第14話 合否の文字、震える指先
憂の受験から、数日後。
日本の冬は、まだ静かに灯を落としていた。
六地蔵家の三階、
壁一面が音楽に満ちた千秋の部屋。
彼女は机の前で椅子に座り、
胸元を押さえながらひとり、小さく息をついた。
(……今日)
その一言で、胸がぎゅっと掴まれる。
あの音楽院――
雪乃が夢見て、
自分が引き継ぐと決めた未来への扉。
運命を決める日。
指先がわずかに震える。
そのときーー
扉が静かにノックされた。
「千秋お嬢様。入室してもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
メイド長・石田が姿を見せる。
いつも通りきちんと揃えた髪、
完璧な所作。
けれどその瞳だけは、
いつもより柔らかかった。
「……もう少し後で結果を見るのかと思いましたが」
「いえ……怖いですけれど……
見ない方がもっと怖いですわ」
「でしたら、ご一緒いたします」
「……お願い、いたしますわ」
気丈に答えながらも、
千秋の声は小さく震えていた。
石田は何も言わず、
そっと椅子の後ろに立つ。
千秋は深呼吸し、
ノートパソコンの電源を入れる。
画面に浮かぶ
“Result / Prüfungsergebnis(試験結果)”
指先が冷たくなる。
「千秋お嬢様。
お嬢様は全力を尽くされました」
「……ありがとう、石田さん」
その言葉だけで、
胸の奥に支えができた気がした。
Enterキーへ指を置く。
息を、ひとつ。
――Enter。
画面が白く切り替わり、
読み込みの円が回り続ける。
(お願い……お願い……)
やがて文字列が表示された。
■
“Passed(合格)”
「……っ」
時間が止まった。
「……あ……」
それしか声が出ない。
「千秋お嬢様……!」
石田の声が震えた。
「合格でございます……っ!!」
「わ、わたくし……
本当に……合格、したのですね……?」
「はい……千秋お嬢様……!」
石田は思わず千秋の肩を抱きしめる。
「あ……」
普段あり得ない行動だった。
「し、失礼いたしました……」
慌てて手を離す石田。
だが――目尻には涙が。
千秋の胸に、
温かなものが満ちていく。
「わたくし……
努力が……実りましたわ……!」
「ええ。
お嬢様は……雪乃様の願いを、
ご自身の意志で叶えられたのです」
石田の言葉に、
千秋はこらえきれず涙をこぼした。
その涙は、
終わりではなく――始まりの合図。
「……お父様とお母様へ……
すぐにご報告いたしますわ」
「どうぞ。
お嬢様の声で、お伝えなさいませ」
スマホを握り、
家族グループ通話を押す。
「もしもし……お父様?
今……結果が……出ましたの」
『……どうだった?』
「はい。
……合格いたしました」
一瞬の沈黙。
『……千秋、よくやった』
普段滅多に崩れない声が、
少しだけ震えている。
その次に――
『千秋っ……おめでとう!
本当に……おめでとう……!』
「お母様……!」
画面越しでも伝わる温度。
千秋は両手で口を押さえ、嗚咽に変わる前に震えた。
「わたくし……
これで……行けますわね……
あの学校へ……!」
父の言葉が
千秋の背を押す。
母の涙声が
心を強くする。
そして――
(雪乃さん……
わたくし、必ず叶えますわ)
決意は強い。
そのはずなのに。
(憂さん……)
ふと胸を刺す痛みがあった。
(わたくし……あなたの隣から……
本当に離れてしまうのですね……)
合格は喜びなのに、
その喜びが胸の一部を切り裂いていく。
雪乃の願いを継いで掴んだ未来。
でもその未来には――
憂の姿が、すぐ隣にはいない。
(本当は……
もう少しだけ……一緒にいたかった)
喉が熱くなる。
こらえても、にじむ涙。
それでも千秋は、そっと目を閉じた。
(……それでも前へ進むのが、
わたくしたちの選んだ道)
(いつかまた――必ず隣に戻る)
二つの願いを抱えて、
千秋は静かに拳を握る。
胸の奥の誓いは、
冬空へ真っ直ぐ伸びていった。
――物語は次の季節へ動き始めた。




