第7話 優しさの奥で触れられた傷
夕方。
船内のメインダイニングは、夜の準備でざわめき始めていた。
高い天井には大きなシャンデリア。
白いクロスが敷かれたテーブルには、整然と並ぶカトラリー。
窓の向こうでは、海の水平線に沈む夕陽がゆっくりと色を変えていた。
「ここ……すごい……」
憂は思わず息を呑んだ。
「この船でも上位のレストランらしいからねぇ」
葉月がメニューを開きながら感嘆する。
「お二人に楽しんでいただけて嬉しいですわ」
菊子は穏やかな笑みを浮かべ、優雅に席へ腰を下ろした。
夕焼けが彼女の横顔をふんわりと照らす。
丸い四人掛けのテーブル。
けれど席にいるのは――憂、葉月、菊子の三人だけ。
空いた一席が、理由もなく胸をざわつかせる。
ふと視線がそこへ落ちる。
菊子は気づいたのか、手元のグラスをそっと持ち上げた。
「憂さん。千秋のこと、気になってらっしゃる?」
「……はい」
「あなたは、とてもわかりやすいのですよ」
菊子は微笑み、静かな声で続けた。
「千秋は、この旅に来られなくて残念がっていましたの。
でも――“憂さんが行けるなら、それでいい”と申していました」
胸がじんわり熱くなる。
葉月がニヤリと横目で見てくる。
「それって……特別扱いでは……?」
「お姉ちゃん……!!」
憂が慌てると、菊子はくすっと笑った。
やがてオードブルが運ばれ、
葉月は目を輝かせてスープを口にした。
「奥様、このスープ……おいしいです! あ、手を拭いてください!」
「まぁ……ありがとう。
葉月さんは本当に気が利きますわね」
「へへ……。でもうちの憂ちゃんは、ぜんっぜん気が利かないけど」
「ちょ、ちょっと!」
そのとき――
菊子の表情が、ふっと落ち着いた色になった。
「……憂さん」
呼ばれ、憂は顔を上げる。
「あなたは優しいのに、時々とても“遠い目”をなさるのです。
まるで……どこか深い場所に沈んでしまいそうな目」
胸がきゅっと締めつけられた。
その“目”を、誰よりも隠したい相手に見られた気がした。
「そんな……私、そんな目をしてますか?」
「ええ。ずっと気にかかっておりました」
菊子は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「……あなたのお母様の件。
千秋から、少しだけ話を聞いております」
空気が静かに変わった。
葉月も、スプーンを持つ手を止める。
「菊子さん……」
「辛い思いを、たくさんされたのでしょう。
無理して笑わなくてもいいのですわ」
菊子の言葉は優しい。
けれど、その優しさが胸の奥に触れすぎる。
息をするのが苦しくなる。
(……お母さんのこと……まだ向き合えてない……)
「ご、ごめんなさい……少し、外の風を……」
憂が席を立ち上がろうとすると――
「葉月さん。ついてあげて」
「はい、奥様!」
葉月はすぐに立ち上がり、憂の肩にそっと手を添えた。
「憂ちゃん、大丈夫。
外、涼しいから。行こ?」
「……うん」
憂は小さく頷き、
葉月に支えられながら、静かにダイニングを後にした。




