第2話 1月3日
――雪乃が光となって消えてから。
六地蔵家にも御陵家にも、
静かな“空洞”が生まれた冬だった。
雪は降らないのに、
胸だけは寒いまま春を待っていた。
けれど――
新しい年は、残酷でも優しくても、
誰の元にも平等にやって来る。
◆
「うーいちゃーん! 朝ごはんできたよー!」
葉月の声と同時に、
焼いたお餅の香ばしい匂いが階段の下からゆらりと漂ってくる。
今日は三が日、ラスト。
おせちの残りを見ると……やっぱり枝豆だけやたら多い。
憂が階段をとてとて降りてきたところで、
葉月が振り向きながら声をかけた。
「憂ちゃん、お餅何個食べる?」
「んー……7個!」
「ちょ、ちょっと!? 普通そんな食べないからね!?」
「太らないよ~。こう見えて代謝お化けだから!」
「むむむ……
あたしはお正月太りしないように“2個だけ”って決めて、
昨日から甘いのも控えて、夜はストレッチまでしたっていうのに……!」
葉月はほっぺをぷくーっとふくらませ、
不満と羨望と謎の姉の威厳を詰めこんだような表情で抗議する。
「憂ちゃんが7個も食べて細いままなの、
理不尽すぎて泣きそうなんだけど……!」
ピンポーン。
「ん? 誰かな?」
憂が玄関に向かうと――
そこには、雪の精のような少女が立っていた。
「……千秋」
淡い白地に薄桃色の梅が散る着物。
結い上げた髪から揺れる小さな赤い簪。
白い息までもが絵になる。
「新年のご挨拶に参りましたわ」
「すっっごい……綺麗……」
思わず見とれた憂の背後から、
葉月がスッと顔を出す。
「おおーっ! 千秋ちゃん、めちゃくちゃ可愛い!
姫、爆誕ってやつだね!」
「……恐縮ですわ」
千秋は優雅に会釈。
それだけで玄関の空気がランクアップする。
そして葉月はくるりと憂のほうへ向き直った。
「じゃあ次は――憂ちゃんね!」
「え、わ、私も!?」
「もちろん! 千秋ちゃんと並んで歩くんだよ?
可愛くしてあげるに決まってるじゃん!」
そう言って葉月が持ってきたのは、
淡い空色の着物。
雪解け水みたいに透明感のある色で、
裾には小さな白椿が控えめに咲いている。
帯は優しいクリーム色で、
淡い金糸が光を拾ってきらきら揺れた。
千秋の“和の姫らしさ”とは違う、
爽やかで可憐な“新春の妖精”みたいな雰囲気。
「葉月姉……これ、すごく可愛い……!」
「でしょでしょ? 憂ちゃんにはこういう
“透明系かわいい”のが最強なんだって!」
髪もふんわりまとめられ、
小さな白い椿の髪飾りが添えられる。
鏡に映った自分を見て、憂は思わず頬を赤く染めた。
「で、できあがり……?」
「できあがり! はい、うちの天使ちゃん誕生~!」
「天使って言わないで~っ!」
そんなやりとりをしていると、
隣で千秋が小さく息をのんだ。
淡い空色の着物を着た憂に視線を奪われ、
耳まで真っ赤になって目をそらす。
「う、憂さん……その……
とても……よく、お似合いですわ……」
「えっ!? あ、ありがとう……!」
憂も同じように耳が赤い。
葉月はその様子にニヤニヤが止まらない。
「はいはい、正月デートに行ってらっしゃい♪
“姫”と“天使”の並び、破壊力すごいからね~!」
「デートじゃないってば!!!」
「わ、わたくしも……そういう認識では……っ」
「はいはいはい、ツンデレカップル可愛い~♪」
葉月は勝ち誇ったように憂をくるりと回し、
襟元の乱れを整えてポンと背中を押した。
「よしっ! ふたりとも完成!
初詣でしっかり“ご縁”結んできなよ――いってらっしゃい!」
「ご縁とか言わないでーっ!!」
◆
神社の境内は、まだ賑わいが残る三が日。
甘酒と線香の香り、
参拝客の白い息が空へと昇っていく。
二人は並んで鈴を鳴らし、目を閉じた。
祈りの中で思い浮かぶ笑顔。
――大切な人。
願い事を終えて顔を上げると、
千秋の横顔もまた、どこか祈るように繊細だった。
「千秋、何お願いしたの?」
「今年も家族が健康でありますように、ですわ」
「そっか……素敵」
「憂さんは?」
「わたしは……千秋ともっと仲良くできますように、って」
千秋はわずかに動きを止め、
視線をそらして袖で口元を隠す。
「……叶うとよいですわね」
その声は、
願いより少しだけ遠い場所にあるように聞こえた。
◆
石畳を踏む音が、寒空に小さく響く。
「ねえ、千秋。
お互い受験、もうすぐだね」
「ええ。東野高校……でしたわね」
「うん。千秋も一緒に行くんだよね?
去年からずっと、そう言ってたから……」
憂は、当然の未来を確認するように笑った。
その笑顔に――
千秋の心が、一瞬だけ痛む。
「……わたくしは受験いたしませんわ」
「え……? どういうこと……?」
千秋の足が一瞬止まる。
けれどすぐ、歩みを再開する。
「わがままを……ひとつ通しましたの」
「わがまま?」
「クリスマスの翌日に……
両親へお願いをいたしました」
さらりとした言い方。
だけど――なにもかもが決まっている口調。
胸がうずく。
「……千秋」
「なんですの?」
「もしかして……
わたし、知らないところで……
すごく大事なこと、決まってる……?」
千秋は一瞬、何かを言いかけ——
小さく笑って誤魔化した。
「いいえ。なにも」
――嘘だ、と憂は思った。
それでも言えなかった。
袖越しに伝わるぬくもりを、まだ手放したくなかったから。
◆
いつもの帰り道が、
いつもより少し風が冷たい。
少しの違和感を、
憂はまだ飲み込もうとしていた。
(千秋と仲良くできますようにってお願いしたのに……
どうして、胸がこんなに苦しいの?)
白い息と一緒に、その不安が夜へ溶けていった。




