エピローグ
六地蔵家の音楽室。
外では初冬の風が静かに庭木を揺らし、
冷たい夜がガラス越しに忍び込んでいた。
千秋はピアノの前に座り、
白い指先を鍵盤へ置く。
一音。
凍える雪の雫のような音が落ちる。
けれど。
その先に続く“未来”が書けない。
曲はまだ、未完成。
「お姉様……
どうして……この先が見えませんの……?」
千秋はそっと目を閉じた。
文化祭の夜が呼吸をするように甦る――
音楽室で並んで座った温度。
「千秋」と名前を呼ばれた熱。
帰り道で交わした、
憂の身体で抱いてくれた“お姉様”の抱擁。
そして――
「ありがとう。好きになってくれて」
あの言葉が、
胸の奥で何度も何度も凍てついては
また融けて、痛みに変わる。
(恋をしてしまいましたわ……
どうしようもなく……
でも……届かない恋)
この気持ちを音にすると、苦しい。
音が震える。
手が止まる。
千秋は、鍵盤の上で拳をぎゅっと握りしめた。
「お姉様……
あなたは、もう……
いなくなってしまうのに……」
恋は、届かない。
だって“雪乃”は、この世界のものじゃない。
(届かない恋だから……
わたくしは、ここで立ち止まるのね)
そっと息を整えて、
千秋は再び指を置く。
その指は、少しだけ進む道を見つけていた。
「あ……」
ほんのひとしずく。
未来の“音”が、かすかに見えた。
「……わかりましたわ。
この痛みを……そのまま音にすればいい」
千秋は小さく笑う。
(あなたに恋したわたくしが――
今の答えなのだから)
譜面を見つめる瞳が、決意に染まる。
「憂さんも、葉月さんも……
そして、お姉様も――」
千秋は、ピアノ蓋に映った自身の瞳に
そっと言葉を紡いだ。
「絶対に、幸せにしてみせますわ」
響いた音が、冬の夜に溶けていく。
届かない恋でも。
未完成でも。
この音だけは、真っ直ぐに。
千秋は指を鍵盤へ沈め、
まだ遠い白い旋律へ向かって
演奏を再開した――。




