3話 ただいま、メイド修行中
家のドアを閉めた瞬間、
気力という名の何かがプツンと切れた。
「……ただいま……」
憂は靴を転がす勢いで脱ぎ捨て、
リビングのソファへ顔からダイブした。
ドサァ。
「……ムリ……今日は……むり……
千秋ちゃん、想像の五倍スパルタ……」
脳内で、凛とした声が反響する。
『敵の心臓を撃ち抜きなさい、憂さん!!』
「そんな物騒なメイドいる!?」
ソファにめり込みながら、枕に顔を押しつけてジタバタする。
視界の端で、コトンとグラスが置かれた。
「お疲れさま、憂ちゃん」
「はづ、姉ぇ……」
葉月が膝をついて覗き込み、
いたずらっぽいけれど、どこか優しい笑みを浮かべる。
「スパルタお嬢様、健在だね?」
「笑顔が足りないって……
ずっと言われ続けた……
“ご主人様の心を撃ち抜く笑顔を意識して”って……」
「ふふ。憂ちゃんの笑顔は、千秋ちゃんの“生命線”だからね」
葉月は憂の髪を指先でくるりと撫でながら、
何かを思い出したように、すっと身を乗り出してきた。
「ところでさ」
「ん?」
「今日のメイド服の写真──見たよ?」
「えぇっっ!?」
憂は勢いよく顔を上げ、瞬時に真っ赤になる。
「あ、あれ千秋ちゃんがチェック用に撮っただけ!
誰にも見せてな……」
「保存した」
「消してぇぇぇぇ!!」
「無理。あれは国宝。
わたしのスマホの最高機密フォルダ入り」
「そんなフォルダがあるの!? いや怖い!!」
葉月はうっとりと両手で頰を押さえた。
「憂ちゃん……白とレースと清楚の化身……
本家のメイドさんたちもすごいけどさ、
“うちの箱入りお嬢メイド”は別枠だよ……」
「本家の人たちに聞かれたら怒られるよそれ……
ていうか、わたしのメイド経験値ゼロだよ?
葉月姉みたいに六地蔵家でメイドのバイトしてたわけでもないし」
「だからこそ尊いの。
“実家にリアルメイドがいるのに、文化祭でメイド喫茶デビューする箱入り娘”っていうシチュがもう強すぎる」
「シチュって言わないで……」
憂は枕に顔を埋めたまま、くぐもった声で続けた。
「千秋って、本当はさ、
“本格アフタヌーンティー・メイドサロン”みたいなのやりたかったんだよ。
マカロンとスコーンとフィナンシェと、日替わりタルトと……って」
「うわぁ、やりそう」
「でも衛生面とか調理室の使用時間とか回転率とかで、
結局“オムライスとケーキとクッキーセットのみ”に落ち着いたの。
“現実という敵に阻まれましたわ……”って、ちょっとしょんぼりしてた」
「文化祭あるあるだねぇ」
葉月はふふん、と胸を張る。
「ちなみにマカロンはね、家庭でも作れるけど――」
人差し指をピッと上げて、どや顔。
「難易度バカ高いお菓子なの。あたしは作れるけど?」
「でた、ドヤ顔……」
「だって本当だもん。
オーブンの温度管理と乾燥具合と、メレンゲの機嫌との三つ巴戦争だからね。
素人に量産させたら戦死者出るよ」
「“戦死者”って言わないで……」
憂はクッションに抱きつきながら、少し顔を上げる。
「紅茶もね、いろいろ案が出てたんだよ。
千秋、“ダージリン、ウバ、キームンは最低限ですわね”って。
それに、“ロンドンの老舗デパートの限定ブレンド”とか、
“フランスの老舗紅茶専門店”とか……」
「ちょっと待ってそれ、
マ○アージュフレールとか、フォー○ナム?
某王室御用達のところじゃない?」
「そんな感じの名前だった気がする……」
「それ、高級どころだよ憂ちゃん。
一杯原価、どのくらいかかるか分かってる?」
「“お中元とかであまって困っていたので、
寄付しておきましたわ”って、千秋言ってた……」
葉月はグラスを持ったまま、しばし沈黙した。
「恐るべし六地蔵財閥……」
「“ちょうど良い消費先ができてよかったですわ”って……」
「お中元の高級紅茶を文化祭のメイド喫茶に回せる発想がもう貴族。
庶民は“もったいなくて年一で飲むかどうか”レベルだからね?」
葉月は苦笑しながら、憂の頬をつつく。
「その紅茶の話、結果どうなったの?」
「さすがにそんな高いのはやめようってなって……
紅茶はダージリンとアッサムと、あとなんかブレンドのやつ。
千秋ちゃん、“香りだけは妥協したくありませんわ”って、
すごく真剣に選んでた」
「真剣に選ぶ千秋ちゃん……推せる、普通に推せる」
ふたりでくすっと笑ったあと、
葉月はふわりと表情を変える。
「で、憂ちゃんは?」
「え?」
「本家メイドを毎日目にして育った箱入りお嬢様として、
今回のメイド喫茶、どうなの?」
憂は、クッションに頬を押しつけたまま、ぽつりと本音をこぼした。
「……正直、こわい」
その一言に、葉月は黙って続きを待つ。
「本物のメイドさんたち、所作も姿勢も完璧で……
それ見て育ったのに、わたしはぜんっぜんできなくて」
「だから千秋ちゃん、スパルタなんでしょ?」
「“御陵憂さんの名に泥を塗るわけにはいきませんわ”って……
笑顔の練習からお辞儀の角度まで全部……」
「真面目か、あの子は」
葉月は溜息をつき――それから、ふっと表情を和らげた。
「でもさ」
「うん?」
「本格的なメイド喫茶を“本気でやろうとしてる子”が、
憂ちゃんを看板にしたいって思って、必死になってるわけじゃん?」
視線が、やわらかくなる。
「かわいいは、武器。
見られるのは、誇り。
逃げないのは、強さ」
いつか六地蔵家の廊下で、
葉月自身が叩き込まれた言葉。
「千秋ちゃんはね。
“完璧なメイド”がほしいんじゃなくて、
“憂ちゃんが憂ちゃんのまま一番輝く姿”がほしいんだと思うよ」
「……葉月姉……」
「だから、メイド服に着られるんじゃなくて、
憂ちゃんが“着こなして”あげて。
そのためにアドバイス欲しいなら、いくらでもするから」
葉月は、少し得意げにウインクする。
「なんせこっちは、“元・六地蔵家メイド(アルバイト)経験者”だからね」
「わぁ、頼もしい……」
「注文の取り方、トレーの持ち方、
階段でのスカートさばき、
“ご主人様”の呼び方のバリエーション……全部教える」
「最後のいらない!」
二人で笑う。
さっきまで胸に乗っかっていた重さが、少しだけ軽くなっていた。
「――とりあえず、続きはご飯食べてからね」
葉月は立ち上がり、キッチンのほうを顎で示した。
「今日ね、ちょっとすごいメニューなんだよ。
“お嬢様家系の本気”ってやつ」
「え、なにそれ、こわい」
憂が顔を上げる頃には、
キッチンから、赤ワインの濃い香りがふんわりと漂い始めていた。




