第5話 雪乃の影を追って
憂と別れた瞬間、
冬の風が着物の袖を冷たく揺らした。
歩くたび、下駄が石畳を叩く音が
やけに遠く響いている。
(……憂さん、泣いていましたわね)
胸の奥がぎゅっと掴まれる。
痛みに追われるように歩みを速めても、
脳裏に焼き付いた
涙に濡れた瞳は消えてくれなかった。
(本当は……
一緒に居たかったのですわ)
同じ高校へ進んで、
憂さんの隣で“これから”を積み重ねていけると
本気で、心から、信じていましたの。
朝の通学路で他愛ない会話をして、
昼休みにお弁当を広げて笑って、
放課後には音楽室で並んで鍵盤に触れて――
そんな未来が、
でも――
(雪乃さんが消えた瞬間……
わたくしの未来は、
あの日のまま止まってしまったのですわ)
その「停止した音」を動かすために、
前に進むしかなかった。
街灯が落とす自分自身の影が、
ひどく長く引き伸ばされる。
気づけなかった。
いや――見ようとしなかった。
(わたくしのために、
またあの国が憂さんを苦しめるなんて)
それでも――
「行かねばなりませんの」
雪乃が最後に弾いた音。
盗まれた《ハザード》。
鍵盤から静かに手を離した背中。
(雪乃さんは負けたわけじゃない。
戦う舞台を奪われただけ)
「だから、わたくしが戦いますわ」
着物の袖の中、指先が紙片に触れる。
雪乃が残した一枚の楽譜。
《Untitled》――無題の曲。
まだ誰も知らない、
雪乃からの “未来” そのもの。
「憂さん。
あなたと居た日々は、わたくしの宝物ですわ」
声に出した途端、喉が痛んだ。
本当は泣きたい。
本当は抱きしめてほしい。
本当は……一緒にいてほしい。
けれど――
「あなたの優しさに触れたら……
わたくし、立てなくなってしまいますから」
千秋は夜空をまっすぐに見上げた。
濃紺の闇の向こうで、
星がひとつ鋭く瞬く。
(必ず戻りますわ。
この楽譜に込めたすべてを完成させて)
震える足を前に出す。
その一歩から――
遠い国への旅が始まった。




