朱が医療班を連れて戻って来た。
医療班と言っても大人ではなく、ほとんどがT-M.Sの生徒だ。
生徒でもしっかりとした医療の教育を受けた医療班の生徒は、医者と同じレベルと言ってもいいだろう。
制服の上に白衣を羽織り、てきぱきと処置を始める彼等。
「頭以外で強く打ったところはありますか?それに痛む所は」
頭に包帯を巻きながら、八藤に問う医療班の生徒。
「いや、背中を強く打ったが受け身を取ったから問題はない」
淡々と八藤は答えつつ、横で倒れている碕沢を見た。
彼は意識がないのか、治療をしている生徒の呼びかけに答えている様子はない。
そんな彼の周りには血だまりが出来ているものの、八藤はそんなに深く刺したわけではないから大丈夫だろう。
八藤は切り替えるように、反対隣にいる亜莉朱に言った。
「で、アリスちゃん」
「はい?」
「代安はどうしたんだい?」
先程から亜莉朱の隣に、一緒にいたはずの代安の姿がないのだ。
不思議そうに言う八藤に、亜莉朱はにっこり笑うと、
「代安くん、無事ですよ。医療班のお手伝いしてます。患者さん運びの」
と言った。
それに八藤は安心したように笑い、答える。
「そうかい。ならよかった」
「──ま、<策略者>は無事ではないだろうな」
ふと、掛けられた言葉に八藤の笑顔が凍りつく。
亜莉朱の顔が、八藤の背後を見つめて驚きの色に変わった。
八藤が、ばっと勢い良く振り返る。そこにはいつの間にか上半身を起こし、こちらを見ている碕沢の姿が。
「…どういう事だ?」
怪訝そうに、問いかける八藤。
「とりあえず今邪魔なのは<策略者>の城下乃愛だろう。<集団>の10人を先に城下へ向かわせたんだ」
八藤に焦りの表情が浮かぶ。
「な…まさか…っ!」
「今頃半殺しで拉致られてるか、死んでるか──まぁどちらかだろうな」
彼はそう言うと皮肉に笑った。
そして亜莉朱は呆然と立ち尽くす───…。
* * * * *
──薄暗い、沢山のモニターが並べられた部屋。
その中央の画面には、荒れ果てた食堂が映し出されている。
『──しぐれさん!大丈夫ですか──…』
映し出された室内の声まで、こちらへと伝わっていた。
そして、その画面を見つめる1つの影────。




