第18話 誕生日が遠ざける日
妹が合格した日。
憂はケーキを食べながら、いつものように笑っていた。
笑っていたけれど——
どこか、目が笑っていなかった。
(あの子……千秋ちゃんのことで頭がいっぱいね)
その違和感は、姉である葉月にはすぐに分かった。
憂は連絡を待っている顔をしていた。
しかし、スマホに手を伸ばす勇気だけはない。
■
葉月はパジャマのまま、廊下の窓にもたれかかりながらスマホを開いた。
連絡先——
六地蔵家メイド長・石田
(千秋ちゃん本人に聞くのは違う。今は……大人に聞くほうがいい)
通話ボタンを押す。
「ご無沙汰しております、石田さん。葉月です」
『こちらこそ、葉月さん。お変わりなく』
その落ち着いた声に、葉月はわずかに肩の力を抜いた。
「石田さん、まずご報告を。——憂が、東野高校に合格しました」
『それは……!本当に、おめでとうございます』
声色がやわらかくなる。
葉月も微笑んだ。
「ありがとうございます。あの子、よく頑張りましたわ」
そして——声を静かに落とした。
「それで……伺いたいことがあるんです」
『千秋お嬢様のことでございますね』
「はい。——千秋様、どうしています?」
短い沈黙。
そして事実が告げられる。
『お嬢様は、試験に合格なさいました』
「……まあ」
葉月は息をつまらせた。
「憂には……知らせていらっしゃらないのですね?」
『憂さんを迷わせたくないと』
「出発は……いつから?」
『……お誕生日の日です』
「………………」
葉月の心が揺れた。
『葉月さん。お嬢様は強さを保っておられますが……心の内は、とてもお寂しそうです』
「でしょうね……」
苦く笑いながらも、声は姉としての優しさに満ちていた。
「憂も同じ顔をしています。泣きたいのに泣けない顔」
『優しい人ほど、自分を縛ります』
そして石田の声が、少しだけ沈んだ。
『……葉月さん。ひとつ申し上げてもよろしいでしょうか』
「はい?」
『もし雪乃さんがご存命なら……憂さんの今の態度は、きっと叱っておられたでしょう』
葉月の喉がきゅっと震えた。
『甘やかすだけでは届かない時があります。本気で叱り、本気で向き合ってこそ……
本当の家族は分かり合えるものです』
胸に刺さる言葉だった。
「……あたしも、そう思うんです」
言いながら、葉月の目に涙が滲む。
「憂がめそめそ泣いていたら……抱きしめたくなる。甘やかす姉のあたしが出てしまう」
そこで唇を噛みしめ——
「でも、叱りたくもなるんです。逃げるな。向き合えって……背中を押す母としてのあたしがいる。……どうしたらいいのか、分からなくて……本気で迷ってしまって」
その言葉を、石田は真剣に受け止めていた。
『葉月さん。迷うのは、愛しているからです』
そして、少しだけ声の色が変わった。
『……わたくしは、羨ましいのです』
「え……?」
『誰かをそんなふうに愛し、叱ることさえ惜しまぬほどに心を寄せる——葉月さんのそのお気持ちが。本当に……羨ましい。雪乃さんもきっと、同じように悩み、それでも最後は本気で叱っていたことでしょう』
「雪姉ちゃん……」
『葉月さん。憂さんは、本気でぶつかれば必ず受け止めます。実の姉妹とは……そういうものです』
その言葉は、葉月の胸の奥の霧をゆっくりと晴らした。
「……ありがとうございます、石田さん。あたし、分かりました」
通話を終えたあと、
葉月は胸に手を当てた。
「千秋ちゃん……あなた、誕生日に旅立つなんて……本当に立派で……本当に、寂しい子ね」
そして、静かに憂の部屋へ視線を向けた。
(だって——あたしたちは本当の家族。本気で向き合えば……必ず分かり合えるもの)
その決意が胸の奥にしっかり根を張った瞬間、廊下の空気がふっと揺れた気がした。
冷たくもなく、あたたかくもない、でも——どこか懐かしい気配。
葉月は思わず天井を見上げる。
(……雪姉ちゃん。見てるんでしょ……?あの子を……憂ちゃんを……ねえ、雪姉ちゃん。もし聞こえてるなら……力を貸して。あの子を叱る強さを……あたしにちょうだい)
涙をひとつ拭い、葉月はまっすぐ前を向いた。
(甘やかすだけじゃ守れない。逃げる背中を追うだけじゃ、届かない。心を……鬼にする。大事な妹のために)
その表情は、姉としての優しさと、母としての覚悟と、
そして——雪乃から受け継いだ強さが同時に灯った顔だった。
葉月はそっと憂の部屋に向き直る。
(待っててね、憂ちゃん。今日だけは……本気でぶつかるから)
静かな夜に、葉月の足音がひとつ落ちた。
雪乃が見守る気配は、その背中をそっと押していた。




