序章・連 京護(14)の転換日 6
足だけをベッドから出して座っている京護は、さざ波のように揺れる、足元の影を見下ろす。
外と中の明暗が、ハッキリしてきた時刻。室内の明かりで出来る影も、濃く見えた。
その影が意思を持った時、一層の濃さが増すのを、今日だけで何度見ただろう。
京護にとって、どう返して良いか分からなかった甚八の言葉。
何を気にしたのだろうと、自分の足元から生えてくる黒い波模様を眺める。
海の満ち引きとは違い、ゆらゆらと床に広がっていく。
ゆっくりと、確実に。
影は広がりながら、問いかけた。
【ソレダ けか】
影はベッドの足元に到達したが、何の抵抗もせず飲み込んだ。
【ソレダ けか】
物質は消えていない。
浸水したようなもので、ベッドの足も甚八の座る丸椅子の足も、影に落ちてはいない。
影の海は、甚八の足首まで浸った。
【ヘン なやつ】
床に広がる影から一斉に、大小の目がいくつも開かれた。
「っ、⁈ 」
驚きで体が硬直する甚八だけを、数多の目が見上げてくる。
身がすくんでしまったが、影と接触している足には痛みも感触もない。
急激な心拍数の上昇と悪寒は、生存本能からくる恐怖。
【ヘン なやつ オモシ ろい ソレダ けか】
影の海はやがて、見える範囲の床を覆っていく。深さは一定で、それ以上は上がってこない。
床から離れている、京護の裸足の先までだ。
甚八は、影と唯一繋がっている京護の足を見て、少年に抵抗する意思が見えない事を知る。
影を眺める眼差しに感情は見えないのに、
「連君」
名を呼ぶと、怯えた目線で合わせてくる。
甚八にとっては、視界の全てから視線を受けている状況の方が恐ろしいのに。
「……牛鬼のようにならないと良いんだけど」
水辺に現れ人を襲う妖怪の名は、京護には聞こえなかった。
ただの皮肉だ。返される声は無い。
返すしかなくなったのは、影からの問いかけ。
【へんな ヤツ ソレダ けか】
声の出所は分からない。
目玉の全部からにも聞こえたし、足元から一番近いものかもしれない。
嘘を言えば噛み千切られる真実の口だったらどうしようと、甚八は強張る頬を必死に上げた。
この部屋に最初に来た時、すべき事は決めてきた。
「はい、違いますよ」
ひとまず一番近い足元の目と、目線を合わせた。それ以外は背景だと思い込む。
両手を膝の上に置き、おじぎをするように前かがみになる。
「連君の父親と言うなら、あなたにも自己紹介します」
意識して言葉はゆっくりと。
出来るだけ周囲の警戒は怠らず。
正気だけは保たなければ、戻ってきた甲斐も無い。
「あなたがいる世界と、縁を繋いできた一族の名は華出井。
華出井家は、僕の家の本家にあたります。逆らえない上司みたいなものですね」
甚八は、自分の胸に片手を沿える。
「僕は、華出井家から一番近い、円花家の一人息子。円花甚八と言います」
名乗った後、京護にも視線を向ける。
少年は、甚八だけを静かに見ていた。
甚八は何も返さず、再び視線を下げる。
目玉の中は、どこまでも底が見えない。
その底に落ちた一人目が居るから、今日、この夜がある。
「つまり、あなたたちから恩恵を受け続け、ついにその返しを食らった家の者の一人てことです」




