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沈黙のういザード  作者: サファイロス
4章 昇華のブリザード

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第19話 泣いてもいい。逃げるな

 夜のリビング。

 ヒーターは部屋を暖めているのに——

 憂の指先だけ、氷のように冷たかった。


 カップの中で、ホットミルクの表面がわずかに揺れる。

 それは憂の指の震えそのものだった。


 テレビからは芸人たちの賑やかな声が流れている。

 でもその音は、どこか遠くの世界の出来事のように聞こえた。


 憂の胸の奥で、名前を呼べずにいる誰かの存在がじっと重く沈んでいた。


 そんな沈黙を裂くように——


「憂ちゃん。話があるわ」


 低く落ちついた声が落ちた。

 それはいつもの、軽やかで気さくなお姉ちゃんの声ではなかった。


 憂の背筋がぴくっと跳ねる。


「……葉月姉?」


 振り向いた瞬間。

 そこに立つ葉月は、昼間の明るい雰囲気とは別人だった。


 パジャマ姿なのに、大人の威圧感がある。

 照明の柔らかなオレンジが頬を照らしているのに、影が深い。


 憂がマグカップを置いた瞬間、葉月の厳しい眼差しが、その手を射抜いた。


「千秋ちゃん……誕生日に出発するって」


 憂の息が止まった。ミルクの香りが一瞬、遠ざかった。


「……誕生日に?なんで……」


「祝われる日より、逃げられない日 を選んだのよ。覚悟を決めた子の顔よ、あの子は」


 憂の胸がきゅっと縮む。


(そんな……どうして……どうして何も言ってくれなかったの……)


 視線が落ちる。

 髪が頬にかかる。


 その仕草に、葉月の拳がぎゅっと握られた。


「憂。あんた……なに黙ってんの」


「……っ」


「会いたいんでしょ?」


 問いというより——断言に近い。

 逃げ道を残さない声。


「……会いたいよ」


 吐き出すように言った。


 けれど葉月は一切緩めない。


「なら行きなさいよ」


 怒鳴り声ではない。

 なのに、心臓に直接落ちるような重さがあった。


 憂の肩が震える。


「怖いとか嫌われたかもとか……そんな理由で黙って、何もしないで……」


 葉月は一歩近づく。

 床が小さくきしむ。


「自分から勝手に離れていくつもり?」


「だって……嫌われてたら……」


「勝手に決めつけんなッ!!」


 机に置いた葉月の手が、低く響いた。

 怒りよりも、悔しさと愛がにじんだ音。


 憂の心臓が跳ねる。


「千秋はね……あんたのおめでとうが言ってほしいのよ!」


「……っ」


「一番に聞きたいの。あんたの声で」


 憂の胸がひゅっとすぼまる。


「なのにあんたはなにしてるの?『迷惑かも』とか『怖い』とか……

 それ全部、自分が傷つきたくないだけじゃない!」


 その言葉が憂の心臓へ鋭く刺さる。


 図星。

 逃げていた。

 向き合うのが怖かった。


「千秋ね……憂と会えなくて……毎晩、泣きそうな顔してるのよ」


「……!」


 その一言で、憂の世界が揺れる。


「迷わせたくないなんて言いながら……本当は会いたくて会いたくて……苦しんでるあの子を」


 葉月の声が震えた。

 怒りだけじゃない——胸の痛みのせいだ。


「だいたいね……あんたたち二人とも馬鹿!」


 声がわずかに裏返る。


「会いたいなら行きなさいよ!泣きたいなら泣けばいい!大事なものを……そんな簡単に手放すな!」


 憂の目から涙が零れる。


「友達ってのはね……ぶつかって、すれ違って、それでも手を離さないから “親友(ダチ)” なの!」


 葉月は憂の肩を両手で掴む。

 その手はあたたかいのに、表情は鋭い。


「逃げたら終わりよ。自分で終わらせてどうするの?そんなの絶対許さない」


「……怖いよ……」


「怖いのは当たり前。だって、その子が大切なんだから」


 葉月の目は優しさと怒りのどちらも宿していた。


「怖いくらい好きなら……守りなさいよ、その気持ちを」


 憂の涙が頬を濡らす。


「あなたが行かなきゃ――千秋の誕生日、あの子は一人で泣くわ」


 その言葉は心の奥深くに刺さった。


「行きなさい。泣いてもいい。困らせてもいい。好きなだけぶつかりなさい」


 憂は震える肩で息を吸い——

 しっかりと葉月の目を見る。


「……行く……」


 かすれた声。

 でも決意が宿っていた。


「そう。それでいい」


 葉月は憂を抱き寄せる。

 腕は驚くほど温かかった。


「……よく言えたわね、憂ちゃん」


 背中をゆっくり撫でながら囁く。


「怖くても進むって言えたあんたは、立派よ」


 憂の涙はぽろぽろと落ち続ける。


「泣けるのはね、ちゃんと向き合ってる証拠」


「……お姉ちゃん……」


「帰ってきたら、ぎゅーって褒めてあげるから。だから行きなさい。あんたの大切を守りに」


 葉月は憂の頬を包んで微笑む。


「本物の友情も、本物の親友もね……怖がりながら作るのよ」


 憂は涙を拭い、少し息を整えた。


 その表情を見て、葉月はふっと悪戯っぽく笑う。


「ねぇ憂ちゃん」


「……なに……?」


「さっきのあたし……ちょっとだけ雪姉ちゃんモードだったんだけど……どう?」


 葉月が照れ隠しみたいに首をかしげる。

 緊張がようやく緩んだ、そんな声だった。


 憂は涙で滲む目をぱちぱちさせ、

 そして——真顔で言い放った。


「すごく怖かった……!!!!」


「えぇぇぇ!? 雪姉ちゃんの威厳すごっ!!?」


 葉月が大げさに頭を抱え、憂は泣き笑いのように肩を震わせた。


 二人の声が重なり、ようやく笑いが戻った夜だった。


 ヒーターの温風が静かに流れる。

 テレビの音は相変わらず賑やかなのに、さっきまで刺すように感じていた空気が、嘘みたいにやわらかい。


 笑いの名残が頬に温度を残し、涙のあとが少しひんやりとする。


 だけど——胸の奥は、もう冷たくなかった。


 憂はそっと指を握った。

 震えは、もう止まっている。


(……行かなきゃ。怖くても、ちゃんと行くって……決めたんだ)


 葉月が横目で憂を見る。

 その表情は、さっきの叱る大人でも、甘やかす姉でもなく——


 大事な妹の未来を信じる、穏やかな家族の顔だった。


「憂ちゃん。その涙のままで行きなさいとは言わないけど……」


「……うん」


「その強さは、もうちゃんと顔に出てるわよ」


 憂は小さく息を吸い、こくりとうなずいた。


 もう逃げてない。

 目の前にある怖さも好きも、きちんと向き合えている。


 それが——

 姉妹の声に背中を押された夜の、確かな変化だった。

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