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華出井 葵(12)と願いの井戸 27

「落ちた先はね、無い事が当たり前なんだ。世界が全部、混ざっちゃってる」

 葵が、猫又の姿をする影を見る。

「無いばかりの世界で、たまにいるのがおっさんみたいなの。こっちで生き物を食う事を覚えた奴ら」

 揺れる二本目の尾がピタリと止まり、先を葵に向けた。

 葵は口角を上げ、呆れに似た感情で笑った。

 感情としては、犬のイタズラに悩む飼い主に似ているかもしれない。当然、犬ではない。

「おっさんは人間も、人間以外の生き物も長い間かけて食ってきたから、感情を知ってる。

 人間がどういう物か、こっちの世界がどういう形をしているか。暇だから、面白いから理解しようとしてる」

 両手で持ったパズルを右手に持ち替え、空いた左手でパズルの表面を突いた。

「こっちは、あるばかりの世界だよね。名前とか生き物の形とか」

 葵は視線を、影から甚八へ移す。

「でも、落ちた先はそうじゃない。

 甚八、クイズだよ。どうなると思う?」

 問われた甚八は、口を真一文字に閉じる。

 ソファに体を沈め、視線を上や下やと数度変えてから、再び葵を見る。

「適応ですか。宇宙服を着ずに宇宙に行けば、死にますね」

 葵は笑顔で、左の親指と人差し指で輪を作り、オッケーの意思を示した。

「全部が正解じゃないけど、正解にしてあげる。あっちの奴は何もしなきゃこっちで死ぬし、

こっちの奴は何かをしようとすると、あっちで死んじゃうからね」

 子供が笑顔で言う言葉ではないなと、今更ながら甚八は背筋がゾクリとする。

 未踏の地に挑む時に犠牲は出来ていくものだと理解しても、それが目と鼻の先で行われていた。

 甚八は、京護の様子を伺った。

 少年は軽く俯き、少し青ざめていた。

 唇を噛みしめ、震えを見せたくないのか、未だ病衣のズボンを、ぎゅっと握り込んでいる。

「むら、」

 慌てて甚八は葵を止めようとしたが、それを見透かした葵が語気を強めた。

「ぼくらは、井戸の先では存在しないものなんだ。そうでしょ? 甚八、京護」

 名を呼ばれた京護は、俯いていた顔を上げる。

 甚八にとって理由は不明ながら、葵を恩人だと言い、無条件でパーソナルスペースに入るのも許していた相手。

 その葵を、挑むような目で京護が見上げた。

 甚八の知らない何かに気づいたのか、あるいは、単純に真理に踏み込む覚悟をしたのか。

 決めたのならと、甚八は黙って視線を葵に戻す。

 葵は、二人の異なる視線に、一度無言で頷く。

 違うのは秘めた感情だけで、知りたいという欲求は、甚八も京護も葵を見る瞳に宿している。

 当の葵は、まるでゲームの攻略を説明するように、二人の知らない(ことわり)を告げていく。

「ぼくらにとってエネミーはおっさんでも、落ちた先で逆転するのは当然だよね」

 京護は先より、聞けば聞くほど心臓が早鐘を打っていた。

 そのことに甚八よりも早く葵も気づいているが、京護が知りたいと願うのも知っているから、言葉にするのだ。

「死んだ奴もいれば生きて帰って来た奴もいる。落ちれば宝物があるのは分かった」

 葵は、役者のセリフじみた口調と共に、ガラス製に見える立体パズルを顔に近づける。

 内部から淡く光る、導きのランタンのような明かりが、葵の瞳を一際輝かせた。

「こっちじゃ奇跡で魔法で未来そのものような、願いを叶える物」

 京護は五年間、耐えず考えていた。

 何故、自分は攫われたのか。

 何故、理不尽な仕打ちを受け続けたのか。


 そして死を覚悟した時すら、思考は疑問で埋め尽くされた。


 何故、落ちろと言われたのか。


 自分は母親の望む、普通という人生の線路を走る電車に、ただ乗っていただけなのに。

 分家の当主になった甚八は、適応だと言った。

「コレが欲しいから華出井は今まで井戸を独り占めしてきたし、餌が欲しい分家は本家の言う事を聞くんだ」

 本家の子である葵は、なんでも無い事のように無邪気に答える。

「宝物を持って返ってこれた人は英雄でヒーローだ。落ちれば一番に、自分の願いを叶えられるしね。

 ずっと、ずっと、ずぅーっと、昔からそうしてきたんだって」

 葵は最後に、こう言った。

「昔からなのに今も死ぬんだって。下手すぎじゃない? でも、落ちない人に見えるのは、この宝物だけなんだ。方法は気にしないんだよ、あいつら」

 葵の説明は、常に一定していた。

 ゲームの説明書じみていたのも、役者のセリフぽさも、第三者視点だ。

 そんな葵が最後だけ、自身の感情を込めていた。

 それに気づいたのは、影だけだった。

 落ちた先に居た足元の影は、猫の形いっぱいに、穴のような口を開けて嗤う。

 尾の二本目はいつの間にか、もう片方の足首にまで巻きついている。

 好奇心は猫をも殺すとばかり。猫又の形をした影が、人間側からは未踏に過ぎないだけで、既に存在する世界を代表して京護に告げる。


【だから オマエ おちた ムスコ】


 京護は咄嗟に、奥歯を噛みしめた。

 ガチリと、歯が擦れる。

 埋め尽くされた疑問符が、切り捨てられていく。

 自分は、生まれた瞬間から食われる運命だったのではないか。

 食われる為に、連京護は生まれたのか。

 本家のエゴに人生を食われ。

 分家の欲に尊厳を食われ。

 愛してくれた母親までも、分家の人だと言う。

 普通である事に固執していた事と、無関係とは思えなくなった。

 そうして最後は、文字通り落とされた。

 人では無い世界の存在が、人の在る世界に存在する為に、魂ごと食われた。

 食われる為に、生かされたのか。

 京護は病衣を握り込んでいた手をゆっくり剥がし、自分の胸を力任せに鷲掴む。

 何かにすがりたくなった手の置き場に迷っていただけだが、口から出て来そうなほど心臓が鳴っていたからかもしれない。

 抑えたいのか、一層、出てしまえば良いのか。

「おれは…………」

 心臓がうるさい。

 冷汗が止まらない。

 なにより、怒りが治まらない。

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