第29話 守ろうとして、壊れていく
屋敷の廊下は、深い影に包まれていた。
「……すべては、憂を守るためよ。
あの子が、昔の私のように傷つかないように。
ドイツでの日々――あの冬の記憶が、すべてを変えたわ」
雪乃の瞳が遠くを見つめ、言葉を続ける。
――ベルリンでの孤独。
離れ離れになった家族。
憂の小さな手が、唯一の温もりだった。
「いじめで泣く憂を見て、私の心に“雪乃”が生まれた。
感情だけじゃ守れない。計算して、冷静に動かなきゃって。
あのコンクールの裏切り――親友に曲を盗まれた痛み。
それが、私を強くしたのよ」
雪乃の声がわずかに震える。
「憂と葉月が同じ目に遭わないよう、守りたかった。
この屋敷で、葉月や千秋が憂に近づくのを見て……嫉妬じゃなかったわ。
ただ、憂を傷つける“影”を排除したかっただけ」
石田は息を整え、冷静に、しかし鋭い視線を雪乃に向ける。
「雪乃さん、もうやめましょう。これ以上の暴走は……憂さんにも危険です」
雪乃の瞳が一瞬揺れる。
しかしその次の瞬間、彼女は冷たく笑みを浮かべ、動きを止めない。
憂を前に立たせ、軽く手を伸ばしてその肩に触れる仕草――まるで刃物で突きつけるかのような演技。
その行動は人質を取ったかのような威圧感を放ち、廊下の空気を凍らせた。
――憂の人格が一瞬だけ表に出る。
怯える瞳、微かに震える唇。
雪乃の二重人格がそれを操り、心理戦を一層深める。
「ふふ……いいわよ。石田さん、どこまで耐えられるか、見せてちょうだい」
雪乃は憂の存在を意識し、冷たく、しかし楽しげに微笑む。
その笑みは計算され、恐怖を煽る楽しみに満ちていた。
石田は深く息をつき、憂をそっと抱き寄せる。
「雪乃さん、ここで引けば、誰も傷つかない。あなたも……私も、憂さんも」
雪乃は憂を見つめ、微笑んだまま静かに息を整える。
だが瞳の奥には、冷徹な意志と、遊ぶような好奇心がしっかりと残っていた。




