第15話 いちごパンツの本能寺
千秋が合格した知らせが届いた――その翌週。
東野高校・合格発表の日。
朝の十三駅は、いつもよりざわついていた。
阪急のホームから吐き出される受験生たちの白い息が、
冷たい冬の空気にふわりと混ざる。
改札を抜けると、
商店街から漂うコロッケの香りと、
淀川の方から吹く少し湿った冷たい風が頬を差した。
通りを抜ければ静かな住宅街へ移り、
そこから北へまっすぐ歩くと――
赤レンガ調の壁と高いフェンス、木々に囲まれた校舎が姿を見せる。
ここが東野高校。
大阪でも屈指の難関校。
受験生たちの息づかいが、この街角にだけ濃く渦巻いていた。
憂は早足になりそうな気持ちを押さえながら、
隣で歩く葉月の横顔をちら、と見た。
(千秋……
あのあと返事は来てないけど……
きっと今ごろ、自分の未来と戦ってるんだ)
胸の奥が少し痛む。
でもその痛みが、不思議と背中を押す。
(わたしも……負けられない)
「憂ちゃん、緊張してる?」
「してないし! いつもどおりだし!」
「その強がり方、千秋ちゃんにそっくりよ?」
「……似てない!!」
その声だけで、緊張がほんの少しほぐれる。
■
雪が静かに舞う中、
掲示板には黒い数字がずらりと並んでいた。
東野高校の一般入試は、毎年「1001番」から始まる。
“千番台”というだけで、名門校らしい重みがある数字に見えて、
憂の喉がひゅっと細くなる。
憂の肩がぎゅっと震える。
「憂ちゃんの番号は……これね」
葉月が手帳を開いて、指で数字を示した。
「——1582番! 本能寺!!」
「お姉ちゃん声大きいよ!?」
「覚え方は “いちごパンツの本能寺” よね!」
「言ってない!! どこで覚えたのそれ!!?」
「しかも今日は勝負下着のいちごパンツなのよね?」
「な、なんで知ってるの!?!?」
「朝、靴下拾おうとしたら……
ちょっとだけチラッと……
視界に――“いちご家紋”が見えたのよ」
葉月の口元が、
いたずらを仕掛ける猫みたいにゆっくり持ち上がる。
頬がゆるみ、
目尻が細くなって、
にひっとした悪戯笑いがこぼれる。
完全に「見てしまいました」という顔。
「やめてぇぇぇぇ!!」
憂はうつむき、耳まで真っ赤。
「縁起担ぎなんだから……ほっといてよ……」
その震える声に、
葉月はふっと優しく微笑んだ。
「うん。そういうところ、ほんと可愛い」
憂はさらにコートの襟で顔を隠した。
■
(見なきゃ……行かなきゃ……)
掲示板の数字をなぞる。
この学校は縦列ごとに番号が並んでいるらしく、
列を移るたびに少し数字が飛んで見える。
(1497……次の縦列は1503……)
数字が変わるたび胸がぎゅっと締まった。
(1503……1508……1511……)
風が頬を切る。
心臓だけがやけに大きな音を立てる。
「憂ちゃん、ゆっくりでいいからね?」
葉月の声も、今は遠い。
(1517……1526……1534……)
(ちょ、飛びすぎ……)
でも視線を戻す余裕もない。
(1534……1535……次……1540……)
息が白く震える。
(本当に……1582なんてあるの……?)
(1540……1547……1551……)
喉の奥がつまる。
指先が冷たく痺れる。
(1551……1559……)
(どうしてこんなに飛ぶの……?
わたしの番号だけ……すごく遠いじゃん……)
(1563……次の列……1564……)
(……また飛んだ……1571……)
「憂……大丈夫?」
隣の葉月の声も、少しだけ震えていた。
(1571……1574……1579……)
(次……次が……)
心臓が跳ねた。
(――1582)
……あった。
「……あった」
そのかすかな声だけで、
葉月はすべてを悟った。
「どこ!? どこ!? 憂ちゃん!!」
「ここ……! ここに……!」
「——あったぁぁぁぁぁッ!!!!」
冬空を裂く葉月の叫び。
「だから声大きい!!」
「1582!! 本能寺の変!!」
「本能寺は落ちたけど、わたしは落ちてないからね!?!」
「歴史修正!! 東野合格!!!」
「うるさいぃぃぃ!!」
「憂! 天才! 偉人! 歴史に名を刻んだわ!!」
「盛り方が戦国大名!!」
「さ、胴上げするわよ憂!! 本能寺的に!!」
「燃やされる未来しか見えない!!」
「男子諸君! 協力を!!」
「巻き込まないでぇぇ!!」
憂は逃げる。
葉月は追う。
雪の中、二人の声が転がっていった。
(……恥ずかしい……
でも……すごく……嬉しい……)
■
「はぁ……はぁ……」
息を整えると、
葉月は優しく憂の手を包んだ。
「本当にすごいわよ、憂ちゃん。
あなたは自分の力で未来を掴んだの」
「……ありがとう、葉月姉」
胸の奥がじんと熱くなる。
(千秋……
わたし、ちゃんと追いつくよ……
あなたの隣に、胸を張って立てるように)
■
「さ! お祝いよ!!
イチゴケーキ! ステーキ! お寿司! 全部!!」
「全部は胃が陥落するから!!」
「いい? 憂ちゃん。
今日のあなたは“信長公”なのよ!!」
「どのへんが!?」
「信長公の“天下布武”になぞらえて……
今日の憂ちゃんは――」
葉月はドヤ顔で親指を突き立てた。
「天下布“胃”ですわっ!!」
「布武から胃に落とすな!!!」
「歴史は勝者が作るのよ!
だから今日は――
『憂のための本能寺』記念日!!」
「なんの記念日よそれぇぇ!!」
雪がくるくる舞う中でも、
笑い声はあたたかく響いた。
葉月に手を引かれながら、
憂はしっかり未来へ歩き出す。
歩幅はいつもより少し大きく。
それは確かに――
新しい世界へ踏み出す一歩だった。




