第20話 匿名の刃、震える指先
涼香は淡く光るスマホの画面を見つめていた。表示されているのは見慣れない匿名アカウント。送信者名もアイコンもなく、黒い文字だけが冷たく浮かんでいる。
「聞け。お前が隠してること、全部把握してる。口封じのつもりで誤魔化しても無駄だ。」
指先が震え、胸が締めつけられる。画面の光が瞳に刺さり、呼吸が浅くなる。文面は低い男の口調を思わせ、脅迫の意思がはっきり滲んでいた。
「証拠は揃ってる。写真も、音声も、ログも。話せば終わりだ。だが俺は“選択”を与えてやってるだけだ。」
涼香は声にならない声を漏らす。背後では葉月が淡々と作業を続けている――その存在すら、慰めにはならない。指先の汗を必死で拭いながら、涼香は画面の文字を何度も読み返した。
再びメッセージが届いた。文面は短く、切りつけるように鋭かった。
「次に動いたら、君が守ろうとしているものは一つずつ壊す。家族、評判、居場所、全部消してやる。選べ:黙るか、晒されるか。」
「――従わないなら、階段の手前にいるやつを“事故に見せかけて”消す。覚悟しておけ。」
文字が放つ刃のような冷たさに、涼香の体が固まった。言葉は具体的な手順を示してはいない。だがその一行だけで、脅威の性質ははっきりしていた――これはもはや名誉や秘密を晒すだけの脅しではない。世界の重心が、いきなり暗い方へと傾いたような気がした。
窓際で、憂は無意識にテーブルにもたれかかる。指先で顔を押さえ、目元の熱さに気づいた。普段は落ち着いている憂が、今はどうしようもなく震えているのを感じた。
誰かが小さくすすり泣くのが聞こえる。涼香の胸に、わずかに憂への同情がよぎった――ほんの一瞬だけ、誰かに助けを求めたい衝動が生まれる。しかしスマホの画面上の文字が再びそれを押しつぶす。
部屋の片隅で、憂の手帳が床に落ちているのに気づいた。ページは不揃いにめくれ、角が折れている。憂はそれを拾い上げ、指先でぎゅっと抑え込むように握りしめた。肩が小刻みに震え、まるで憂が何かに怯えているかのようだった。
涼香は憂の様子を見て、一瞬だけ油断したように見えた――憂まで被害に遭っているのなら、自分だけが標的ではないのかもしれない、と。しかし画面の一行があらゆる安堵を打ち消した。匿名の文面は足跡を残さず、二人の心に冷たく杭を打ち込んだ。
誰もが動揺し、誰もが不確かさに飲み込まれていった。




