婚約破棄されたので、貴方の暴言記録を全て監査局へ提出します
「リゼット・フォーラン! 貴様のような陰気な女とは、今ここで婚約破棄する!」
王城の大広間。シャンデリアの輝きを切り裂くように、カイルの声が響き渡った。
華やかな音楽が止まり、数百人の貴族たちの視線が一点に集中する。
視線の先には、カイル。そして彼の腕に抱きつき、とろんとした瞳でこちらを見ているのは、私の義妹――「聖女」のマリエルだ。
対する私は、地味な灰色のドレスに、実務用の眼鏡。手には常に携帯している分厚い『黒革の手帳』があるだけ。
「聞こえているのか、リゼット! マリエルを虐げ、私の名を騙って不正を働いたお前など、将来の伯爵夫人に相応しくない!」
カイルが得意げに叫ぶ。
周囲からは「あれが噂の悪女か」「聖女様をいじめるなんて」という嘲笑と軽蔑の声が漏れ聞こえてくる。
けれど。
私は動揺も、涙もしなかった。
ただ静かに、手帳のページをめくる。
(現在時刻、一九時一四分。カイル・バーンズ伯爵令息による婚約破棄の宣言。および、私への虚偽の告発を確認)
ペン先が紙を滑る音だけが、私の耳に心地よく響く。
悲しくなんてない。むしろ、肩の荷が下りた気分だった。
彼が私を愛していないことなど、最初から知っていた。彼が欲しかったのは私の実家の「持参金」と、私が王城で稼ぐ「給金」だけ。
裏ではマリエルと密通し、私の悪口を言いふらしていたことも、全部知っている。
なぜなら、私は「書記官」だからだ。
私の固有魔法【自動筆記】は、対象の音声を自動的に文字へ変換し、記録として定着させる。
「……あー、あー。おい、聞こえてるのか? この無能女!」
「はい、聞こえております。感度良好です」
「は?」
「あ、いえ。独り言です」
私は眼鏡の位置を正し、カイルを真っ直ぐに見上げた。
泣いて縋ると思ったのだろう。彼は拍子抜けした顔をしている。
私は、提出すると決めた。
この黒革の手帳――過去三年分、カイルが吐いた暴言、密会の喘ぎ声、そして横領の計画まで全てが記された『証拠』を。
「婚約破棄の件、承りました」
「なっ……あっさり認めやがって! 罪を認めるんだな!?」
「いいえ。罪を認めるのは、貴方の方です」
私は一歩前に出る。
逃げ道は、もう塞いである。
「な、何をわけのわからないことを……! 衛兵! この女を摘み出せ!」
カイルが喚くが、衛兵たちは動かない。
代わりに、重厚な靴音が響いた。
カツン、カツン、と。
その音が近づくにつれ、波が引くように貴族たちが道を開ける。
現れたのは、漆黒の礼服を纏った長身の男。
氷のような銀の瞳。王国の影と呼ばれる監査局長、グレン・アークライト公爵だった。
「――騒がしいな。何の騒ぎだ」
「ぐ、グレン公爵閣下……! 聞いてください、この女が!」
カイルがここぞとばかりに私の悪行(捏造)を捲し立てる。
公爵の冷ややかな視線が、私に向けられた。
背筋が凍るような威圧感。けれど、私は逃げない。
公爵の視線が、私の顔ではなく、私の手元――『黒革の手帳』で止まった気がしたからだ。
「リゼット・フォーランと言ったか」
「はい、閣下」
「その手帳はなんだ」
「私の日記……いえ、業務日誌兼、真実の記録です」
私は手帳を掲げた。
「カイル様は私を『横領犯』と仰いましたが、真実は異なります。この手帳には、カイル様がいつ、どこで、誰と会い、『王家の予算をどのように着服するか』を相談していた内容が、一言一句漏らさず記録されています」
「なっ……!?」
カイルの顔色が蒼白になる。
マリエルが震える声で割り込んだ。
「う、嘘よ! お姉様はいつも嘘ばかり書くの! そんな手帳、でっち上げだわ!」
周囲の空気が揺れる。
証拠か、聖女の言葉か。観衆が迷う中、グレン公爵が口を開いた。
「ほう。でっち上げ、か」
公爵は私に近づくと、無造作に手を差し出した。
「貸してみろ」
「はい」
私が手帳を渡すと、彼はパラパラとページをめくる。
その表情は読めない。
カイルが脂汗を浮かべて笑う。
「閣下、そんな汚い手帳、見る価値もありませんよ。燃やしてしまいましょう」
公爵の手が止まった。
「――汚い、か」
グレン公爵の声温度が、氷点下まで下がった。
彼は顔を上げ、カイルを射抜くように睨みつける。
「この筆跡、この魔力配列。……これは、王家公認の『自動筆記魔法』による公式記録だ。改竄は不可能。その価値も分からぬ愚か者が、よくもぬけぬけと」
「え……?」
「ここには、貴様が三ヶ月前の夜会で『監査局の目は節穴だ、ちょろいもんだ』と発言した記録もあるな」
公爵が読み上げた一文に、会場が凍りついた。
それは、カイルにとっての死刑宣告だった。
「そ、それは……言葉の綾で……!」
「黙れ。貴様を国家反逆および公金横領の容疑で拘束する」
公爵が指を鳴らすと、控えていた監査局員たちが一斉にカイルとマリエルを取り押さえた。
「嘘だ! 離せ! 俺は伯爵に……!」
「いやぁぁ! 私は聖女よ!?」
二人の悲鳴が遠ざかっていく。
あっけない幕切れだった。
静まり返る大広間。
私は深く息を吐き、公爵に向かって頭を下げた。
「……ありがとうございました、閣下。手帳をお返しいただけますか」
「いや」
公爵は手帳を懐にしまうと、驚く私に一歩近づいた。
至近距離。整った顔立ちが目の前にある。
「これは重要な証拠品だ。私が預かる」
「は、はい。では、後日出頭いたします」
「待て」
立ち去ろうとした私の腕を、公爵が掴んだ。
その手は意外なほど熱く、力強い。
「君も、共に来てもらう」
「え? わ、私も拘束されるのですか?」
「違う」
グレン公爵は、衆人環視の中で――私の前に跪いた。
どよめきが起きる。
彼は私の手を取り、インクで少し汚れた指先に、恭しく口づけを落としたのだ。
「私はずっと探していた。私の目が届かぬ場所で、真実を記録し続ける『正義』を」
「閣下……?」
「リゼット。君のその能力と、不正を許さぬ潔癖な魂を、私は好ましく思う。……いや、もっと単純に言おう」
氷の処刑人が、見たこともないほど甘く、熱っぽい瞳で私を見上げて微笑む。
「君が欲しい。私の妻となり、そのペンで私だけの記録を綴ってくれないか」
それは、求婚だった。
婚約破棄されたばかりの、地味な書記官への。
けれど、彼の手の温かさは、それが嘘偽りのない「真実」だと告げていた。
私は赤くなる顔を隠すこともできず、小さく頷く。
「……その言葉、記録に残しますよ?」
「構わない。一生、消えないようにな」
私の新しい記録は、ここから始まる。
幸せな溺愛の記録が。
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