10話 雪乃の置手紙
――コン、コン。
凍った空気が、窓を叩いて知らせてくる。
暖房の止まった早朝の空気が、静かに窓を叩いた。
憂は、かすかに震えるまつげを揺らしながら目を開ける。
隣には、葉月がすやすやと寝息を立てていた。
「……葉月姉、すごい抱きつき方してる……」
葉月の腕ががっちりロックしていて、布団の中は妙に温かい。
寝ぼけたまま、葉月はぎゅっと抱きしめ直す。
「……寝かさへん……」
「寝てるでしょ!!」
憂は笑いながら、そっと腕をほどく。
まだ葉月の残した温もりが、ほんの少し胸を締めつけた。
「朝ごはん、つくろっか……」
自分に言い聞かせるように、軽い声でつぶやく。
久しぶりに、憂が作る番だ。
「……パン焼くだけ、だけどね」
小さく笑って、脱いだパジャマを丁寧に畳む。
葉月がいつもしてくれるように――
今朝は少しだけ、頼られる側になりたいと思った。
着替えをとろうと、机へ向かう。
そして、そこで――憂の指が止まった。
「……これ……?」
机の上に、一枚の封筒。
真っ白な封紙に、流れるような筆跡。
宛名には、
『御陵 憂、六地蔵 千秋へ』
憂の胸が、ドクンと脈を打つ。
指先が震える。
破かないように、そっと封を開ける。
淡いインクで綴られた文字は、凛としてどこか優しい。
憂は息を整え、そっと読み上げた。
●
――憂へ。
あなたと過ごした日々が
私の救いでした。
だから、お願いがあります。
クリスマスの一日だけ、
あなたの体を貸してください。
私は、まだ伝えていない想いがあります。
――千秋へ。
彼女は、あなたの音を
誰よりも正しく受け止めてくれる子。
私はあの子に、続きの作曲を託したい。
あの夜、文化祭で歌えたのは奇跡。
でも奇跡だけじゃ、未来はつながらない。
憂と千秋。
二人の音で、私の願いを、未来へ運んで。
あなたの歩む道に
私はいつでも寄り添っています。
御陵 雪乃
●
読み終えた瞬間、憂の手から便箋がふるりと滑り落ちそうになる。
「……雪姉ちゃん……千秋に……?」
心臓が強く鳴り続ける。
雪乃が千秋を信じている。
千秋が雪乃を必要としている。
その時。
「……うぃ……?」
布団から覗く声。
葉月が眠たげに目をこすりながら起き上がった。
「もう朝……?」
「うん……朝だよ。でも……ちょっとだけ……大事な朝」
憂は微笑み、落としそうな涙を指先で受け止め――
葉月をくるりと振り向いた。
「ね、葉月姉」
「なぁに?」
「お姉ちゃんってさ……御陵家の掟、いちばん裏切ってるよね?」
「えっ!?な、なんで急に!?」
憂は指を一本立てて淡々と言う。
「第五条。“姉は憂の心の隙間に自動割り込みすること”」
「う、うん。制定した!」
「割り込みじゃなくて“占領”してるじゃん今」
「ううっ……! お姉ちゃん権限で……フルスロットルで……!!」
「だからだよ。誰よりわたしの心を独り占めしてるの、葉月姉だから」
「~~~~~っ!!黙秘権を行使しまぁす!!」
葉月は枕に顔を埋めてバタバタした。
憂は、そんな姉が愛しくてたまらなくて――
そっと葉月の頬に触れた。
「でも……ありがとう。そうしてくれるから、わたしは立てる」
「憂ちゃん……」
「わたし、やらなきゃいけないことがある。雪姉の音……千秋と一緒に届けたい」
すると葉月は、迷わず憂の手を取って頷いた。
「もちろん。姉は、妹の背中を押すお仕事ですので!」
その声は明るくて、強くて――まっすぐ。
「じゃあまず、朝ごはん食べよ!」
「お腹すいちゃ戦えないから!」
「……うん。そうだね」
二人は笑い合う。
窓の外では、冬の光がゆっくりと昇り始めていた。
雪乃が託した“未来”への第一歩。
その幕が、静かに上がろうとしている。




