6話 御陵家の掟 第三条 『憂に近づく怪しい人物には、姉の許可が必要である』
湯気のあたたかさを残したまま、憂はタオルで髪を押さえながら、葉月の部屋へ戻ってきた。
「はいはい~~お姉ちゃん美容室、開店ですよ~~」
「店長さん、テンション高いですね」
「憂ちゃんの髪を乾かせるならいくらでも高くなります!」
「そこは抑えてほしいんだけど!?」
ふざけながら、憂は椅子に腰掛ける。
スイッチを入れたドライヤーが低い音を鳴らし、温かい風が耳元をそっと撫でた。
「今日は外、寒かったでしょ?……ちゃんと乾かさないと風邪ひいちゃうからね」
葉月の声は、いつもより柔らかい。
騒がしさの奥にある、本当の優しさ。
指先が髪の間をすべり、根元まで丁寧にほぐしていく。
「姉ぇって、案外器用だよね」
「案外は余計です」
「えへへ」
「ふふっ。でも……そうかもしれないね。
憂ちゃんをちゃんと守れるお姉ちゃんでいたいから」
その言葉に、憂は照れ隠しのように視線を落とした。
「……あのね」
「うん?」
「今日、すごく楽しかったんだ。千秋と帰って、一緒に笑って……」
「うん。見てたよ」
「ほんとに見てたんだ……」
「ええ。少し悔しかったけど……」
葉月は憂の肩に手を添え、そっと囁く。
「大切な人が増えるのは、いいことだよ」
その一言に、憂の胸がじんわりと温まった。
「――よし。乾いた!」
「ありがとう、店長さん」
「どういたしまして!」
憂は椅子から立ち上がり、軽く肩を回す。
「……葉月姉ぇ」
「ん?」
「今度は、わたしの番」
憂は葉月の背後に回り、そっと両肩に手を置いた。
「ちょっと触るよ」
「え、ちょ――」
ぎゅっ。
「……んっ……ぁあっ……!」
肩が震えて、声が上擦る。
一瞬、低く息が漏れる。
「ちょっと!!」
「な、なに!?」
「今の声、変だから!!」
「え!? 今の!?」
葉月は慌てて口元を押さえる。
「ち、違うの! なんか力抜けただけで……その……!」
「そういう声、出さないで」
「そ、そんなつもりじゃ――」
憂はため息をつきつつ、くすっと笑って力を緩めた。
「もう……びっくりするから」
「こっちの台詞だよ……」
葉月は耳まで赤くしながら、小さく肩をすくめる。
「……憂ちゃん、うまいんだもん」
「普通に褒めて」
「はい……」
「葉月姉ぇ、ここ硬い」
「う、うん……今日寒かったし……」
指先で円を描くように、ゆっくりほぐす。
「……ぁ」
「今のは?」
「セーフ……」
「なにが?」
「いろいろ」
「基準がわからない」
それでも憂の手は止まらない。
慣れた動きで、無駄な力を入れずに肩をほぐしていく。
「……はぁ……」
「今度は?」
「完全に合法」
「自己申告制なんだ」
葉月は苦笑しながら、肩の力を抜いた。
「でもさ……」
「うん?」
「こういうの、嬉しい」
「……そう?」
「うん。憂ちゃんが元気だって、ちゃんと感じられるから」
憂は少しだけ照れながら、手を離した。
「……葉月姉は、その……わたしがいろんな人と関わると、寂しい?」
「……なるよ。そりゃあ」
葉月は正直に言ったあと、妙に堂々と胸を張る。
「だからこそ!!」
びしっ、と人差し指を掲げる。
「御陵家の掟・第三条!!
『憂に近づく怪しい人物には、姉の許可が必要である』!!」
「掟ふえたーーーっ!?!?」
「当然です! 書類審査&面接です!!」
「物々しい!!」
「でもね」
葉月は一転、やわらかく微笑んだ。
「千秋ちゃんは……ギリ許します」
「ギリなんだ……」
「厳正な審査の結果!! “憂ちゃんの手を握る資格:ぎりぎり合格”です!」
「審査基準がわからない!!」
憂は呆れたように笑いながらも、心のどこかで少し安心していた。
自分の世界が広がることを、ちゃんと喜んでくれる姉がいる――
それが嬉しくて仕方がない。
「……だってね、憂ちゃん」
「うん?」
「千秋ちゃんも、憂ちゃんの笑顔を守ってくれそうだから」
その言い方が、優しくて、頼もしくて。
「……ありがと。ほんとに」
「はっ!? 今日なんか憂ちゃん素直じゃない!? お姉ちゃん心臓止まっちゃう!!」
「止まらないで!!」
ふたりの笑い声が、部屋いっぱいに弾けた。
湯気の残り香と、肩に残るぬくもり。
心の中の冷たさまで――
ゆっくり、溶けていった。




