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沈黙のういザード  作者: サファイロス


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4話 ブフ・ブルギニョンは愛の味

 憂の鼻腔をくすぐったのは――

 いつもの味噌汁の匂いではなかった。


 むしろ、食卓の向こうから、

 異国の風がふわりと吹き抜けた気がした。


「……いい匂い……」


 思わず、寝癖のまま顔がそちらへ向く。


 ダイニングテーブルの中央には、

 白いホーロー製のココット鍋。


 そのふたが少しだけずらされ、

 その隙間から、


 赤ワインと香味野菜と、

 牛肉がとろけ合ったような――


 深くて大人びた香りが、

 もったいぶったように漂ってくる。


「本日のメニュー、発表しまぁす」


 エプロン姿の葉月が、

 いつもにも増して誇らしげに胸を張った。


「ブフ・ブルギニョン――

 牛肉の赤ワイン煮込みと、


 マトロート・ダンジュイユ――

 鰻の赤ワイン煮込み、でございます!」


「名前が完全にフランス料理じゃん……!」


 憂は慌てて椅子に座り直し、

 背筋をびんっと伸ばす。


「これ……葉月姉が作ったの?」


「そうとも!」

 葉月は懐かしそうに、でも少し得意げに目を細める。


「全部、六地蔵家の厨房で、

 シェフに教えてもらったやつ。


 “賄い用の簡略バージョン”だけどね」


「賄いでこのレベル……?」


「レシピ、こっそりノートに写させてもらったの」


「葉月姉の“メイド力”が……ここで……」


「今も絶賛・現役メイドアルバイトだからね?

 一応ランクアップ済み」


「ランクアップ?」


「うん。前は皿洗いメインの

 “下っ端メイドさん”だったけど、

 最近は“簡単な仕込みと盛りつけも任せてもらえるメイドさん”に

 昇格しました!!」


 ぴしっと敬礼。


「そのぶん、お給金もちょっと上がってね♪

 “手当て付きキッチン補助コース”にクラスチェンジしたのだ」


「ゲームみたいな言い方する……

 でも、すごい……!」


「でしょー? 

 このブフもマトロートも、最初は料理長の横で見学だったんだけどさ」


 葉月は照れたように笑う。


「『葉月、お前は手つきがいい。

 いいお嫁さんになれるぞ』って、


 料理長に頭ぽんぽんされたの」


「わぁ、すごく褒められてる……!」


「そのとき、心の中で思ったんだよ」


 胸に手を当てて、きりりと宣言。


「“あたしは良妻になって、旦那様の憂ちゃんを一生支えます”って」


「方向性おかしいよね!?

 まず姉としての自覚を持って!?!?」


「えー? だって憂ちゃん可愛いし、

 おいしいご飯作ったら、毎日もぐもぐしてくれるじゃん」


「……まぁ食べるけど……」


「ほら、やっぱり“旦那様適性”ある」


「ない! ないから!!」


 そんなやりとりで、

 ぐるぐる脳内パニックになりかけた憂の目の前で、


 葉月はゆっくりと

 ココット鍋のふたを開けた――


 とろりとした濃紫のソースに、

 巨大な牛肉の塊が沈み、


 表面には光沢がきらりと浮かぶ。


 添えられたマッシュポテトに

 ソースがぽたりと落ちて、


 白と赤紫のコントラストが

 まるで絵画。


「これがブフ・ブルギニョン。

 フランス・ブルゴーニュ地方の

 伝統ある牛肉の赤ワイン煮」


 一方の皿には――

ふっくらとした鰻の切り身。


 赤ワインベースのソースがつやつやとまとい、

照明を受けて淡く輝く。


「こっちがマトロート・ダンジュイユ。

 鰻の赤ワイン煮込み。


 六地蔵家のお祝いメニューのひとつね」


「鰻なのに赤ワイン……?」


「そう。

 最初見たとき、


 『うなぎのかば焼き!?』って

 内心ツッコんだもん」


「わたしも今ツッコんでるよ……」


 くすくす笑いながら、

 まずは牛肉から。


 フォークを入れると――


 ほろり。

 力をほとんど使わず崩れた。


「……やわらか……!」


「赤ワインと時間の力だね。

 昨日から煮込んで、さっき温め直したの」


 一口頬張ると、

 ソースの奥に隠れた

 ハーブと香味野菜の香りがふわっと広がり、


 その背後から、ほんのり酸味と

 牛肉の甘さが、ゆっくり溶けていく。


「お、お店みたい……!」


「お店で出したら一皿二千円は取れるね」


「さらっと言うのやめて……!」


 続いて鰻。


 赤ワインとバターと、香草の香りが

ふわりと鼻先を撫でる。


「……不思議な匂い……」


「食べてみ? 世界が広がる」


 恐る恐る口に運ぶ――


「……あ、優しい……」


 赤ワインの風味はしっかりあるのに、

鰻の脂と混じって、角がとれて丸くなる。


 和でも洋でもない、

“貴族の家庭料理”みたいな味。


「本家って、いつもこんなの食べてるの……?」


「そんなわけないよ。

 でも“お客様がいらっしゃるときメニュー”としては

 けっこう定番」


 葉月はパンをソースに浸しながら言う。


「六地蔵家でメイドやってると、

 こういう“一発で落とせるメニュー”を

 運ぶ機会が多いんだよ」


「落とせるって何を?」


「お客様のハートと、婚期」


「最後余計!!」


 笑い声の中にも、

 なぜか尊さが宿るような――

 そんな気がした。


 憂はフォークを握り直す。

 少しだけ、力を込めて。

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